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第五章【蛇王討伐】
5-10.度重なるトラブル
しおりを挟むふと、アルベルトが顔を上げて遠くを望むように背筋を伸ばした。ほぼ同時に、レギーナが前方はるか先へと視線を向けた。次いでふたりは、どちらからともなく顔を見合わせた。
「聞こえた?」
「レギーナさんも?」
「剣戟だったわ」
「脚竜の啼き声もね」
現在位置はちょうど森を突っ切る隘路に差し掛かるあたり。この森の中なら賊が襲撃するにはお誂え向きだろうし、仮に賊でなくとも、獣や魔獣が出てきたとしても不思議はない場所だ。
レギーナは助手座の腰帯を外して立ち上がり、室内に通じる連絡ドアを開けた。
「ミカエラ、出る準備して!前方でおそらく、何者かが脚竜車を襲ってるわ!」
「んあ?捕り物かいね?」
「捕り物か討伐か、まあどっちにしろ斬るだけよ」
レギーナの言い方は物騒だが、「斬れば終わる」は普段からの彼女の口癖だし、実際そうなることが多いわけで。というかぶっちゃけて言えばレギーナの場合だと、斬らずに終えることの方が多かったりもするのだが。
レギーナは手早く鎧を身に着け、愛用の剣帯を巻いて迅剣と長剣を腰に佩く。ミカエラは愛用の戦棍を持ち出してきた。ヴィオレとクレアは特段動かないので出撃するつもりはなさそうだ。レギーナも特に咎めないので、クレアの出番は今回もなさそうである。
「見えてきたよ!」
連絡用覗き窓からアルベルトの声が聞こえてきて、それと前後して戦闘音が聞こえてくる。
「止めてちょうだい!」
言うが早いか、まだアプローズ号が止まっていないのにレギーナとミカエラは乗降口から外に飛び出して行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「危ないところをありがとうございました。本当に何と御礼を申し上げてよいやら」
汗を拭きつつ、初老の商人がレギーナに頭を下げた。
「気にしないでいいわ。当然のことをしたまでだもの」
コルタールの剣身を鞘に収めつつ、何でもない事のようにレギーナが答えた。
襲われていたのはアプローズ号サイズの大型の箱型荷駄車だった。聞けばやはり、積荷を満載してこれから西方世界へ帰るところなのだという。そして襲ってきたのは小型のイグノドン種に騎乗した野盗の一団。いわゆる高速強盗というやつだ。
賊のほうも竜骨回廊が西方世界との交易路で、ここを北へ向かう車両には“お宝”が満載されていることを知っているのだろう。というか。
「野盗対策のために雇った護衛たちが、まさかその野盗どもと繋がっておるとは思いもよりませず……!」
要するに賊は最初から内通する目的で、仲間が隊商護衛に扮して何食わぬ顔をして雇われていたのだ。そして事に及んでも直ちには露見しづらい場所で襲撃計画を実行したわけだ。
彼らの誤算は、ちょうどその場に勇者一行が通りかかったこと、それに尽きた。それさえなければあるいは襲撃は成功していただろうに、不運なことである。
ただまあそんな野盗たちは本当にただのチンピラだったようで、レギーナが斬り伏せるまでもなく威圧一発で腰を抜かしたり気絶したり逃げ散ったりで、ミカエラの出番すらなかった。むしろ彼女は一緒に威圧に当てられてしまった隊商の人々へ[平静]をかけて回る方に忙しかったくらいである。
なお捕らえた賊たちは、程なくして駆けつけてきたリ・カルンの警邏隊に引き渡され、連行されて行った。
「あの、もし宜しければお名前をお聞かせ願えませぬか」
「私?私はレギーナ。勇者レギーナよ」
「おお……!では東方遠征の噂は本当だったのですね……!」
勇者レギーナの東方遠征は公開情報として広くアナウンスされている。この商人も当然その情報を仕入れていたようだ。
