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第三章【イリュリア事変】
3-2.スラヴィアを出てイリュリアヘ(2)
しおりを挟む10年前の黒死病の大流行は特に酷くて、西方世界全体で数百万とも数千万とも言われる死者を出した。流行は足かけ4年にわたり、その犠牲者の中にはミカエラの母やエトルリアの先代国王、つまりレギーナの父親さえも含まれている。
決して他人事ではなく、流行期間中に祖父と世界を旅していたミカエラや、父王が罹患したレギーナもひとつ間違えば命を落としていたかも知れないのだ。
「あの島には下水を設置してないそうなんだ。それが不便で住人が全員本土へ移住してしまったらしいんだけど、それから10年も経たずに黒死病の大流行があって、それで…」
「あーね。そやけん外から持ち込まれるのさえ防げば島ん中は安心っちゅうわけたい」
「そういう事なのね。臆病になるのは分からなくもないけど…」
レギーナは海上に浮かぶ小さな島を見やる。勇者であってさえどうにもならない悲劇とそれに囚われたままの人々を思いやって、無力感に苛まれて唇を噛み締めた。
「姫ちゃん、中さい入ろう」
その背にそっと手を添えて、ミカエラが促す。レギーナの心境を思いやって、それでも敢えて何も言わずに彼女はそっと親友の心に寄り添う。
その掌から、悔しいのは自分だけではないと気付かされたレギーナは、ひとつ頷いて車内へと戻っていく。それを確認してアルベルトは、スズに手綱をくれてアプローズ号を出発させた。次の宿泊地ディオクレアに向けて。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さあ、そろそろイリシャに入るよ」
アルベルトがいつもの調子で車内に声を掛ける。それに呼応するかのように車内から慌ただしい足音が聞こえてきて、御者台の連絡ドアがけたたましく開けられる。
出てきたのはミカエラと、レギーナ。
「なんっっっも!」
「起こんないじゃないの!!」
清々しいほど理不尽に、ふたりはガチギレていた。
ラグシウムを出発した一行は、特大八ほどかけて次の宿泊地であるディオクレアに到着し、予定通り宿泊した。そして一夜明けてディオクレアを出発し、その次のティルカンまですでに3分の2以上進んでいる。
なおラグシウムを出てディオクレアに到着したのがラグを出発して9日目、ディオクレアを出発してティルカンに向かっている今日が10日目である。ついでに言えばラグシウム~ディオクレア間もディオクレア~ティルカン間も所要時間としては特大七程度だ。ディオクレアまで特大八かかったのは、途中でわざわざ停まって鍛練という名目の魔獣討伐を試みたからである。
まあ、どこを探しても魔獣はおろか獣すら見当たらなかったわけだが。
「そんな無茶言わないでよふたりとも。そうそうトラブルなんて起きやしないよ」
荒ぶるふたりの様子に苦笑しつつアルベルトが言う。
そもそも竜骨回廊を進んでいるのに討伐案件に出くわす方が珍しいのだ。
竜骨回廊は西方世界でもっとも大きな街道である。西方世界の主要国であるガリオン王国、エトルリア連邦、イリシャ連邦、アナトリア帝国それにエトルリアとイリシャの間のスラヴィア自治州を通過するこの回廊沿いは、各国と地域が威信をかけて整備し治安維持に務めている。その他の各国を結ぶ主要街道や街々を繋ぐ脇街道ならまだしも治安に不安のあったり整備が行き届いていない箇所があったりもするが、こと竜骨回廊に限ってはそれはない。
特に今アプローズ号を走らせているのはスラヴィア自治州内である。周辺各国に余計な手出しや口出しをされないためにも各都市は治安維持に神経を尖らせていて、自治州内の竜骨回廊の安全性は西方世界でも屈指と言えるのだ。
そんな場所にそうそう獣だの魔獣だの魔物だのは出てこないし、出てきたところで巡回警邏の各都市防衛隊や冒険者ギルドに即座に制圧・殲滅されるのがオチである。つまり、わざわざ勇者様のご出馬など願うまでもないわけだ。
「なんなのよもう。私たちのために少しぐらい残しときなさいっての!」
言いがかりも甚だしいとはこの事である。真面目に職務に取り組んできちんと成果を挙げているのに、なぜダメ出しされないといけないのか。
「まあ魔獣ぐらいやったら姫ちゃんひと振りで終わらすっけん、そもそもダイエットにやらならんっちゃばってん」
「腕1回振るえるだけでも違うでしょ!」
そしてとんでもない身勝手な言い分である。しかもそれだと運動(とさえも言い難いが)できるのはレギーナ1人だけで、他の面々にはそもそも運動にさえなっていない。ていうかそれだとクレアは車内から出てきさえしないだろう。
「まあ、地道にトレーニングするしかないって事だよね」
「「アンタが言うな!」」
というわけで、道中は今日も平和である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ちなみに、9日目の昼食はラグシウムで仕入れた海鮮をメインにしたパエリアが出てきた。これはパエリア専用の平鍋をアルベルトが新たに買い込んでいたのである意味想定通りで、ミカエラが予想した通りにイヴェリアスの料理もアルベルトは作れたわけだ。
そして事前にレギーナたちが作りすぎないようにと警告したにも関わらず、平鍋で一度に調理するものだからおかわり自由で、結局全員が満腹になるまで食べてしまって彼女たちはしばらく自己嫌悪に陥っていた。
そして今日の昼食はラーメンという馴染みのない麺料理が出てきた。アルベルトによると東方世界、華国のさらに東方の海上にある極島と呼ばれる島国の料理だそうで、黒麦粉を水とつなぎで練って伸ばして細く切った麺を茹で、それを塩ベースのスープに入れて具材を乗せた、簡素ながらも味わい深い料理であった。
彼によるとスープのベースを変えることで様々に味が変わるらしく、彼はこのラーメンや炒飯を教えてくれた料理人から詳しく習っていたが、ベースとなる調味料の多くが西方世界では手に入らず再現できないとのこと。青豆から作れるらしいが手間と時間がかかり、簡単には作れないのだそうだ。
なんでもミソとかショウユーとかいうらしいが、確かにレギーナたちが聞いたこともない調味料だった。「美味しいし色々使えて便利なんだけどね」とアルベルトは苦笑していたが、作れないものをあれこれ言っても仕方ない。
で、アプローズ号はアルベルトの言うとおり、もう間もなくスラヴィアを抜けてイリシャ連邦に入国するところである。遠くに国境検問所が見えてきていて、あれを抜ければイリシャ連邦、その最北の王国であるイリュリア王国だ。
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