らぶさばいばー

たみえ

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占星鍛冶士

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 ゴォォオォオォオ――風鳴りが、牡丹を圧し潰すように纏わりつく。

「――くッ」

 流るる視界の景色はあまりの速度に原形をとどめられず、歪み走っている。

「ぅらァッ!」

 ――ガッ! ガガガガガガガガガガッッッ!!!

 抜き身のまま掴んでいた柄を上下左右も分からないようなとんでもない速度の中で、こっちだと囁く勘に身を任せ、瞬時に全力で大地のほうへと勢いよく刃を突き立てた。
 そうして飛ばされながらも地を大きく抉り滑り、やっとのことで牡丹は減速態勢へと入ることが出来た――が、吹っ飛ばされて刹那も経っていないというのに、既に神からとんでもない距離を離されていた。
 ……今さら神の御許へ戻ろうとも、既にその場に居るかどうかすらも怪しい。僅かコンマ数秒の出来事であったというのに、らしくない油断を――。

「――滑稽じゃのぅ」

 かつてはを持っていた、同朋の嘲る声がした。

「――――」
「もう居らぬよ。分かっておるじゃろうて」

 ――ダッッ!!!

 ……まだその場に神が残って居るかどうかなどということはこの際、牡丹にとって大きな問題ではない。たとえ居なくとも、すぐさま話であるのだから。
 ――故に、考慮する必要もなく即座に同朋へと背を向け、元の場所へと戻る為に力強くも大きい一歩を全力で蹴り出した。

「ふむ。妾たちの仲で無視するとは、冷たいのぅ――無駄じゃよ、ぼうたん」
「……む」
「ようやっと、気付いたようじゃのう」

 何を言われようとも無視して神の御許へ何としても馳せ参じようとしていた牡丹であったが、足を力づく蹴り出して進む途中で急激に曖昧になっていく神の気配に気付き――さすがに神の気配を追いかけるには、と思い直して足を制止した。
 牡丹が無表情のまま振り返り見れば――かつての同朋がいかにも予想通り、と言わんばかりの笑みを浮かべて得意げに牡丹を見下していた。

「なんぞ、妾に対して大いに文句でもありそうな顔じゃな」
「…………」

 力み過ぎてか、答え代わりに牡丹の全身の筋という筋が綺麗に浮かび上がる。
 その様子を嘲笑で見下しながら同朋――が嗤う。

「お主、知っておるか? ――古来より、突貫ばかりの猪突猛進な猪武者を相手するに際し、総じて搦め手や奸計がよう効くものじゃったと」
「――――」

 キン――抜き身のまま、柄を握っていた滅封刀を鞘へと仕舞いゴキ、ゴキ、と全身のコリをほぐすように牡丹が事前を始めた。
 神が為に全力となっていた己を抑制する――の、準備を。

「――良い判断じゃ、妾がおれば神追う道中はのじゃから」

 ……カサンドラ。かつては同じ志を持っていた、牡丹の同朋。
 堪え切れず、あれほど忌避した神ころしをいつしか扇動するようになった魔女。

「何せ妾の能力は魔女らの中でも稀有」

 自嘲するように、牡丹が足を止めた理由を諳んじる。

「唯一無二であり、お主らにとっては至宝そのもの」

 カサンドラの能力が無ければ、全ての前提が覆っていた――変わっていた。
 ……牡丹も、こうして今の今まで在ることすら不可能であっただろう。

「かつて神らにも重宝された能力も今や――その業や、占星鍛冶士」

 軽い未来視も可能とする魔女の、更に遥か果て先までも視解く神と力。
 そして――。

「――見殺し捨て置くにはあまりに稀有な能力が、惜しゅうて仕方がなかろうて」

 それすらも凌ぐ――神すらも素材に凄まじい能力。
 ――滅封刀もまた、カサンドラたち一族のであった。

「かつての妾の一族が潔い滅亡を選んだのは、正解じゃった」

 それに抗ったのは、カサンドラであった。

「――妾の瞳に映る、この世の全てがみにくうてしようがない」

 皮肉と自嘲、後悔の混じる歪な笑みを浮かべた表情の中、ゆらゆら揺れ動く、その赤い瞳の奥の揺らめきはカサンドラたち一族の特徴であった。
 ……たとえユストや牡丹と同じく、何度も何度も何度も何度も――実体を変え、他と司源たましいが混じようとも不変。
 その揺らめきだけは、どう抗ってもどうにも変わらぬ唯一無二の特徴であった。

