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03.蜜月
しおりを挟むローグは飽きることなくフィオーラを抱いた。フィオーラのほうは嬉々として抱かれつつも、食事の世話や掃除、洗濯、裁縫など、ローグの身の回りの世話をなんでも進んでこなした。
そんなのは婢を呼んでやらせればいいと言うローグに、フィオーラは「いいえ。わたくしが旦那様のためにやりたいのです」と言ってまた微笑った。その笑顔に思わず見蕩れてしまい、「あ、あァ、そうか。まあ好きにしろ」としか返事できなかったローグである。
そのうちにフィオーラは、ローグに仕事をするようにと言い出した。
「旦那様。家にいてばかりでは退屈でしょう?そろそろ外へ出てお仕事をなさってはいかがです?」
「あァ?いンだよ気にすんな。お前は黙って俺に抱かれてろ」
「ですが、お部屋に篭りきりではお身体にもよくありませんもの。それに、わたくしにも街を案内してくださらない?」
案内しろと言われても、スラムにフィオーラが楽しめそうな観光名所などあるわけがない。それに、フィオーラの美しさを誰の目にも触れさせたくなくて、ローグは一度はその望みを許可しなかった。
だがそんな時に、自分に歯向かうバカどもが騒ぎを起こしたことを聞きつけて、渋々フィオーラを棲家に残してローグは自分の手でシメて回った。
フィオーラが誰も殺すなと言うので殺さずにおいてやったが、そうなると復讐を警戒しなくてはならなくなる。いっそ連れ歩いて自分の女だと見せつけた方が、今後の彼女の身の安全にも繋がるかも知れない。そう考えてローグは彼女を連れて久しぶりに外に出た。
それが、フィオーラを連れ込んでおよそ1ヶ月ほど経った夜のことである。
久しぶりに出てきたローグが、見たこともない美しい女を連れている。しかも親しげに名を呼んでその腰を抱いて、人目もはばからず抱き合いキスをする様子に、スラムの住人たちはその女がローグのお気に入りだと理解した。
ローグは女にうつつを抜かして腑抜けたんじゃない。むしろあの女を守るためなら以前にも増して暴虐を振るうだろう。そう考えた住人たちも手下たちも、フィオーラを「姐さん」と呼んで進んで尊重するようになった。
再びスラムや下町を闊歩するようになったローグは以前と変わらず恐ろしかったが、だが人を殺すことだけはしなくなった。フィオーラが人を殺してはダメだとローグに事あるごとに懇願したからだ。
「旦那様、人を殺してはなりません」
「あァ?なんでだよ」
「人を殺せば恨みを買いますわ。その時は何もなくても、いつか逆襲に遭うかも知れません」
「そん時ァそん時だ。先のことを今考えたって仕方ねえだろ」
「過去に犯した罪は消えずとも、この先に犯すはずの罪を止めることはできるのです。わたくしのためにも、どうかお止め下さいまし」
「お前のため、だと?」
「はい。旦那様が罪を犯さなくなれば、わたくしも嬉しゅうございます」
「…………まあ、考えといてやるよ」
そんなやり取りを何度かしたあと、ローグは本当に人を殺さなくなった。痛めつけはするが、命までは取らなくなったのだ。
ローグが殺しをしなくなったことを素直に喜ぶ者は多かった。もちろん中には、やはりローグは腑抜けになったのだと考える者もいなくはなかったが。
ローグは人を殺さぬようになっただけではなかった。盗むことも次第に止めていったのだ。その代わり、飯屋や酒場からは一定の貢物を要求するようになった。定期的にローグの望むものを差し出せば、それ以上は奪わないでおいてやるとローグ自らが宣言したのだ。
定期的に女を差し出していた娼館からは、商売女の代わりに金貨が差し出されるようになった。女はもう要らんとローグが言い、代わりに売上の何割かを献上することで娼館は彼の合意を得た。
要するにローグは、フィオーラの言う通りに仕事を始めたのだ。
