らぶさばいばー

たみえ

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春宵一刻 夜桜 (中)

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「――これは神々の戦争だ」
「戦争? 神々というと……まさか帝国が!?」
「――あ゛? オレ様の指先一つの気分で滅ぶ程度のあんな雑魚どもなわけねェだろが。……まさかあいつらご自慢の先祖が神だっつー虚栄を信じてんのか?」
「違うのですか!?」

 私が用意した薬草茶を見分しながらぶっきらぼうに答えた桃髪の少女は、眉を少し顰めてから答えた。

「――いや。違わねぇ。確かに一人だけ執念で神に至った狂人は居たな」

 そして一気に薬草茶を飲み干して、舌を出すようにしてぺっぺっと吐き出すような仕草をした。
 そんなにまずかったのだろうか……。

「だが所詮はそれまで、だ。そいつの親兄弟親戚はともかく、……そいつ自身に子孫が居たはずがねェ。オレ様の知ってるアイツは、ついに神に至っても結局……それを充分知っててよォ――反吐が出るぜ、卑賤なクソ雑魚どもが」
「……では、その神様に至った方が戦争を?」
「まあ……そういうこった」

 かちゃり、と食器を卓に置いた少女――ミル様は憂い顔だった。そこまで言っておいて、これ以上詳しいことは語りたくない、とその表情が語っていた。
 けれど、暖かな昼下がりに似つかわしくないほど冷えた空気でも、私は知らなけらばならない。
 だからもう少し、と言葉を続けた。

「どうして……?」
「――――」
「どうして、戦争なんて……」

 私の言葉に、先程まで憂いていたはずのミル様の表情が内から溢れる感情を制御しきれなかったかのように形相を憤怒へと変化させていった。

「……どうしてかって? そらオメェ――ッ!」

 強く唇を噛み虚空を睨んだ後、ぽつりとミル様から言葉が零れ落ちた。

「――裏切られたからだよ、信じた神にな」
「裏切られた……」

 その言葉は、神に至ったというその人のことを語っているようで、まるでミル様自身の言葉であるかのようでもあった。
 ふと、『ミルローズ』と。そう呼んだ時の、垣間見えた彼女の心を思い出してしまった。
 ――あれは、やっぱり彼女の……。

「と、まあ。そんな話はどうでもいい」
「どうでもいい……」

 とてもどうでもよくなさそうな表情ではあったけれど、これ以上は本当に触れてほしくはないのだろう。
 ――他にも知りたいことはたくさんあった。
 だから私は引き際を間違えない。

 ……この判断が出来るのも孤児院での生活のおかげだと思うと、とても複雑な気分になるけれど。

「話を戻すぜ。これは神々の戦争だ。先日、嬢ちゃんの中に封じてやった陛下もその一端に過ぎない。序の口ってやつだ」
「序の口……」
「こうなってくるとまあ、本当の開戦も時間の問題だな」
「本当の、開戦……」
「そうだぜ? 裏でちまちまちまちまちまちまちまちま――ちまちまと遣り合いあがって! 性格悪すぎだろ!? 付き合うこっちの身にもなりやがれってんだよッ!?」

 ビシャーンッ! ゴロゴロ、ザアアアア。

 先程まで麗らかな天気だったはずが、ミル様に同調したのか外は大雨へと様変わりしてしまった。
 外で遊んでいた子供たちがきゃあきゃあと突然の大雨にじゃれ合って、逃げるように建物や木の下へと避難するのが見えていた。

 私はと言えば、最初はともかくここ最近見慣れてからは特に驚くことも無く、先に洗い物を回収しておいて良かったとだけひっそり安堵していた。
 ミル様の場合、深刻な感情よりも些細な不満のほうが爆発させやすいらしい。……もしかしたら、我慢しなければならないほど表に出してしまえば酷く荒れ狂う感情だからなのかもしれないとも私は考えてる。

「――おい。抑えろ。迷惑だ」
「んだとゴラッ!? もっかい星にしてやろうか? あァん!?」
「あれは戻るのに時間が掛かる上に面倒で仕方がない。二度と御免だ。――それよりこれを見ろ」

 カサ、と紙の擦れるような音がした。

「――随分と分かりやすい挑発じゃねーか。乗るのか?」
「当然だ」
「……テメェ、即答しやがって。誰が一番苦労するか分かってて言ってんだろうなァ? あァん!?」
「当然だ」
「――――」

