上 下
7 / 57
【序】

003.騎士アンドレ・ブザンソン(3)

しおりを挟む


 ロラは子供の頃から愛らしい娘だったが生まれつき病弱だった。アブロリカの厳しい気候でたびたび体調を崩すことがあり、そのたびにブザンソン家の兄弟たちが甲斐甲斐しく世話を焼き、面倒を見た。ロラは幼馴染でアンドレのふたつ歳下だったから、みんな妹のように可愛がっていたのだ。
 彼女はルテティア国立学園には進まず、地元の圏都ウェソンティオの圏立学園に進学した。気候は厳しくとも空気が澄んでいて自然豊かな地元の方が、人口が多くて雑踏も人の悪意も多い首都よりもまだマシだろう、という周囲の大人たちの判断だ。彼女はそれに文句も言わず従い、手間をかけさせなかった。

 その彼女も学園の3年生、15歳の成人の儀を迎えて婚約者を決めることになった。無封爵(領地を与えられない爵位、貴族のこと)とはいえ世襲貴族の男爵家、彼女とて家門の繁栄のために婚姻せねばならないのだ。
 近隣でも評判の美少女になっていた彼女には多くの釣書が寄せられていた。だが彼女が選んだのは、釣書も出していなかったアンドレだった。一応は主家であるのだから選ばれても不思議はなかったが、密かに自分こそと思っていたアンドレの兄たちの落胆は激しかった。
 何故アンドレなのか、と問われて彼女は答えた。

「だって、アンドレったらあのでみんなから怖がられるでしょう?私がお嫁に行かないと、彼きっと結婚できないわ」

 男爵家も子爵家も、一同揃って爆笑したものである。笑えなかったのはひとり遠く離れた地で、手紙で顛末を知らされたアンドレだけだ。
 どうせ選ばれないと思って釣書も書かなかったけれど、選んでくれて嬉しかったのに。結婚出来そうにないというのは自分でも思っていたけれどそんな理由かよ、と彼は同期の親友ジャックにひとしきり愚痴ったものである。もちろんジャックにも大笑いされた。

 ロラの御披露目デビュタンテにはアンドレも里帰りして、婚約者として拙いながらもファーストダンスを踊った。お互い照れくさかったが、それでも気心の知れた幼馴染で婚約者だからと、胸を張ってしっかりとエスコートすることができた。
 ロラの方も実はアンドレのことが幼い頃から好きで、あの“理由”は単なる照れ隠しだった、と告白されてからは、ふたりは睦まじいカップルだった。まめに手紙のやり取りをし、長旅のできないロラのためにアンドレは折に触れて彼女の元へ顔見せに戻った。
 いつか功績を挙げて男爵位を賜って、彼女に不自由ない生活を保証できるようになったら改めて婚姻を申し込もう。そう心に決めて、アンドレはそれまでより一層職務に励むようになった。


 だというのに。


 ロラは雨季の長雨のあとの暑季の猛暑で急激に体調を崩し、いともあっさりと儚くなってしまったのだ。
 婚約から4年目、彼女はまだ18歳の若さだった。


 以来、アンドレには婚約者はいない。もちろん結婚もしておらず、当然子供も儲けていない。父も兄たちも、彼の悲嘆を推し量って次の婚約を無理強いすることはなかった。

 彼の胸には小さなロケットがひとつだけついた、飾り気のないロケットペンダントメダイヨンが下がっている。中には婚約式の際に奮発して描いてもらった、アンドレとロラの寄り添った姿の小さな肖像画ポルトレが収められている。
 メダイヨンも肖像画も、アンドレとロラがお揃いでふたりともに持っていた、いわば形見の品である。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 西方騎士団入隊からはや10年。
 フェル暦664年、アンドレは25歳になっていた。

