上 下
195 / 335
第四章【騒乱のアナトリア】

4-43.“闇”の襲来

しおりを挟む


 その時、会場入口付近が急に騒がしくなった。
 騒がしいというか、甲高い女性の悲鳴がはっきり聞こえて、次いで男性の声で「逃げろ!」とも聞こえてくる。さらにこれは会場警護の騎士たちだろうか、「皆様ご退避を!」「囲め!中に入れるな!」という声まで聞こえてきた。
 入口付近にいたと思われる下位の招待者たちが、恐怖に顔を引きつらせ我先にと会場中央部に駆けてくる。「助けて!」「化け物!」などという声とともに。

 入口付近から人がいなくなり、次第に状況が明らかになる。そこに立っていたのはひとりの青年貴族と思しき正装の男性。

「ふむ。晩餐会と聞いたから衣装を整えてみたが、これでよいだろうか」

 などと言っているが、着ている正装フロックは明らかにサイズが合っていない。というかひと目で他人の衣装を無理やり着たのが分かるほどパツパツで、なんならスラックスはボタンが止まっていないしシャツはへその上までしかない。そしてそのシャツの襟元が血で真っ赤に染まっていた。
 しかもその男の両側頭部には、黒光りする尖って捻れた二本の角が生えている。肌は青黒く、目は黒く、瞳孔は血を薄めたような朱色だ。

「ま、魔族だと!?」
「どこから入って来た!?ここは皇城だぞ!?」
「そんなことより、逃げろ!」

 たちまち会場中央部にまでパニックが伝播する。誰も騎士を呼ばないのは、男の足元にいくつもが転がっているからだ。

「魔族ですって?」
「タイミングからして、ダンジョンにっちゃろうねえ」

 そのおぞましい姿を視認しても蒼薔薇騎士団は落ち着いている。だが不快でないわけではない。魔族の周りの肉塊から死臭と血臭が濃厚に漂ってくる。

『レギーナ氏、魔族が出てきてるんすか?』
「そうみたいね」
『じゃあそれ、サクッとっちゃって下さいっす!』

 マリーに言われなくとも、倒してしまわないことには場が落ち着かなさそうだ。

「ええい、何をしておる!さっさと討伐せぬか騎士団長!」

 その時、壇上から金切り声が響く。
 振り返らなくても皇后ハリーデだとすぐ分かる。ちなみに振り返っていれば、恐怖と焦りに歪んだ蒼白な顔面が見られたはずである。

「騎士団長、というのはのことかね?」

 魔族が鱗に覆われた太い尻尾を振り上げた。その尻尾が巻きついていたと思しき大きな塊が、人々の頭上を越えて皇后の足元、皇太子の席のある壇の上部まで飛んだ。
 かなりの距離があるのだが、そして人の上半身ほどもある大きさだったが、それでもはそこまで届いた。

「……っ、ひぃ……!」

 まず物理的に攻撃されたことに皇后ハリーデは怯え、そして飛んできた物を確かめて今度こそ絶句した。

 それは、力任せに引き千切られた騎士団長の上半身。、どころではなくだったのだ。
 その変わり果てた姿を目の当たりにして皇后は腰が抜けたのか、ズルズルと頽れて皇后玉座に座り込んでしまう。

「は……は……話が違う、こんなはずでは……」

 放心したように呟く皇后のその声は、あまりに小さすぎて誰にも届かない。

「会場警護の隊長はいるかしら!」

 レギーナが叫ぶと、すぐに屈強な壮年の騎士が駆け寄ってきた。

「は、こちらに!」
「貴方と隊員は避難誘導をしなさい!あれは私が相手するわ!」
「助勢して頂けるのですか!?」

 隊長は驚き、そして物言いたげな目を向けてくる。彼も会場内にいて条約脱退の顛末を聞いていたのだろう。あるいは、女性に助けを乞うのを恥じているのか。

「依頼を受けたからには、勇者として仕事をするわ。当然でしょう?」
「……かたじけない。ご武運を!」

 色々言いたいことはあるのだろうが、彼はそれだけ言って頭を下げるとその場を離れていった。
 それを見送ることもせず、レギーナは入口に向かってひとり駆ける。

「そこまでよ!」
「ん?……娘よ、そんな剣など持ち出してなんとす……む?」

勇者わたしがいる場所にのこのこと顔を出した間抜けさだけは褒めてあげるわ」

 それだけ言い捨てて、レギーナはドゥリンダナを横薙ぎに一閃した。

 ただそれだけで、魔族の首が斬り飛ばされた。
 同時にドゥリンダナが鈍く光り、次の瞬間には魔族の上半身が細切れになっている。レギーナが迅剣ドゥリンダナを“開放”して亜音速で滅多切りにしたのだ。

 魔族は首を刎ねただけでは死なない。霊炉心臓を破壊して再生できないようにトドメを刺さなければならないのだ。
 そして上半身ごと心臓を斬り刻まれた魔族は、ついでに頭部も両断され、そのまま反撃もできずに血煙の中息絶えた。なおその際に飛び散った血飛沫は、亜音速で動き回り回避したレギーナには一滴もかかっていない。

