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四方山話:食えない後輩のバイト事情

3.古都のレストランにて

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 夕刻、鋭い光線を放っていた太陽が、もう終業とばかりに傾きだすと、ようやく風の温度が和らいできた。蘇芳が言っていたように、盆地の暑さはなかなかに過酷なのだが、そうは言っても大都会とは程遠い、自然に囲まれた土地柄である。日が陰れば、土の地面や樹々の緑を掠めてくる風は、微かに熱を和らげる。とはいえ、陽が沈み切るまではやはり昼間の予熱が身体に残っているようで、いまいち調子の出ないまま、おれは研究室を出た。

大学近くの小道をのんびりと歩いていく。赤茶色のコンクリートは、普段は目に優しい色合いに見えるのだが、今は心持ち暑さを増すように感じられる。ぽつりぽつりと小さな明かりが灯り出す古風な街並みをぼんやりと眺めながら、研究室のパソコンで確認しておいた地図を頭の中に描き出し、蘇芳がくれた紙切れの指す地点を目指した。

のろのろとした足取りでも、徒歩10分もかからずに辿り着いたのは、一見普通の町家のように見えるこじんまりとした建物だった。このあたりの民家は、間口が狭く、奥に長い変わった形をしているものが多い。その昔、間口の広さで税金の額を決めていた頃の、民衆の知恵が残されているのだ。「うなぎの寝床」というユーモラスな呼称で呼ばれるこの町家の並びの中には、民家を改修して個人経営されている洒落たレストランや喫茶店がけっこうあって、いわゆる「隠れ家レストラン」の穴場スポットとして有名だった。

手元のカードの文字と、電信柱に記された住所表記を見比べる。たぶん合っているはずなのだが、扉の前に立つと表札ではなく小さな看板が上がっていることに気づいた。洒落た木枠で作られた小さなプレートには可愛らしい飾り文字で「KOTO」と記されている。「古都」、という意味だろうか。おそらくこの辺りに点在するレストランのひとつだとは思うのだが、なぜ蘇芳が「ここに来い」と言ったのかいまいちわからず、店の前で逡巡していると突然扉が中から開いた。

「いらっしゃいませ」

にっこりと微笑んでそう声を掛けてくれたのは、小柄な女性だ。扉の上部に取り付けてあったらしいベルがからんころんと軽やかな音を響かせるのを頭の表面で聞き取りながら、おれは慌てて一歩後ずさった。

「あ、いや、すみません」

女性の肩越しに見える店内は、柔らかな灯りに照らされた落ち着いた雰囲気で、いかにも上質そうな料理のいい香りが漂ってくる。とてもじゃないが、おれの懐具合で踏み込んでいいような空間には見えなかった。

「ご予約の方ですか……あ、あなた」

「え?」

女性は柔らかな笑顔で言いかけて、不意に言葉を切っておれの顔……というか髪のあたりをまじまじと眺めた。落ち着いた柔らかな雰囲気のある人だが、飾らない表情には愛嬌がある。急いで回れ右をして立ち去ろうとしたおれは、その視線に縫い留められるようにぎこちない動きを止めた。

「もしかして、蘇芳くんのお知り合いですか? 聞いていますよ、大学の先輩が来るかもしれないから、通してくれって」

「……あ、はぁ。そうなんですけど……よくわかりましたね」

おれはまだ名も名乗っていないし、蘇芳のことも伝えていないし、当たり前だが今は白衣も着ていないし、あいつの「大学の先輩」らしい要素は特になかったと思うのだが。まだ本調子ではない頭の回転も相まって、困惑気味に訊き返したおれを眺めて、女性は楽しそうに笑った。

「ええ。蘇芳くんにあなたの特徴を聞いておいたの。『金髪で、背が高くて、暑さにへばった犬みたいな顔をしている人』だって」

「…………」

蘇芳の観察眼と表現力は、相変わらず的確だ。たまに的を射すぎていて恐ろしくさえ感じる。思わず顔を引きつらせると、女性はおれの表情を見て申し訳なさそうな表情になった。

「……あ、ごめんなさいね。失礼なことを」

真摯に謝られ、おれは慌てた。どう考えても「失礼」なことを言ったのは蘇芳であって、この女性ではないのだし、そもそもこの程度を「失礼」だと思うほど、おれはヤワな鍛え方をされているわけではない。ちなみに誰に鍛えられているかって、もちろんおれをここに呼んだ、件の後輩に、だ。そう言って弁解すると、女性は表情を和らげて「仲が良いのね」と言った。決して仲が良いわけではないのだが、彼女が微笑んでくれたのでまぁいいかと思い、おれもへらりと笑い返した。

「今日は、あなたじゃなくても暑くて大変だったと思うわ。さぁ、どうぞ入ってください」

「……あー、でも、あの……こんな素敵なお店だとは思っていなくて……お恥ずかしいんですけど、持ち合わせが……」

入ってから、迷惑をかけるわけにはいかない。もごもごと小声で言うと、女性はぱちぱちと目を瞬き、それから可笑しそうに笑った。

「そんなこと心配しなくていいわよ。今日は蘇芳くんもちであなたにご馳走する、って聞いてるから」

「…………え……っ」

驚きで、見開いた目がそのまま飛び出るかと思った。

すおうくんもちで、おれにごちそう…………???

おれの脳内辞書にはない構文だ。まともに変換すらできない、混乱しきったおれを、女性はスマートなしぐさで店の奥の席に導いた。
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