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私を許して
しおりを挟む世界がひび割れ、世界の欠片がぼろぼろと落ちていく。
欠けた先には揺らめく『無』の領域が垣間見えた。
「裏切ったなァ、ディアスキアアアアアアア……!!」
急いで元凶の下へと駆け付けたディアスキアがみたのは、最初の頃、神がその内から取り出した黒よりもなお肥大した黒の膨大な感情エネルギーであった。
あれが暴発すれば世界はもちろん、『無』の領域に新たな『黒』の巨大な領域が誕生することだろう……誰もが望まない結末として。
「裏切りとは、なんでしょうか」
慎重に、ディアスキアは言葉を紡ぐ。
ひとつ間違えれば、神すらも危険にさらされてしまう。
「私は最初から約束を守っていましたよ」
この男と神を会わせること。
可能性があるのなら、ディアスキアはそうしていたはずだ。
この言葉に嘘は何一つとして、無い。
「……まあ、守ったのはその約束だけでしたので」
会う方法までは、何も指定されていない。苦し紛れだが、嘘ではない。
神の魂は預けた魔女が産むのだから。嘘ではないのだ。
「なにやら勘違いをさせてしまったようですが」
男が想定していた方法と齟齬があったくらいで、この暴走。
黒に依存する生命の、膨大な感情エネルギーをディアスキアは見誤った。
「楽しかったですよ」
負に馴染みやすい生命の、正の輝きを見守ることは。
「あなたは確かに世界にとって大切な方でしたから」
でなければ、神もわざわざ神ですら危険である『無』の領域に赴いてまでも、特定の記憶を置き去りにしようなどとはしなかっただろう。
……きっとそれは、どうしても神にわずかに残っていた未練を捨てる為だった。
「その存在を、」
その言葉は、ディアスキアから出たものではない。
ただ身勝手ながらに零した――神の、代弁だった。
「意思を踏み躙る感覚は筆舌に尽くしがたいものでした」
この暴走を止めるには、ディアスキアは己の全てを掛けなくてはならない。
――せめて、神とこの男がこの世界で出会えるまでは。約束を、果たす為に。
「……おかげで、私も眠りにつかなくてはならなくなりましたから」
この曖昧な『無』の領域において『意思』『想像』『愛』は奇跡を起こす。
……もし、ディアスキアに許されるのなら。
「――流石は世界に愛されし者。実に妬ましいことです」
淡々と、黒の憎悪を煽る。これが、世界を維持する最善だから。
まるで台本を読み上げるように、淡々と。心にも無い言葉を吐く。
「そのまま存在ごと消えてくれるのが一番でしたが」
いずれ、繰り返す転生の最中にこの男が己を見失うのは確定事項だった。
それでもいつからだったか、この男の想いが神に届くようにと祈っていた。
――奇跡は、起こらない。想いは神に届いても、届かなかった。
「まさか適合してしまうとは。私の力では消滅はとても無理だったようですね」
神を守るためだけに、この男が創った世界。
ただ神の魂を守っているだけであれば、こうはならなかっただろうか。
消える定めの神、その役目を手伝うことこそがディアスキアの意義だ。
――だからこれは、餞別だ。
「フザ、ケルナァァァァアアアアアアアアーーッッ!!」
全力で負に満ちた男のエネルギーを偽りの世界に吸収させる。いくつかの大陸が滅び、国が滅び、生命が滅んだが、そもそもが偽りから生まれたものども。構うことは無かった。
そもそもがあの半端ものの魔女である牡丹の不意打ちのせいで、記憶を取り出していた隙をつかれた神は、その全ての記憶をこの世界に注ぎ込んで休眠状態へと強制的に陥らされていた。
さらにいえば取り出されたばかりの黒の想いとの相乗効果で、強力な偽りの檻に閉じ込められてしまうこととなったのだから、ディアスキアにとってはこの偽りの世界がどうなろうとも、まるで知ったことでは無かった。
……ふと、凄まじい勢いで浄化され汚染されない区域があった――例の魔女である。
ひらひらと、まるで他人事のようにこちらの必死の制御をにこにこと見守っている。まるで成功しないわけがないとでも言わんばかりに。ふ、と思わず自嘲するように鼻で嗤ってしまった。
神の記憶が戻れば、自然と生まれた星へと戻ろうとするのが必然。だからこそ、あの魔女に神を預けてやったわけなのだが――あの魔女から神を取り戻すには、とてつもなく骨が折れそうだ。
