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04.セリア・デ・ヒメネス=アストゥーリア(2)

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 嫉妬心は沸かなかった。
 だって彼からの愛がない事くらい分かっていたのだから。
 でも、それでも悔しかった。
 だってセリアにはあんな風に笑い合える相手なんていないのだ。

 ただでさえ貞淑を求められる貴族子女は異性との付き合いひとつにも気を使う。この世界には女性だけが習得できる妊娠をコントロールする魔術が存在するとはいえ、子を生むのは女性だけなのだ。
 だけに尚更、貴族女性はそうした不貞の疑いをかけられるのは致命傷になる。
 だから大顕位持ちの伯爵家令嬢として、セリアも身辺には特に気を使っている。同じ家門の従兄弟たちやおじたち、親族の男性ですらふたりきりで会ったことはない。密室で男女ふたりきりで居たというだけでそういう疑いをかけられても言い逃れなどできないのだ。

 なのに男性貴族は違う。仮に決められた婚約者ないし妻以外の女と関係を持ったとしても、愛妾ということにして囲ってしまえる。外聞的に決して褒められたことではないが、それでも他の男にさえ触れさせなければのだから、気楽なものだ。
 その残酷なまでの待遇の差だけは許せなかった。自分には自由になる時間さえもほとんど与えられないのに、なぜ彼だけがあんなにも自由が許されるのか。その不条理が彼女を動かした。


 だからセリアは取り巻きの令嬢たちを使って男爵家令嬢、つまりベリンダ・デ・エレロ=サステレに対してキツく当たるようになったのだ。彼女のノートに『イグナシオに付きまとうな』と書かせたし、従わないから教科書を盗ませ破り捨てた。学院で勉強に使う道具類を隠して困らせたし、時には彼女の前に立ちはだかって自ら注意も与えた。これ以上睨まれたくなければ大人しく身を引け、と。
 だが逆に言えば、その程度しかできなかった。物理的に害してしまえば自分の方が悪者になってしまうし、あまりに露骨だとイグナシオの機嫌を損ねてしまう。だから階段から突き落としたと聞いて血の気が引いたし、彼女が必要以上に害されることのないよう密かに護衛を付けさせさえした。

 それなのに彼女は一向に彼の元を去ろうとはしない。大顕位持ちの伯爵家に睨まれてまで愛を貫きたいわけでもなかろうに。そんなものを貫き通す前に自身の家門が破滅する事くらい分かるだろうに。
 あるいは彼のほうがわざわざ探し出して連れ回しているのかとも思ったが、調べさせた限りでは毎回彼女が彼の元を訪れているのだ。だから、分からないのならば解らせてやるしかなかった。

 そしてベリンダが入学してから一年後、イグナシオの卒業パーティーの開始直前に彼女を騙し呼び出して学院の倉庫に閉じ込めた。なのにどうやってか彼女はそれを脱して彼の前に現れた。だからよろめいたフリをしてワインを零し、ドレスを台無しにして物理的に遠ざけた。
 そこまでが限界だった。それ以上は父の伯爵に報告してのになってしまう。


 イグナシオは卒業し、ベリンダと会うことは表向きにはなくなった。彼はサンルーカル子爵として宮仕えを始めたし、さすがにふたりとも学院の外で会うのは外聞もあって控えたようで、だからこの一年はセリアも心穏やかに過ごせていたのに。

 だのに、自身の卒業パーティーにふたりして現れて、あろうことか身に覚えのない傷害事件の疑いをかけてくるとは。婚約破棄を言い出すであろうことは察しがついていたが、まさか冤罪まででっち上げて、それを理由にした婚約破棄などあってはならない事だった。
 愛はない、それはお互いに解っている。けれどもここでふたりが我慢すれば、それだけで両家の子孫のさらなる繁栄が約束されるのだ。だからと思えばこそセリアは耐えきる覚悟を固めているというのに、イグナシオときたらそんな彼女の思いなど知りもしないで、とうとうのだ。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 学院の医務室でセリアが目覚めた時、枕元にはすでに彼女の両親と、おそらくずっと付き添ってくれていたのだろうモニカと、養護の教師とが控えていた。

「お気づきになりましたかセリアさん」

 養護の教師が確認するように声をかける。

「ここは…」
「学院の医務室です。貴女は突き飛ばされ頭を打って意識を失っていたのです。そのあたりのこと、憶えておいでですか?」

 セリアはぼんやりとした頭のまま、周りの人々を見渡す。泣きそうな顔で、それでも叫び出したいのを必死で堪えるかのような父の顔を見て、ようやく彼女は自分の状況を把握した。

「申し訳ありませんお父様。イグナシオ様に………婚約破棄を告げられてしまいました………」

 詰まりそうになりながらも、ようやっとそれだけ絞り出して彼女は身を起こして頭を下げた。

「何を言うんだセリア!お前は悪くない、悪いのはあの愚か者の方だろう!お前は被害者だ、加害者のタルシュ侯爵家にはそれ相応の賠償を呑ませてやる!だから心配するな!」

 セリアの父、モンテローサ伯爵エミディオ・デ・ヒメネス=ワレンティアは一息にそう言って娘を抱きしめた。頭を撫で、背中をさすり、大丈夫だと繰り返す。母もそばに寄って手を握ってくれた。
 だが、それに水を差した者がいる。

「それがですね、どうもそうはいかんのですよ」

 そう言って医務室に入ってきたのはひとりの騎士だった。騎士服の紋章からすれば王都治安部の憲兵騎士だろう。

「そうはいかん、とはどういう事だ?」

 許しもなく入室してきたことを咎めようとして、エミディオがわずかに躊躇したあと、口にしたのは叱責ではなく質問だった。
 憲兵騎士がわざわざなんの用だ。娘の状況なら目撃者が大勢いるのだから、本人には確認するまでもなかろうに。

「失礼、モンテローサ伯爵。大変遺憾ながら、お嬢様にはメルカド男爵家令嬢ベリンダ様に対する、傷害と脅迫、それに拉致監禁の容疑がかかっております。暴行事件の被害者でもあるため大変恐縮なのですが、セリア様にはこのまま憲兵屯所までどうかご同行願いたい」

 そして憲兵騎士は、とんでもないことを言い出したのであった。


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