「……なんじゃ、変わらず薄情なやつじゃ。つまらぬ」

 カサンドラを語らせている間に、顔色ひとつ変えずに牡丹は準備を整えていた。
 特化した代償にか、稀有な能力に比べカサンドラはあまりにも――他が貧弱。
 牡丹のような戦闘特化とは真逆も真逆の存在であった。

「問答無用でござる故に」

 カサンドラを倒すのは容易なことだが、万が一にも倒すわけにはいかなかった。
 ――神の加護によりことこそ幸いか。

「――生け捕り、道標とする故に」

 言葉少なに零し、カサンドラに向けて牡丹は一歩を踏み出――。

「ぬぅお!?」

 そうとした牡丹の足元が突如、広大に。予兆も何も感じられなかった。
 咄嗟に原因を探れば、近場で新たに創ったらしき未知の武器――鉄扇を取り出し扇ぐよう斜に構えたカサンドラの仕業だと、巨大な穴底の闇に落ちながら遅れて牡丹が気付いた。

「……先に言っておろうに、やはりド阿呆の突貫バカじゃ」

 最短を選ぶ冴えわたる勘――判断までは良かったが、何故か誰何の実力差を過信し、それ以外を考慮していないのはどうなのか。
 真正面から堂々と襲おうとした牡丹に対し、呆れた声音でカサンドラが呟いた。

「お主はともかく――妾は時間稼ぎが出来れば上々の成果じゃというに」

 鉄扇で口元を隠すようにして、奈落に呑み込まれる牡丹を上から見下げ送る。
 そしてまるで怖いもの見たさかのようにちら、と穴底に落ちる様を覗き告げた。

「カァ――ッ!」
「おっと、すまぬ。妾はこれから雲隠れせねばならぬ故。鬼ごっこは苦手でのう」
「サンドラアアアアアアアアアァァァァ――ッッッ!!!!!」

 無表情をらしくなく憤怒と焦燥で染め上げ、深い底へと牡丹は落とされていく。
 本当に、無意識に驕る腕自慢な強者に対してはピカイチに効果覿面であった……かつて、この手の罠が一番効果的だと豪語していたとある魔女の懐かしい姿を久々に思い出しながら、カサンドラは背を向けた。

「……ふむ。さて。妾の視通しでは、あちらが最もよき隠れ場じゃな」

 ◇◆◇◆◇

 ヒューヒュー、鳴るのは大穴を通る風の、空気の反響音か。牡丹のせいか。
 ――空洞の中心に在るまま、情けなくも落ちる以外に出来る事は何も無かった。

「――――」

 魔女は、生まれた頃より少なからぬ得意不得意があったとしても大体の魔女の基礎能力が使用可能であった――が、特化型の魔女に関してだけはまた別の話。
 カサンドラしかり、牡丹しかり、その他の魔女らの追随を許さないほどに圧倒的で凄まじい特化能力が行使可能である代償に、魔女ならば誰でも平均的に行使可能な他の能力は大のであった。

「――――」

 ……つまり、という魔女の基本が、あまりに繊細過ぎる制御であるため牡丹は大の苦手である。
 故に壁にも届かぬど真ん中で、腕組み落ちるがまま以外に出来る事は何も無い。

「――――」

 ドォンンンンッッッ!!!