ただ、具体的な旅程や道中の詳細までは明らかにされないため、レギーナの東方入りが遅くなればそのぶんあらぬ憶測を呼ぶことにも繋がりかねない。ミカエラが日頃から日程の遅れを気にしているのは、そうした事情もあったりするのだった。
だがそれはそれとして、この一件がその後の旅程を暗示していることに、この時まだ彼女たちの誰ひとりとして気付いていなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜闇の中、足音を殺しつつ夜を明かす一台の脚竜車に忍び寄る男たち。その数、10人以上。
男たちが取り囲んでいるのは普段から狙っている大型の荷駄車……ではない。サイズこそ似たサイズだが見たこともない上質のしつらえの、側面に大きな薔薇の彫刻の施された、見るからに高級そうな脚竜車である。
それが人気のない森の中で夜営しているのだ。絶好のカモである。
「おおおいアニキィ、何回見てもスゲェ高そうな車だなぁオイィ」
「声上げんじゃねえガビー。見つかるだろうがよ」
アニキと呼ばれたのはこの一味のリーダー格。ガビーと呼ばれたのは下っ端の若い男だ。
彼らはいつものように交易路で獲物を物色していて、偶然この高級車を見つけてしまったのだ。今までに見たこともない豪華な脚竜車で、信じられないことに護衛もつけずに南へ向けて走る車。それを見て、これまでに得られなかったほどの金銀財宝が手に入るかもと欲を出して、彼らはその車を追いかけたのだ。
折しもちょうど宿場町のない場所に差し掛かっていて、例の高級車もどこかで夜営するはずである。見つからないよう距離を取り、だが見失わないよう追跡すれば案の定、車は人気のない森の中で夜営の準備を始めた。
確認できた乗員は、御者の男がひとりと若い女がふたり、それに長身短髪の美女がひとり。男は冒険者風だから護衛を兼ねているのだろうが、見るからに強くなさそうである。女のほうはいずれもとびきりの美女で、しかもまだ若い。これは楽しめそうだし、高く売れそうだ。
ということで乗員全員を確認できたわけではなかったが、リーダーは夜襲を決行に移したのだ。そうして手下たちで取り囲んで、機先を制する事ができる位置まで忍び寄っている最中である。
だというのに、興奮を抑えきれないのか近くにいる下っ端がしきりに話しかけてくるのだ。
「おおおいアニキィ、」
「うるせぇな、黙ってろガビー」
「けっけどよ、なんかゾクッとしねえか」
そりゃテメエがビビってるだけだろ。
「ビビってるとかじゃなくてよォ、なんかこう、背筋が寒くなるっつうか、生きた心地がしねえっつうかよォ」
それをビビってるって言うんだろ臆病モンが。そんなに怖えんならひとりで逃げてろ。
「やっぱ止めようぜェ。なんかヤバい⸺」
ガビーの声が不意に止まる。ガビーだけでなく、周囲の手下たちもリーダー自身も、一切身動きが取れず口も開けなかった。それどころかリーダーは意識を保つので精一杯だ。
この時リーダーは周りを確認する余裕などなくしていたが、ガビーはすでに気絶しており、他の手下たちも気絶したり小便を漏らしたりして襲撃どころではなくなっていた。
不意に影が被さってきて、リーダーはかろうじて顔を上げた。
「寝込みを襲おうってんなら、もっとちゃんと気配隠しなさいよね」
輝く月の逆光でよく分からないが、それは明るいうちに見かけた乗員の、若い女のひとりだった。なんの根拠もなかったが、シルエットで女が鎧を着て腰に剣を佩いているのを見て取って、リーダーはそう確信した。つまり襲撃はすでにバレていたのだ。
そして逆光で見えてもいないのに、リーダーはその女を月の中の月だと感じた。女はそれほどに美しく、清冽で、悪魔のように恐ろしかった。
そしてリーダーが憶えているのは、そこまでだ。
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