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第三章【イリュリア事変】
3-17.赦さない
しおりを挟む炎だ、炎の壁だ。
そう感じた瞬間、それまでレギーナの後方に控えて一切手出しも口出しもしなかったミカエラが前に踊り出る。
「のぉぅわ![水膜]!」
なんか奇妙な、裏返ったような悲鳴のような掛け声とともに、ミカエラが両手を前に突き出して渾身の[水膜]を発動する。[水膜]はミカエラとすぐ後ろのレギーナだけを包み込み、その直後に[水膜]ごと炎の塊に呑み込まれる。
さらに次の瞬間、爆風が押し寄せてきた。
「熱ぅ!何こら怖かあ!こげな威力の[業炎]やら誰が撃ったか知らんけど危なかろうもん!」
焦りまくっていっぺんに余裕をなくしたミカエラが叫ぶ。レギーナでさえ思わず身を固くしてしまっていた。
何故なら、それは今まで食らったことがないほどの威力だったのだ。もしもひとりであれに晒されれば、防御魔術を目一杯底上げすればおそらく身体は守れるだろうが、服や装備まで守り通す自信はない。今無事なのだってミカエラが限界まで引き上げて発動させた[水膜]が間に合ったからだ。
そうだ、この部屋には他にも人がいたはず。そう思ってレギーナが見回すと、部屋の男たちの大半は炎に全身を包まれて叫びながらのたうち回っていた。壁も天井も床も炎に覆われていて、唯一無事そうに立っている騎士団長も、全身を強張らせ両手を前に、[業炎]が飛んできた通路の方に突き出して肩で息をしている。その顔が恐怖に満ちていた。
「おっおいエンヴィル!話が違うぞ!?」
騎士団長は焦りまくっているが、その声に応えてくるのは阿鼻叫喚の叫び声と、のたうち回って壁や床に身体を叩きつけ崩れ落ちていく男たちの姿だけだ。その惨状を目の当たりにして、騎士団長は言葉を無くす。
さすがにそのまま死なせるわけにもいかないので、ミカエラがいくつか[水球]を発動させて男たちにぶつけ、部屋全体の消火を試みる。おかげで炎は収まったが、渾身の防御魔術で身を守りきった騎士団長以外は全身に重度の火傷を負って、服も髪も見るも無残な姿になって呻いている。無事そうな騎士団長にしても全身ボロボロである。
エンヴィル、と呼ばれた男が誰が分からないが、話の流れからすれば騎士団長の横に出てきた品性のない笑みの男だろうか。いかにも女好きそうな下品な笑みで、見ているだけで思わず叩き潰したくなる感じの嫌らしい男だったが。
だが、その男もまた全身に火傷を負って、力なく床に座り込んでいる。荒い息を吐いて、返事をすることさえ難しそうだ。もしかすると熱で喉を灼かれているかも知れない。
炎と爆風が吹き出してきた通路の奥から、足音が聞こえた。それは軽い足音で、一定のリズムを刻んでゆっくりとこちらへやってくる。
小柄な、おそらくは女の足音。明らかに五体満足な様子のその足音からして、やってくるのは[業炎]を撃ってきた魔術師に間違いない。その事実を認識してレギーナもミカエラも警戒をMAXまで引き上げる。
誰だか知らないが、相手はまず間違いなく全力で挑まねばならないほどの実力者だ。しかもそれは、わざわざその姿を人前に晒すだけの余裕を見せている。となると、もしかすると先ほどの[業炎]でさえ軽く発動させただけの恐れさえ浮かび上がる。
不意を突かれたとはいえ、全力で防がねばならなかったほどの魔術だ。もしもあれを上回る威力で撃たれたら次は防ぎきれる自信などなかった。
レギーナもミカエラも、背中に冷たい汗が伝うのを感じた。警戒が振り切れて恐怖さえ覚えるなんて、一体いつぶりのことだろうか──。
「おとうさん?」
極めて場違いな、それは少女の声。
姿を現したのはクレアだった。拐われて、探し求めて、必死で無事を祈った、可愛い妹分。
「おとうさん、どこ──」
「クレア!」
「良かった、大丈夫やったねあんた!」
それまでの極限の警戒も緊張も恐怖さえもいっぺんに消え去り、レギーナとミカエラは口々に彼女の名を呼んで駆け寄る。
クレアは拐われたあの時と同じ、ダボダボのトゥシャツにホットパンツのラフな姿だった。身体は拭いているようだが風呂は入れていないようで、杏色の髪がやや艶を失くしてしんなりしている。だが健康状態に問題はなさそうだ。顔色もよく、少なくとも食事や睡眠はきちんと与えられ、魔力欠乏症からもしっかり回復しているのが見て取れる。
クレアは怪訝な表情で駆け寄ったふたりの顔を見上げた。その赤みの強いピンクの瞳に何の感情も浮かんでいないことに気付いて、ふたりの伸ばしかけた手が止まる。
何の感情も発しないまま、クレアはふたりから顔を背けた。キョロキョロと辺りを見回し、座り込んでいるエンヴィルを見つけた瞬間、その表情が一変した。
「おとうさんを、いじめたのは、誰?」
クレアの瞳に、怒りが宿る。
先ほどまで何の感情も浮かんでいなかった、その瞳に。
「え──」
「おとうさんをいじめるのは、赦さない」
クレアがレギーナを見た。
その右手が掲げられ、レギーナの顔に向けられる。
その掌に濃密に魔力が集まっていく。
「ちょっ、クレア?」
「待った何しようとねあんた!?」
クレアが口の中で詠唱を始めたのが分かった。魔術の詠唱というのは文言でなんの術式か容易に知れるため、通常は小さく口の中で呟くように唱えるだけで人に聞かせるものではない。だから手を伸ばせば届くような距離でも、クレアが何を詠唱しているかははっきりとは聞き取れない。
だが、集まる魔力の量と濃度が先ほどの比ではないことに気付いて、ミカエラが慌てて詠唱を開始する。脳裏によぎった術式で間違いなければ、撃たれた時点で全てが終わる。
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