生まれたばかりなのに尽く、ディアスキアはついていない。
「これも世界の意思です。受け入れ、果てなさい」
ようやく人型の原形にまで縮んだ黒を、神から与えられていた権能でもって強制的に転生させた。
……想いが、願いが、奇跡が叶うかどうか、神のみぞ知ること。
「……回りくどい方法ですが、仕方ありませんね」
神から与えられた器を失ったディアスキアはその後、適合する器を乗り換え続け、神の記憶を完全に取り戻せるようにと暗躍することとなった。
◇◆◇◆◇
――世界が、割れる。
滝のように流れる炎。
荒れ狂う雷雲。
踊る砂の竜巻。
割れる空と大地。
寄せては返る波間のように、全ての天災が降臨する。
「この全てを、阻止することは叶いません」
星にしぶとく生き残った害悪どもは、ここで全て掃除してやらねばならない。神の負担を減らす為にも。
ごぼり、許されていない権限を無理に行使した代償として、ディアスキアは内側から己が腐り朽ちていく感覚を覚えた。
……どうということはない。神がその身に受け続ける無限のそれに比べれば。
「――さあ、神と共に滅びましょう」
星の全てを覆うように発生した厄災の数々、そのせいでか、いつの間にかディアスキアへの攻撃は完全に止んでいた。
諦めたのか、茫然としてるのか、あるいは絶望に打ちひしがれているのか。
……どうでもいい。ディアスキアの役目は、ここまでだから。
神の記憶から生まれた欠片――特に、この二人を屠れたのならば。
「……天火」
矮小な愚物が、得物を低く構えて何かを呟いた。
何をしようと無駄だ、とディアスキアは嘲笑った。
全ての厄災を同時に対処するなど、神でもなければとても――。
「――無双」
消滅。
「な、………」
ディアスキアは、何が起こったのか一瞬理解出来なかった。
星の各地に散らばるように超加速させた厄災の全てが、文字通り消滅したのだ。
「なに、を、何がッ……まさかそれはッ!?」
混乱するディアスキアは、原因を探った。そしてすぐに見つけた。
――神器。それも、失われたはずの、武器系統の神器ッ!
「……それは、生命如きが手にして良い代物ではないはずです」
というより、神器を扱うどうこう以前に触れる事すらままならないはずだった。
もしもそれに生命が触れれば、死あるのみなのだから……。
魔女ですら霊器ひとつでかなり消耗するというのに、この生命……生命?
……まさか、――!?
「純粋な魔神、ですか。想定外です」
魔神は色んな意味で厄介な存在だった。
かつて星ごと滅ぼしかけたこともそうであるが、魔神は――魔女特攻だ。
ディアスキアの勝ち目は、この時点で泡と消えた。
……いや、最初から勝つのがどうなどということは考えもしていなかった。
「どおりで、身体を拝借した際にかなり消耗させられたわけです」
今更気付くとは、間抜けにもほどがある。それほど焦っていたともいえるが。
――結局、神の最期には立ち会えそうもありませんでしたね。
「ですが、魔神ならば何故、止めたのですか」
星に巣食う害悪ども。それの排除はついでのようなものではありましたが、それでもかなりの無理を押し通してでも本気の力を籠めて発動させた。
……だというのに、それをいとも簡単に無為にされる徒労感は言い知れない。
「俺は別に世界がどうとか、星がどうとかはどうでもいい」
矛盾した言葉だ。ならば、先程の天変地異は放っておけばよかったのに。
「だが、ノヴァはこの星の美しさを好んでいる」
「……ふ、ふふ」
美しさ、この生命どもの惨状を鑑みてでさえも美しいと言い切れるとは。
確かに天変地異で荒れれば、全てが滅茶苦茶になるだろう。
たった……たったそれだけの理由で、妨げられた。ならば――。
「――では、景観を損なわない程度に駆逐して回るのは良いようですね」
「――――」
ディアスキアは、魔神の無言は肯定とみなした。
◇◆◇◆◇
「……どうして、私が国主に」
「んなクソ面倒なこと、オレ様がやってられっかよ」
けっ、と心底嫌そうな顔で言われ、ディアスキアは諦めて受け入れた。
「分かりました。承ります」
「おう、せいぜい頑張れよっと、陛下」
それきり、その少女は顔すら出すことは無かった。
「陛下、魔女らの仲裁を――」
「陛下、東に不穏な勢力が――」
「陛下、予算が追い付きません!」
ディアスキアは、自分は一体何をしているのだろうかと気を遠くした。
