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四方山話:食えない後輩のバイト事情
5.才「色」兼備な食事をどうぞ
しおりを挟む蘇芳が目の前からいなくなると、普段こんなにおしゃれな店に来ることなどほとんどないおれは、完全に手持ち無沙汰の状態になった。特に当てもなく視線を彷徨わせる。壁掛けのメニューを眺めてみても、「カナッペ」とか「アヒージョ」とか……不思議な呪文のような響きの言葉が並んでいる。普段目にしている薬品名の方がわかりやすいなと思いながら、手元の冷水をまた一口啜った。
さっき、蘇芳に「言いつけ通りに来てくれた」と言われ、少しだけはっとした。実際、おれは今日ここに来ること自体には、なんの疑問も感じていなかった。蘇芳と関わるのは、嫌というわけではないがなんとなくハードルが高いというか、いつだって少しの躊躇を感じずにはいられなかったはずなのに。あの日、自分の「力」の半分をあいつに預けると決めたときから、あいつ自身に対する感じ方も、変化しているのかもしれない。それが、いい兆候なのかどうかはよくわからないが……。
そんなことをとりとめもなく考えながらぼんやりとしていると、店の入り口近くの席の方から、楽しそうな女性の話し声が聞こえてきた。いつの間にか入店していたらしい二人組の女の子たちは、メニューを開いて、注文を取る奥さんにこまごまと質問をしながら夕食の計画を立てているようだった。ノースリーブのワンピースに、ふわふわに巻いた髪。綺麗にお洒落をした姿はおれよりもよっぽどこの店の雰囲気に馴染んでいる。この店は例のとおり奥に長い町家の形状をそのまま使っているから、おれの座っている席からはわりと距離があるのだが、なんとなく身体を縮こまらせたとき、不意に頭上に影が落ちた。
「お待たせしました」
コツン、と小気味の良い、微かな音がして、顔を上げると蘇芳がガラスの器に盛った料理をテーブルに置いてくれたところだった。
「……ぅわ、綺麗だな」
涼しげな色合いの器に盛られた料理に、思わず目を瞠った。透明なゼリーの中に、色とりどりの野菜が花のように散りばめられている。
「葛を使った、前菜です。ひんやりしていて口当たりがいいですよ。中に入っている夏野菜は、身体の熱を取ってくれます。食べすぎはよくないですけど、夏バテ気味のときにはまずそういう口当たりの良いものを食べて、少し楽になったらちゃんとした食事を摂る。そうやって解消していくしかないですね」
「へぇ……そんな風にちゃんと考えたことなかった」
蘇芳の淀みない説明に、おれは感心して呟いた。半球状に象られた透明な葛は、貴重な宝石のように鮮やかな色彩を覆い、ふるんと柔らかく揺れる。
「冷たいうちにどうぞ」
そう言われて、テーブルに置かれた籠から箸を取る。「いただきます」と手を合わせて、端の方を切り分けて口に運ぶと、優しい食感と、絶妙に塩気の効いたコクのあるダシの味が広がった。
「……美味しい」
これほど手の込んだ、美しい料理に対しては不相応な陳腐な感想だが、蘇芳は満足げに表情を緩めた。
「それはよかった。見た目ばっかり凝っても、実際美味くないんじゃお粗末ですからね。料理は美味くてなんぼですよ。野菜と一緒に、和風だしを閉じ込めているんです。こういう食材は、あまり馴染みのない人にとっては、ちゃんと味付けがされている方が食べやすいでしょうから」
「すごいな。これ、絶対人気出るよ」
つるんとのどごしのいい葛の食感と、身体に染み渡るような程よい塩気の効いた和風だしの風味に、食欲のなさが嘘のように箸が進む。目にも楽しい彩りを味わいつつ……と思いながらも、けっこうなスピードでガラスの器は空になっていった。
「それにしても、なかなかの挙動不審ぶりでしたね」
可笑しそうに目を細め、おれの食いっぷりを見下ろしながら蘇芳は言う。そういうこいつは、大学構内で見かける時と同じようにただ涼しげで、スマートだ。なんとなく、芸術家ってこだわりが強いとか、独自の感性が第一、みたいなイメージを持っていたけれど、こいつは意外と風景や環境を選ばない。
「おれの生息環境には含まれないからな……こんなお洒落な空間」
苦笑しながらそう言うと、蘇芳は半分ほど減ったコップに冷水を注ぎ足してくれながらふっと口角を上げた。
「慣れですよ。最初から適した環境なんて、意外と誰にもないものです」
「そういうもんかな……」
なんとなく意外な答えにぽつりと答えると、蘇芳は水の入ったコップをテーブルに置き、代わりに空になった器を下げた。
「ものの食べ方は思い出せたみたいですね。では、しっかり毒見してもらいましょう」
「え?」
「何意外そうな顔してるんです? 今のは『前菜』って言ったでしょう」
にっと笑った蘇芳は、その後も厨房とホールを行き来しながら、次々と目にも楽しく、それ以上に美味い料理を運んでくる。
葉物の野菜とスモークサーモンを生春巻きの皮でくるみ、花束のように盛りつけた可愛らしいサラダ。
直火で焼いた川魚に湯葉を添え、豆乳とピーナッツを合わせたクリーミーなソースを付け合わせたメインディッシュ。
ほうじ茶の香ばしい香りが漂い、小粒の繊細なあられが散りばめられた茶粥。
「いろんな味が楽しめます」という、茶粥に添えられた小鉢には、わさび菜や塩昆布、地元名産の奈良漬けなどが少しずつ盛り合わされていた。
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