【R18】カラダの関係は、お試し期間後に。

栗尾音色

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カラダの関係は、これからもずっと♡

抱きしめたいなんて、言えない

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──それから一週間後の朝。

カーテンの隙間から差し込んでその柔肌を照らす朝日の眩しさなどものともせず、スヤスヤと寝息を立てる、“眠り姫”ならぬ“眠り王子”。

そこは一人で眠る、セミダブルベッド。
夜中に背中を蹴られることも、そのまま蹴り落とされることもないベッドは、あまりにも寝心地が良すぎた。
そう、それは虚しくなるほどに…。

その虚しさを埋めるようにして、その腕にはクローゼットから久しぶりに引っ張り出してきた等身大の抱き枕がしっかりと抱き抱えられていた。

そんな王子様の安眠は、爆音を立てて開いた寝室のドアによって妨げられるのだった。

バァン!!!

「?!」

体ごと心臓が飛び上がり、眠気まなこをパチパチと瞬きする。
そしてやっと焦点が定まったことでなんとか捉えたのは綾乃の立ち姿。
しかも、その顔は“膨れっ面”でも最強レベルの膨れっぷりだ。

「ちょっと、葵っ!!」
「会社が休みだからっていつまで寝てんのよっ?!」

久しぶりに見たその顔からは、予想通りの言葉が出てくるのだった。

「あ、綾乃っ…?!」
「いつまでって……まだ朝の8時じゃん…」

醒めきらない頭を上げてヘッドボードの上のデジタル置き時計を確認してまたベッドへと倒れ込む葵を、綾乃は仁王立ちで捲し立てる。

「“もう8時”の間違いよっ!!」
「私がいないからってほんっと、だらしないんだからっ!」

“お前にだけは言われたくない”…と心の中でぼやきつつ、葵は気怠い返事をしながら布団を頭まで被り直すのだった。

「なぁ俺…昨日まで徹夜続きで仕事してて寝てないんだって…」
「昨日の夜やっと仕上がって印刷に入稿したんだ…」
「他の案件は納期までまだ余裕あるし、頼むから…もーちょい寝かせて……」

そう、いつもなら“そっか、お疲れ様!ゆっくりしてね!”なんて労いの言葉さえ出てくるものの、今日の綾乃は違っていた。
なぜなら…

「このっ…!」
「大バカ者の意気地なしがぁぁーーーッ!!!」

「?!!」

息を吸い込んで溜めてから吐き出すと同時に出た盛大な怒鳴り声は、葵の頭を完全に覚醒させてしまったのだった。

「な、なにっ…どうしたのっ…?!」

ビリビリする耳を押さえてようやくベッドから起き上がった葵だが、綾乃の猛攻はとどまることを知らない。

「せっかく私が仲直りしようと思って帰ってきたのに…っ」
「一週間も何も連絡くれなかったうえにっ!こんなお出迎えなんて酷すぎるっ!!」
「葵が何も連絡くれないから、私だって帰るに帰れなくなって一週間も外泊することになっちゃったんだからねっ?!」

要するに…自分が素直になれないから葵からの“帰って来い”という連絡を待っていたものの、見事な放置っぷりについに痺れを切らして帰ってきた、ということらしい。

「せっかく帰ってきてあげたんだから、“おかえり、会いたかったよ♡”……ぐらい言って抱きしめてくれてもいいじゃないのぉぉーっ!」

怒っているのか、単純に恋しがっているのかわからないその様子を黙って見ていた葵は、綾乃と目を合わさないようにしながらそれに答える。

「それは…っ、そのうち帰ってくるって思ってたからだよっ…」

寝癖でボサボサの髪をガシガシ引っ掻きながらベッドから降りる葵。

「あ……どこ行くのっ?」

「……トイレだけど、覗きたいわけー?」

「………。」

目が合うこともなく横をすり抜けていく葵の後を追うようにして、やがて綾乃は洗面所へとついていった。

「ねぇ…葵は一週間も私が帰ってこなくて全然心配じゃなかったの…?」

歯磨きをする葵を鏡越しに見つめ、後ろから問いかけるが返答はない。
歯磨きの最中なら仕方がないといえば、そうなのだけど。
それを差し引いても、どこかいつもとは違う彼の態度には徐々に違和感が強まっていく。

「そりゃ、出て行く前に“咲子の家に行く”って言ったから安心だったのかもしれないけど…」
「一週間も離れてて、会社でも会えなくて寂しかったのは私だけなの…?」
「葵は…寂しくなんてなかったの?」
「私のこと、早く会って抱きしめたいって……思ってくれなかったの…っ?」

