らぶさばいばー

たみえ

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好きなもの

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『――あのお城、あげようか』

 聖浮城セントフルトアへ向かう道中、遠目に見えた美しい白に目を奪われているとふと、なんてことないように軽く聞かれた。
 いらない、と答える代わりに肘で横腹を小突いてやる。

『城なんかよりも、お花のほうが嬉しいと思うよ!』

 私達の様子を見ていたロータスが気を利かせたのか、そんな風に茶々を入れて自分も早速と有言実行で婚約者に贈る花を吟味しながら摘まみだした。
 仕事中であってもお花摘みを優先する習性でも彼らにはあるのだろうか、と私はそれを見て考えていた。

 考えていたら、直前に小突いたまま放置していたというのに少し期待して自分にも花を贈ってくれないだろうかと、気付けばちらちら横を見やっていた。
 先ほどの仕返しか、少し沈黙した後に言われたのは――。

『枯れるような想いじゃないから――』

 ――花は贈らないよ、と。

 ……そういえば花に関連した、思わず砂糖を吐いてしまいそうな言葉を言われたことは一度たりとも無かった、ような……そんな気がした。
 それを聞いたロータスが摘まみかけの花を手に暫し唖然とした後、囃し立ててきたけれど……私はといえばその言葉に大量の冷や汗が零れ――これはまさか、お花を育てようと言った私の逃げに対する強烈なアンチテーゼかな? と――再び、気まずい空気のまま過ごすことになってしまって……。





