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眠耀の魔女
しおりを挟む未完成のパズルのように綻ぶそこは、まるで色付くのを今か今かと待っている無垢なキャンバスかのような空白であった。
何かの塗装が剥がれ落ちた痕、ともいえるかもしれない。とにかく現実では絶対に有り得ないだろう異常な景色であるのは一目で理解出来た。
「なんですのあれは……」
「よし。んじゃとっとと次行くぜ」
「……つぎ?」
えっ、あれの説明全くなし!? 嘘でしょ!?
もしや見えてない……なら見ろとは言わないし見えてるんだよね……?
ええ……どういうこと……?
「気分はどうだ」
「何が何やら……目覚めてからずっと、混乱の最中ですわ」
「そうか。ならいい」
「良くないですわよ。ちゃんと私のお話を聞いておりますの?」
「本館はどっちだ」
「……こちらですわ」
普通に無視された。私の肩に乗ったまま「はやく行け」とふんぞり返って指図する小人をジト目で眺めつつため息が漏れる。
ここでやっと、どうにもこの急に始まってしまった謎ツアーを回り切るまで何も説明はされないらしい、と悟った私は大人しく本館――私の部屋は別館にある――へと案内することにした。
「……妙に静かですわね」
ふと、案内中に違和感を得て周囲を観察してみた。――あまりに人気が無さ過ぎる。
私が起きた時間帯が分からないが、薄暗い空から推測すると早朝か暮れあたりだろうから、この人気の無さが絶対に有り得ないことではないのだろうけど……。
「やっと気付いたか」
「皆さん眠っているのかしら」
「…………さあな」
……さあな? さあなって何!?
そして何故に悲痛そうに目をどこぞへ逸らして言うの……。
そんな表情で言われると、答えまでの絶妙に長い間もあってか意味深に感じて怖すぎなんですけど!
え、領民のみんな大丈夫だよね……?
「今は明朝だよ。君の思った通り、みんな寝てるだけだから安心してよ」
「……そうですの」
と、静けさと小人さんの意味深発言にビビって足を止めかけたところに、突然後ろからこちらを覗き込むように違う意味で怖いくらいにっこにこ顔で答えられて思わず怯んで逆に歩速が早まった。
こっちはこっちで意図や目的が読め無さ過ぎて怖い。でもそれはそれとして容姿があまりに美麗で眼福なんだよね……。
起きてから今まで、何か会話するタイミングはいくらでもあっただろうに何故それなの? というモヤモヤと、単純に間近で綺麗なものを見た時の高揚のドキドキが合わさった不静脈に苛まれつつなんとか無難に返答しているうちにやっと本館に辿り着けた。体感長かった。
私は逃げるようにこれ幸いと我先に入り――明らかに中の様子がおかしいことに気付く。
「――誰も居りませんわ」
「いるぜ」
「居りませんわよ」
「あっちだ」
「……分かりましたわ」
本館の使用人たちによる出迎えが一切誰も出なかった時点で異変を感じ、魔法による索敵をしてみたが隅々まで索敵範囲を巡らせても私の魔法では本館には人っ子一人として存在が見つけられなかった。
いくら明け方とはいえ、貴族の館で全く誰もいないというのは異常だ。デルカンダシア領が魔女の巣窟だという特殊性を差し引いてもあまりに無防備過ぎる。
考えられるのは何かで避難中か、私の魔法索敵範囲外――本館外――に偶然全員が招集されているかだろうか。
――しかし、小人さんによると本館内に誰かが確実に居るらしい。
先程披露された見たことのない高度な魔法の件もあったので、きっと私の知らない凄い魔法で見つけたんだろうと勝手に納得してひとまず案内に素直に従うことにした。
「ここだぜ」
「ここは……」
両親の寝室だった。
「お母様……」
……そういえば、母はあの後どうなったのだろう。
得体の知れないナニかと戦闘していた様子だったけど――。
ガチャ。
「えっ、あっ、あば!?」
扉を開けようとして一瞬、記憶が蘇って固まっていたために扉の向こう側から現れ抱き着いてきた影への反応が遅れてしまった。
……まあ、たとえ扉が透明になって見えていたとしても私の鈍臭さでは到底彼女を躱せないだろうが。
「あぁ……シオン様シオン様シオン様――」
「あ、ざれあ……くるし……」
