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第四章【騒乱のアナトリア】
4-3.アプローズ号海を渡る
しおりを挟むアプローズ号は渡し場に到着して、ヴィオレが乗船手続きを済ませるために受付へ向かう。それを待っている間、景色でも眺めようとレギーナは御者台に出てみることにした。
「どうでもいいけど、ずいぶん集まったわね」
さすがに少し呆れたようにレギーナが呟く。御者台の助手座に座る彼女の眼前にはすでに黒山の人だかりができていた。
というか彼女の眼前だけでなく、実はこの時すでにアプローズ号は群衆に取り囲まれていたりする。
「まあウチら、イリシャのこげんとこまで来たことやらなかったけんねえ」
室内から、どこか他人事のようなミカエラの声。ビュザンティオンの住民にとっては文字通り“初めての生勇者”なのだから、ある程度は予測していたようである。
ちなみに人混みが嫌いなクレアは室内から出てこようとしない。窓越しに外を覗くことさえしないので、ある意味筋金入りである。
ついでに言えば、これだけ大勢に囲まれた経験のないスズもどこか居心地悪そうである。ただそれでも噛み付き防止用の口輪をはめられて大人しく立っているだけ立派と言えようか。
周りの群衆は口々に何やら言い合っているが、ある程度の距離を置いて決して近付いてこようとはしない。おそらくは派手なアプローズ号に驚き、スズの巨体に慄き、そして憧れの生勇者が御者台に出てきているため、彼女を肉眼で拝めた僥倖を分かち合っているのだろう。
群衆をかき分けてやって来たのは渡し場の役人とヴィオレだ。
「手続きはまだ順番待ちですが、先に船内にご案内致します」
ヴィオレがレギーナの前をすり抜けて補助座に腰を下ろし、役人は御者座のアルベルトにそう言って乗船許可証を手渡す。かなり騒ぎが大きくなってきたので、アプローズ号だけでも先に載せてしまって混雑を解消したいのだろう。
まあそれでなくともアプローズ号の大きな車体は先に船に載せておかないと、最後尾近くでは積載スペースが充分取れない恐れもあった。
「分かりました」
アルベルトは許可証を受け取ってから手綱を振るい、スズをゆっくり進ませる。スズが動くとざあっと目の前の群衆が割れてゆく。
「これちょっと面白いかも」
「面白がってないで、何か一言声かけてあげたらどうかな?」
あまりに見事に一斉に人々が動くのが、レギーナには少し面白かったようだ。そう言う彼女に苦笑しつつ、アルベルトは“ファンサービス”を提案する。
「え、なんで。イヤよ」
だが残念なことに、勇者様はアイドルではなかった。
「まあレギーナならそうよね」
分かっていたと言わんばかりのヴィオレ。
「姫ちゃん的には顔出しとるだけで充分サービスやけんねえ」
室内からはミカエラの苦笑い。
クレアは相変わらずノーコメントだ。
そんな彼女たちを乗せたアプローズ号の向かう先には、巨大な船尾ゲートを開いた大型貨物用の国境連絡船が見えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アプローズ号も無事に船内に収まり、一行は簡単に手荷物だけ背嚢に詰めて客室フロアまで上がってきた。アプローズ号とスズは貨物室に安置で、貨物室は渡航中は乗客が立ち入ることができないため、レギーナたちも一旦アプローズ号から離れなくてはならないのだ。
とはいえ、対岸のコンスタンティノスは普通に見えている距離なので、連絡船で海を渡るのも離岸と接岸まで含めて大一もあれば良さそうだ。
「これだけ近いと、なんか泳いで渡れそうじゃない?」
甲板まで出てきて、対岸を見渡しながらレギーナが言う。
いや気持ちは分かりますけどねレギーナさん。
「紛争中の国境線ば泳いで渡ったりやらしてんしゃい、あっちゅう間に集中砲火で蜂の巣ばい?」
ミカエラの言うとおりで、どう考えてもゾッとしない。しかもそれでイリシャとアナトリアの武力衝突でも引き起こそうものなら、どう考えても批判されるに決まっている。
「分かってるわよ、ちょっと言ってみただけじゃない」
「貴女が言うと本当にやりそうだから、洒落じゃ済まないのよね」
「ちょっと酷くない!?私ってそんなに信用ないわけ!?」
クレアさんがコクコク頷いてますよ、レギーナさん。
そうこうしているうちに、乗船が終わって出港時間になったのだろう。連絡船は汽笛を上げながらゆっくりと離岸を始める。
汽笛の音を除けば静かに、海面を滑るように船は動く。ラグシウムで乗った〈海神の揺りかご〉号よりも大きな船体は、さすがにどっしりと安定感があっていささかも不安を感じない。
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