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誰が為の奉迎
しおりを挟む――気に入らない。
「――このような場所に隠れて何をしているのかしら、臆病者」
「――――」
四方死角となる木陰に背を預け、大事に武器を抱え座り込む姿に心底苛立つ。
――そんなもの、縋って何になるのか。
「最低の屑ね」
「……ふ、そうであろう」
蔑んだ目で見降し言ってやれば、その通りだと肯定される。
――最低の屑。
「自覚がおありなら、消えてくれないかしら?」
「――それだけは、ならぬ」
最低である覚悟はあっても、その最低を貫き通さずやめる覚悟は無い。……この世に二人と存在していないだろう最低最悪で、真正の屑。
――その最低最悪な覚悟の向かう先には、特別な方がいらっしゃった。
「なら見ないで下さる? 減ってしまうのよ」
「…………」
――あの方の幸福が。
「あなたが近くに居るだけで忌まわしくて気分が悪くて、狂ってしまいそうだわ」
「……司源が擦り減っているからでござる故に」
「うるさいわね」
あの方のためなら、なんでもする。なんだってやってのけてみせる。
――あの方のおかげで存在出来ている分際なのだから。逆らうなど浅ましい。
「お行儀の良い正論なんて聞きたくないわ――大嫌いって意味よ、これならご理解頂けるかしら?」
「うむ」
何も響いていないのが分かる相槌だ。――本当に苛つく存在。
「……付いていくつもりでしょう」
部下に補佐を任せてはいるが、全ての状況――着々と進められていく盤面はよくよく視えている。
……あの方の為の、幸福の盤面が。
「無駄な足掻きは企まないことね」
「…………」
「あなたのほうが、私よりも理解しているのでしょうけれど」
忌まわしい存在。その最低な行為の意味を理解すればこそ、より蔑むべき存在。
もし邪魔をするのであれば――たとえ己が消えても、必ず道連れにしてやる。
「……なに故、そこまでの献身――執心を終焉に捧げられるのでござろうか」
「ハッ!」
確かに、魔女としては有り得ない境地だろう。
「前例がいくつもあるじゃない」
「実例など何一つ知らぬでござろう」
「でもあるのでしょう――あなたの反応もそう示しているのだから」
「…………」
真面目なのが取り柄なのかしら? いちいち言動、態度が鼻につくわね。
「ふん。たとえそんなものがなくとも、私がそう在るのだと認識していれば済むことなのよ――最低の屑がそうして誤魔化しているみたいに」
「――そうでござるか」
「ええ、そうよ。あなたのように、くだらない理由ではないけれど」
本当にくだらない。最低な理由。己の意義に忠実で面白味もない最悪な理由だ。
あの方を特別に想うのならば、捨て去るべきものだ。
「……私は、妹のように愛してるわ」
不敬だけれど。
「だからその幸福が、願いが私の望みなのよ」
「――――」
……冷たい、眼差し。本当に最低の屑よ、あなたは。
「私の愛する妹を不幸にしないでちょうだい」
「――不幸かどうかは、拙者の慮る命題ではござらぬ故に」
本当に、
「最低の屑。消えて」
「ならぬ。拙者はただ、拙者の果たすべき役目を全うするのみ故に」
どれだけ惨いことをしている自覚があろうと、その一線を譲ることは無い。
――決して、その最低最悪な覚悟は揺らがない。
「……どうして出て来たのよ。まだ猶予はあったはずなの」
「…………」
「一生を過ごせるくらいの、猶予が――あった、はずなのよ……」
……どこで間違えてしまったのか。何がいけなかったのか。
己の力のみでは、真理に辿り着けない。視えない。――禁戒に縛られて。
「……拙者は役目に準ずるまで」
「消えなさい、真面目で最低なくそ野郎」
「ならぬ故に」
本当に、最低最悪な屑。
慰めるでもなく、利用だけはしたい真正の屑よ。
「あと心にも無い言葉で、私を利用しないで」
「……すまぬ」
「あなたの謝罪なんて要らないわ。やめてって言ってるのよ」
すまぬ、とまた平坦に繰り返された。謝罪すら心籠らない、本当に最低の屑。
