上 下
149 / 321
第三章【イリュリア事変】

3-39.ここだけの話(2)

しおりを挟む


「ところで、私はクレアの話が聞きたいのだけれど」

 話が途切れたタイミングを見計らったのか、ヴィオレがクレアの方を見ながら口を開いた。

「わたしの…?」
「ええそう。貴女結局、拐われてから発見されるまでのことをほとんど話してないでしょう?憶えている事だけでも、話せることだけでも構わないから、話してご覧なさいな」

 クレアが無事に戻ったあと、ミカエラの療養を兼ねてイリュリアの王宮にいた時は、事件の後処理やクレアの心身のケアが優先されていて彼女自身からの聞き取りは最低限しかなされなかった。具体的には催眠暗示からどうやって正気を取り戻せたのか、それしか彼女からは聴取しなかったのだ。
 まだ彼女がミカエラに対する罪悪感で怯えきっていたこともあり、可能な限りアルベルトが側についていてやって落ち着かせ、それでもなお「おとうさんの、においと声が、違ったの」という一言だけしか聞き出せていなかった。

 だからヴィオレのこの問いはある意味で賭けでもあった。あれから日数も経ってクレアも表面上はいつも通りに見えるほど落ち着いてきていたし、アルベルトとミカエラが積極的にいつも通りに接することを繰り返して、それでようやく彼女も自然な笑顔を浮かべられるくらいにのだ。
 だから今なら、彼女が自身のうちに溜めているモノを吐き出せるのではないか。そして吐き出せてしまえば、きっと彼女の心も軽くなるだろう。これはそういう、ヴィオレなりの気遣いでもあった。


 クレアの隣に座っているアルベルトが、彼女の小さな手をそっと拳で包んだ。
 それを見て、それからアルベルトの顔を見て、クレアの顔が安心したようにほころぶ。

「えっとね」

 そしてクレアは口を開いた。

「目が覚めたらね、知らない人がいたの。『これを見て』って言われて、なにか模様の入った丸いものをぶら下げた紐を見せられて、『よーく見てごらん』って言われて。」

 誰もが無言で彼女の話に聴き入っていた。

「目の前で揺れるそれを見てたら、なんだか頭がぼうっとしてきて。そしたら『おとうさんだよ、分かるかい?』って聞かれて。だから、『分かるよ』って答えたの」

「それでね、『おとうさん』がこれからはずーっと一緒にいるって。でも、これから『悪いやつ』が来るから、そしたら『おとうさん』と一緒にいる仲間のひとを守って戦って欲しい、って」

「悪いやつはいつ来るの?って聞いたら、『もし来たら』だよ、って言うから、分かったって答えたの」

 途切れ途切れに、クレアは語る。
 それを全員が口を挟まずに聞いていた。

 つまりクレアは、あのエンヴィルとかいう男を父親だと思い込まされただけでなく、レギーナたちのことを敵だと教えられていたわけだ。

「そういうこと。それでウチがなんぼどれだけ言うたっちゃても聞く耳持たんやったんやな」
「ごめんなさい…」
「よかよか、もう終わったことやけん」

「あの時、よく考えたらずーっとなにか引っかかってたの。悪いやつなのにおとうさんを治癒するとか言うし、でもおとうさんはもう助かりそうになくて、それで絶対に仇をうたなきゃって思って。でも倒したと思ってよく見たらミカだったの」

 次第に思い出してきたのか、クレアの瞳が涙で潤んでいく。
 アルベルトが彼女の肩をそっと抱く。

「なんでミカがおとうさんを攻撃したんだろうって思って、わけが分からなくなって。そしたらおとうさんのにおいも違ってたことに気がついて、頭の中が『どうして?』でいっぱいになって」

「そしたら、アルベルトおとうさんのにおいがしたの。呼んでみたら、わたしを呼ぶ声もおとうさんで。初めて抱きしめてもらって嬉しくて、でもミカが死んじゃうと思ったら悲しくて」
「もういい、もういいよクレアちゃん」