 ……ぽた、ぽた、ぽた、――。

「――――」

 ……静けな夜に、似つかわしくないほどに荒れ狂う激情が傍に寄り添っている。

「――――」

 ぽた、ぽた、ぽた、――。

「――――」

 わたしが居るのは領地にある私の部屋であると、すぐに分かった。
 不意打ちで気絶してしまった後、わざわざここまで移動してくれたみたい。

「――――」

 ぽた、ぽた、ぽた、――。

「――――」

 少しづつ、少しづつ、覚醒していく。明瞭に同期する。
 ……この世界に在る、わたしの為だけのに。

「――――ッ」

 強く握られている手を、優しく握り返して応えてあげた。
 ただそれだけで、傍に在る激情はきつく絞られたように螺旋模様に変化する。

「……悲しいね。辛いね。苦しいね」

 ぽた、ぽた、と寝台に横たわるわたしの手にしたたう、小さな雫たち。
 目を開け、天蓋を見つめたまま伝わる感情をそのまま言葉にして零してあげた。

「痛くて痛くて、今にも張り裂けそうだ」

 ゆっくりと、言葉を零しながら上体を起こして彼の頬に手を添えて微笑んだ。

「――泣かないで」

 ぴくり、怯えるように震えた彼から零れる雫を拭ってあげる。

「すごく、すごく頑張ったんだね。えらいえらい」

 大変だったはずだ。
 だから労うように頭を撫で、慰めてあげた。

「……いかないで」

 潤んだ瞳を逸らさないで、真っ直ぐに純粋な言葉で希う。
 ……かすれた言葉に宿る想いは、言われなくとも知っていた。

「ごめんね」

 知っていた。知っている。――ただ、それだけ。
 何の影響も受けない。何も感じない。ただ、代わりに求める相違を伝える。

「わたしは紫苑シオンじゃないよ」
「――っ」

 そんなはずはない、そんなことはない、と切実に叫ぶ彼の感情が迸る。
 とても大きい感情だった。空を、海を、大地を眺めるようにその大きさを測る。

「あなたがように」
「僕は……っ」
「うん。分かってるよ。大丈夫、大丈夫」

 揺らぐ大きな感情を安心させるよう軽く抱き着きぽんぽん、優しく背を叩いた。

「ここ、すごいよね」

 気を紛らわせるために、少し話を逸らした。

「わたしの好きなものでいっぱいだ」

 美しい景色、生物、魔法。どれもこれも、全部。
 ぶわり、細かな感情が大きな感情の波を足早に駆け巡ったようだった。

「好きなもので、いっぱいだ」

 繰り返し聞かせるのは、慰めるため。不安定に揺らぐ感情を整えるため。

「大好きなものでいっぱいの、とても幸せな嘘だ。とても幸せな」

 わたしが私だった頃の記憶。それを元に象られた幸せな世界。嘘の世界。
 曖昧だった世界はわたしが目覚めてもう、

「イベリス・アイヴィ・アリウム=アイオーン」
「――っ」

 何故、今。と彼の恐怖が膨れ上がった。

「イベリス」

 恐れることは無い。これがあなたのなのだから。

「あなたはゆずとくんじゃない」

 訥々と言い聞かせるように、穏やかに背を撫でて沁み込むように告げる。

「わたしの記憶にゆずとくんの断片から派生した、ユストでもないよ」

 もう、全くの別物だ。同じじゃない。同じにはなれない。

「気付いてるでしょ」

 己が誰であるのか、歪に想いだけを受け継ぐから混乱する。困惑する。
 だから曖昧なまま、そこに

「何度生まれ変わっても、二度とゆずとくんにはならない。なれないんだよ」

 世界の仕組みを紐解けば、完全に一致させる為には途方もない時間が掛かる。
 神ですら、途方もないとする時間が、掛かる。掛かってしまう。
 もしそれを遥かな時の果てに成せたとして同じ記憶を、感情を辿ることは無い。
 ――だから、ならない。なれない。そういう仕組み。

「だからわたしも、紫苑シオンじゃないよ」

 ましてや生まれ変わることが出来ないほど消耗したわたしは、なおさら無理だ。
 ――消えてしまえば、再生も一致も何も成し得ないのだから。

紫苑シオンだったわたしを記憶で模倣しただけの、お人形さん」

 ゆずとくんの魂は、既に遥かな昔に
 ここに在るのは、わたしの記憶を元に再現した虚構に過ぎない。

 ――それでも、虚構でも世界は世界だから。
 曖昧から確固としたものへ変化させれば、ここは在り続けられる。
 好きなものでいっぱいの、かつてのわたしの記憶から生み出した世界が。

「ごめんね、わたしが行かないとこの世界は終わっちゃうから」

 生み出した世界を崩壊させるわけにはいかない。それは意義なのかもしれない。
 神が在るのは、調和の為。世界の調和を保ち続ける為。存在意義そのものだ。

「――終わらせればいいッ! 君が消えるくらいならッ!」
「そうだね」

 人の道理では、死も同然な自我の消失は恐ろしいものだろう。
 だけどわたしはもう人じゃなくて神なのだから、それは関係ない道理だった。

「わたし以外が消えたら、わたしも消えるけど」
「っ……」

 世界の為に在る神が世界を失くしたら、神はいらない。いらなくなる。
 どのみち出来ることは少ない。

「っなら何で僕の名を呼べなかったんだ! 未練があるからじゃないのか!」
「そうだよ」

 荒れ狂う感情の波が押し寄せてくる。砂を浚って引く波を見送るように告げた。

「未練だよ」

 呼べなかったのは、記憶に在るかつてのわたしならそう行動しただろうから。
 だって名を呼べば、微細なゆずとくんの痕跡すら否定することになるから。
 ただそれだけの理由。――わたしの感情じゃない。

「でもわたしの未練じゃない」

 理解出来ない、と離れながら頭をくしゃくしゃに掻きむしる様子を見守った。
 そうだね。感情に囚われた生命に、感情に囚われない神は理解出来ない。
 たとえ理解出来ても拒絶する。否定する。到底、納得し受け入れられない。