「旦那様、お仕事をなさいませ」
「あァん?俺ァ仕事なんざしてねえぞ」
「いいえ。旦那様には街を支配するというお仕事がございます。旦那様がスラムの秩序を保っているのですわ」
そう言われても何のことだかローグにはよく分からない。だがフィオーラがそれでいいと言うのだから、きっとそれでいいのだ。
ローグが殺しも盗みもしなくなり、スラムの秩序は劇的に改善した。ボスを見習って手下どもまでもが殺しや盗みを次第にやめていったのだ。そしてその代わり、スラムや下町で起こる喧嘩や盗みなどのトラブルをローグとその手下たちが仲裁し解決してやることによって、ローグたちはそれまで以上に多くの貢物を得るようになった。
「こんなんでいいのかよ」
「ええ。これでいいのですよ旦那様」
全ては、ローグを巧みな言葉でコントロールし続けるフィオーラのおかげだ。だがそれを理解する者はローグ自身を含めて誰もいなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんなふたりの生活は半年過ぎ、1年過ぎても変わることがなく、常にローグと連れ歩くフィオーラはすっかり彼の“妻”として認識されるようになっていた。もはや彼女が独りでスラムや下町を歩いても、襲われたり攫われたりすることもない。彼女に危害を加えたらローグが黙ってはいないと、誰もが理解していたからだ。
だが彼女の美しさと聡明さはどうしたって人々の噂となる。彼女を見て知った人々は口を揃えて言うのだ。「姐さんがこの街で一番の佳い女だ」と。
そうして、その噂はついにとある人物の耳にまで届いた。
ある日、突如として正規騎士団の部隊がスラムに乗り込んできて、ローグとフィオーラの棲家を取り囲んだ。
「無駄に抵抗することなく、大人しく投降せよ」
そう呼びかけられたローグは、悠然と玄関に姿を現した。特に武器も持ってはいなかったがその姿は傲然として、スラムの支配者としての威風に満ち溢れていて、騎士たちの幾人かでさえ思わず気後れする程だった。
「俺ァ国家に楯突くことなんざしてねえぞ」
面倒くさそうにローグが口を開く。確かに今まで悪事は散々働いてきたが、そのどれもが盗み、脅し、殺しなどの個人の罪であり、国家に逆らうような真似はしていない。
まあ、二件の貴族殺しがバレたのであれば話が違ってくるが、いずれもローグとは関わりのなかった相手である。今までだって露見しなかったし、自白しない限りはこれからもそうだという自信がローグにはある。
「ここにフィオーラと名乗る女がいるだろう」
隊長と思しき騎士にそう言われ、ローグは目を眇めた。
「領主様の命である。その女を差し出すように」
「断る。あれァ俺のもんだ」
「抵抗するなら容赦はしない。だが大人しく従うなら命ばかりは助けてやろう」
ローグにとっては理不尽極まりない命令だ。だが相手は正規の訓練を受けて国家に仕える戦闘のプロであり、ローグを含めたゴロツキが勝てるような相手ではない。しかもそれが完全武装した上で一部隊単位で揃っているのだ。
ローグは内心で舌打ちした。従わなければ、騎士たちは容赦なくローグを殺すだろう。手下たちをけしかけたところで、スラム全体を皆殺しにする事だってやりかねない。
そしてスラムの住人はローグを含めて大半が住民登録をしていないから、殺したところで罪に問われることも無い。
「……ハッ。小汚えスラムの男のお下がりを欲しがるなんざ、領主サマってえのもいい趣味してやがるなァ」
「それ以上ごねるようなら、抵抗したと見做すが構わんな?」
取り付く島もない、とはまさにこの事だ。できればもう少し時間を稼ぎたかったが、次はおそらく剣を抜かれるだろう。
さて、どうするか。
そう思案するローグの背に、後ろから華奢な手が添えられた。
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