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カラダの関係は、ほどほどにね。
未練という名の呪縛
しおりを挟むその日の夜。
仕事を終えたばかりの光里は、息を切らして夜の繁華街を走り抜けていた。
「あ、ねぇキミ!よかったらちょっとお店に──」
人混みの中、話しかけてくる派手なホストの男になど見向きもせず、その足はある場所を目指していた。
「…葵くんっ!」
急いで身だしなみを整えてから開いた引き戸。
その個室の座敷には、掘り炬燵に座って水の入ったグラスを傾ける葵がいた。
「葵くんの方から呼び出してくれるなんて…」
「私、嬉しくって残業断ってきちゃった!」
いそいそと中に入り、その向かいの席へと腰を下ろした。
顔を上げた先には、光里を見つめる涼やかな優しい笑顔。
「そっか……あ、ごめんね?こんな個室の店なんかに呼んじゃって」
……その一瞬で、胸がときめいてしまう。
「そ、そういえば…そうだね」
緊張で声が少し震えてしまう光里に、葵は持っていたグラスを静かに置いて話し始める。
「光里が入社してきて以来、社内はもちろん二人でゆっくり話せる機会もなかったじゃん?」
「だから二人きりになれる場所を選んだんだけど……」
「…ダメだった?」
そう言ってまっすぐに目を見つめられ、胸の鼓動が高鳴り始めた。
「……ううん、そんなことないっ…!」
ドキドキドキドキ…
「そう?ならよかった」
「こうして直接二人で会うのって…何年ぶりだろな」
「ほんとだね…」
「光里…昔と全然変わらないから俺、ビックリしたんだよな(笑)」
「葵くんも…相変わらず、素敵だよ…♡」
ただ、ひたすら葵の口から出てくる言葉を噛み締める光里。
そんな数秒の間の後、光里は思い出したかのように目を泳がせて言った。
「あっ……今日は、藤崎さんとは一緒じゃなかったんだね?」
そんな質問に、葵は淡々と返す。
「ああ、アイツなら午後に早退したみたいだからさ」
そしてホッとすると光里は顎元に握りしめた手を添え、伏目がちになって…
「…そうなの?体調でも悪いのかな…?」
「私、心配だな…」
そんな光里を、葵は黙ったまま眺めている。
「でも、本当にいいのかな?」
「藤崎さんがそんな時に、こんなふうに二人きりで会ってるなんて…」
「藤崎さんに申し訳なく思っちゃうな…」
しばらく眺めているだけだった葵は、フッと笑って頬杖をついた手で口をやんわりと覆って言った。
「まぁ、そのことなんだけどさ……なんつーか、その、俺…」
「……なに?」
次の言葉を待つ光里を横目で見つめ、葵は照れ臭そうにその続きを口にする。
「何年かぶりに光里と再会できて、ぶっちゃけ…ときめいちゃったっていうか…」
そしてまっすぐにその鋭い目で見つめられ、光里の表情はみるみるうちに期待と歓喜の色へと染まっていった。
「うそっ……本当に…?!」
「うん、昔からだけど…また綺麗になったよな」
「…色気が増した気がする」
そんな甘い褒め言葉は、緊張感を少し緩める代わりにどんどん光里の顔を熱くさせていくのだった。
“いっそのこと今、この気持ちをぶつけてみようか”……そんな期待と不安が葛藤しながらも、光里は口を開いた。
「わ、私もねっ、こんなこと言ったら引かれちゃうかもしれないんだけど…」
「……何?」
「ほんとは、葵くんがいる会社だってわかってて入社してきたの…」
「偶然カタログ雑誌の表紙に写ってる葵くんを見つけて……そしたら、一気に葵くんへの想いが溢れてきちゃって…!」
「だから…会社名も場所も全部調べて、家もこっちに引っ越してきたんだよ」
頬杖をついていた葵が、その腕を下ろした。
「なんでそこまでして…?」
「葵くんに会いたかったの!どうしても…!」
目を見てハッキリそう告げられた葵は解せないといった顔で言葉に詰まった。
「でも…今さらなんで?」
「俺たちが別れたのって…光里が他に好きな奴ができたから…のはずだったよな?」
「その男と体の関係も持ったって、光里の方から──」
「違うよ」
「私…葵くんのこと、嫉妬させたかっただけなの!」
葵にとっては、どういうことなのかまったくわからなかった。
「…どういうこと?」
「ねぇ、覚えてないの?」
「私…葵くんに何度も問い詰めたことがあったよね?」
「“本当に愛されてるのかどうか、わからない”って…っ」
微かに、葵の中にそんな記憶は蘇ってくる。
光里と付き合い初めてしばらくした頃、大学のコンテストに推薦され、その制作に追われて恋愛どころではなくなっていた自分の記憶。
そして、そんな自分とは逆にひたすら自分のことを求めていた光里のことも。
「私が他の男の人と仲良くしてても、葵くんは嫉妬するどころか…見向きもしてくれなかった…」
「たまに会えばエッチばっかりで、私…葵くんの彼女なのかなんなのかわからなくなっちゃったの!」
「そのこと、問い詰めたら…葵くん、こう言ったんだよ」
「“ごめん、正直そういうの重たいんだ”って…!」
思った以上に、そんな過去の自分が発した言葉なんてものの記憶は時が経てば経つほど薄れていく。
そう、たとえそれが相手を傷つけるような言葉だったとしても。
でも、当時の自分の環境や心境は鮮明に覚えていた葵は…
「マジで……俺、そんなこと言ったんだ…」
