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第三章【イリュリア事変】
3-32.歴史の深い国の旅路
しおりを挟むユスティニアヌスは西方世界でも有数の古都である。およそ1000年ほど前に栄えた古代ロマヌム帝国時代よりさらに前、現在のイリシャを中心に栄えた古代グラエキア帝国の皇帝が興した街で、その皇帝の名がそのまま街の名前になっているのだ。海沿いから少し内陸部に入った高台に位置する湖の畔の湖沼都市で、イリシャ国内では暑季の避暑地として人気があり、また人口も多い。
ただ湖畔にあるため、雨季にはやや湿気がきつくて辟易するのが難点ではある。そして今はその雨季の真っ只中、雨季上月もそろそろ下週に入る。
「ほんなこつば言うたら雨季が本格化する前にユスティニアヌスば通り過ぎとるはずやったっちゃけどなぁ」
「しょうがないじゃない、今さらどうにもならないことをグチグチ言っても始まらないわよ」
天を仰いでミカエラが嘆息する。それをレギーナがたしなめている。たしなめる、というか愚痴なんて聞きたくないからぶった切っているだけだが。
ミカエラの見上げる天空からは大粒の雨が間断なく降り注いでいる。わずかに顔をしかめたところを見ると、もしかすると胸の傷にちょっと響いているのかも知れない。
「まあ泊まるのは今夜だけなのだから、今夜我慢すればいいだけよ」
そう言ってヴィオレが宿に入ってゆき、クレアが黙って続く。それを追うようにレギーナもミカエラも宿へ入っていったのを確認してから、アルベルトはアプローズ号を車置きに回していった。
そのまま何事もなく夜を明かし、朝になって一行は予定通りユスティニアヌスを発ってサロニカへと向かう。
ティルカンを発ってからは順調すぎるほど順調だ。まあスラヴィアと違って行く先々で土地の領主に挨拶しなくてもよいのだから、そういう意味でも気が楽というものだが。
レギーナではないが、イリシャの国内は観光名所が多い。もともと古代グラエキア帝国の栄えた土地であり、それ以前は多くの都市国家が乱立していた地域である。西方世界における人間たちがもっとも早くに居住を始めた土地と言われていて、だからどの都市も長い歴史を誇っている。
そういう意味では、ユスティニアヌスなどまだ歴史が浅い方である。アーテニやラケダイモーン、コリンソス、それにこれから向かうサロニカなどは古代グラエキア帝国以前の都市国家がそのまま現代まで続いている都市であり、いずれも2000年以上の歴史があると言われている。言われているだけでなく、古い文献や遺跡なども大量に残っていて、だからイリシャは太古の歴史を研究する学問、いわゆる考古学が盛んである。
ゆえにイリシャには歴史学者や考古学者、それらの学問を学ぶ学徒が多く集まっている。
「………っていう話やったとばってん、街並みとか結構今風な感じやんな?」
イリシャの歴史など大まかに語り終えたところで、最後にミカエラが疑問を呈す。彼女は知識としては知っているが、実際にイリシャ国内を訪れたのは今回が初めてだったりする。
どうもこの様子だと、古風な街並みが広がっているとでも思っていたようだ。
「そりゃそうだよ、住んでるのは現代の人たちなんだから」
一度は通過した経験のあるアルベルトが苦笑する。
「18年前と比べても色々と発展してるよ。より住みやすく変えていってるんだろうね」
「ふーん、そうなんだ」
勇者という立場上、個々の国に特段思い入れのないレギーナは興味なさそうだ。まあ彼女は自分の国が大好きなので、極端に言えばその他の国は『どうでもいい』のだ。
ちなみにクレアは初めて見る景色に目をキラキラさせていて、ヴィオレは何か思うところがあるのか、さっきから黙っている。
「で?ヴィオレは何か言いたそうよね?」
「別に、何でもないわ。ここはまだイリシャだから」
どうも彼女はこの次に訪れるアナトリア帝国のことを考えているような口ぶりである。
何やら過去に因縁がありそうだが、彼女は自分の過去をレギーナたちにさえ明かしていないため、レギーナもミカエラもそれ以上聞こうとはしない。彼女たちが聞こうとしないのでアルベルトもその点スルーしている。
人間誰しも思い出したくない過去のひとつやふたつあるものなので、敢えてスルーするのも円滑な人間関係構築のためには必要なことだ。もしも話さなければならないのなら本人がきちんと打ち明けてくれるはずなので、それを信じて待てばよいだけだ。
「でね、ちょっと思ったんだけど」
「なんね?」
「私たち、せっかく脚竜車を新調したってのに1回も泊まってないわよね?」
確かに、ラグを出発してもう20日以上経つというのに、無理のない旅程を心がけているせいでまだ一度も脚竜車での野宿をやっていない。そのため、あれだけ目を輝かせて喜んだ二段ベッドで、レギーナはまだ一度も寝れていないのだ。
ゆえにまだベッドは新品同様である。都市間の移動の道中などに寝室で休憩したことはあるが、やはりレギーナとしては本格的に泊まり込んで眠ってみたい。
「ん~そうだなあ、」
昼食の準備のために一旦車両を停めて中に入ってきたアルベルトが少し思案する。
「次のサロニカは買い出しの予定もあるから泊まるとして、その次なら大丈夫かな」
イリシャ国内での残りの都市は、サロニカ、モルネツ、デデアーチ、ロドストときてビュザンティオンまで。そこからボアジッチ海峡を越えれば対岸はアナトリア帝国のコンスタンティノスだ。
だからモルネツで泊まる予定を取りやめれば、モルネツから少し進んだ辺りで夜を過ごすことになるだろう。
「え、サロニカに泊まるの止めればいいじゃない。それとも、そんなすぐに買い足さないといけないものとかあるわけ?」
「いやあ、サロニカは大きな街だからね。念のために泊まっておけば色々便利だと思うよ」
レギーナたちが慣れ親しんだ西方世界の文化や習俗はイリシャまでである。アナトリアは大河の沿岸国であり、どちらかと言えば東方世界に近い文化を持っていて独特の雰囲気があり、だから馴染みの品を買おうとするならサロニカへの宿泊は必須になるのだ。
サロニカの次の大都市と言えばビュザンティオンだが、ビュザンティオンとコンスタンティノスはかつては同一の都市として発展した歴史があり、だから今はイリシャ領だがビュザンティオンはアナトリアの影響が強い。そして。
「私は個人的にはビュザンティオンもコンスタンティノスも泊まりたくないわ。だから素通りしてくれると有り難いのだけれど」
と、ヴィオレが珍しく主張してくるので、ロドストに宿泊の上で両都市は素通りする予定なのだ。となるとますますサロニカに泊まる必要が出てくる。
「もう、仕方ないわね。じゃあそれで我慢してあげる」
ということで、アプローズ号での野宿は明後日決行と決まった。
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