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第四章【騒乱のアナトリア】
4-66.九死に一生
しおりを挟む「ミカエラさんお願いだ!この子を[治癒]してやってくれ!」
「知らん!まず姫ちゃんが最優先たい!そんで次はおいちゃんや!姫ちゃんば襲うげな敵の治療やら、なしせんならんとね!」
自身も相当な重傷であるにも関わらず、襲ってきた獣人の少女の生命を救ってほしいと懇願するアルベルトの気持ちが、ミカエラにはどうしても分からなかった。何しろ敵は一撃で勇者の肩を砕くほどの脅威なのだ。そんな者を[治癒]して再び襲いかかられたら、意識を失うほどの深手を負わされた親友を誰が守るというのか。
「早よせな毒の回る!そげな奴よりか姫ちゃんのが急ぐったい!」
「毒!?」
ミカエラの言葉にアルベルトが目を瞠る。だが彼はすぐ、かつて師匠に言われたことを思い出した。
「そ、その毒なら解毒薬がある!」
「マジな!?なら早よ出し!」
レギーナが冒されているのはミカエラにとって未知の毒だった。[治癒]は人体の構造に精通していればその分効果が上がる。毒を除く[解癒]も同じで、毒の成分が分かっていれば除くのも容易だが、未知の毒となると最悪効かないことさえあり得る。だから彼女は焦っているのだ。
そして同じ爪で攻撃されたアルベルトのほうも、まだ意識があるというだけで一刻の猶予もない。
ミカエラの状態が万全であれば、彼女は迷わず法術の[請願]を発動して神の慈悲を乞うたことだろう。神の慈悲は奇跡、即ち魔術などとは比べ物にならない劇的な効果をも期待できるのだから。
だが神に祈りを捧げる[請願]は大量の霊力を消費する。血鬼との戦闘、及びクレアの[浄炎柱]の固定化と封印で霊力の大半を使ってしまっている今の彼女では、上手く神に祈りを届けられない可能性が高かった。それでは助けられないどころか、ミカエラ自身まで含めて3人が死に瀕する事にもなりかねない。
だがアルベルトが、その未知の毒の解毒薬を持っているというのなら。
「ここには無いよ!アプローズ号の俺の部屋にあるんだ!」
残念ながら事はそう簡単にはいかなかった。となると一刻も早くレギーナをアプローズ号へ運び込まねばならない。アルベルトの意識があるうちに解毒薬を探してもらわなければ、最悪ふたりとも生命はない。
「[浄炎]⸺」
「くっ、[氷棺]!」
アルベルトの胸の傷にクレアが浄化の炎を当てて、応急ながら消毒を試みる。ミカエラは治療を一旦止めて、レギーナを氷の棺で覆って一時的に仮死状態にする決断をした。
「上にまだアルタンたちがいるはずだわ!呼んで来ましょう!」
ヴィオレが人手を呼ぶため、階段を駆け上がって行った。そしてすぐに第七の騎士たちを引き連れて戻ってくる。
「どうしたんスか、なんか戦利品でも⸺うわ!?」
促されるままに降りてきたアルタンたちが見たのは、氷漬けの勇者と血だらけのおっさん、そして脇腹から大量の血を流して倒れ伏したまま動かない獣人の少女。
「は、運んでくれ、早く⸺」
「えっ、どこに!?」
「アプローズ号!ウチらの専用車まで!」
「わ、分かりました!おい!」
「「「「了解!! 」」」」
そうして半壊滅状態の勇者パーティは、騎士たちの力を借りて地下から運び出された。だが地上へ戻り、城外へ出て厩舎エリアのアプローズ号にたどり着くまでは、まだまだ気の遠くなるほどの距離があった。
「ククク……これであの忌々しい小娘も終わりよ」
「だが解毒薬があると言っていたぞ。本当に大丈夫か?」
「…………あの奴隷もあの傷では助かるまいし、死ねば我らの仕業だとバレる心配などないのだから問題なかろう」
「なるほど、それもそうだな」
慌ただしく地上へと戻っていくミカエラたちは、その様子を隅の岩陰で窺っている男たちの存在に、最後まで気付くことはなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ん…………」
