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3色:蒼天の露草色
7.ひたむきな花色の傍で問う
しおりを挟む「彩さん、何かわかりました?」
ぱしゃ、と水たまりの撥ねる音がして、振り向くと艶やかな黒髪に雨の滴を飾った蘇芳が駆け寄ってきた。いつも首に掛けている洒落たストールが水を吸って重そうに揺れ、蘇芳の身体を打ちつけている。濡れて目元に貼りつく長めの前髪を、煩わしそうに掻き上げた蘇芳は、おれの視線を辿るように灰色の空に目を向けた。
「……もしかして、この雨ですか」
相変わらず、回転速度はおれよりもずっと速い。蘇芳はおれたちの頭上に立ち込める、ずんぐりとした雨雲を鋭く睨むと、今度は足元に視線を戻して辺りを見回した。
「蘇芳?」
「さっきおれに、色が見えてるかどうかって訊きましたよね」
「え、あぁ……」
「正確に言うと、『感じ』られます。まだ、生き生きとしてる色が、ちゃんとある」
そう言いながら、蘇芳は紫陽花の植え込みの前に屈みこんで、地面近くの茂みに手を差し入れ、雨に濡れた大ぶりの葉を掻き分けて中を覗き込む。すぐに、にやりと口角を上げてこちらを振り向いた。
「露草色。日本の伝統的な『花色』です」
蘇芳が掻き分けた紫陽花の葉の下から、こちらを見上げるようにして小さな群青色の花が咲いていた。さっき蘇芳が女の子に傘を掛けてあげていたように、濡れた大きな葉は、最後の力を振り絞るように両手を広げ、足元に咲く小さな花を雨の線から庇ってじっと耐えている。
「……紫陽花に守られて、無事だったんだな」
「ですね。さすが、このじめじめした季節を鮮やかに彩ってくれる花は強いです。――さて、彩さん。本題ですよ」
「本題……?」
蘇芳はすっと立ち上がり、おれに向かって手を差し出した。天に向けて広げられた掌には、まだうっすらと傷跡が残っている。けれど、この不穏な雨の線が降り注いでも、蘇芳の掌に微かに引かれた紅い線は、鮮やかさを失わなかった。その色は、傷ついて弱った色ではなく、不思議に凛として、美しく見えた。
「おれたちには、あまり余裕はないですよね。だから、だから、簡潔明瞭に話し合いましょう。それぞれ『自分がしたいこと』を、シンプルに言い合って」
「したいこと……」
『するべきこと』じゃ、なくて?
続きの言葉は、訊く必要がないような気がしたから呑み込んだ。身体を濡らす、湿った生温い空気と一緒に。蘇芳が言いたいことは、こいつのまっすぐな黒い瞳を見れば、ちゃんとわかる。
おれが、何をしたいのかわからないと、蘇芳は言っていた。こいつは最初から、ややこしいことなんて何も訊いていないのだ。責任や、目的や、結果――。ここから目を凝らしたって見えないものに囚われて、おれはいつも足元を見失う。蘇芳が紫陽花の葉陰から小さな露草の花を見つけ出したように、今立っている場所からでも見えるものを、ちゃんと探してみればいいのに。黙っておれを見る蘇芳の目を、おれは正面から見返した。
おれは、この世界に溢れる色とりどりの、「魂」の色が羨ましい。羨ましくて、眩しくて、いつだって強く、惹きつけられる。そうして、その色に心を寄せ、記憶を託し、同じくらい鮮やかな表情で誰かを想える「人」の姿にも、どうしようもなく惹きつけられる。だから、こうしてここに立っている。水を吸って重くなった、白衣の裾をぐっと握る。
「……おれは、『色』を守りたい。あの子にも、思い出の景色を描かせてあげたい」
振り絞った声は、おれたちの身体と地面を打つ雨音にかき消されてしまいそうに頼りなく響いた。けれど、蘇芳は満足げに漆黒の目を細める。
「おれには、あなたの背負っているものの意味はまだよくわかりません。けど、あなたの取り出す『色』で、描きたい。とりあえずの利害はちゃんと、一致してますよね?」
「してる……か?」
ぺしゃりと額に貼りつく、金色の髪を透かして蘇芳を見返す。蘇芳はいつもの飄々とした表情で、小さく肩をすくめてみせた。
「してますよ。ついでに言っておくと、おれは描きたいと思ったら、描かずにいられない性分なんです。だから、端的に言えば妖怪やらいわくつきの筆程度に、邪魔されたくありません。もちろん、彩さん、あなたにも」
「……蘇芳らしいな」
「そう思うんなら、いい加減観念したらどうですか。勝ち目ないの、知ってますよね」
次から次へと注がれる、色喰いが溶け込んだ雨の線。それでもおれたちの足元では、さっき蘇芳が見つけた露草の花が、凛とした涼し気な姿で、この時期地上では忘れられそうな青空の色を湛えて咲いている。蘇芳、という名とは対照的な色を持つこの花は、どことなくこの男に似ている気がした。
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