色色彩彩ーイロイロトリドリー

えい

文字の大きさ
上 下
24 / 38
3色:蒼天の露草色

8.蒼天を衝く青き龍

しおりを挟む

「……呼吸を、合わせるんだ」

「え?」

「この筆は、呼吸する。色を見る。おれたちと同じだよ。感覚を澄ませばわかる。呼吸を合わせれば、拒絶されない」

そう言って、白衣のポケットから取り出した朱塗りの筆を差し出す。蘇芳はためらうことなく長い指でそれに触れた。ばち、っと電気が走るような音が響くが、蘇芳はその涼し気な表情を崩さない。完全に掌に収めた筆を握り込む。それから、満足げに口角を上げた。

「……おれがおまえに合わすか、おまえがおれに合わすか……。まぁ、おいおい決めればいい」

「……いや、怖いんだけど。何者なんだよ、おまえは……」

おれが言うのもなんなのだが、異形の力まで圧倒しそうな蘇芳の迫力におれは思わず後ずさった。とんでもない奴に相棒を任せてしまったような気がするのだが、今さら後の祭りだ。けれど、蘇芳の手に収まった筆は心なしか生き生きとして見えた。居場所を見つけた、みたいに。

「ただの学生です。そんなことより、早く『色』」

「……はいはい」

こいつはもう、他のことなんて考えていない。その強く鋭い眼は、目の前の空間に、自分がこれから描くものだけを見る。蘇芳の姿を見ていると、必要なものを選び取る強さは、その他のものに惑わされない強さと同義なんだと思う。おれがそんな風に思いながら見ていることも、こいつにはきっとどうでもいいことなんだろうけど。

『明誉の、名のもとに命ず』

唱えると、雨に濡れた露草の花が揺れた。こんなに小さな花なのに、その色は凛として、背筋を伸ばして、現れない青空をひたむきに待っている。

『汝の魂の色、涙に染まらぬ尊厳、蒼天を貫く群青を現せ!』

小さな花弁からにじみ出た深い深い青が、待ちかねていたように蘇芳の持つ筆の穂先に吸い込まれる。蘇芳は雲に覆われた空を見上げ、それからゆったりと筆を持つ手を動かした。波間に揺られるような柔らかな動きで、滑らかな曲線を次々に繋いでいく。すぐに、美しい青色の、輝く鱗を身に纏った大きな魚影が二匹、蘇芳の前に姿を現した。

「……鯉?」

「行って来い」

蘇芳が最後の一筆で生き生きとした瞳を描き入れると、二匹の鯉はぱしゃりと雨粒に濡れた尾ひれを動かし、そのまま競い合うように、雨の線を辿って天に向かって泳ぎ出した。

「……え? 空、飛んでる……?」

「『登竜門』伝説、ですよ。元は『後漢書』に記された伝説です。流れに逆らい、滝を登り切った鯉は、その姿を変え……」

「あ……」

二匹の鯉は空から降る雨粒の流れに逆らい、ダイナミックな動きで力強く天に昇ってゆく。見る見るうちに、その姿は雨雲で覆われた灰色の空に達し……厚い雲に触れたかと思ったら、光り輝く美しい青龍の姿になった。光そのもののような姿が、一瞬にして厚い雲を晴らし、その向こう側にあった突き抜けるような蒼天を連れてきた。

「龍に……なった……」

「童謡の歌詞にもなっていますよ。『百瀬ももせの滝を登りなば、忽ち竜になりぬべき』……。彩さんの描いた龍も可愛かったですけどね」

おれの知っている「こいのぼり」の童謡とは違うようだが、この光景を見れば頷かないわけにはいかなかった。久しぶりの青空を見上げ、少し眩しそうに目を細めた蘇芳は、そう言ってにやりと笑う。

「……う……あいつは……別物、ということにしといてくれ」

「あの子はあの子で、立派な龍でしたよ。自分ができることを、きちんと果たした。》》が自信なさげな分もカバーして、堂々としてたじゃないですか」

「……そう、だな。そうだった」

つぶらな瞳で、満足げにおれを見上げた大きなとかげ。空が飛べないからなんだとばかり、自慢の尻尾で色喰いを叩き落としてくれたのだ。できないことに縛られているおれよりも、ずっとしっかりとした「魂」だ。蘇芳の言葉の意味がわかったら、なんだかすっといろんなことが腑に落ちて、目の前の曇り空の残滓が溶けていくような気がした。

おれは、蘇芳のように強くはない。必要なものだけをきちんと選べないし、いろんなものに目移りして、ふらふらしている。情けないことに変わりはないけれど、情けないなりに自分が望んでいることがわかった気がした。そして、もうひとつ、おれが「したい」ことが見えた。朱の筆を持ち、雨に濡れて艶やかに光る髪、黒の彩りを身に纏う蘇芳を眺め、見つけた答えを小さく告げる。