「姫ちゃん、初っ端から開放するとはなんてちと可哀相かわいそかろうもん」
「なんでよ、ドレス汚したくないんだから開放するわよ」

 のんびり歩み寄ってきたミカエラの苦笑に、さも当たり前のように答えるレギーナ。
 その周りでは恐怖に怯えつつも勇者の戦闘をひと目見ようとその場に残っていた招待者の全員が、呆然として彼女たちを凝視していた。

 一般的大多数の人々にとって、魔族とは魔物モンスターの中でも上位種、魔王や吸血魔と同じく闇の眷属であり絶望の象徴である。人類は魔族に関して細かいことなど何も分かってはいないが、それが死と絶望をもたらす悪夢だと分かっているだけで充分だ。
 その魔族を、この見目麗しい女勇者はその華奢な肢体で、華美な長剣をで細切れにしたのだ。
 それを目の当たりにしてしまっては、もはや皇帝や皇太子が繰り返し説明してきたことが絵空事にしか思えない。懐柔し籠絡し、あるいは拘束し屈服させて国家に従う従順なとする、そんなことが現実に起こり得るとは到底思えなかった。

(こ、これが勇者様の実力……)
(何が起こったか、全く見えなかった……)
(こんなものを、こんな方の助力を我が国は失うのか……)
(これほどの力、確かに南方戦線には欲しいが……)
(だがこれは、御せん……)

「貴方達に言っておくわ」

 畏敬と恐怖のないまぜとなった視線に気付いてか気付かぬままか、レギーナが静かに声を上げる。

勇者わたしが助けないのはあくまでも“国家”だけよ。無辜の人民まで見捨てたりはしないから、安心なさい」

 それはつまり、アナトリア国民を見捨てないという勇者の宣言であった。確かに条約で定められた通り、アナトリアは国家としてはもはや勇者を頼ることは出来なくなる。だが彼女個人は、そこに住まう人々まで見捨てるつもりなど最初からなかったのだ。
 静かな声音で発せられたその宣言は、ざわめきとともに波紋のように会場内を伝播し、人々は顔を見合わせる。そして次第に喜色を浮かべ、信じられないような、でも安堵したような顔になり、やがてひとり、またひとりと跪いてゆく。

「「勇者様に対する今までの数々の非礼、どうかお赦しを」」
「「女と侮っていたこと、伏してお詫び申し上げます」」
「私が怒っているのは最初から皇帝と皇后、そして皇太子だけよ。貴方たちは上の意向に従っただけなのだから、特別に許してあげるわ⸺あら?」

 その時にようやくレギーナは気付いた。
 皇太子の姿がことに。

 皇帝は、先ほどまでレギーナがいた会場中央にへたり込んでいたのを、侍従長や側近たちが助け起こして支えつつ守っている。皇后は頽れたまま失神していたのだろう、担架に乗せられ侍女たちや近衛の騎士たちの手によって運び出されてゆくところだった。その他の皇族たちも安全が確認できたところで順次退出を始めている。
 だが、皇太子の姿だけがどこにもなかった。

「もしかして皇太子アイツ、逃げた!?」





しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

S級騎士の俺が精鋭部隊の隊長に任命されたが、部下がみんな年上のS級女騎士だった

ミズノみすぎ
ファンタジー
「黒騎士ゼクード・フォルス。君を竜狩り精鋭部隊【ドラゴンキラー隊】の隊長に任命する」  15歳の春。  念願のS級騎士になった俺は、いきなり国王様からそんな命令を下された。 「隊長とか面倒くさいんですけど」  S級騎士はモテるって聞いたからなったけど、隊長とかそんな重いポジションは…… 「部下は美女揃いだぞ?」 「やらせていただきます!」  こうして俺は仕方なく隊長となった。  渡された部隊名簿を見ると隊員は俺を含めた女騎士3人の計4人構成となっていた。  女騎士二人は17歳。  もう一人の女騎士は19歳(俺の担任の先生)。   「あの……みんな年上なんですが」 「だが美人揃いだぞ?」 「がんばります!」  とは言ったものの。  俺のような若輩者の部下にされて、彼女たちに文句はないのだろうか?  と思っていた翌日の朝。  実家の玄関を部下となる女騎士が叩いてきた! ★のマークがついた話数にはイラストや4コマなどが後書きに記載されています。 ※2023年11月25日に書籍が発売!  イラストレーターはiltusa先生です! ※コミカライズも進行中!

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。

sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。 目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。 「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」 これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。 なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

ハズレスキル【分解】が超絶当たりだった件~仲間たちから捨てられたけど、拾ったゴミスキルを優良スキルに作り変えて何でも解決する~

名無し
ファンタジー
お前の代わりなんざいくらでもいる。パーティーリーダーからそう宣告され、あっさり捨てられた主人公フォード。彼のスキル【分解】は、所有物を瞬時にバラバラにして持ち運びやすくする程度の効果だと思われていたが、なんとスキルにも適用されるもので、【分解】したスキルなら幾らでも所有できるというチートスキルであった。捨てられているゴミスキルを【分解】することで有用なスキルに作り変えていくうち、彼はなんでも解決屋を開くことを思いつき、底辺冒険者から成り上がっていく。

処理中です...