 やがて、それなりの縦穴は終着した。牡丹の仁王立ちしたままの着地によって。
 終着後も微動だにせず、瞼は閉じられ腕は組んだまま――巌の如く、沈思黙考。

「――こんな簡単な罠に引っ掛かっちゃってまあ、恥ずかしくないのかしら」
「――――」

 穴底の暗闇奥から、紛れていた魔女が言葉と共に現れる。

「もしこれが私なら、あまりの無様に羞恥でそんな堂々と顔を上げられないわよ」

 嘲笑うでも呆れるでもなく、ただ淡々と真顔で辛辣な言葉を牡丹へ零した。
 それに対し、腕組み瞼を閉じたまま眉を顰めて唸るように牡丹が声を出す。

「……霊器は容易に扱えぬ、己を擦り減らす激物でござる故に。アザレア殿、」
「うっさいわね。いちいち小言で注意されなくても知ってるわよ、そんなこと」

 闇夜から現れた魔女――アザレアは、鬱陶しいと言わんばかりの表情であった。

「当然が如くの格下以下な扱い――心底、癪に障るわ」

 ――穴底に僅か差し込む月明かりに照らされ、その異様な姿が浮かび上がる。
 閉じたままだった瞼を薄く開きながら、射貫くように牡丹はアザレアを

「アザレア殿、霊器は」
「――そんなことを気にする仲でも無いでしょう?」

 ハッと思い切り鼻で嗤って後、アザレアが穏やかに言葉を付け加えた。

「それにこれは、霊器なんて上等なものじゃないわ――器よ」

 す、とそのアザレアの説明に目を眇めて警戒する牡丹。
 それは何故なら――牡丹が知るのが霊器、神器についてのみだったから。

「命器――紅杜躑躅アザレア

 バシン、バシン、とを――の背から伸びた先端を地に叩き遊ぶ。
 ――その存在感は、いずれの霊器にも劣らぬほどに物々しかった。

「私の司源たましいを糧に――やがて霊器と成る、屑以下のガラクタよ」
「――――」

 アザレアのどこか投げやりな態度に、牡丹は思わず顔に渋く皺を寄せた。
 ――理解したからだ、牡丹の行動如何に関わらずこの魔女はなのだ、と。

「……拙者が言うのでは口憚るでござろうが、故に」
「それに何の意味があるというの?」

 言ったでしょう――とどこか遠くを見ながらくす、と微笑むアザレア。

「あの子は、私にとって妹みたいに愛しい子なのよ」

 あの子のが消える運命でしかないのなら、私も一緒に消えるわ――。

「……たとえ偽物であっても、本物を愛して何が悪いというの」

 ……この身が偽物であることを、もなお――を怨む事も、呪う事さえも考えすらしなかった。偽物……たとえそうであったとしてもただ、妹と想う子が健やかに――幸せであればいい、ただただそれだけで良かったから。
 ――アザレアは、生まれた時から天涯孤独だった。

 偽物の中でも、ひとりぼっちだった。さらにいえばのせいで、魔女らにもずっと遠巻きにされ疎まれていた。
 ダリア様にも大層世話になったが、それは全てが打算と事務的なものであった。だから、アザレアの世界はいつまでも色褪せていて――それなのに、気付けば何よりもその娘こそが唯一アザレアを愛してくれたから。何の見返りもなく。

 あまりに裏表なく、真っ直ぐ素直にアザレアを家族のように慕って愛してくれるから。……いつしか、アザレアが本物か偽物かだなんて関係なく愛してしまうには、ただそれだけの理由で良かった。
 ――感情が無いから、なんだというのか。全て偽りだから、なんだというのか。

 たとえその全てが、かつての記憶の残滓によるものであったとしても――その言動こそが愛に満ち溢れたものであることに変わりはない、それだけでアザレアは心満たされたのだから。
 だからこそ……その理由が何であれ、愛しい妹が消えることを選ぶというのであればアザレアもまた、どこまでも付き合い――共に果てるまで。

 それこそアザレアが思い描く――愛の返礼。

 ……だから、今もこうして無謀にも牡丹の前にも立ちふさがっているのだと……その揺らがぬアザレアの刹那に芽吹いただけの儚い心を、譲れぬ想いで気が遠くなるほど永く在る牡丹に対し、敵対するよう構えることで不退転の意思を伝えた。
 ――殺すなら殺しなさい。無視するなら無視して行けばいい。

「雁字搦めでお困りものね。頭が固いったらないわ」

 アザレアを放置しても、牡丹にとっては何も問題はない。
 魔女の自殺を見届ける義務も、介錯する義務もまるで無いのだから。
 とはいえ、――。

「――捨て置けば、カサンドラへは一向に辿り着けぬ故に」

 ここで足止めの為に出て来たことに、意味がある。
 アザレアのように狡猾な魔女が、わざわざ自殺宣言の為に出てくるわけがない。
 ――それは先ごろ、こんな単純でしょうもない罠にあっさり引っ掛かってしまった牡丹であっても、察するに余りあることであった。

「……ふん、良く気付いたじゃない。頭が使えないのかと侮ってたわ」

 挑発しつつも――最初にカサンドラを無視しようとし、更にその後にしょうもない罠に引っ掛かった牡丹ならば、アザレアが捨て置かれる可能性の方が割合高いだろう……と諦めるように考えていたアザレアは――途端、高揚し饒舌になって牡丹にを突きつけるよう、高らかに告げた。

「――私の命器が霊器に近付けば近付くほど、結界領域は狭まってる」

 今も普通に結界の影響無く牡丹は突っ立っているように見えるがそれは、別に牡丹への結界効果が切れてしまっているから、というわけでは決してなかった。
 ――むしろ徐々に、徐々に結界の影響は鬱陶しい程に強まっているはずだった。

