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4色:偽りの金色
7.記憶の中の色彩
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「……おまえは、いつもここで泣いているな」
不意に頭上から聴こえた柔らかな声に顔を上げると、竹箒を持った壮年の男性がこちらを覗き込んでいた。久しぶりに鮮明に思い出す、幼い頃の記憶だ。
「…………なんだよ、あんた、おれが見えんのか?」
どことなく不思議な雰囲気を纏ってはいるが、人間であることは間違いがなさそうだ。抹茶色の簡易な僧服に、少し銀色が混じった短い髪、日に焼けた力強い腕。その剛毅な外見に似合わず、柔和な表情を湛える妙な人間は、茂みの陰に座り込んだおれを見下ろしたまま目を瞬いた。
「はは、不思議なことを言う。見えなければ声も掛けられんだろう」
かかっと豪快に笑われ、おれは涙で濡れた顔をしかめた。まだ力の加減がうまくいかない、鋭い牙が微かに唇に食い込む。
「そういう意味じゃない。……人間なのに、おれのことが見えるのはおかしい」
抱え込んだ自分の膝を睨みつけながら呟く。うまく声が出せないような気がするのも、無理はない。ずいぶん長い間、誰かに向かって話すことなんてろくになかったから。男は吐き捨てるようなおれの言葉に、なぜか満足そうに微笑んだ。
「そうだな。見つけるまでにけっこう時間が掛かってしまった。もっと早くに声を掛けてやりたかったんだが、すまなかったな」
「…………は?」
思いも寄らない言葉に、おれは思わずぐしゃぐしゃの顔を上げる。目元に貼りつく色のない髪が煩わしい。視界に映る白い腕も鬱陶しい。樹々も土も虫も空も、世界はバカみたいに鮮やかな色で溢れているのに、そのうちのひとつだっておれの身体には宿らない。こんな姿だから、おれはいつでもひとりぼっちだ。
「……おまえは、『白』を司る妖だな。白というのは不思議な色だ。他のどんな色とも違う」
男は柔らかな声でそう言った。おれは膝の上で拳を強く握りしめる。男が言った「ほかのどんな色とも違う」という言葉に込められた感情が、辛辣なものではないということは目の前の表情から理解できた。それでも、その響きは痛かった。再び俯きかけたおれの頭に、不意に大きな掌が載せられ、柔らかく髪を撫でる。初めて味わう奇妙な感触に、おれは弾かれたように後ずさった。
「そう警戒しなさんな。人間の目には、おまえの纏う『白』はどうしても見えにくいんだ。私たちが生きる自然界に、純粋な『白』という色はないからな。だが、人の目に見えにくくたって、おまえはちゃんとここにいる。……ずっと、ここで泣いていたんだな」
優しく呟かれた言葉に、おれは目を瞠った。信じられなかった。自然界の動物や植物は、みなその生命の源を司るそれぞれの「色」を持っている。それは目に見える外見の色というだけではなく、その命を彩る、魂の色だ。その色が、ひとつひとつの存在の輪郭となり、エネルギーの源となり、そして誰かの記憶に残る、そのものだけの色彩となる。それなのに、おれが背負った色は、特殊な「白」だった。
この世界に、本当の意味の「白い色」は存在しない。生き物の目に映る白色は、他の色に乱反射した光が見せるまやかしにすぎない。「見えない」ことを「白」としてとらえているだけの、ある意味では「存在しない」色なのだ。そんな特殊な色を司る妖の血を引くおれは、人間の目に映ることさえほとんどなかった。しかも「半妖」などという身の上も手伝って、おれには居場所と呼べるものがほとんどなかった。だからいつも、生まれた場所にほど近いこの寺の茂みの中にうずくまり、誰の目にも映らぬ涙をこぼしては、ぼやけた景色を眺め、その鮮やかな色彩をときに羨み、ときに憎み、ただただ流れる時間の中に閉じこもって過ごしていた。
男は目を見開いたおれに向かって優しく微笑み、節くれだった大きな掌を差し出した。
「少し時間が掛かったが、毎日目を凝らし続けてやっと見つけた。儂には見えるよ、おまえの『色』が、ちゃんと見える。……だから、もう泣きなさんな」
静かに響くその言葉の意味を理解するまでに、ずいぶん掛かった。時が止まったかのように言葉を失い、差し出された掌を見つめつづけるおれを、その男は辛抱強く待った。おれが、震える指先を伸ばし、その温かい掌におそるおそる触れるまで、じっとその場に立って、ただただ優しく微笑みながら。
それが、後に「稀代の画僧」として名を遺した、明誉古礀との出会いだった。
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