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第三章【イリュリア事変】

3-9.霊遺物

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 更けていく夜闇の中、〈雄鷹の王冠〉亭の中は大混乱に陥っていた。アルベルトたちだけでなく、他の部屋に泊まっていた宿泊客にも従業員にも等しく影響を与えた魔力の停滞は、瞬間的に広範囲にわたって大規模に魔力欠乏症を引き起こし、ティルカン市街の至るところで倒れる者が続出したのだ。
 そしてそれは、霊力の高い者ほど重篤な被害をもたらした。アルベルトたちにしても霊力のさほど高くない彼やヴィオレは多少苦しんだだけで済んだが、濃い霊力を持つ王族のレギーナやティグランは瞬間的に気を失うほどのダメージを被ったし、それは黒騎士たちも同様だった。
 手持ちの霊力回復薬を全員で服用したものの、それでもレギーナやティグランは自分で身体を動かすことさえままならず、部屋にいた者の中でもっとも高い霊力を持つミカエラは未だに意識さえ戻らない。

 とてもではないが、拐われたクレアを取り戻しに追いかけるどころではなかった。蒼薔薇騎士団がここまで壊滅的なダメージを負うなど、結成以来初めてのことだった。

「クレアを……助けに……」

 ソファに寝かされているレギーナが呻く。だが顔面は蒼白のままで起き上がる事さえできそうにない。

「無理よ。貴女がそんな調子じゃ私たち誰も動けないもの」

 そんなレギーナの手を握ってヴィオレが優しく諭す。彼女はもう動けるようになってはいるが、顔色はまだ辛そうなままだ。

「それにしても、何だったんだろう、あれ。あんな感覚は初めてだったけど…」
「分からないけれど、魔力を抑制する結界器オブリーチェのようなもの、かしらね…」

 レギーナと、やはりソファに寝かされて昏倒したままのミカエラを気遣わしげに見やりながらアルベルトが呟く。それにヴィオレが応えるが、自信はなさそうだ。

霊遺物アーティファクト…」

 その時、昏倒しているはずのミカエラが小さく声を上げた。

「ミカエラ!」
「ミカエラさん!ああ、まだ動かないで」

 無理に上体を起こしかけたミカエラにアルベルトが駆け寄って、そっと肩を押さえる。彼女は抵抗せずにまた身をソファに沈めたが、目はうっすらと開いていた。

あげなあんな強力な効果を持つやらなんて、霊遺物以外に有り得んばい…」


 霊遺物アーティファクト
 この世界にいつから魔力と魔術があるのか、記録に残されておらず判然としない。だが古代には現代よりもずっと強力な魔術が存在していたとされていて、すでに失われてしまった術式も多いという。
 霊遺物とは、そんな古い時代に製作されて現代では製法も残らず再現も不可能な、強力かつ希少な魔道具のことである。
 そうしたものはまれに迷宮や遺跡などから発掘されることがあり、出土すればその希少性から高額で取引される。多くの遺跡などを探索して回る冒険者たちが発見しては、魔術師ギルドや冒険者ギルドなどを介して世に出回るものだ。物によっては国の防衛など戦力として保持されることも多く、そうした国家の所有物となった霊遺物は情報どころか存在さえ世に知られず秘匿されることも稀ではない。

 ミカエラは、勇者パーティでさえ無力化するほどの強力な効果を持つものなど霊遺物以外にはあり得ない、と言っているのだ。

「やけん、クレアが…!」

 そう。それほどの効果を持つ霊遺物ならばもっとも影響を受けたのはクレアのはずなのだ。彼女がパーティでもっとも霊力が高いのだから、少し考えれば分かることだった。しかも彼女はまだ13歳未成年で、魔力を介在しない身体的抵抗力は歳相応でしかないのだ。
 おそらく彼女はあの瞬間にミカエラと同じく昏倒してしまったことだろう。そして倒れ込むところをあの黒い布で包まれ、何の抵抗もできないまま連れ去られてしまったのだ。
 そうだと仮定すれば、まだ昏倒したままの重篤な状態が続いていると考えられる。それを理解しているからこそレギーナは無理にでも動こうとしたし、ミカエラもまた行動を起こそうとしたのだ。

「一刻を争うのはよく分かったよ」

 だがアルベルトはミカエラの手を取って言った。

「でも気持ちは分かるけど、まずは君たちが回復しないと。でないと助けるべきものも助けられないからね」

 正論だった。味方にこれだけの被害が出ている状況で、敵の規模も力量も分からない状態で、どこに逃げたかも知れないのに無理に動いても益はない。それどころか簡単に返り討ちに遭うことさえ考えられるのだ。最低でも霊力を回復させて不自由なく動けるようにならないと、戦うことさえ覚束ないだろう。
 しかも敵は勇者レギーナさえ無力化するほどの霊遺物を押さえているのだ。もしもまた使われたりすれば、今度こそ全滅の憂き目に遭うに違いなかった。

「分かっとうてる、けど…」

 ミカエラが悔しそうに言って、閉じた両目を空いている右手で覆う。その無念さがアルベルトの心にも刺さる。

「…寝るわ」

 反対側のソファでレギーナが身じろぎした。不機嫌そうなその言葉はやはり抑えきれない悔しさと怒りを滲ませていて、だが現状どうにもならないこともまた理解しているようだった。
 なんにせよ、一晩眠れば霊力は回復する。心休まらぬ状況で全快するかは何とも言えないが、少なくとも今無理に動くよりはマシだろうと、レギーナも考えたようだった。

「ではベッドに行きましょう」

 ヴィオレがそう言ってレギーナを抱き上げる。レギーナはそれに抵抗せずに大人しくされるがままになっていて、ふたりは隣の寝室に入っていく。しばらくして出てきたヴィオレはミカエラも抱き上げて、やはり寝室へと運び込む。
 ヴィオレ自身もまだ辛いだろうに、彼女はそれを誰にも任せなかった。運ばれていくミカエラの頬に光るものが見えて、アルベルトはそれを見なかったフリをした。


 ティグラン王子もアルベルトも別の寝室へと向かう。黒騎士たちはそれまでいた居間の寝室側の壁に寄りかかって座り、そこで仮眠を取るようだ。

 こうして、波乱の予感を孕みつつティルカン初日の夜は幕を下ろした。





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