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2色:困惑の躑躅色
4.描かれる答え(3)
しおりを挟むその後、かなり粘ったものの、さすがにおれの語彙力のストックは底をついてきた。苦し紛れの「りんご飴」にも特に意義を唱えずにスルーしてくれた蘇芳は、それでも攻めの手を緩めることはなく、次から次に言葉と絵をテンポよく繰り出す。その手に乗るかと思えば思うほど、「龍」という言葉の響きに引っ張られ、もともとそれほど豊富ではないおれの脳内辞書は呆気なく白旗を上げた。
「………」
ボールペンを持った掌に嫌な汗が滲む。たかがしりとり。けれど、その「たかがしりとり」で負けたあとには、一体何が待っているのだろう。もはや、蘇芳がおれの「能力」を見たことに間違いはなさそうだ。ここまで確信的に、そして的確におれを追い詰める蘇芳の、目的は一体何なのだろう。目元にかかる金色の髪を透かして蘇芳の表情を盗み見ても、その終始涼しげな表情から感情をうかがい知ることはできそうになかった。
「描かないんですか?」
静かにそう言って、蘇芳は微かに口角を上げる。その漆黒の瞳は、「それでもいいですよ」と言っているようにも見えた。ここでペンを投げ出したとしても、おそらくこの男はそれ以上を追及しては来ないだろう。
おれは目の前にある、ボールペンと鉛筆の線で埋まった3枚目のルーズリーフを眺めた。そこに描かれた、一本一本が意図を持ったような、蘇芳の鉛筆の軌跡を辿った。それから小さく息を吸って、微かにペン先にインクの溜まったボールペンを動かした。
あのとき、おれの足元を染めていた芝生の緑から生まれ、つぶらな瞳でこちらを見上げた巨大なとかげ。皮肉なことに、それまでにおれが描いた絵のどれよりも、生き生きとして見えた。太い尻尾を描き終えてペン先を紙から離すと、おれは顔を上げた。
「……『龍』」
蘇芳はおれの手元をじっと眺め、それから意外にも満足げに表情を緩めた。指に挟んだ鉛筆をくるりと回すと、おれの描いた龍の隣に、滑らかな線を描き始める。つるりと滑らかな質感の器。柔らかく、弾力のある重なりの麺。柔らかな陰影で描かれた透明感のあるダシのような液体からは、温かな香りが漂ってきそうである。
「うどん」
「…………え?」
「おれの負けです。さて、彩さんは何が聞きたいですか?」
そう言うと、蘇芳は鉛筆を青のペンケースにしまい、「どうぞ」というように掌をこちらに向けた。
「……蘇芳は……」
ぽつりと零れる言葉が、目の前に広げられたルーズリーフの上を滑っていく。蘇芳がこの勝負を「終わらせた」のは、こいつの「知りたかったこと」が、もうちゃんとわかったからなのだろう。そして、おれは……。
「……蘇芳は、なにうどんが好きだ?」
最後に蘇芳が描いた、湯気が立ち上りそうな美味そうなうどんの絵。それを眺めて尋ねると、蘇芳は立ち上がりかけた動きを止め、眼を瞬いておれを見返した。
「……きつねうどん、ですかね」
「ふーん……意外と、シンプルな好みなんだな」
「意外と、は余計です。おれは、彩さんが思ってるほどややこしい人間じゃないですよ」
「…………それには、同意しかねるけど」
目の前の、「食えない人間」の集大成のような男を半目で眺めながらそう言うと、蘇芳はにっと笑った。もう一度だけ、ちらりとおれの手元の「龍」を見下ろして、いつもの黒いリュックを背負い、生協の壁にかかった時計に目をやる。
「わりと楽しめました。今度ここで会ったら、素うどんくらいは奢ります」
「……別にいいよ。それより、もう授業サボんなよ」
呆れ声のおれの言葉に小さく肩をすくめて見せた蘇芳は、それ以上は何も言わずに、いつもどおりの涼やかな足取りで講義棟に向かって歩いて行った。おれは手元に残された、おれたちの勝負の「痕跡」が残る数枚のルーズリーフにそっと触れる。
蘇芳がこの勝負を終わらせたのは、あいつが知りたかったことがもうわかったから。
おれが蘇芳に「質問」をしなかったのも、おれが知りたかったことが、もうちゃんとわかったからだ。
あいつが、絵を「捨てて」いないことがわかった。
ぺらぺらの、なんの愛想も変哲もないルーズリーフの上に遺された、ほとばしるようなエネルギーを纏った無数の線。その線が形作る、確信的なひとつひとつの存在。
おれがずっと探していた「蘇芳日和」は、この世界から消えてはいなかった。
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