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02.婚約破棄と冤罪(2)
しおりを挟むだがすぐに気を取り直したのか、イグナシオは次の“罪状”を言い募る。
「そっ、それだけではない!そなたは去年の私の卒業パーティーの際、よろけたフリをして彼女のドレスに飲み物をかけてドレスを台無しにしたではないか!」
「あれは、足がもつれただけで…!」
それは婚約者である自分を差し置いてイグナシオに卒業祝いを述べに行き、そのまま彼の横から離れようとしなかった彼女が悪い。だから離れざるを得ないようにドレスを汚した。
だがそれの何が悪いのか。悪いのは婚約者の立ち位置にいつまでも居座る彼女ではないか。
「まだあるぞ!彼女の使うノートへの誹謗中傷の落書き、教科書を盗んで破り捨てる、貴族学院内で彼女の私物を隠す、全てそなたが命じてやらせたことだろう!」
「ち、違います!」
それは取り巻きの令嬢たちが勝手に忖度してしでかしたことだ。セリアは何も命じていないし、命じていないから特に詫びも入れてはいない。
まあ、それを知っても彼女は取り巻きたちに止めろとも命じなかったのだが、それはそれというものだ。
「貴族学院内で彼女のあらぬ噂を流して貶めたのもそなただろうが!」
「それは良からぬ噂を流されるような隙を見せる彼女が悪いのです!」
ベリンダはイグナシオだけでなく、日頃から先輩も後輩も同級生も教師陣まで含めて、多くの男女と親しく付き合っている。その中にはイグナシオのように婚約者のある貴族子弟も何人も含まれていて、それなのに彼女はそうした男性たちとふたりきりで会うことも少なくなかった。
だから、ちょっと疑念を呈するだけで様々な噂が飛び交ったものだ。複数の男性と関係を持っているだとか、その男性たちの権勢に阿って他の令嬢たちを小馬鹿にしているとか、教師に擦り寄って試験の不正をしているとか、少し疑いをかけただけで面白いように噂が広まった。
だがセリアはあくまでも疑念を呈しただけだ。別に噂なんて流していないし、そんな噂が流れたのは他の目にもベリンダがそう写っていたということに他ならない。
「しかもあろうことか、そなたは街で暴漢に彼女を襲わせただろう!?」
「えっ!?」
それは初耳だ。さすがにそんな貴族令嬢として一生の傷になるような酷い仕打ちなどできるわけがない。仮にそんな事を本当にしたとして、それがもし明るみに出ればセリア自身のみならずモンテローサ伯爵家の家門にまで傷を付けかねないし、それほどのリスクを背負ってまでベリンダを貶める価値もない。
そんな危険を犯すくらいなら、イグナシオを彼女に譲って婚約を解消したほうがまだ傷は浅い。そんなこと、イグナシオにだって分かるでしょう?
「ここに来て知らぬふりをしようとしても無駄だ!暴漢は捕縛され、依頼を受けてやったとすでに吐いている!」
「そんな、知りません!何かの間違いですわ!」
ベリンダが学院の休校日に街に遊びに出た際、暴漢に襲われたのは事実だ。ひとりで歩いているところを声をかけられ、路地裏に連れ込まれて危うく暴行されそうになったのだ。
甘くふわふわなストロベリーブロンドの髪と、くりくりとよく動き人懐っこい輝きを見せる灰銀の瞳は彼女の可愛らしさを存分に引き出し、着痩せしながらも出るところはしっかり出ている彼女の体型も含めて、市井の男にはさぞかし魅力的に写ったに違いない。
ただでさえ美形に見慣れている貴族子女たちさえ虜にする彼女である。そんな彼女がひとりで街中を歩けば、それはもはや襲ってくれと言っているようなものだ。まあその無防備さもまた、彼女の魅力のひとつなのだろうが。
襲われたベリンダは咄嗟に叫び声を上げ、それを付近でたまたま聞きつけた冒険者のパーティが駆け付けてくれて事なきを得たのだが、その時捕らえられた暴漢が苦し紛れに「お貴族様に依頼されてやった」などと嘘の供述をしたものだから、今この王都エル・マジュリートで内密に貴族たちの間に捜査の手が入っている。
嘘の供述だから犯人が分かるはずもないが、イグナシオはそれをセリアの仕業だと確信していた。なおイグナシオがこの件を知っているのは、ベリンダから聞き出したからである。
「そ、そんな、本当にわたくしは何も…!」
「まだ言うか!」
「本当です、信じて下さいませ!」
本当に身に覚えのない罪の疑いをかけられ、それまでどこか余裕を見せていたセリアが初めて動揺した。動揺して、婚約者に取り縋ろうと思わず彼の方に手を伸ばした。
伸びてきた手に、思わず身を竦めたベリンダがイグナシオの腕にすがりつく。
「触るな、汚らわしい!」
セリアの伸ばしてきた手を、イグナシオはにべもなく拒絶した。彼女の手をはたき、大きく振り払って、それで弾かれた彼女はバランスを崩した。
「あっ!?」
セリアはよろめいて二、三歩後ずさった。三歩目に下げたヒールの踵が壇の端から出てしまい、彼女は足を踏み外した。
「…っ!?」
イグナシオが、ベリンダが、周りで見ている全ての人々が注視する中、セリアは壇上から仰向けに落ちた。
壇の段差は人の足首程度しかなく、そのため転落したというほどのものでもなかったが、ただでさえ冤罪をかけられて混乱していた彼女は足を踏み外したことでさらに動揺し、結果として受け身も取れずに後頭部から硬い床に落ちていった。
ゴン、という硬い音とともにセリアが倒れ、そして動かなくなる。
その硬質な音を最後に、一瞬にして大広間はシーンと静まり返った。
「おい、見たか?」
「ああ、突き飛ばしたよな?」
「間違いない。彼がセリア嬢に手を上げた」
「おい誰か、衛兵を呼べ!医師もしくは青の術師もだ!」
事態を認識し把握して、一気に場が騒然となる。その声の全てが自分に非難を向けていることに気づいて、イグナシオは初めて狼狽した。
その横ではベリンダが真ん丸な目をさらに大きく見開いて、たった今見たものを信じられないといった様子で、倒れたまま動かないセリアと狼狽するイグナシオを交互に見回している。
「ち、違う、私は彼女に手を上げるつもりなど…!」
そう、彼はセリアを突き飛ばしたつもりはない。触れられるのが嫌で振り払っただけだ。拒絶の意思を明確に分からせるために、少々大きく手を振って派手な動きを見せたが、それだけだ。
彼女が勝手によろめいて、勝手に踏み外して倒れただけで、私は何も悪くない。
だがあっという間に会場警護の騎士たちに取り囲まれ、有無を言わさぬ態度でイグナシオは別室へと促される。もちろんベリンダも一緒だ。
促されるとは言うものの、暴行事件の現行犯であるため騎士たちからは厳しいプレッシャーがかけられ、今までそんなものを受けたこともない貴族のお坊ちゃんは喘いだ。
「ち、違う!違うんだ!聞いてくれ!」
「話なら別室で伺いますとも」
そして彼は広間から連れ出され、倒れたままのセリアも貴族学院に勤める使用人や侍女たちがすぐさま集まってきて医務室へと運び出された。
すでにパーティーの開始時間になっていたが、騒然とした雰囲気のまま、結局パーティーは始まることはなかった。
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