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【レティシア5歳】
016.無欲な恩人
しおりを挟む「いやあ、一時はどうなることかと思ったけどね」
爽やかな喜色満面の笑顔で、キラキラしいオーラをふんだんに撒き散らしながらそう言って、ノルマンド公オリヴィエは優雅にティーカップを傾ける。
場所は最初に案内された応接間。アンドレの隣にはこの部屋でひとり待たされていた副団長が座ったままだ。
なおレティシアはあのあとボロボロ泣いて、アンドレに取り縋って抱っこしてもらった挙げ句にまたしても彼の腕の中で寝落ちしてしまい、今はジョアンナに抱えられて行って自室で眠っているはずだ。
「君が断ってくれてひと安心だよ」
そう続けて、オリヴィエは静かにカップをソーサーに戻した。
いや混乱を助長させた張本人が何言ってんの!?とアンドレはもちろん執事長も居並ぶ侍女たちも使用人たちも全員が心中ツッコんだが、実際に口に出した者はいなかった。
まあそれを言えば、発端はアンドレの“騎士の宣誓”だったので、アンドレにだけは非難する資格はないかも知れない。
「まあ私としましては、公爵家唯一の公女様とのご縁なんて、畏れ多いというか身に余るというか何というか……」
正直勘弁して欲しいですごめんなさい。たったこれだけの言葉を表現するのだけでもアンドレは四苦八苦である。
無礼に当たらないように、相手の面子を潰さないように、それでいて意図したところがしっかり誤りなく伝わるように。そうした高位貴族特有の婉曲表現には、全くもって慣れそうにない。
「いやあ、実のところ僕はレティシアが本当に愛する男とならば応援するつもりはあるんだよ?でもねえ、さすがに今回は唐突過ぎるというか」
「20も歳上の平民と変わらぬような騎士を選ぶなんてダメだ、と」
「いやそこまでは言ってないよ」
そこまでは確かに言わなかったが、「お前なんか認めない」と発言した時点で言ったも同然である。
そしてそのことを根に持ったレティシアに週単位で完全無視されて、彼は思い余って自殺未遂までやらかすのだが、それはまた後の話である。
「まあそれはそれとして、君があの子の命の恩人なのは間違いないことだし、それに関してはとても感謝している。君が駆け付けてくれなければ、今頃あの子はデボラと一緒に母親の元へ旅立っていただろうからね」
だから目録に書いた褒賞品は全て間違いなく君に与えよう。他にも欲しいものがあれば何でも言ってくれて構わない、と公爵はアンドレに告げた。
だが正直な話、アンドレはレティシアのあの感謝の言葉を伝えられただけで充分過ぎるほどだった。目録に書かれた中で他に欲しいと思ったものといえば子爵家への金銭援助と、あとは剣と鎧と騎士礼装くらいのものである。
「なんだい、思ったよりずいぶん欲がないね君」
正直に伝えると、少し意外そうな顔になる公爵。
「ノルマンド公爵家が褒賞を出すと言えば、大抵誰しもが際限なく欲をかくものなんだけど」
「畏れ多いことでございます。けれど私は、身の丈に合った暮らしができればそれでよいのです」
元々、ブザンソン子爵家がそういう生活をしてきているのだ。だからその中で生まれ育ったアンドレも、身の丈に合わない贅沢をするという発想そのものがなかった。
「ああ、ですがひとつだけ」
「うん、何かな?何でも言っていいよ」
鷹揚に頷く公爵に、意を決してアンドレはワガママを告げた。
「あの目録には私の小隊について言及がありませんでした。願わくば、彼らにも褒賞を」
「………ああ、そうか。レティシアが君のことしか言わなかったからそこを失念していたよ。
分かった。君と全く同等には無理だが、金品と装備は贈らせてもらおう」
「お聞き届け下さり感謝致します」
アンドレにとっては皆苦楽を共にした可愛い後輩たちで頼れる部下たちである。灰熊に命を懸けて立ち向かったのは彼らも同じなのだから、それが無事に報われることになって安堵する。
「ほかには?」
「えっ?」
「まだ色々あるんじゃないか?」
「い、いえ。すでに身に余る栄誉を賜りましたもので、充分過ぎるほどでございます」
「ふうん、なるほどね」
畏まって頭を下げるアンドレに、公爵は表向きにはそれだけしか言わなかった。だが表情はいつの間にやら社交の場に出るような“貴族の貌”になっていて、さすがに元王子の公爵なだけに何を考えているのか全く伺い知れなかった。
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