レギーナが目を覚ましたとき、最初に目に飛び込んで来たのは高い天井。なんの場面か分からないが天井画が描かれ、それを邪魔しない形で天井中央から魔術灯の豪勢なシャンデリアが下がっている。
ここは、どこだろう。そう考えてすぐに、アナトリア皇宮に宛てがわれた蒼薔薇騎士団の専用居室の主寝室であることに気がついた。そうだ、早く戻って柔らかなベッドで眠りたいと思って、ダンジョンを抜けて⸺
「⸺!」
慌てて身を起こそうとして、左肩の痛みに耐えかねて再び倒れ込む。上掛けを押さえられている感覚があり、ベッドサイドに目をやると、ミカエラが上体を伏せて居眠りしている姿が見えた。
「ミカエラ、ねえミカエラ」
「zzzzz……」
「ミカエラってば」
「ん~?」
「ん~?じゃなくて」
「なァんもう、まあちぃと寝かせりーよォ……」
「寝言はいいから、起きてよ」
ミカエラはすぐには起きない。冒険中以外で一度眠ったらなかなか起きないのは昔からだ。
「ちょっとホントに起きなさいよ。私お腹空いたんだけど」
「ん~」
「あんたの『姫ちゃん』が起きろって言ってるの。聞きなさいよ、もう!」
「んん~、姫ちゃん……?」
しつこく声をかけていたら、ようやく彼女は目をこすりながら上体を起こした。まだ半分閉じている目がさまよって、レギーナの顔を捉えて、そして。
バチーン!と音がしたかと思うほど見開かれた。目と同時に開いた口がわなわなと震え、掠れた吐息が漏れて。
「わああああああ!!姫ちゃんが目ェ覚ましたあああああ!!」
歓喜の絶叫とともに抱きついてきた。錯乱するほど狂喜してるのに、それでも左肩の傷に障らぬようそっと抱きつくあたり、この子相変わらず私のこと好きすぎよね。そんなことを思いつつ、レギーナは胸元に顔を埋めてくるその頭を右手でそっと撫でた。
「心配かけてごめん。そしてありがとう。⸺っていい加減、人の胸に埋まろうとするのやめてくれない!?コラ吸うなー!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後はひとしきり大騒動だった。知らせを受けて飛び込んできたクレアにも抱きつかれたし、ヴィオレは一見いつもどおりに見えるものの目尻に光るものが見えてしまって動揺したし、ベステたち侍女の4人もみな涙を流して喜んでくれたし、アルベルトが入ってきたかと思えばオートミールを作ってきていて久々に彼の味を堪能できた。
オートミールで腹を満たして、湯浴みをしたいと言えば、蒼薔薇騎士団の全員の介助つきで至れり尽くせりだった。
ララ妃もやってきて涙ながらに喜んでくれたし、遠慮して入っては来ないけれどイルハン皇子も部屋の外まで来ているという。
レギーナがあの時昏倒してから、すでに4日が経っているという。その間ミカエラはずっと付きっきりで看病と治療を続け、解毒薬が効いてすんなり回復したアルベルトも蒼薔薇騎士団の専用居室の一角に寝室を与えられて静養していたらしい。
で、そんなこんなで専用居室のリビングに、関係者一同が集まっている。
「あなたはもう平気なの?」
「俺はまだ軽症だったからね。少し傷跡は残るかも知れないけど、その程度だから問題ないよ」
まあ何か問題があれば彼もオートミールなど作っていられないだろうし、見た感じでも体調が悪いようには見えなかったから、レギーナは素直に信じておくことにした。
眠っている間にナイトドレスに着替えさせられていたレギーナは、湯浴みを終えて肩を露出するタイプのゆったりとした部屋着に着替えさせられ、その上からガウンを羽織っている。これだけ肌を隠していれば、同じ部屋に男性がいてもまあ何とか耐えられる。
肩の調子がまだ思わしくはないから一応肌になるべく衣服を当てないようにしてはいるが、ミカエラのおかげで傷は跡形も残っていないし、あとは可動域の確認をして、再生し切っていない神経や毛細血管などが繋がれば万全に戻るだろう。
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