鏡の中ですら目が合わない彼は、ただ洗面台で口の中を水でゆすぎ始め、顔を洗うだけ。

「…ねぇ、葵っ!」

そして濡れた前髪と顔をうずめたタオルから出た口元だけで、ようやくそれに応えてみせたのだ。

「そんなこと……言えるわけがないんだよ」

「……え?」

それだけつぶやいてからキッチンへと移動する葵、そしてその後をついていく綾乃。

「それって…どういう意味なの?」

食器棚からグラスを出して、それにグリーンスムージーを注ぐ彼の後ろから問いかけてみるが、相変わらず返答はない。

「ねぇ…どうしてさっきから私と一度も目を合わせてくれないの…?」
「わ、私だって大人気おとなげなかったのは反省してるよ…っ、でも──」

「そんなに急かさなくても、ちゃんと全部話すって」
「もう…俺の方がお前に黙ってられなくなっちゃったから…さ」

帰ってきてから初めてちゃんと目が合った彼は、どことなく諦めたような、安心したような、スッキリしたような微笑みを浮かべていた。

「全部…って、何?」

「ここ最近、俺のこと見てておかしいと思ってたんじゃない?」
「昔の自分が怖いーなんて言ってたり、突然“子供なんかいらない”なんて言い出したりしたんだもん」

「う……うん」

「……おいしい仕事が入ってきたんだよ」
「俺一人でもじゅうぶんこなせて、高収入な仕事が」
「でも、そのクライアントが……俺の“初めての女”だったんだ」

「“初めての女”って……葵、女性のクライアントさんなんて他にもいっぱいいるんじゃないの?」

イマイチ意味が通じていない綾乃に、葵は仕方なく言葉を噛み砕いて言った。

「だーかーらっ、童貞を捧げた相手ってことだよっ」

「えっ?!」
「あ、ああ…そーゆー意味ねっ…」
「……って、うっそぉ?!」

この瞬間の綾乃にとっては、そんな相手と再会した後のことよりも、“葵の過去に初めて触れることができるかもしれない”という興味が先走ってしまうのだ。

「そう…それも、普通にお互いに初めて青春恋愛した同い年の女の子……なーんて可愛いもんじゃなくってさっ」

「…どういうことなの?それ」

「…“先生”だよ」
「毎日学校に行くと教壇に立って、生徒の前で教鞭をとってる…そんな“先生”」

まったく予想もしていなかったことが放たれるその顔を見つめ、綾乃はしばらく言葉を失った。

「そ、それって…犯罪なんじゃないの…?!」
「大人が、それも教育者が教え子の未成年を……って…」
「訴えたりしなかったの…?!」

そんな当たり前の意見に対する答え…
それは、現在いま目の前にいる彼自身が客観視したありのままの自分のことだ。

「訴えたりなんて、できるわけないよ」

「なんで…?!」

「目の前で誘う“オンナ”のカラダとそのセックスに…俺が溺れたから」

“昔の自分が怖い”と言っていた意味が、この時の綾乃には否が応でも理解できてしまった瞬間だった。
葵の人柄や性格をよく知っているだけに、倫理をおかしてまで“欲”に溺れてしまうような人間だとは到底信じられなかったのだから。

「先生のこと、好きだったかどうかも正直…わからないんだ」
「ただ、あの頃は年相応の恋愛ができなくなったことが辛くて……依存してたのかもしれない」

特に取り乱すことも、焦りを見せることもなく話し続ける彼。
その冷静さが、綾乃の知り得ない一面を引き立てているようだった。
そして綾乃は、つい蚊帳の外へと飛ばされてしまっていた“本題”について触れるのだ。

「ねぇ…その人が葵に仕事の依頼を通じて関わって来たのって、本当に偶然なの…?」

──嫌な予感が頭をよぎる。

彼の容姿が圧倒的に優れていることも、比例して内面までもが“透き通るほど綺麗”だということを一番よくわかっているからこそ。
そう、あの“サンタマリア・アクアマリン”の青の美しさが相応しい彼だからこそ…。

そう信じて疑わない綾乃に、葵は打ち明けた。
理恵子から“過去に自分の子供を身篭り、中絶し、それが原因で不妊症になって離婚されてしまった”と聞かされて、そんな嘘を信じて打ちひしがれていたことを。