最低な事を平気でやるつもりのくせに、それまでは己の見栄えだけはよく魅せていたいだなんて……。
――心底、反吐が出る。最低の、畜生。
「――あなたの罪悪感に付き合わせないでって言ってるの」
「……すまぬ」
「私は嫌よ、あなたとの仲を誤解されたままだなんて。厭わしい」
「……すまぬ」
「心にも無い言葉は聞きたくないのよ、込められないなら黙っていなさい」
「…………」
……ハッ。本当に真面目な屑ね。
「……どうして私だったかだけ、教えなさい」
あの日、不覚にも倒れてしまったあの日から続く最悪の日々。
何度も怒りで我を忘れそうになり、その度に忍耐した。――あの子が喜ぶから。
「……拙者はただ」
……まさか、本気で教えてくれるとは思っていなくて内心で驚愕した。
悟られないよう、適当に聞き流すフリをする。
「ただ――その在りように、恭敬の念を抱いた故に」
「――――」
「拙者が踏み躙り続ける尊き存念に、敬意を表したに過ぎぬ故に」
「なによ、それ……」
少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた姿に、責める意志を失くしてしまいそう。
本当にどこまでも最低ね……私を、あの子を馬鹿にして……。
「最低……」
醜さなんて感じられない、どこまでも最低なはずなのに――高貴で純粋な意志。
……己のほうが惨めに感じられるほどの。
「自分勝手で最低よ」
「でござろうな」
当然であると、非難にも反論せず頷くだけ。
……高貴で真面目な最低最悪の屑。救いようがない。
「怨まれてほしいわ」
「うむ」
怨まれることなど有り得ないと知っていて、平易に同意をする。最低の屑。
「なんとも思ってないって忘れ去られてほしいわ」
「――それは、」
でしょうね。これには絶対に言葉が詰まるだろうと思っていた。……最低ね。
――利用するなら、せめて完全に隠しなさいよ最低のくそ野郎。
「何よ。忘れ去られるくらいで引け腰じゃない、甲斐性なしの臆病者」
「…………」
「黙ってないで何か言ってみなさいよ、最低の屑。まさか、この期に及んでその程度の覚悟も無かったというの? 赦されるからって甘え過ぎね――自業自得なのよ、全部。いずれそうなることは最初から分かっていたことでしょうに」
しかめ面を浮かべる様子がとても可笑しくて、心の底から嗤ってしまう。
苦悶のまま、唸るように言葉を紡ぐ姿があまりに弱々しくて嗤える。
「……拙者は、拙者の役目を果たすのみでござる故に」
先ほどの力が籠った言葉とは到底同じ言葉とは思えない。情けない言葉。
――頼りなく、抱えた忌まわしい武器に縋りつく。まるで別人のよう。
「そう。――その最低な覚悟が報われないことを心から祝福するわ」
最大限の皮肉を、晴れやかで穏やかな笑みと共に贈る。
きっと嘘の吐けない魔女からの皮肉は、この最低の屑にとっては何よりも強烈に効く毒素だろうから。
「――――」
「ふん、おめでとう。せいぜい頑張りなさいな?」
苦虫を噛み潰したような顔に満足し、その場を立ち去ろうと足を翻そうとした。
「――立ち塞がれば。容赦はせぬ故に」
「当たり前よ。何を今頃ほざいているのかしら?」
私はそんな安っぽい言葉で揺らぐほど、程度の低い魔女じゃないわ。
「あなたと違って、全身全霊の本気でもって相手してあげるわ」
「…………」
それでもきっと、届かないのでしょうけれど――。
「――だからあなたもせめて、最低の屑であっても最低限の礼儀はもって頂戴な」
「……時が来たらば、手加減など有らぬ故に」
本当に真面目な屑。無視すればいいのに、簡単に引っ掛かって。
こちらが馬鹿らしい気分にされてしまう。
「あら、そう。それは大変ね。けれど――必ず道連れにしてやるわよ」
――たとえ、己を司る源の最後の一滴までもが朽ち枯れようとも。必ず。
「甲斐性なしの臆病者になんか、死んでも負けなくってよ」
返事を待たず、今度こそ振り返らずに立ち去った。
――遠く、空に昇り始めた光の軌跡に最期の想いを載せて。
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