 とはいえ、彼の階級は小隊長のままである。仇敵ブロイスと睨み合う北方騎士団や、約150年前に大戦争をしたイヴェリアスを警戒する南方騎士団と違って、西方騎士団はとかく暇なのだ。東方騎士団でさえ竜央山地からたまに降りてくる魔物の相手をするというのに、西方騎士団が備えるのは長年の同盟国である、海の向こうのアルヴァイオン大公国なのだ。
 もちろん、はるか昔にはアルヴァイオンとも戦争した事実はある。だがそれは〈西方十王国〉の盟約がなされる以前の話であり、少なくともフェル暦に入ってからは戦端が開かれたこともない。攻められた史実があるから守っている。ただそれだけの事だ。

 まあ、それを言うならガリオンからもアルヴァイオンを攻めたことがあるので、正直なところではあるのだが。

 もちろん、平和なガリオン西部とて獣や魔獣の被害はある。数こそ多くはないが、そうした脅威から国民や都市を守る大事な仕事があるため騎士団は不要にはならない。というかそれでアンドレも小隊長に昇進したのだから、全く仕事がないわけではないのだ。
 だけれど結局、他の地方騎士団と違って西方騎士団は昇進がしづらいのは確かである。「お前も、北方や南方にいればもっと上にあがれただろうに」とは上司の中隊長や大隊長からよく言われたセリフである。

 だがアンドレとしては昇進が遅くともいっこうに構わなかった。だってもう、焦って昇進を目指す必要も、無理に叙爵を狙う理由もないのだから。はもう、のんびり過ごしながら大好きになったセーの街を守って暮らせれば、それで良かったのだ。
 彼だってひとりの人間なのだから生きていくために稼がなくてはならず、独りきりで生きていくのは寂しく辛いと感じることももちろんある。だが騎士団で得られる俸禄には満足できていたし、気の置けない友人たちもそれなりにいる。今のままでは兄が爵位を継げば平民に落ちてしまうが、これまでだって平民とさして変わらぬ暮らしだったのだから何も問題はない。

 だからもう、アンドレはそれで良かった。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

婚姻初日、「好きになることはない」と宣言された公爵家の姫は、英雄騎士の夫を翻弄する~夫は家庭内で私を見つめていますが~

扇 レンナ
恋愛
公爵令嬢のローゼリーンは1年前の戦にて、英雄となった騎士バーグフリートの元に嫁ぐこととなる。それは、彼が褒賞としてローゼリーンを望んだからだ。 公爵令嬢である以上に国王の姪っ子という立場を持つローゼリーンは、母譲りの美貌から『宝石姫』と呼ばれている。 はっきりと言って、全く釣り合わない結婚だ。それでも、王家の血を引く者として、ローゼリーンはバーグフリートの元に嫁ぐことに。 しかし、婚姻初日。晩餐の際に彼が告げたのは、予想もしていない言葉だった。 拗らせストーカータイプの英雄騎士(26)×『宝石姫』と名高い公爵令嬢(21)のすれ違いラブコメ。 ▼掲載先→アルファポリス、小説家になろう、エブリスタ

私が死ねば楽になれるのでしょう?~愛妻家の後悔~

希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢オリヴィアは伯爵令息ダーフィトと婚約中。 しかし結婚準備中オリヴィアは熱病に罹り冷酷にも婚約破棄されてしまう。 それを知った幼馴染の伯爵令息リカードがオリヴィアへの愛を伝えるが…  【 ⚠ 】 ・前半は夫婦の闘病記です。合わない方は自衛のほどお願いいたします。 ・架空の猛毒です。作中の症状は抗生物質の発明以前に猛威を奮った複数の症例を参考にしています。尚、R15はこの為です。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

元公爵令嬢、愛を知る

アズやっこ
恋愛
私はラナベル。元公爵令嬢で第一王子の元婚約者だった。 繰り返される断罪、 ようやく修道院で私は楽園を得た。 シスターは俗世と関わりを持てと言う。でも私は俗世なんて興味もない。 私は修道院でこの楽園の中で過ごしたいだけ。 なのに… ❈ 作者独自の世界観です。 ❈ 公爵令嬢の何度も繰り返す断罪の続編です。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

処理中です...