「――ハッ! 私としたことがッ! ――取り乱して失礼いたしましたわ、シオン様」
「え、ええ。ごきげんよう、アザレア」
最初からクライマックスで興奮状態のアザレアだったが、離れてよく見ると美しいその顔に濃い隈が目立っており、いつもツヤツヤと輝いていた羨ましいまでの直毛がところどころボサボサしており、綺麗好きな私の為にか、どれほど忙しくとも常に己の手入れを欠かさないアザレアにしては珍しい状態であった。
だが、日々己を磨いているアザレアだからこそなのか、特にみすぼらしく見えることはなく、むしろその美しさの中にアンニュイな気怠さみたいなものが合わさって相乗効果が凄まじいことになっていた。
「お疲れのようですわね、アザレア。その……そのような時に申し訳ないのだけれど、お母様の居所をご存じかしら。邸宅内が静かな理由も教えて欲しいのだけれど……」
「……勿論でございます、シオン様。ただ、――お話は内密にしたく存じますので、ご了承を」
「そう……それがいいようね。分かったわ」
私の背後へと鋭い視線を移したアザレアの様子に、そういえば勝手にひっついてきた二人が居たことを思い出して納得した。
そのままアザレアに誘導されるように両親の寝室へと踏み込み――。
「――ここから先は男子禁制でございます。お控えを」
「……?」
え。もしかして、ついてこようとしたの……?
思わず振り返って通行止めするアザレアの様子を窺って驚く。
ここが両親の部屋なのは身内しか知らないので追い払うのに機転の利いた言葉だなと思いつつ、金魚の糞よろしくついて来ていた二人のうち男子といえるのは意図が読めなくて不気味な夫だろうとあたりをつけていた。
しかし予想に反して、アザレアの向こう側にはお下げ半裸のムキムキ美少女が居て、通行止めを食らっていたのだ。
「拙者は護衛でござる故に」
「…………」
拙者……。
ござる……。
「ここから先は男子禁制でございます。お控え下さいませ」
「うむ。しかして、拙者は護衛でござる故に」
互いに平行線で両者ともに譲らない構えとなって同じ言葉をお互いに繰り返していたが、そのやり取りを見ても私は理解が未だ追いついておらず、明後日の事を考えていた。
まあでも男子禁制って言われても、その理由だけじゃ相手が魔女なら止められないよね、と。
アザレアが止めるくらいだから、身内からほど遠い魔女なのだろうと暫くそのやり取りを見続けることになって、少ししてやっと違和感に気付く。
――護衛護衛って、もしかして私のこと言ってるのかな? いつの間に……そういえば、小人さんが見張りがどうのこうのって得意げに言ってたけど、もしかしてそのことだったり……?
口調とか語尾とか恰好とか。気になることが多すぎて色々聞き流してしまっていたが、この見知らぬ魔女が私の護衛なのだという主張をしていることにようやく理解が到達した。
それにしてはアザレアがこうまで頑なに拒むということは、アザレアの管轄する魔女ではないのだろうとも。
――つまり、デルカンダシアの領民ではない。
そうなると一体どこの誰が用意した護衛なんだという話になるわけだが――母が用意したとか? ……いや、そうならアザレアも知ってる筈。
などと遠巻きにぼんやり眺めて核心に至りそうなところまで遅々として思考していると、とうとう痺れを切らしたのかアザレアが強硬手段に出た。
「どのような理由であれ、殿方をお入れするわけには参りません。――『拒絶の花園よ、見初めよ』」
「――待つでござる。拙者は、」
静止の声を上げたムキムキ魔女を意に介さず、アザレアが結界魔法を構築してしまった。
効果は簡単なもので、ある一定の魔力を持った女性のみが通過出来る仕様だった。
……うーん。突然どうしたんだろう、アザレア。
その結界の効果じゃ同じ魔女相手だと全く効かないの分かってるだろうに……。
「ここから先は男子禁制でございます。出直し下さいませ」
「……困ったでござるなあ」
と思っていたのは私だけだったようで、本気で困ったという顔でお下げムキムキ魔女が眉をへにょんと下げた。
ここに至ってもまだ、困るって何が困るんだろうなどと暢気に考えていた私もついに気付いた。
「…………」
……えっ、ちょっと待って。まさか――?