そうため息をついて、頭を抱えるので精一杯だった。
「だから…最後にね、試してみたの」
「“好きな人ができた”って言ったら、葵くんは嫉妬してまた私の方に向いてくれるんじゃないかって…」
「光里…っ」
「私、寂しかった…!葵くんのこと、大好きなはずなのにどこか憎らしくて、嫉妬して焦ってほしくて…!」
「だから、他の男の人とエッチしたのも…半分以上は葵くんへの当て付けだった!」
「それでも結局、葵くんは私を引き止めてもくれなくて、私たちは別れたんだよ…」
3年前の自分には、とても理解できなかった女心。
今なら、なんとなくわかるような気がした。
「でもね、私…あれからどんな人と付き合ってもあなた以上に誰も好きになれなくて…!」
続けて光里は、目に涙を浮かべて言った。
「あれから3年間、ずっとあなたのことだけを想ってきたの!」
「葵くんのことが…今でも好きっ…!!」
光里の率直な想いだった。
それはもちろん、葵にもひしひしと伝わってくる。
「……そっか」
「とりあえず……」
突然テーブルの上に肘をつくと、葵は両手を顔の前で合わせて頭を下げた。
「ほんっとにごめん!」
これには光里も驚き、その目をパチクリとさせている。
「光里と付き合ってた頃って…なんつーか…ほんと俺、今以上に性に奔放だったっていうかさ…」
「一緒にいたらすぐシたくなっちゃって、バカみたいに自制もきかなくて」
「でも、そのせいで光里のことを傷つけてたのは事実だから……ほんとに、ごめん」
「………。」
「でも、これだけは信じて欲しいんだ」
「俺、光里のこと、ちゃんと好きだったよ」
葵の優しいその声色に、光里はパッと顔を上げた。
「本当…?」
「うん、可愛いと思ったから告白も受け入れたし、もちろん何があっても光里以外の女と関係持ったりなんてしなかった」
「ただ俺がバカで鈍感だっただけで、光里は何も悪くないよ」
光里の表情が一気に明るくなった。
「葵くんっ…!」
「それじゃあ…私がしたこと、許してくれるんだね…?!」
「うん、でも」
「綾乃を傷つけるのだけは許さない」
光里の中の、時計が止まった瞬間だった。
「………え」
「葵……くん…?」
「なんのことかわかってるんだろ?」
静かな怒りは、恐ろしいほどにその淡々とした声を研ぎ澄まさせる。
「そ、それはっ……」
ドクン、ドクン…と、期待でも高揚でもないものが心臓を圧迫し始める。
そんな心中穏やかでない光里から目を離さなかった葵が、初めて目を逸らした。
「俺、アイツのあんな泣き顔見たのって初めてなんだよな」
「正直……キツかった」
───「(私、あなたを…傷つけてたの…?)」
そんな焦りと不安が、自分を守るための言い訳を探しだす。
「あ……で、でも私っ!そんなことできちゃうぐらいに葵くんのことが──」
「ああ、それとこれは俺の個人的な思いなんだけど」
「別れた男の性癖なんかを他人に話して楽しんでるような下品な女ってさ…」
「大っ嫌いなんだよね、俺♡」
また頬杖をついた葵の、その明るい口調と涼やかな笑顔が…
その先の言葉を封じ込んだ。
「……そう、わかった…」
「話はそれだけだから」
そう冷たく言い放ち、席を立って引き戸へと向かう葵の足を、再び光里は止めた。
「…あんな女のどこがそんなにいいのよ!!」
悪あがきだってことは、わかっていた。
それでも、意思に反して口が止まらない。
「あの人、いろんな男を良いように弄んでたって…噂で聞いたんだよね!私(笑)」
「そんなの、ただの性悪女じゃないっ!」
「葵くん、きっとあの人に騙されてるんだよ!!」
「………。」
柄にもなく声を荒げる光里をしばらく見つめて、葵はプッと小さく吹き出し笑いをした。
「まぁ、男を弄んでたっていうのは間違いじゃないかも(笑)」
「やっぱりそうなの?」
「うん」
「アッシーくんに最南端の孤島まで迎えに来させようとしたりー、メッシーくんに食事の好みで無理難題押し付けたりー、あと…なんだっけ…」
「男の前でゲップとかオナラしてみたり?(笑)」
ニコニコ笑って話すその内容は、光里を真面目に困惑させるだけだった。
「なんなのそれ……ゲップって…」
「だからさ、アイツって基本的に誰に対しても悪意ってものがないんだよね」
「……自分の気持ちを優先して、誰かを傷つけたりするような真似だけはしない女なんだ」
「そういうとこなのかな?俺が綾乃を好きな理由って…」
返せる言葉など、もう何もなかった。
葵には、『心の隙間』は1ミリも存在しない。
そう、それはたとえ、どんな手を使ったとしても。
“戦意喪失”とは、まさにこんな感じなのだろうか。
そして
一点を見つめたまま微動だにしない光里に、葵は背中越しに言った。
「それとさ…光里」
「え…?」
「お前、綺麗になったのは本当だよ」
「だから…」
「3年も自分のこと殺してないで、早く前に進めよ」
それだけ告げると、葵は外へ出て静かに引き戸を閉めた。
すぐにやってきた静寂は、ただひたすらに、光里の胸を締め付けて涙を促す。
「……ズルイよ、葵くん」
「あなたがそんなだから…また好きになっちゃうんでしょ…っ」
光里はしばらく、個室に留まっていた。
しゃくり上げるその肩が落ち着くまで───。
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