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第五章【蛇王討伐】
5-03.いろんな意味で不穏しかない
しおりを挟む渡し船への乗り込みは、イリシャのビュザンティオンからアナトリアのコンスタンティノスまでボアジッチ海峡を渡った際と、ほぼ同様の手順を踏んだ。どちらも国境越えの船旅であるため、当然と言えば当然のことだ。違いといえば、船に揺られる時間の長さくらいなものである。
ただ、アプローズ号は一般の脚竜車としては少々大きすぎるわけだが、同じく大河を渡る交易商人たちの荷駄車の半数以上が大して変わらないサイズだったのには少々驚かされた。それを曳く脚竜もほとんどがアロサウル種である。
「交易商人ってあんなに大きな車使うの?」
「あんまし見らんサイズのはずばってんが、必要あるっちゃろうね」
「あの大きな荷駄車を使ってる商人たちの半分くらいは、華国の国都まで行くんじゃないかな」
それはつまり、竜骨回廊を越えてその先に続く絹の道まで商人が旅をするということだ。
「…………商人っていうのも大変ね」
「まあね。前回リ・カルンに行った時に同道した商人たちの中には、俺たちが帰るまでに戻って来なかった人たちもいたからね」
「“五色の風”って確か、東方遠征して戻るまで1年近くかかったんやなかったかいな?」
「うん、だいたい1年くらいかかったね」
「それってつまり、1年経っても戻って来なかった商人たちがいる、ってこと!?」
ユーリ率いる“輝ける虹の風”は誰にも見送られることなくラグを出発し、リ・カルン公国の当時の王都ハグマターナに至り、蛇王の文献調査や蛇封山の現地調査を経たのち、見事再封印を成し遂げてラグに戻ってきたのが約1年後のことである。これは勇者ユーリと“輝ける五色の風”の公開情報として、公式記録に残っている。
ちなみに竜骨回廊の起点であるルテティアから、絹の道の終着点となる華国の国都である“江州都”までを全行程とした場合、リ・カルンの現在の王都アスパード・ダナまででおよそ3分の1ほどでしかない。ルテティアからアスパード・ダナまで一般のアロサウル種の脚で4ヶ月足らず、アスパード・ダナから江州都までは約7ヶ月ほどかかる。それも、何事もトラブルがなくスムーズに旅ができたという前提での話になる。
「……そう言えば不思議よね」
「なんが?」
「だって、大河を越えたらアスパード・ダナまではおよそ半月でしょ?そこから蛇封山まで片道3日よね」
「そうだね」
「ラグからアスパード・ダナまでが概算で1ヶ月半くらいって言ってたわよね?」
「言うたねえ」
「…………調査期間って、そんなに必要だったのかしら?」
全行程の移動時間だけで言えば、ラグを出発してからラグに戻ってくるまで、余裕を見ても3ヶ月半というところ。蒼薔薇騎士団は行く先々でトラブルに見舞われたからここまですでに約2ヶ月ほどかかっているが、何事もなければとうにアスパード・ダナに着いているはずだった。
ハグマターナとアスパード・ダナはどちらも蛇封山から約3日の距離で、両都市間もそこまで離れていない。そして蛇王討伐と再封印そのものにそう何日もかかったとは思えない。となると、残りの約8ヶ月もの期間を全て調査期間に充てなければならなかったのだろうか。
「いやまあ、その期間中に俺が朧華さんにしごかれたり、陳大人に料理習ったりしてたわけだけどさ」
「それにしたって、よ。今までの歴代勇者ってそんなに時間かけてないわよね?」
そう。例えば勇者ロイと“竜を捜す者たち”の場合は約半年ほどで凱旋を果たしているし、それ以前の勇者パーティもおよそ似たようなものである。もちろん中には1年どころか2年近くかけたパーティもあるし、行ったきり帰って来なかったパーティも数多い。それらは全て公式記録の公開情報である。
だが個々のパーティが具体的にどう動いて何をしていたのかは一切公開されておらず、パーティメンバーの手記や言行録などもほぼ残されていないのだ。
「……それに関しても、俺の口からは何とも言えないかなあ」
そしてまたまたアルベルトの歯切れが悪い。
「なによ、それも教えてくれないわけ?」
「以前のパーティがどうだったか、どうやったか、後発のパーティには何も教えちゃダメなんだ」
⸺調べるのも試練のうちさね⸺
⸺我ら全員がそうやって先輩諸氏を疑いながら駆けずり回って調べさせられたんだよ。だから君たちだけ楽をさせるわけにいかなくてね⸺
