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第五章【蛇王討伐】

5-26.あれもこれもどれも全部(1)

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「お帰りなさいませ。⸺そのご様子ですと、お望みの品を手に入れられたようですな」

 極星宮に戻ると、ジャワドが出迎えてくれた。

「望みのものっていうか、それ以上が買えたわね」
「それはようございました。書殿の方にはすでに話を通しまして、必要な資料も集めさせておりますので」
「おっジャワドさん仕事の早かねえ」
「はっはっは、これでもクビにならぬよう必死ですのでね」

 にこやかに笑っているが、ほんのりと皮肉を乗せているのがよく分かる。だがわずか一晩だけとはいえケチのつけようのない采配を見せて、今朝も十全の対応を見せている彼をクビにするつもりはレギーナにもなくなっているので、この程度ならで済ませてしまえる。

「じゃあ書物庫に案内してくれる?」
「畏まりました」

 今日ここまで特につまずく事もなくサクサク進んでいるせいか、まだ朝の茶時午前10時頃である。昼食の準備はもちろん出来ていないから、レギーナたちは先に書物庫に向かってみる事にした。


 書物庫つまり書殿は宮殿の北側、謁見殿と北側の離宮との間にある。ただし北側の離宮の中で近いのは北東の獅子宮サライェ・ミヤンであり、方角で言えば宮殿全体の北東部に位置する。そこには大王殿タチャラと呼ばれる王族の居住空間があり、大王殿の東に書殿、西に宝物殿、南に後宮があるという。ただ後宮は現在建設中であり、まだ完成していないとのこと。
 レギーナたちは極星宮から一度謁見殿の方に移動し、回廊を通って大王殿前を素通りして書物庫、つまり書殿へと案内された。案内したのはもちろんジャワドで、他に侍女のニカと、護衛にハーフェズという騎士がついて来ている。レギーナにとっては正直必要ないのだが、他国の宮殿内で帯剣したままうろつくわけにもいかないし、宮殿内ではどこに移動するにも必ず侍女と護衛の随行が必要だと言われれば断れるものでもない。
 ハーフェズは20代後半の男性で、騎士らしくがっしりとした体格で上背もあるが、そこまで威圧的でもなく物腰も柔らかい。おそらく貴族階級の出身だろう。

 到着した書殿は、広さこそそこまでないものの窓が少なく、天井まで届くほどの書棚が林立していて、壁もほとんどが書棚になっている。そしてそこに大小様々な書物や巻物がぎっしりと収められていた。

「なかなかの量を蒐集しゅうしゅうしてあるわね」
「およそ二十万冊ほどになりますか」
「さすが、王宮の書庫ともなるとよう集めとんしゃあね」
「これでもずいぶん減ったほうなのですよ。旧都ハグマターナの書庫からはほとんど持ち出せませなんだので」

 旧都ハグマターナの旧王宮書殿から持ち出せていれば、軽くこの倍にはなっただろうとジャワドは言う。

「さて、ここからは専任の司書官ケターブ・ダビールに任せることと致しましょう。丁度参ったようですのでね」

 ジャワドの視線を追うと、そこに白無地の法衣ローブ姿の小柄な人物が立っていた。

「お待ちしておりました勇者様。わたくし、皆様の文献調査のお手伝いを専属で務めさせて頂きます、司書官ケターブ・ダビールのダーナと申します」

 ダーナと名乗った人物は、そう言ってうやうやしく腰を折った。短めに揃えられた黒髪がサラリと流れて、一瞬だけその顔を隠す。姿勢を直した時にもその髪が柔らかく揺れた。
 一見して中性的で、男性なのか女性なのかよく分からない。顔立ちはよく整っていて肌も白く、仮に男性だったとしても化粧して着飾れば、体格とも相まって女性で通せてしまいそうである。
 ただまあ、ダーナの性別がどちらであれ、しっかりと仕事さえこなしてくれればそれでいいので、レギーナは特にツッコまない。

「専属っていうことは、あなたが古代語の翻訳とかもやってくれるわけね?」
「はい。まだ司書官としては若輩ですが、ひと通りの技能は身につけておりますのでお役に立てるかと思います」

 声を聞いてもなお男か女か分からない。そうなると逆に気になってしまったりしまわなかったり。
 だがレギーナには、それ以前に引っかかったことがある。

「あなた、ケターブ・ダビールって言ったわよね」
「えっ……はい、そうですが」
「ジャワドって確か、宮殿秘書ダビーレ・サラーイと名乗ったわよね?」
「左様ですな」
「……戸籍官もダビールじゃなかった?」
戸籍サブテスターナ・ダビールでございますな」

「なんだかダビールばっかりじゃない?」

 レギーナたちはまだ誰も[翻言ほんごん]を習得していないので、ジャワドも侍女たちもダーナもみな現代ロマーノ語で会話してくれている。その中で現代ロマーノ語にない「ダビール」という単語がやたらと耳に残ったのだ。

「ああ、それですか。ダビールというのは、いわゆる書記官を指す言葉なのですよ」

 ジャワドによると、ダビールとは本来は文書を記す官僚のことなのだという。文書の記述と管理を司るため、行政組織のほぼ全てに書記官が配置され、それだけでなく王族の秘書や地方への伝令なども務めるようになったのだとか。
 そして現在では戦地へ赴く軍にも必ず記録官としてダビールが随行するし、医療記録の保存のために医療現場にも立ち会うし、裁判記録や戸籍、生産や物流、人口調査なども記録するし、拝炎教や崇偶教といった宗教施設にも派遣されているという。

「それら書記官ダビールを統括する者として書記官長ダビールベドという官職もございますな」

 リ・カルンでは、行政組織を束ねる大臣級の役職をウズルクといい、全部で七名が任じられて“七卿ハフトウズルク”と総称する。書記官長はその下、“七官長ハフトベド”と呼ばれる官僚たちの長官の最高位になるそうだ。

「とはいえ、書記官ダビールたちは各部署の命令系統に属しておって、書記官長ダビールベドの直接の指揮命令下にあるわけではございません。建前として各部署に書記官長が派遣しておる事になってはおりますが、基本的には書記官長が書記官に及ぼす権限は限定的でございます」
「……じゃあ、書記官長がいる意味ないじゃない」
「書記官長とは要するに『王の秘書』ですな。王の執務をおたすけし国政を滞りなく遂行して頂くために、国家行政の全てに通暁しておかねばならんのです」

 ゆえに各部署の書記官を歴任し、行政の隅々まで知り尽くした者が書記官長に任命されるのだと、ジャワドは語った。
 ちなみにジャワドは今回の宮殿秘書ダビーレ・サラーイを無事に務め上げれば、次は大王殿タチャルの宮殿秘書に昇進する見込みだという。そこまで行けば書記官長への昇進も見えてくるそうだ。

「ま、わたくしめのことはどうでも良いのです。それよりも文献調査をなさいませんと」
「あっ、そうだったわね」

 話がようやく本題に戻ったところで、ジャワドは書殿を辞去していった。昼食の用意が済み次第、知らせを送ってくれるそうである。





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