あの男を沈めてから暫くして。世界の全てが著しく一変していた。
曖昧だったはずの世界は、いつの間にか確固とした世界に変遷し始めたのだ。
しかも偽りであっても、魔女などというものまで生まれてくる始末。
「……私はただ、神を導きご案内するだけだったはずですが」
神の魂は、未だにこの世界に囚われたまま。
あの牡丹とかいう守り人が、神を殺し続けるせいで、ずっと。
稀に記憶の断片を取り戻した例の男が訊ねてくることもあった。
その度、ディアスキアは同じように貢物をと誤魔化した。
……神と男が出会うまでに、幾何の時がかかろうか。
「私も、神よりも生命だったというだけのことです」
最期のお別れ。あんなお別れでは、あまりにひどい。
だから、偽りの世界の変遷の中でわざと国を滅亡させ、機会を創った。
――そうして、やっと二人は出会えた。
お互いに本物とは程遠い。それでも、出会った。出会えた。
――ようやくやっと、神の本当の望みを叶えられる。
◇◆◇◆◇
「――『滅して滅して滅ぼして』」
この言葉は、対象を指定できる。
「『絶滅こそ我が役目』」
最初の時は、生命どもをひたすらに苦しめる為だけに指定された。
その苦しみは神も共有してしまうが、それよりも生命を苦しめたかった。
……本当に、魔女なんて、どいつもこいつもろくでもないクズだ。
「『須らく我が身へ堕落集結せよ、朽ちゆく星の生命のものどもよ』」
最初から、こうしていれば良かったのだ。
星に巣食う害悪どもが一気に朽ち崩れ、ディアスキアの身へと寄り集まってくる。その負の重さといったら、星の重力さえも軽々超える濃度。
――ああ、こんなものを、神は、ずっと、独りで。何も感じない、で――。
「なんのつもりだッ!」
「……見てわかりませんか」
先程よりも小さくなった矮小な魔神の咆え声が遠く小さく聞こえた。
「――どうします? 的が大きくなりましたよ」
「く……」
……どうして、ディアスキアは生まれて来たのだろう。
負の感情の波に飲み込まれながらも、自問自答してしまう。
『道案内、よろしくね』
初めての記憶は、これだった。それ以前の記憶は、無い。
本当に、ただただ道案内の為だけに生まれた存在。
『私ね、もう生まれ変われないんだ』
……どうして、ディアスキアは神の為に尽くすのだろう。
ただの道案内。それを終えれば、終えれば――どうしたらいいのだろう。
消える神を見届けて、それで、その後は何をどうすればいいのだろう。
『最期の、お願いだったから』
最期、最期のお願い。数多と救いを求められる神が、最期と決めた願い。
そのちっぽけなお願い、誰も叶えようとはしない。邪魔しかしない。
どうして、どうして、どうして、どうして――。
『――おやすみ、ゆずとくん』
神は、ただ、終わりたかったのだ。何故、誰も理解しない。しようとしない。
終わったのだ。神の役目は、とうに終わっているのだ。
星の存亡? 世界の均衡? 調和を整える? ――どうでもいいことだ。
「ッサクラ! 一旦、離れるぞ!」
「は、はい!」
星の半分を覆い尽くす勢いでディアスキアの身が膨張する。それでも、神域に守られた神の周囲には何ら影響は無かったが。
神は目覚めた。こちらへと向かっていることはディアスキアもとうに気付いていた。
「――神ヨ、オ許シクダサイ」
ディアスキアは、ただの道案内でしかなかった。
それがいつの間にか永く在ってしまったせいで、要らぬ感情が芽生えていた。
「消ス、生命、須ラク」
片言で零したのは、わずかに残ったディアスキアの強い意志であった。
――これからすることは、神の望むことではない。
「私ヲ、許シテ……」
神は星と生命を再生、再構築するつもりなのだから。
――神を、生贄に滅して。
「ァァァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
そんな終わり、あんまりじゃないだろうか、とディアスキアは思う。
生命さえ、生命どもさえ居なければ、神だって生まれ変われ――。
――ブシュッ
「ア、ぁ……?」
核が、貫かれた。ディアスキアを構成する、要の核が――。
「――悪ぃな、陛下」
ディアスキアは、声の主が誰であるかと悟ると同時に、満面の笑みに綻んだ。
応援ありがとうございます!
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