「たく、しゃーねーな! ――オレ様も丁度やる事が出来ちまった。テメェの締め出しに付き合うぜ、ぼうたん」
と、小人さんが呆れた顔で言い出した。
そのまま私の肩から飛び降りて扉の向こう側へと飛び込んで行ってしまう。
……今の今まで静かすぎて肩に居座られてたのを忘れてた。
「……うむ。ならばここは引き下がるが吉。しかして拙者の名はぼうたんではなく、ぼ――」
ばん!
言葉の流れから、何かの訂正をしようとしていた半裸の彼だったが、最後まで言わせてもらうことも出来ずにアザレアによって無情にも容赦なく扉は閉められた。
横スライドの和式なので、なかなかに良い音が響いた気がした。ちなみに内装は洋風なのに扉は和風なのか、という下手なツッコミは記憶が戻ってすぐにツッコみ済みである。
「お目汚しを失礼いたしました、シオン様」
「……ええ。問題ないわ、アザレア。それでお母様は――」
「こちらに居ります」
そのまま何事もなかったかのように振る舞うアザレアに案内されて、部屋の奥の奥のほうへと進んでいく。
彼らの気になり過ぎるアレコレに少しだけ後ろ髪が引かれたまま、やがて淡く光る天蓋が見えてきた。
というより、天蓋の中で何かが光っているようだった。
アザレアに誘導されるまま、恐る恐る閉ざされた天蓋を開く。
光に目を細めながらも中を覗き見て――そこに居たのは。
「――ッ!」
まるでミイラのように痩せこけた、淡く明滅を繰り返す母の姿だった。
◇◆◇◆◇
「――んァ? あいつはどうした」
「うむ。常法でござる」
「なんだァ、また覗きかよ。常にブレねェ率直なやつだぜ」
手遅れだとでも言いたげな大げさな仕草でミルが呆れたように言葉を溢した。
が、シオンに魔女だと勘違いされていた男が特にそれに反応することはなく、一点集中とばかりに閉じられた扉の向こうを凝視していた。
「オレ様の頼みとはいえ、テメェもご苦労なことだぜ」
「うむ。ミル殿があの約束を違えなければこそ、拙者ほどに忠実な者はこの先も居らぬであろうが故に」
「遵守しろってか――ちゃっかりしやがって」
「うむ」
二人だけが取り残された場所で、二人だけに通じるやり取りを交わした二人を見ている者は誰もいない。
それをいいことにミルが続けざまに聞かれてはならない文句のような話を口にする。
「そんなテメェにちょっとした仕事だぜ」
「……嫌でござる」
「聞けよ。テメェの出番を勘違いしてる馬鹿ガキの後始末だ」
「嫌でござる」
少し内容を話しただけで予想がついたのか、心底嫌そうな顔で男が断る。
しかし、その様子を見てもミルが引く様子は一切なかった。
「まァまァ、そう言うなって。オレ様も馬鹿なクソガキのお守りなんざいちいち面倒なんだぜ? でもよ、今は陛下のせいで色々手が回らねェんだ。放置するわけにもいかねぇし、そこは一番手隙なテメェがちぃとばかし手伝えよ」
「うむ。しかして拙者もあの童が嫌いでござるが故に」
「ならむしろ手伝えよ!」
鼻に皺を寄せるように不快感を露わにした顔で交わすお互いの言葉は、本気で嫌がっているようであった。
だが、いつまでも嫌がっているだけでは話が進まない。
「――オイ、ぼうたん。抜けよソレ」
ミルの視線の先。それは男の抱える刀であった。
「……拙者はぼうたん等という名ではないでござる故に」
「うるせぇ。テメェらが紛らわしいのが悪ぃ。――いいから、抜け」
抜け、嫌でござる、抜け、嫌でござる、と暫く繰り返した二人だったが、途中で先に飽きたのかミルが痺れを切らして声を荒げた。
「――だあ、クソッ! テメェのソレなら何匹でも労力要らずに一瞬で片付くじゃねェか! 少しは手伝いやがれ!」