 涙を溢しながら語り続けるクレアにいたたまれなくなって、アルベルトが彼女をギュッと抱きしめる。

「俺が君のお父さんだから」
「うん」
「誰も死ななかったからね、みんなずっと一緒にいるからね」
「うん…」
「だからもう、忘れよう。誰も君のことを責めたりしないし、ちゃんとみんな元通りだから。ね?」
「うん…うん…うああああ」

 アルベルトに縋りついて泣き出してしまったクレアを、アルベルトはいつまでも抱きしめ続けた。ミカエラが立ち上がってクレアのそばに寄り、その頭を優しく撫でる。レギーナはその背をそっと撫で、ヴィオレはその華奢な手をずっと握ってやっていた。
 そうして全員が、彼女が泣き疲れて眠ってしまうまで寄り添ってあげたのだった。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「はぁ…。改めてあいつらに腹が立ってきたわ」

 レギーナが怒りを滲ませながら呟く。

「本当に、裁けるものなら私達で地獄に堕としたいわね」

 普段は理知的なヴィオレも怒りを隠さない。
 眠ってしまったクレアは、彼女がたった今アプローズ号の寝室に寝かせてきたばかりだ。

「まあ直接暗示かけた奴はもう冥府に堕ちとるっちゃけど」

 怒りのやり場のなさそうなミカエラの声。
 確かに暗示をかけたエンヴィルをはじめ、あの時あのアジトにいた者たちは騎士団長を除けば全員が死亡しているため、もう彼女たちが手を下すことはできない。
 ただまあそれ以前に、彼女たちには犯人たちを裁く権利はないのだが。それが分かっているだけに、余計に彼女たちはやるせなさを持て余すしかなかった。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

クラスメイトに死ねコールをされたので飛び降りた

ああああ
恋愛
クラスメイトに死ねコールをされたので飛び降りた

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

全てを奪われ追放されたけど、実は地獄のようだった家から逃げられてほっとしている。もう絶対に戻らないからよろしく!

蒼衣翼
ファンタジー
俺は誰もが羨む地位を持ち、美男美女揃いの家族に囲まれて生活をしている。 家や家族目当てに近づく奴や、妬んで陰口を叩く奴は数しれず、友人という名のハイエナ共に付きまとわれる生活だ。 何よりも、外からは最高に見える家庭環境も、俺からすれば地獄のようなもの。 やるべきこと、やってはならないことを細かく決められ、家族のなかで一人平凡顔の俺は、みんなから疎ましがられていた。 そんなある日、家にやって来た一人の少年が、鮮やかな手並みで俺の地位を奪い、とうとう俺を家から放逐させてしまう。 やった! 準備をしつつも諦めていた自由な人生が始まる! 俺はもう戻らないから、後は頼んだぞ!

赤ん坊なのに【試練】がいっぱい! 僕は【試練】で大きくなれました

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕の名前はジーニアス 優しい両親のもとで生まれた僕は小さな村で暮らすこととなりました お父さんは村の村長みたいな立場みたい お母さんは病弱で家から出れないほど 二人を助けるとともに僕は異世界を楽しんでいきます ーーーーー この作品は大変楽しく書けていましたが 49話で終わりとすることにいたしました 完結はさせようと思いましたが次をすぐに書きたい そんな欲求に屈してしまいましたすみません

【完結】悪役令嬢の断罪現場に居合わせた私が巻き込まれた悲劇

藍生蕗
ファンタジー
悪役令嬢と揶揄される公爵令嬢フィラデラが公の場で断罪……されている。 トリアは会場の端でその様を傍観していたが、何故か急に自分の名前が出てきた事に動揺し、思わず返事をしてしまう。 会場が注目する中、聞かれる事に答える度に場の空気は悪くなって行って……

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】6歳の王子は無自覚に兄を断罪する

土広真丘
ファンタジー
ノーザッツ王国の末の王子アーサーにはある悩みがあった。 異母兄のゴードン王子が婚約者にひどい対応をしているのだ。 その婚約者は、アーサーにも優しいマリーお姉様だった。 心を痛めながら、アーサーは「作文」を書く。 ※全2話。R15は念のため。ふんわりした世界観です。 前半はひらがなばかりで、読みにくいかもしれません。 主人公の年齢的に恋愛ではないかなと思ってファンタジーにしました。 小説家になろうに投稿したものを加筆修正しました。

処理中です...