「わたしはお人形さんであって、人形遣いじゃない」

 ……神にも引けを取らない、微細なコントロールでもって膨大な感情エネルギーを完璧に操って、空の器へと注いで注いで注ぎ続ける、僅かに多くても少なくても即座にわたしにバレてしまう綱渡りを延々続けた。
 そんな絶妙な匙加減で注ぎ続け、注ぎ続け、今までただただ記憶を模倣するだけの虚無だったはずのわたしにさも、元から彩が豊であったかのように錯覚させたのは並大抵の御業では不可能だった。
 わたしにバレないよう操るなんて、そんなことは神に等しくないと出来ない神業キセキ

「一切の違和感を抱かせないように操られていただけの、空っぽのお人形さん」

 ただ、あの子の仕業ならとわたしは知ってるから。
 ……ここで気付かせたのは、かな。

「わたしはずっと、何も感じてないよ」
「――――」

 ギャリ、と強く噛み締めた音が響いた。

「痛いね。苦しいね。悲しいね。辛いね。分かるよ」

 それがどんな感情なのか。理解出来る。想いが分かる。伝わる。
 ただ、それに対してわたしは何も感じない。感じられない。出来ないだけ。
 ――神とは、ただそういう存在なのだというだけのこと。

「でもわたしは、お人形さんだって気付いちゃったんだよ」

 この世界で神でなく人としての感情らしき感情を久しく感じられたのは、である彼女が急接近して、その時に負ってしまった怪我の痛みが最後だっただろうか。
 ――それもすぐ、彼女から離れてけど。

「わたしを私に留めていたの存在が、から」

 ちょっと歪ではあったけど、確かにわたしを知る最後の子だったから。
 わたしをこの世界へ留めるには、必要な子だった。

「だから行かないと、全部消えちゃう。わたしの好きなもの、全部」

 好きなもの、その記憶の全てをここに、わたしが消えるだけでいい。
 わたしと一緒に、消える必要のないもの。ここに、この世界に置いていく。

「――ここに居ればいい。好きなものに囲まれて、ずっと、永遠にッ!」
「できないよ」

 少しずつ、少しずつ、終わりが近付いている。
 神にしか分からない、破綻がもうすぐそこにまで迫っている。

 ――時間の関係無い次元に存在する神にとってさえ、この破綻は喫緊だった。

 一直線に伸ばしに伸ばし、限界まで延びた線がとうとう千切れるような切迫。
 千切れれば、がはじまる。そう決まっている。。覆せない。

「ごめんね。でも、このはちゃんとからね」
「……っそんなのは君じゃない、ただの抜け殻じゃないか――ッ!」

 声の限りに叫んで、枯れてしまいそうな発露。

「そうだね。ごめんね。でも紫苑わたしはもう居ないんだよ、
「――ッ」

 通じない、通じ合えない。そんな想いがひしひしと伝わってくる。分かるよ。
 あなたはわたしを想ってる。ゆずとくんの断片から更に粉微塵になった想い。
 受け継がれて引き継がれて、何度も何度も何度も――残ってしまう不滅の想い。
 ――だから残していくんだよ、ここに。ごめんね、ゆずとくん。