先々代勇者パーティのメンバーでもある、バーブラとロイの言葉がレギーナの脳裏に蘇る。要するに再封印依頼の席上でバーブラが言ったこと、そしてラグで勇者ロイが語ったこと、それを先代勇者パーティのメンバーであるアルベルトも守っているわけだ。
レギーナは目を閉じてひとつため息をつき、そして目を開くとアルベルトに視線を向けた。
「分かったわ。自分たちで確かめろ、ってことね」
「本当に申し訳ない。けど俺が伝えられることは全部伝えるから」
アルベルトは申し訳なさそうに頭を下げた。レギーナは「謝らないでいいわよ。そういう決まりなのなら仕方ないわ」と答えるに留めた。
そうこうしているうちに、アプローズ号の乗船の順番がやって来た。ボアジッチ海峡を渡った際は車体の大きさもあって最初に乗り込んだが、今回はそう目立つサイズでもなかったため、順番は中程になっていた。
「それじゃ勇者様方。この同意書にサインして頂きますよ」
「…………同意書?」
乗船手続きはヴィオレが代行して、銀麗の分も含めて全員分済ませてある。彼女はチケットも六枚分もらってきていて、あとはそれをひとりひとり切符切りに渡して半券を切り取ってもらえばそのまま船へ乗り込める。少なくともボアジッチ海峡を越えた時はそうだった。
それなのに、同意書とやらに署名を求められている。それも全員が個別にだ。
「ってあなた何さっさとサインしてるのよ!?」
「だってサインしないと船には乗れないからね。書いてある内容をよく読んで、納得してからサインするといいよ」
事もなげに言うアルベルト。そう言われてレギーナたちは同意書を読んでみた。
「…………え、なにこれ?」
「えーと?渡河航行中に起こる沈没事故、死亡事故を含む全ての事故について運航商会はその責を一切負わないものとする。⸺ちゅうことはつまり、」
「沈没事故などで乗客が死んでも自己責任、ってことかしら?」
「待って?そんなのおかしくない?」
通常、乗客を乗せる客船が事故を起こせば、その責任は船会社が負うものである。だというのにこの大河を渡す渡河船は違うというのか。
だとしても、相手は勇者であり、エトルリアの王女であるレギーナなのだ。もしも沈没して死なせたりすれば、確実にエトルリアから賠償請求がなされるはずである。
「勇者様であろうと、どこの王様であろうと、これはサインしてもらわなくちゃならねえんですよ。でなけりゃ船には乗って頂けません」
「こんなに大きな船が沈む、ですって?」
「今年はまだ一隻だけですがね。去年は全部で四隻だったかねえ」
「「「「ウソでしょ!? 」」」」
「大河を甘く見ちゃあいけませんぜ勇者様。コイツは大人しく見えてとんでもない暴れ川ですからね」
平然と言いきる切符切りに、レギーナたちは全員が開いた口が塞がらない。
「え、あなたたちそれで採算取れてるの!?」
「正直カツカツですね。赤になる年の方が多いくらいでさぁ」
「なんでそんな仕事してるのよ!?」
それはもちろん需要があるからに決まっている。レギーナたちのように目的があって大河を越える者や商人たちのように利があって東西を行き来する者は多いし、それに毎回必ず沈むというわけでもない。大河を渡河するのに他に手段がないのだから、人々は沈没の危険を承知の上で渡河船を頼るしかないのだ。
そして運行会社には、倒産しなくても済むようにアナトリアとリ・カルンの両国が補助金と補償金を交付していて、ぶっちゃけた話それで存続しているようなものである。
というか、渡河船がなくなると各方面への影響が計り知れないため、赤字だろうが犠牲者が出ようが続けるしかないのである。ただでさえ毎年の新造船の建造費用で手一杯なのに、死亡した乗客や積み荷の保証までやっていられないのだ。
ちなみに沈没事故の犠牲者の遺族には、運航商会からではなくリ・カルンとアナトリアの両国から見舞金と積荷の賠償金が出る。自己責任と突き放して終わりではないそうだ。
そこまで説明されて、レギーナたちは渋々サインを済ませた。済ませるしかなかった。
だが勇者といえども人間、河に沈めばもちろん生命はない。そして河幅が75スタディオンもあるのなら、離岸直後ならともかく河の中ほどまで進んでしまえば[飛空]や[空歩]、[空舞]などで岸まで戻ることも難しいのだ。
「絶対、絶対によ!沈んだりしたら承知しないからね!」
「そいつぁあっしじゃなくて河の神にお願いして下せぇ」
ごもっとも。
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