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3色:蒼天の露草色
6.雫に潜むもの
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「……色が、ない」
「彩さん、いつからこの子と一緒にいました?」
蘇芳は薄暗い色合いに染められたスケッチブックのページを閉じ、表紙についた雨粒を首に巻いていたストールでふわりと拭う。肩に掛けていた黒のリュックから小ぶりな折りたたみの傘を出すと、手早く開いて女の子に持たせた。
「ついさっきだよ。講義が終わったら蘇芳が出てくるんじゃないかって話をして……」
言いながら、周囲を見回す。どこかに「色喰い」がいるはずだ。しかし、女の子の絵から失われていた色彩は、かなりの広範囲に及んでいる。今まで、「色喰い」が複数の色を同時に侵食するのに出くわしたことはなかった。そして、ここまでこの「現象」が進んでいるにも関わらず、はっきりと色喰いの姿や気配を捉えることができないことも、なかったのだ。
「……っていうか、蘇芳もまだ、『色』が見えてるのか?」
おれは、この「力」の副産物で、完全に色を喰われてしまわない限り視覚を失うことはない。しかし、蘇芳は(一応)ただの人間(のはず)だ。おれと同じように、周囲を見回す蘇芳の表情はいつもと変わらず、「色」にまつわる記憶や思考を失うことで、一時的にどこか朦朧としたような状態に陥る、「色喰い」に出会ったときの特有の症状も起こってはいないようだった。とすれば、こいつの目には、まだ失われかけている自然の色が見えているということだろうか。
「……? 見えてますけど。そんなことより、とりあえずこの子、図書館の中にでも入れた方が良くないですか? 雨もずいぶん降ってきましたし」
蘇芳はこともなげにそう言って、どこかぼんやりとした瞳でおれたちを見上げる女の子をベンチから降ろすと、雨の滴でつやつやと光るランドセルに手を添えて図書館の方へ押しやる。その手つきは優しく、自分は雨に濡れているにも関わらず、さっき持たせた折り畳み傘をもう一度女の子の頭上にしっかりと掛け直した。
「そうだな。蘇芳は一緒に行ってやって。たしかにこの雨、けっこう本降りになってきた……」
言いかけて、ふと何かを見落としているような感覚に言葉を噤んだ。蘇芳が女の子の手を引いて図書館の入り口に向かう後ろ姿を眺めながら、おれたちの間に降り注ぐ透明な線にそっと手を伸ばす。その軌跡を辿るように見上げた先には、重々しく立ち込める鉛色の、厚い雲が鎮座していた。あの子が描きたいと望んだ、「おばあちゃん」との思い出の景色、その背景を彩るはずだった澄んだ青空を、完全に覆い隠すように。
「……! 雨だ……!!」
天から放たれる、無数の糸のような直線は、地上に次々と突き刺さる。本来は、根を葉を潤す恵みであるはずのその滴を、信じて受け止めた植物たちの「魂」を奪うために。「色喰い」の妖力は、この雨の滴に溶け込んでいるのだ。おそらく、大元は不自然なほど重々しく、鈍い鉛色を湛えているあの雨雲。頭上を見上げ、じっと目を凝らすと微かに蠢く黒い靄が見えた気がした。
「彩さん、いつからこの子と一緒にいました?」
蘇芳は薄暗い色合いに染められたスケッチブックのページを閉じ、表紙についた雨粒を首に巻いていたストールでふわりと拭う。肩に掛けていた黒のリュックから小ぶりな折りたたみの傘を出すと、手早く開いて女の子に持たせた。
「ついさっきだよ。講義が終わったら蘇芳が出てくるんじゃないかって話をして……」
言いながら、周囲を見回す。どこかに「色喰い」がいるはずだ。しかし、女の子の絵から失われていた色彩は、かなりの広範囲に及んでいる。今まで、「色喰い」が複数の色を同時に侵食するのに出くわしたことはなかった。そして、ここまでこの「現象」が進んでいるにも関わらず、はっきりと色喰いの姿や気配を捉えることができないことも、なかったのだ。
「……っていうか、蘇芳もまだ、『色』が見えてるのか?」
おれは、この「力」の副産物で、完全に色を喰われてしまわない限り視覚を失うことはない。しかし、蘇芳は(一応)ただの人間(のはず)だ。おれと同じように、周囲を見回す蘇芳の表情はいつもと変わらず、「色」にまつわる記憶や思考を失うことで、一時的にどこか朦朧としたような状態に陥る、「色喰い」に出会ったときの特有の症状も起こってはいないようだった。とすれば、こいつの目には、まだ失われかけている自然の色が見えているということだろうか。
「……? 見えてますけど。そんなことより、とりあえずこの子、図書館の中にでも入れた方が良くないですか? 雨もずいぶん降ってきましたし」
蘇芳はこともなげにそう言って、どこかぼんやりとした瞳でおれたちを見上げる女の子をベンチから降ろすと、雨の滴でつやつやと光るランドセルに手を添えて図書館の方へ押しやる。その手つきは優しく、自分は雨に濡れているにも関わらず、さっき持たせた折り畳み傘をもう一度女の子の頭上にしっかりと掛け直した。
「そうだな。蘇芳は一緒に行ってやって。たしかにこの雨、けっこう本降りになってきた……」
言いかけて、ふと何かを見落としているような感覚に言葉を噤んだ。蘇芳が女の子の手を引いて図書館の入り口に向かう後ろ姿を眺めながら、おれたちの間に降り注ぐ透明な線にそっと手を伸ばす。その軌跡を辿るように見上げた先には、重々しく立ち込める鉛色の、厚い雲が鎮座していた。あの子が描きたいと望んだ、「おばあちゃん」との思い出の景色、その背景を彩るはずだった澄んだ青空を、完全に覆い隠すように。
「……! 雨だ……!!」
天から放たれる、無数の糸のような直線は、地上に次々と突き刺さる。本来は、根を葉を潤す恵みであるはずのその滴を、信じて受け止めた植物たちの「魂」を奪うために。「色喰い」の妖力は、この雨の滴に溶け込んでいるのだ。おそらく、大元は不自然なほど重々しく、鈍い鉛色を湛えているあの雨雲。頭上を見上げ、じっと目を凝らすと微かに蠢く黒い靄が見えた気がした。
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