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第三章【イリュリア事変】
3-39.ここだけの話(2)
しおりを挟む「ところで、私はクレアの話が聞きたいのだけれど」
話が途切れたタイミングを見計らったのか、ヴィオレがクレアの方を見ながら口を開いた。
「わたしの…?」
「ええそう。貴女結局、拐われてから発見されるまでのことをほとんど話してないでしょう?憶えている事だけでも、話せることだけでも構わないから、話してご覧なさいな」
クレアが無事に戻ったあと、ミカエラの療養を兼ねてイリュリアの王宮にいた時は、事件の後処理やクレアの心身のケアが優先されていて彼女自身からの聞き取りは最低限しかなされなかった。具体的には催眠暗示からどうやって正気を取り戻せたのか、それしか彼女からは聴取しなかったのだ。
まだ彼女がミカエラに対する罪悪感で怯えきっていたこともあり、可能な限りアルベルトが側についていてやって落ち着かせ、それでもなお「おとうさんの、においと声が、違ったの」という一言だけしか聞き出せていなかった。
だからヴィオレのこの問いはある意味で賭けでもあった。あれから日数も経ってクレアも表面上はいつも通りに見えるほど落ち着いてきていたし、アルベルトとミカエラが積極的にいつも通りに接することを繰り返して、それでようやく彼女も自然な笑顔を浮かべられるくらいに戻ってきたのだ。
だから今なら、彼女が自身の裡に溜めているモノを吐き出せるのではないか。そして吐き出せてしまえば、きっと彼女の心も軽くなるだろう。これはそういう、ヴィオレなりの気遣いでもあった。
クレアの隣に座っているアルベルトが、彼女の小さな手をそっと拳で包んだ。
それを見て、それからアルベルトの顔を見て、クレアの顔が安心したようにほころぶ。
「えっとね」
そしてクレアは口を開いた。
「目が覚めたらね、知らない人がいたの。『これを見て』って言われて、なにか模様の入った丸いものをぶら下げた紐を見せられて、『よーく見てごらん』って言われて。」
誰もが無言で彼女の話に聴き入っていた。
「目の前で揺れるそれを見てたら、なんだか頭がぼうっとしてきて。そしたら『おとうさんだよ、分かるかい?』って聞かれて。だから、『分かるよ』って答えたの」
「それでね、『おとうさん』がこれからはずーっと一緒にいるって。でも、これから『悪いやつ』が来るから、そしたら『おとうさん』と一緒にいる仲間のひとを守って戦って欲しい、って」
「悪いやつはいつ来るの?って聞いたら、『もし来たら』だよ、って言うから、分かったって答えたの」
途切れ途切れに、クレアは語る。
それを全員が口を挟まずに聞いていた。
つまりクレアは、あのエンヴィルとかいう男を父親だと思い込まされただけでなく、レギーナたちのことを敵だと教えられていたわけだ。
「そういうことな。それでウチがなんぼ言うたっちゃ聞く耳持たんやったんやな」
「ごめんなさい…」
「よかよか、もう終わったことやけん」
「あの時、よく考えたらずーっとなにか引っかかってたの。悪いやつなのにおとうさんを治癒するとか言うし、でもおとうさんはもう助かりそうになくて、それで絶対に仇をうたなきゃって思って。でも倒したと思ってよく見たらミカだったの」
次第に思い出してきたのか、クレアの瞳が涙で潤んでいく。
アルベルトが彼女の肩をそっと抱く。
「なんでミカがおとうさんを攻撃したんだろうって思って、わけが分からなくなって。そしたらおとうさんのにおいも違ってたことに気がついて、頭の中が『どうして?』でいっぱいになって」
「そしたら、アルベルトのにおいがしたの。呼んでみたら、わたしを呼ぶ声もおとうさんで。初めて抱きしめてもらって嬉しくて、でもミカが死んじゃうと思ったら悲しくて」
「もういい、もういいよクレアちゃん」
涙を溢しながら語り続けるクレアにいたたまれなくなって、アルベルトが彼女をギュッと抱きしめる。
「俺が君のお父さんだから」
「うん」
「誰も死ななかったからね、みんなずっと一緒にいるからね」
「うん…」
「だからもう、忘れよう。誰も君のことを責めたりしないし、ちゃんとみんな元通りだから。ね?」
「うん…うん…うああああ」
アルベルトに縋りついて泣き出してしまったクレアを、アルベルトはいつまでも抱きしめ続けた。ミカエラが立ち上がってクレアのそばに寄り、その頭を優しく撫でる。レギーナはその背をそっと撫で、ヴィオレはその華奢な手をずっと握ってやっていた。
そうして全員が、彼女が泣き疲れて眠ってしまうまで寄り添ってあげたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はぁ…。改めてあいつらに腹が立ってきたわ」
レギーナが怒りを滲ませながら呟く。
「本当に、裁けるものなら私達で地獄に堕としたいわね」
普段は理知的なヴィオレも怒りを隠さない。
眠ってしまったクレアは、彼女がたった今アプローズ号の寝室に寝かせてきたばかりだ。
「まあ直接暗示ばかけた奴はもう冥府に堕ちとるっちゃけど」
怒りのやり場のなさそうなミカエラの声。
確かに暗示をかけたエンヴィルをはじめ、あの時あのアジトにいた者たちは騎士団長を除けば全員が死亡しているため、もう彼女たちが手を下すことはできない。
ただまあそれ以前に、彼女たちには犯人たちを裁く権利はないのだが。それが分かっているだけに、余計に彼女たちはやるせなさを持て余すしかなかった。
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