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牡丹と黒※
しおりを挟む深まる闇夜に、深まる不浄の気配。いくら後がないと言えども、愚かしくもこの期に及んでまで集め揃えた全ての一級品を一度に放出してくるとは……もはや、ここまであの子の誘導通りになるのも滑稽を通り過ぎて憐れみさえ浮かべたくなる。
さすが、と言うべきか。否。格が違うとはまさにこのこと。
……初めから、勝負にすらならない。なることは決してない。何故ならこれは、結果在りきの御遊戯。大した過程の意味など、ただの暇潰し。
――だからこうして、この場に在るのも全てが予定調和。
「『加減滅法――百花、ゑぐな』」
いつかの時のように、常に帯刀している刀の鍔を少しだけ押し上げて刀身を少しばかり露出させる。
そのことで渦巻いた力によって風圧が生じ、いつかの再現のようにお下げが宙に舞い上がった。
――そして鍔を完全に閉じて紡がれたのは、いつかよりも重ねた言葉。
「『磊落梅桃』」
舞い上がったお下げに飾られた、本来は手首や腕につけるバングルは青藍色を下地色に紫玉の宝石が埋め込まれている。
それがキン、と鍔を閉じてから紡がれた言葉に反応し、ふよふよと楽しそうに上下しながら点滅するように輝いた。
飾りたちから漏れ出ていたのは、どこか柔らかくも温かな光――。
暫くして遊び疲れたのか、周囲に有らん限りと濃く漂っていた濃密な不浄の気配が薄まっていくと同時に、その楽し気な二つの輝きも次第に鎮まり、光を失っていく。
まだ、足りない……。
「……うむ。拙者が叩き切る前に出て来るが吉でござる故に」
ふぅ……と瞼を伏せ、細く息を吐いた牡丹が厳かに勧告する。
先程までの苦しいほどに濃い闇は、既に穏やかな静けさに満ちていた。
「――その二人があんたの決め手か」
少しして応えるよう闇夜から浮き出たのは、この世に比類なく美しいだろう少年の姿だった。その容装はまるで、常世の闇に染まるような黒一色である。
意図して目線を伏せたままだった牡丹が瞼を少し開き、威圧するように鋭く、けれどどこか静かな眼差しでちらり、と少年を一瞬だけ見据え、そのまま天を仰ぐように顎と視線の先を上げた。
そして、――。
「――不必要な好奇心より、己が念望に傾注すべきでござる故に」
「これは手厳しい」
目線すら向けず、忠告した。
「見学も許されないのか?」
「――――」
「どうやら今は、大分機嫌が悪そうだな」
少年の確認に、返事するまでもないと沈黙を貫く。
……空を見上げる表情に、少しの苦悶と嫌悪をないまぜて。
「吸い過ぎじゃないのか?」
「――加減は、してるでござる故に」
はぁ……と気怠げにため息を零し、やっと牡丹が少年に言葉を返す。
「あっちはかなり派手に散らかしてたぞ」
「……で、ござろうな」
何を当たり前のことを……と言わんばかりに胡乱な目で牡丹が言葉を返す。
「行かなくていいのか?」
「――拙者が対峙すべきは、物の道理も解らぬ童ではござらぬ故に」
その問いにはハッキリと、まるで最初から選択の余地無しであるかの如く、断言するような言葉を紡ぐ。――否。
これは単に、ただただ己に言い聞かせるために、その為だけに強く縛るような言霊をあえて選んで紡いだのだ。
「遠慮し過ぎじゃないのか?」
ふぅ、と当たり前のことを答えるのに疲れたかのように、牡丹が深く深く、溜め息を零した。
そして己が手にする刀を、何かから隠し守るように強く抱え込んだ。
「遠慮云々等という、まるで些事な事柄ではない故に」
「怖いのか」
「――当然でござる。拙者程度など、塵芥と変わらぬ存在でござる故に」
恐怖しているのだとする言葉と、言葉通り怯えて縮こまる、まるで拠り所を失くさぬようにと必死に刀を守るように抱え込む姿とは裏腹に、俯いた瞳の中その奥には、奥底から湧き上がるような、どうしようも覆しようがない強い覚悟と決意だけが満ち満ちていた。
それを問わずとも自然に感じとったのか、少年がこれについて再度の問いをする為の気は完全に失せた。
