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間章2【マリア様は今日も呑気】

【幕裏2】10.個人差があるにも程がある(2)

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 議場の外で待機していた議場警護の神殿騎士が開いた重厚な樫の扉から入ってきたのは、マリア付きの侍女にして次期巫女候補のアグネスだった。
 まだ12歳の小柄な彼女は、屈強な騎士と並ぶと背丈が半分ほどにしか見えないから余計に小柄に見える。

「アグネス。こっちへいらっしゃい」

 マリアがアグネスを呼び、傍へやってきた彼女の肩を抱くと、ミゲルに彼女の発言の許可を求めた。

「そ、そんな小娘が何を⸺」
「黙らっしゃい。⸺アグネス、発言を許可する」
「はい、ありがとうございますミゲルさま」

 アグネスは丁寧にミゲルに向かってお辞儀したあと、おもむろに話し始めた。

「私の父はすでに故人ですが、私が生まれたのは父が73の時でした」

 この日一番のざわめきが、この場を支配した。


 対外的に公表されていないが、アグネスの父親はとある小国のかつての王であった。
 王は若くして婚姻し、王妃との間に世継ぎも儲けて、老境に差し掛かる前に若き息子にその玉座を譲って引退したという。その後は政争の具となるのを避けるため、僅かな供回りを連れて王都から離れた離宮で余生を送り、そして天寿を全うした。享年78歳。
 その元王の最期を看取ったのは、元王の最晩年に身の回りの世話をしていた若い侍女だった。貴族の娘だったが婚約破棄されたことで瑕疵がつき、嫁の貰い手もなく元王の離宮で働いていたという。

 侍女は18歳で離宮に上がってからおよそ10年勤め上げた。年老いた使用人たちがひとり、またひとりと離宮を辞してゆく中、老いた元王には特に可愛がられ、彼女もまた元王によく仕えた。
 侍女が21歳で初めて元王のお手つきとなった時、元王は71歳であった。正妃である元王妃はすでに亡く、離宮にはその時すでに専属の庭師、調理師、馭者がひとりずつと侍女、それに執事を兼ねた侍女頭がいるだけだった。なお侍女以外は全員が60の坂を越えていた。
 この侍女が、アグネスの母である。

 侍女は約1年の間に4度の寵を得て、22歳でアグネスを身籠った。離宮の全員がそのことを秘匿したが、その頃にはもう離宮を訪ねる者など食材を届ける商人以外にはおらず、露見するはずもなかった。
 だがさすがに、生まれてしまえば秘匿し続けるのは無理がある。育児用品の発注をきっかけに、王宮の知るところとなった。離宮で使われる費用は王宮が、王家が出しているのだから当然である。

 王宮は密かに騒然となった。当時の王、つまり元王の息子はすでに50代で、世継ぎの立太子も終えて王孫、つまり元王のひ孫さえ産まれていた。
 そのひ孫よりも若い王妹の誕生など、王位継承の火種にしかならぬ。しかも庶出であり、世間に知られるわけにもいかぬ。
 結局、生まれた赤子は元王の存命のうちは離宮で育てられたが、彼女が5歳の時に元王が薨じると侍女ともども離宮を出されることになった。侍女は平民として王都郊外に家を与えられ、最低限の生活保障を王家から密かに支給されつつ働きながら娘を大事に育てた。

 そんな女児、元王妹は10歳になる直前に次期巫女候補とされ巫女神殿に迎えられた。その際に経歴を全て書き換えられ、王妹であることは永遠に秘されることになった。もちろん名前も変えられ、以後はアグネスと名乗っている。
 ちなみに彼女の母親も、今は巫女神殿で娘とともに仕えている。


「母は、せめて一度だけでいいから自分も子を産みたい、自分の手に我が子を抱いてみたいと、そう父に話したそうです。それまで母は侍女として父のしもの世話もやっていたそうなので、もしかしたらのかも知れません」

 静まり返った議場の中、アグネスの落ち着いた声だけが響く。

「母は幸せだったと申しております。世間一般とは違えども、愛しい旦那さまに愛されて可愛い娘を授かったのだからと、いつも私に話しておりました。⸺まあ小さかった頃によく遊んでくれたお爺ちゃんが、まさか実の父親だったなんて10歳になるまで知らなかったですけど」
「そなたの母も確か、今巫女神殿ここにおるのじゃったな?」
「はい。元気に働いております」

 アグネス自身が老父の思い出を持つのみならず、実際に寵愛を得て妊娠出産した当事者である母親までも健在であるのなら、70代でも男性が子作りできることを疑うべくもない。ならば逆説的に、まだ70歳に満たぬジェルマンに生殖能力が残っていても何の不思議もない。
 ジェルマンは呆然として、二の句が継げない。

「……これで、ジェルマン侍祭の生殖能力を確認せねばならなくなったのう」

 眉間を揉みながらミゲルが呟く。というより巫女神殿に侍する男性神徒の全員を調べ直さねばならなくなった。それどころか、巫女神殿に今後配する男性神徒の選定方法までも見直さねばならない。

「ジェルマン侍祭には追って沙汰を与えよう。それまでは自室にて謹慎しておれ」
「そ、そんな……」

 ジェルマンはその場で大司徒ミゲルに命じられた神殿騎士たちに拘束された。今後は教団幹部用の拘束室で軟禁されつつ、罪状を取り調べられる事になるだろう。
 彼への処罰がどのようなものになるかは取り調べ次第だが、これまでの彼の言動や周囲の評判を考えてもおそらくは無罪にはならない。少なくとも侍祭司徒の地位の剥奪は間違いないだろうし、場合によっては破門もあり得る。

 連行されるジェルマンが、虚ろな表情を向けてマリアの方を窺った。その黒い瞳にたちまち憎悪が滾る。

「おのれ……!大人しくわしの言いなりになっておれば良いものを……!」
「相手の気持ちも考えずに自分の欲望だけを満たしたいのなら、独りで勝手にオナニーでもしといて下さい。気持ち悪い」

 唐突に巫女へと浴びせられる罵声。だがミゲルや神殿騎士たちが制止する前にマリア本人からそれ以上の罵倒が返されて、ジェルマンも含めて場の全員が固まった。

「お、オナ……?」

 マリアは元日本人の転生者だから、彼女自身には「自慰オナニー」という言葉は馴染みがある。だがこちらの世界ではそれは北部ゲール語にのみある言葉で、エトルリアは南部ラティン語系のエトルリア語を母語とする国である。しかもこの時代、男性にしろ女性にしろ交合によらずに自身の手によって性欲を発散するという行為自体があまり一般的ではなかった。
 つまりこの場の誰も、マリアの言葉を正確に理解できなかったのだ。

「巫女を自分の思うさまに操りたいという今の発言自体が罪ですわ。ミゲルさま、そうですわね?」
「……あ、おお、そうじゃな」

 何食わぬ顔で平然とマリアがその場を流して、なんとなくミゲルもそれに乗ってしまった。そしてそのまま、ジェルマンは議場を連れ出されて行った。何やら口汚く喚いていたが、もうマリアを含めて誰も聞こうとしなかった。





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