そして、そこまで聞いた綾乃は理解を示しながらも激しく激昂し始めた。

「…そっか、だからあの時いきなり“子供はいらない”なんて言い出したんだね」
「でも……最低だよ、その人…!!」
「女の立場を盾にして人を欺くなんて…同じ女として軽蔑するわっ…!!」
「大体、何が目的だったの?葵にそんな嘘つくなんて…」
「お金…?ただの恨み?その、どっちか…なんだよね…?」

嫌な予感は、一番恐れていた事実を聞かされることで無情にも的中してしまうのだ。

「いい暮らし、させてやりたいと思ったんだ」

「え…?」

「もし子供ができたら、家族になんの不足もない生活をさせてやりたいって…そう思った」
「でも…そのせいで俺、騙されて向こうのいいようにされてっ…!」
「ここまで自分がバカだとは思わなかった…!!」

ここまで冷静だった彼が、初めて取り乱した。
強い後悔に苛まれ、自分自身を責めているようなその姿は、“何があったのか”ということを物語っているに等しいのだ。
そして、もはや察するしかない綾乃はその重い口を開いた。

「いいようにされたって…」
「…寝た…の…?」

思い知りたくもないその疑惑は、葵が小さく首を横に振ってもまだ尚、拭えきれない。

「じゃあ…キス、した…?」

「……した」

まるで心臓に杭を打たれたような衝撃が、綾乃の全身を駆け巡り始める。

「それ以上のことも…した」

「どう…してっ…?!」

ここへ来てもまだ信じたくはない気持ちは、綾乃を逃避へと導く。

「…あはっ、ねぇ…全部嘘なんでしょ?」
「これってドッキリ?」
「だって、葵がそんなことできるわけなんかないんだもん!」
「私にはわかるんだからね?!」

「じゃあ、俺がそんな悪趣味な嘘ついたりしないってこともわかってるはずだろ?」

「あ……っ!!」

唇を震わせて立ち尽くすその目の前で、愛しい男の口からは聞きたくもないことばかりが溢れ出す。

「途中で邪魔が入って中断したから最後まではしてないけど、もしそれがなかったら…そのつもりだった」
「だからお前の顔なんて見れないしっ、“会いたい”とか、“抱きしめたい”なんて言えるわけなんかないんだよ!!」
「…わかっただろ?!」

停止したかのような時間の中、存在しているのはお互いの痛みだけ。

「俺のこと……嫌いになった?」

鼻で笑ってそう言った彼の横目と目が合った瞬間…

ばちん!!

無防備なその頬にすべての思いは音を立てて炸裂したのだ。
そして今、もうごまかすことも逃避することもできない綾乃の口からは、葵を責め立てる言葉が意思に関係なく解き放たれていく。

「ひどい……絶対許さない!!」
「許さないっ……許さない!!」

「綾乃…っ」

頬を撃たれたその痛みは、綾乃の痛み。
すべてでそう受け止めた葵だったが、次にぶつかってきた激しさに感情もろとも崩されてしまうのだ。

そう、胸の中に勢いよく飛び込んできた綾乃にその背中ごと抱きしめられ、その拍子にキッチンの上のグラスが倒れて中身のグリーンスムージーがこぼれ出した、その時に…。

「バカ!!私以外の女の人に触るなんて…許せない!!」
「でも、でも…!」
「一人で…辛かったんでしょ?!どうすることもできなくて!」
「だから……だから!許してあげる…!!」

「あや…の…!」

「何があっても私だけは葵の味方だって言ったでしょ?!」
「でも…っ、その人よりもっともっと私のこと抱いてくれなきゃ、絶対許してなんかあげない!!」
「私が…そんなこともうどうでもよくなっちゃうぐらい……いっぱい愛してくれなきゃ、許してなんかあげなっ──」

キスに塞がれて失った言葉。
その代わりに、柔らかい唇から引き出されるかのようにその感情は涙となって頬を伝っていった。

「……迷惑なぐらい、愛してあげる」

そう言ってまっすぐに見つめてくる葵は、綾乃の頬に光る涙の筋を親指でキュッと拭ってから切なく微笑んだ。

「お前がついつい、俺のこと許しちゃえるぐらい……いっぱい愛してあげる」
「だから…来て、綾乃」

「あ……!」

この激しい感情を止めることなど、自分であろうと他人であろうと、もはや不可能。
お互いの痛みを癒やし合うためだけに、この時間だけが存在していた───。
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