「……そうか。あんたはそれで、本当にそれでいいんだな……?」
「あの子が確認しろとでも」
「いいや違う。これは単なる俺の興味だ。むしろ何を根拠にしてるのか不思議になるほど確信してたさ。――あんたは何があろうとも絶対に覆さない、とな」
「――覆さない、のではなく拙者が覆すことは許されず、認められていないだけでござる故に」
その言葉を最後に二人ともが沈黙し、その場にはシーン……とした静けさだけが戻ってくる。
――そう、許されない。認められない。この先の決められた結末に。何が起ころうとも、この牡丹だけは、絶対に――。
「――莎奈羅の声でござる」
ふと……さきほど無計画に飛び出して行った、シオンたちを乗せていた霊器の声を遠くから感じ取った。
不浄が広範囲に亘って晴れ薄れたので、未だ遠くあっても同朋の亡骸、いつもよりもかなり鋭敏に気配を牡丹が感じ取れたのだ。
……一直線にこちらへと近付いてくる気配を読めば、迷いなく確実にこちらへと向かって進んでいるのが手に取るように感じ取れた。
ならばやはり迷子になっていないので、乗っていないということなのだろう。
この後の展開はいくつか予想がつくが、これ以上予測する必要は無い。
――そう、すべては決まっている。決めるのは己ではないのだから。
最も大事で、何を置いても最も優先すべき重要な事柄は――然る時、然るべき場所で、然るべき牡丹が果たすべき役目を、――たとえ何を想おうと、何を煩おうとも、何を差し置いても……必ず、必ずや残された役目を全うし果たすこと。
ただ……ただ、それだけのことなのだ。
それを……役目を果たすに利用するにしても、あのような稚拙な約束に縋るなどと本当にあの牡丹がと、聞いて呆れることだろう……彼女たちならば。今やこの存在自体が滑稽そのものだ。自嘲すら浮かんではこない。
――そうして己を縛ることでしか役目を果たせぬだろう、己の欲深さの底がこれほど知れないとは。反吐が出る。
もしもこれらが我が身可愛さ故のことならば、まだ良かっただろう。しかし実際は救いようのない、――どうしようも救いようがなかったのだ。
まさか、いくら薄れようとも己の司源に刻まれた意義が、これ以上ないほどの欠陥であるくせに、これほどまでに疼くとは――。
「――む。シオン殿の学友が二人でござるか……」
どうやら多少の怪我はしているようだが、死んではいない。
……あちらに言わせれば、この程度の配慮は当然のことなのだろうが。
「……まだ、何かあるでござるか」
「いや、もう他に聞きたいような興味はないな。邪魔した。――さらに機嫌を悪くする前に、さっさと目の前から消えよう」
いつまでいる気かと声を掛ければ、そんな不快になる言葉を返された。そして言葉通り薄っすらと明け始めた夜明けの闇夜に溶け消えて居なくなる。
――不快。己ではどう制御しようもなく。もはや制御しようとも思いたくないほどにどうしようもなく、ただただひたすらに不愉快だ。
容貌なんかにではない。ハッキリと視えてしまう、似ているアレの未成熟な司源に、だ。
――そしてそれと同じくらい、当然の資格などなくその事実へ勝手に苛立ち腹立つ身勝手な己自身にも。
「――――」
これは神を見捨てた高貴な牡丹にただひとつ許された、たったひとつだけの――手前勝手な贖罪、なのだから。
そう、だから覆ることは決して、ない。必定なのだ。
「――この贖いもまた、傲慢でくだらぬ過程である故に」
この後すぐ、勢いよく突っ込んできたことを忘れ、静止の際に頭部を再び地面へ埋まらせた、霊器となっても相も変わらずな同朋を当然のように当面放置し、先に急静止にたまらず勢いよく宙に舞い上がったひ弱な人間二人を救うまでもうすぐ。
そして人間の後に仕方なく救ってやった同朋が再出発してから暫く、遠くで荒れ狂う空から極太の落雷が墜ちたのを視てまたひとつ、決められた結末への過程が紡がれたのだと察するのも、もうすぐであった――。
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