「解除するには、結界のである私をしか方法は無いわ」

 あちこちでたらめに吹っ飛ばそうと作用する結界の力を、その場を動かない牡丹の対応力が異常なだけで、本来ならば立っていることすらままならないはずであった。
 今ならばたとえ牡丹に大きな致命傷は与えられずとも、一方的に大勢の魔女で囲んでボコボコに攻撃出来るだけの状況は整えられているようなものだった。
 ただ、他の魔女には全て遠慮するよう控えてもらった。……アザレアの我儘だ。

「……けれど私を殺せば、その刹那に結界内にして道連れよ」

 それは別に、魔女たちの未来を想ってだとかいう高尚な理由などではない。
 ――意趣返し。格下と侮るに対する、偽物の魔女としての矜持だった。

「あなたは耐えられるでしょうけど……はどうかしら」

 結界内にはアザレアと牡丹、そして――カサンドラのみ。
 ……結界から除外する設定にしてはあるが、領民たちには念の為に他の魔女らと共にとっくの昔に遠くへと避難してもらっていた。
 あのいけ好かない男も特別に除外されているから――ぐっすりのまま放置。

「――見物みものね? 手も足も出せない御気分はいかがかしら。私は最高に良い気分」

 万が一にも牡丹に仕掛けている罠を気付かれないよう慎重に、神経質に警戒しながらも策を着々と進めたが――腹立たしいことに、その必要はまるで無かった。
 ……何せこの朴念仁は終始、他には目もくれず神に一途で、全く周囲に気を配らず泰然自若に余裕綽々とした構えで、まるでこちらのことを微塵も気にしていなかったのだから。

「あら? どうかしたのかしら? ――顔色がとーっても悪そうね!」

 勘頼りの全任せで薄々と気付いてはいただろうけど……遅ればせながら、単純思考でもやっと牡丹の旗色が圧倒的に悪い状況であることが理解出来たのか、その顔はとんでもなく渋いものに変化していた。
 私を殺すことは造作も無いことだろう。だが、それをすれば追い付くためのな牡丹は途端にそれを失う。
 ――あの魔女は特化型である引き換えに、あまりにも貧弱軟弱に過ぎるから。

「こうしてる今も、領域はどんどん狭まっているわよ――?」

 このデルカンダシアを覆うほどに巨大な領域結界は、何代も何代も何代も掛けて偽りに狂った魔女たちが命掛けで永らく構築してきたそのもの。
 たとえ本物の魔女であろうと――全て偽りであったとしても、神の創造より生まれたの魔女らが深く沁み込んだ結界を壊すのは並大抵では不可能な業。
 ――だから牡丹は、何もすることが出来ない。この場に釘付けだ。

「どうしてお友達を探しに行こうとはしないのかしら? 本当に薄情ね、最低」

 それが出来ない理由であるアザレアが嘲るように言ってやれば、牡丹は渋い顔をしたままでアザレアを強く睨みつけた――やっと敵であると、認識した。
 アザレアはただ、命器が霊器になるのを待てばいい。たったそれだけで時間稼ぎという充分な大役が果たせる上に、最期には愛しい子と同じように出来るのだから。
 さあ、どうする――無視してもせずとも、神は到底追い付けない先へと遠退く。

「なんと、悪辣な……」
「魔女に何言ってるのよ、そんなだからこんな子ども騙しの罠に引っ掛かるのよ」

 このどうにもできない状況に、焦りからか牡丹が唸るように言葉を零す。

「はやまった覚悟でござる故に……」
「ハッ」

 言うに事欠いて、あまりに幼稚で苦しい説得の言葉だった。説得、ですらない。
 そんなだから神にフラれるのだ、とアザレアは牡丹を一笑に付してやった。

「前から思っていたのだけれど、あなたって口説き方がまるでなってないのよ」
「…………」

 アザレアの痛烈な感想に、牡丹が押し黙った。心当たりがあるらしい。
 それからフン、とアザレアが鼻を鳴らし――やおら胸元に両手を重ね合わせ、上気した頬に妖艶な笑みを重ねて首を傾げ、吐息に紛れて熱の籠った言葉を冷淡な闇夜に落とす。

「――だから私と一緒に、ここで果ててくれるでしょう?」

 アザレアはお手本を見せるように、心からの言の葉で牡丹を熱烈に口説いた。
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