 気配もなく突然やってきた彼の声に驚いて、まだ視線を合わせるのは怖くてすぐに俯いた。
 けれど、その場からは逃げずにそのまま話を堂々と盗み聞きする。

 ……ミル様はともかく、彼は私に話を聞かれていてもまるで気にしていない。
 つい先日殺そうとしてきた人とは別人のように、何事も無かったかのように振る舞う彼からは何の殺意も感じられない。

 それが私だけに限ったことではなく、シオン様以外は彼にとって本当の意味でどうでもいい存在なのだと、ここ最近理解してきた。
 好都合だ。私にとっても。

 私は大まかなことしか聞かされていないけれど、説明されなくとも何が起こっているのかぐらいは彼女のおかげで
 だからこの後のミル様の言葉の意味も理解出来ていた。

「……それにしたってわざわざこの時期にかよ。しかも魔女の、ときたぜ。ついにオレ様に消される覚悟を決めやがったのかよ?」
「やめておけ。蛆は死骸含めて処分しないと次々と湧いて出る」
「……テメェは何気にオレ様よりあいつらの扱いがひでぇよな。嫌いな連中だが、ちぃとばかし同情しちまうぜ」
「情けは捨てろ。繰り返すつもりか」
「――クソウゼェ。テメェもオレ様に説教垂れんのかよ、小童が」

 けっ、と吐き捨てて彼に渡された手紙をミル様が宙に投げてさせてしまった。
 そして話はそれで終わりだ、とばかりにしっしっと手で振り払うような仕草で彼の退室を促した。

「――どこまで使えるようになった」
「少なくともテメェの基準じゃ未熟もいいとこだぜ」
「分かった」

 ちらり、と私についての会話だというのは彼の視線を感じ取って悟った。……思っていたより、どうでもよかったわけではなかったらしい。
 ――私は、絶対に彼と視線を合わせてはいけない。

「まだあいつが怖いか」
「いえ……」

 ――どのくらい経っていたのか。
 いつの間にか彼は去っていて、部屋には私とミル様だけだった。
 ミル様からの問いかけに、思わず言葉に詰まる。

「……ま、無理もねェか。殺されかけたことを抜きにしたってェ、あいつは存在の格からして別次元だしよ。……オレ様だって、万が一あいつが本気になることでもありゃあ一目散に逃げてるだろうからな」

 苦笑で慰めるミル様の意図する怖い、の感情とは違う。
 これは別の――バレてしまわないかという緊張、ではないだろうか?

「――あいつは哀れな存在だ。最初から全部聞こえてたんだろ?」
「はい……魔神、と」

 彼女が表出していた時の話のことだ、というのはすぐに分かった。
 ……魔神。聞いたことが無い存在だった。

「魔神が何か知ってっか?」
「いいえ」

 疲れたように椅子の背もたれに深く身体を預け、だらしなく座りなおしたミル様が気だるげに虚空を見上げた。
 暫く言葉を探すように口を少し開け閉めした後で、語られたのは。

「――魔女から産まれた神だ。そのまんまだろ?」
「神……」
「神にもいくつか種類がある」

 神に種類だなんて、とても不信仰な言葉だ。

「ひとつが今一番上で争ってる二人の神。それと有象無象の神の成り損ないであり紛い物の精霊。そして――魔神だ」

 祁神。精霊。魔神。……どれも存在すら知らなかった。
 帝国の皇族こそが尊き神の一族であると、そう聞かされ育ったから。

「あいつは魔女から産まれた神だが、魔女の為の神じゃねェ。むしろ嫌われてる」
「……どうして」
「魔神はかつて――魔女を殺すためだけに生まされた存在だからだ」

 魔女を、殺すためだけに……。

「……神の所業とは思えねェくらい醜い争いだった。複雑に勢力が入り乱れて戦場はしっちゃかめっちゃか。その中で生まれたばかりの未熟なはずの魔神は、その生まれ持った強大な力で魔女ばかりを根絶やしにせんと活躍しやがってよ。……クソウゼェったらありゃしねェ。おかげさまで数えきれねェほどの同胞が神に還ることも出来ずに無為に消えていった」
「――――」