「……おれ、やっぱり……おまえの描く絵が、見たいよ」

おれが引き出す、自然の魂の色は、こいつに預けたい。投げ出したものを押しつけるんじゃなくて、ちゃんとしっかり持って、渡せばいい。

「……おまえに、この力の、を預ける。力を借りても、いいか?」

蘇芳は、久しぶりの青空を眺めていた漆黒の瞳をこちらに向けた。手に持った朱塗りの筆を長い指ですっと撫でると、おれに向かって不敵に微笑む。
「安くないですよ」

「……え」

「ふらふらしてないで、しっかり目ぇ開けて、極上の『色』を取り出してください。おれを、駆り立てるくらいの」

蘇芳の言葉は、不遜なようで、でも驚くくらいにすっと身体に沁み込んだ。それはおまえの役目だ、と言われた気がした。その言葉は、ずっとなんとなくおぼつかなかったおれの足元を、少しならして、固めてくれるような気がした。

「……うん。善処する」

「便利な日本語ですねぇ……まぁ、いいです。あなたといると、退屈しませんから」

蘇芳はそう言って、雨に濡れた黒髪を掻き上げると薄く笑った。

「おれは、蘇芳の退屈しのぎ用玩具じゃないからな……」

「え、違ったんですか? 初耳です」

「おまえなぁ……」

「それより、早くあの子呼んできてあげた方がいいんじゃないですか。こんな快晴、またしばらく拝めないかもしれないですよ」

久しぶりに見る青空の下では、さっきまで重苦しかった雨の滴が散りばめられた宝石のようにキラキラと光る。ずっと、なんとなく直視できなかった、この底知れない後輩の表情が不思議と柔らかく見えるのは、この雨上がりの景色の鮮やかさのせいだろう。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

意味のないスピンオフな話

韋虹姫 響華
キャラ文芸
本作は同列で連載中作品「意味が分かったとしても意味のない話」のスピンオフ作品に当たるため、一部本編の内容を含むものがございます。 ですが、スピンオフ内オリジナルキャラクターと、pixivで投稿していた自作品とのクロスオーバーも含んでいるため、本作から読み始めてもお楽しみいただけます。 ──────────────── 意味が分かったとしても意味のない話────。 噂観測課極地第2課、工作偵察担当 燈火。 彼女が挑む数々の怪異──、怪奇現象──、情報操作──、その素性を知る者はいない。 これは、そんな彼女の身に起きた奇跡と冒険の物語り...ではない!? 燈火と旦那の家小路を中心に繰り広げられる、非日常的な日常を描いた物語なのである。 ・メインストーリーな話 突如現れた、不死身の集団アンディレフリード。 尋常ではない再生力を持ちながら、怪異の撲滅を掲げる存在として造られた彼らが、噂観測課と人怪調和監査局に牙を剥く。 その目的とは一体────。 ・ハズレな話 メインストーリーとは関係のない。 燈火を中心に描いた、日常系(?)ほのぼのなお話。 ・世にも無意味な物語 サングラスをかけた《トモシビ》さんがストーリーテラーを勤める、大人気番組!?読めば読む程、その意味のなさに引き込まれていくストーリーをお楽しみください。 ・クロスオーバーな話 韋虹姫 響華ワールドが崩壊してしまったのか、 他作品のキャラクターが現れてしまうワームホールの怪異が出現!? 何やら、あの人やあのキャラのそっくりさんまで居るみたいです。 ワームホールを開けた張本人は、自称天才錬金術師を名乗り妙な言葉遣いで話すAI搭載アシストアンドロイドを引き連れて現れた少女。彼女の目的は一体────。 ※表紙イラストは、依頼して作成いただいた画像を使用しております。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

兄の悪戯

廣瀬純一
大衆娯楽
悪戯好きな兄が弟と妹に催眠術をかける話

千里香の護身符〜わたしの夫は土地神様〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
キャラ文芸
ある日、多田羅町から土地神が消えた。 天候不良、自然災害の度重なる発生により作物に影響が出始めた。人口の流出も止まらない。 日照不足は死活問題である。 賢木朱実《さかきあけみ》は神社を営む賢木柊二《さかきしゅうじ》の一人娘だ。幼い頃に母を病死で亡くした。母の遺志を継ぐように、町のためにと巫女として神社で働きながらこの土地の繁栄を願ってきた。 ときどき隣町の神社に舞を奉納するほど、朱実の舞は評判が良かった。 ある日、隣町の神事で舞を奉納したその帰り道。日暮れも迫ったその時刻に、ストーカーに襲われた。 命の危険を感じた朱実は思わず神様に助けを求める。 まさか本当に神様が現れて、その危機から救ってくれるなんて。そしてそのまま神様の住処でおもてなしを受けるなんて思いもしなかった。 長らく不在にしていた土地神が、多田羅町にやってきた。それが朱実を助けた泰然《たいぜん》と名乗る神であり、朱実に求婚をした超本人。 父と母のとの間に起きた事件。 神がいなくなった理由。 「誰か本当のことを教えて!」 神社の存続と五穀豊穣を願う物語。 ☆表紙は、なかむ楽様に依頼して描いていただきました。 ※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。

処理中です...