「泣かないで」

 ぽろぽろ、ぽろぽろ、言葉もなく涙を零す。
 何を言えば引き留められるのか、何をすればわたしに届くのかと乱れる感情。

 ――届いているよ、全部。想いの全部。
 ただ、届いても感情の無いわたしを揺さぶることは出来ないけど。ごめんね。

「どうすればいい、どうすれば君は君のままで在れる。在ってくれる」
「できないよ」
「――ッ僕は!」

 認めない  認められない  認めたくない  君 苦しむ 見たくない  悲しむ 見たく ない君 だけ 消えるなんて 嫌だ  嫌だ嫌だ  君の傍 いたい   幸せ 笑う君をただ 見て たいだけなんだ  世界 どうなろうとも僕が  どうなろうと も構わない   世界 滅んだところでど  うでもいい   シオンさえ無事  なら世界  消えて   どうでもい    君以外 心底どうでも  い  興味 無い   君  最も好  君にとって  美し  環境 整えた のに   君に 害 なるもの 二度  近付かないよう 処理した のに  やっと 何者  も邪魔され ず 君  近く 居られるのに  綺麗 だけ  見て  感じて て ほし  君を どこか 隠して  おきたい   逃げられ  ないよう 閉じ込め  ておきたい  邪魔するモノ   何もない 場所で二人 だけ ずっと   君が望む なら 僕は僕  を殺し  てでも 全て 君の望む  まま何でも 叶える   僕を殺して  拷問して   軽蔑して 構わない   好き ならなくて   いい 邪険 してもいい  顔も身体 声も言葉   性格 全部全部  君の好きに 変える   お願い 全部全部  我慢  す から お願  だから 僕は 何でも  我慢 出来  心  引 裂かれ  たよう 凄く  苦し  願い 嫌 嫌だ  君 苦しむ 姿  見たくな  が悲しむ を見たく ない だけが消える  なんて 嫌  不公平  君の傍 いたい お願い  だよ ただ君が  無事なら  それだけで  いい それ以外  僕 望む  なんて  な お願  他 なんて  いら ない 僕を  一人   しないで  君だけ なんだ 僕には   君しか  いないん だ だから いかない で――ッ。

「ごめんね」

 ――『僕は、』

「あなたはゆずとくんじゃない。なれないんだよ」

 ――『君に……』

「だって、ゆずとくんは最期に」

 ――『僕を、』

「わたしにお願いしたんだよ」

 ――『忘れ去ってほしい』

「忘れて、って」
「――――」
「あなたと想いのままで、わたしにお願いしたんだよ」

 神に嘘は通じない。感情の全てが否応なく分かってしまう。伝わってしまう。
 だからたとえ想いが同じであっても、同じじゃない。同じにはなれない。
 ……歪に想いをそっくりそのまま受け継ぐだけなら、簡単だった。でも、違う。
 こんなにも、違う。違ってしまう。だから、――。

「わたしもあなたも、同じだけど同じじゃない」

 空っぽか、空っぽじゃないか。ただそれだけで。

紫苑シオンじゃないし、ゆずとくんでもない。なれないんだよ」

 はくはく、口を開けては閉じてと繰り返して言葉を失う。
 ……あなたが求める紫苑わたしはもういないけど、その記憶だけは置いていくね。

「ごめんね」

 あなたが歪でも想いを受け継いだように、わたしも紫苑わたしの記憶を残していくよ。
 だから大丈夫。きっと大丈夫だよ。大丈夫。

「あなたたちを――あなたを愛せなくって、ごめんね」

 気に病まないで。だって元々、この世界は存在してなかったのだから。
 わたしを残す余地なんて、本当はどこにもなかったはずなんだよ。
 ……、世界が出来てしまったけれど。
 わたしが消えても紫苑わたしの欠片は残るんだよ。これは凄いことなんだよ。

「――おやすみ。イベリス」

 わたしの言葉に茫然自失とする姿に近付いて、穏やかに微笑みかけた。
 今にも暴発してしまいそうな激しい感情の波を宥めるように、落ち着かせる。

「目が覚めたら、この世界に置いていくシオンを、あなたを、」

 やめてくれ、と絶望し怯える感情に寄り添うように瞼にそっと手を添えた。
 ……次に目が覚めた時、ひどく悪い夢を見ていたことにしてあげる。

「――あたたたちだけの想いで愛してあげてね」

 涙を零しわたしを見つめ続けながらも――ふ、とあっさり意識が遠退いた。
 あっけない、お別れ。わたしが寝ていた場所に、運んで寝かせておく。

「……ありがとう」

 月明かりも届かない、暗闇に背を向けたままで告げた。

「待っててくれたんだね、

 微動だにせず、静かに佇む荒れ狂う激情だった。
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