「滅封刀は対単体最強でござるが故に。……そもそも広域殲滅は全くの専門外でござるが、容易に抜いてはならぬ制約があることはミル殿も知っておろうに。故に助太刀も何も今はただの飾り同然の粗悪品でござるよ」
「ハッ、よく言うぜ。――なら、オレ様の瞳を貸すならどうだ?」
「……うむ。拙者もそこまでされてしまえば故無しとはならんでござるな」
ミルの放った言葉にとうとう諦めたのか、男が抱えていた刀を仁王立ちになった手前に持ってきて先端のみをドンッ! と地に降ろした。
騎士が剣を立てているような威風堂々とした立ち姿は、しかし剣ではなく刀なせいでかなり違和感があった。
がしかし、その場にそれを指摘出来る者は誰も居なかった。
「……アレらとは、出来ればあまり関わり合いになりたくはないでござるが――これは致し方ないでござろうな」
「オイ! 手早く済ませるぜ、ぼうたん。とっとと構えやがれ!」
「拙者使いが荒いでござる」
文句を言いつつも、ぼうたんと呼ばれた男は次第にその目を鋭く眇め、少しづつゆっくりと瞼を閉じた。
そしてそのまま両手で構えるように地に突き刺した状態の刀に手を添える。
「――『加減滅封』」
古の言葉を慎重に紡ぎながら、支えるように添えられた片手で強く刀の鞘を握り、残った片手で鍔を少しだけ押し上げて刀身を露出させる。
渦巻く力によって生じた風で、男のお下げが宙に舞い上がったが、それを気にすることなく言葉は最後まで紡がれた。
「『――百花、ゑぐな』」
室内で繰り広げられたそれは異様なまでの力の渦を発生させていたが、シオンたちに気付かれることはなかった。
なにせ――。
「――全部送りつけてやったぜ。これで少しは懲りるといいが」
「無駄でござろうな。次はもっと陰湿になるだけでござろう」
「……クソッ。あんのクソガキもだが、どいつもこいつもオレ様が面倒なお守りをしなきゃなんねェのが嫌になるぜ」
「常法の流れでござる故に。致し方ない面倒でござる」
頼まれた仕事は終わったからと、他人事のように素っ気ない顔で元の仕事に戻った男にミルがあからさまに白けた視線を送った。
「……オイオイ、ぼうたん。テメェ、随分と他人事だなァ? どのみち今回はテメェも仲良く付き合わざるしかねェんだぜ?」
「嫌でござる」
「そうかよ。んじゃま、次もまた頼むぜ!」
「嫌でござる」
シオンたちが戻るまで、この繰り返される生産性の無いやり取りはいつまでも終わらないのであった――。
◇◆◇◆◇
とある国の、とある平地にて。
突如として出現した大量の魔獣に追われた人々が逃げ惑う平野。
「うわああああああああ!! もうお終いだあああああ!!」
逃げ遅れた農夫が後少しで魔獣に食われる、という瀬戸際で死期を悟って悲鳴を上げていた。
己に降りかかった突然の不幸を嘆き、悲しみ、憎み、ついでに今までの人生においてのどうでもいい不満がとめどなく零れ落ちた。
が、しかし――待てど暮らせどいつまで経ってもその時は来なかった。
「……あ、あれっ? どこいっただあ?」
訝しんで目を開けてみた農夫は、少々訛った口調で呆気にとられた。
農夫が見る視界には、何一つとして魔獣の痕跡が残っていなかったからだ。
あるのはこの地で暮らしてこの方、記憶に無いほど妙に小奇麗になった地面と、背筋が冷えるような静寂だけだった。
「――ひぅっ!」
まさか白昼夢か幻覚でも見ていたのか……と思って立ち上がってすぐ、農夫はつまづいて再び違った種類の悲鳴を上げてしまっていた。
その原因は――今の出来事が夢や幻覚でない証拠として生々しく残った、魔獣による村民の食い散らかしのせいだった。
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