 まるでミル様がただその光景を傍観していたかのように、言葉には確かな後悔が滲んでいた。
 魔女が神に還る……どういう意味なんだろう。それに、話では二人の神が争っているはずなのに、勢力が入り乱れる? 二人の神の争いというだけではなかった、ということ……?
 ……何があったんだろう。

「それはもう恨みなんてちゃちなもんじゃねェぜ? 怨念さながらに魔女の魂、本能に刻まれてやがんのさ、あいつの存在の危険性はよ」
「……でも、シオン様のお兄様はその魔神と呼ばれた方とは別人ではないのでしょうか? その出来事は最近のお話ではないんですよね……?」

 誤魔化すように分かりやすく怯えたような仕草でミル様が言葉を続けたが、私は理由に納得出来なくて詰めるように問いを投げ掛けた。
 私の言葉に再び頬杖をついてだらしなく座りなおしたミル様は、気怠そうに視線を逸らした。
 そしてそのまま彼が哀れである本当の理由を、ミル様は続けた。

「――あいつがかつての魔神と同じじゃねェのは理性で理解していても、本能で忌避しちまうんだ。鈍感な妹の存在のおかげでかろうじてまだキレてねェが、散々便利には使う癖に未だに魔女の中じゃァもっぱらはぐれモノ扱いだぜ? もしもオレ様が同じ立場なら、とうの昔にキレて何をしでかしたか分かったもんじゃねェが――それほどの消えないものをかつての魔神が刻んだのも事実だ」

 話を聞いているだけのはずなのに、あまりに魔神を語るミル様の声に迫力が籠っているせいか、知らず喉が渇いて唾を嚥下していた。

「……あいつも魔神としての本能を生まれ持ってるからか、当然魔女達の拒否反応を理解している。だからこの前オレ様にされたみたいに、魔女達になら何されても一切キレねぇ。この世で唯一魔神を忌避しない妹の安寧の為なら全てを切り捨ててしまえる、力押しだけの考え無しの馬鹿で、――……ただただ存在が哀れな奴なんだよ」

 そんな理由が……だからシオン様以外はどうでも良さそうな態度だったのだろうか。
 ……思い返せば、シオン様以外へは一貫して役に立つか立たないか、始終そういった態度であった。
 ――掘り起こされたのは、もっと幼い時分の記憶。

 声が聞こえることが異常であると知らずに言ってしまったことで周囲に気味悪がられ、遠巻きにされていたあの頃の記憶が。
 意思に関係なく、自身にとって利益になる選択ばかりを強いられてきた日々が。真に誰かへ心を許すことを決して許さない耳障りな声たちが。
 ――あれが孤独の一種であったのだと、学園でシオン様に出会って分かってしまった。

 ……少しだけ、シオン様を特別に想う彼の気持ちが理解出来たのはおこがましいだろうか。
 兄妹である彼らと違って、私に血のつながりは無い。羨ましいと思ってしまうのは、強欲だろうか。
 私も同じなのだと思うのは――。

「――流石にあの陛下に対しては別だったようだが」

 陛下……。ミル様はずっと彼女のことをそう呼ぶ。
 いつもは聞きそびれてしまっていたが、今なら聞けるだろうか。

「……私の中に封じた彼女を陛下、と呼ぶのはどうしてですか」
「――――」
「すみません。私に教えられないことがたくさんあるのは分かっているんですが、どうしても気になってしまって……」

 まだ無理だったかも、と線を越えた足をすぐさま引き戻すように言葉を紡いだ。
 こういう勘を今まで間違えたことはない。

「――いや、気になるのは当然だ。傍目からみりゃ、明らかに敵同士って感じだったしよ。……いいぜ。この際、別に隠すことでもねェし教えてやるよ」
「え」

 いいんだ! と私は少しだけ驚いた。
 ミル様は妙なところで線引きが分かりづらい。

「陛下は……ディアスキア陛下はオレ様たち魔女の起源であり祖、――そして同胞殺しの大罪人だ」
「同胞殺し……?」
「そうだ。――言っただろ? 魔神がかつて魔女を殺すためだけに魔女から生まされた存在だってな。……当時の魔女はそれこそ常に天災そのものだった。それを仮に魔女同士で殺り合ったとして、よくてせいぜい未熟な魔女同士の相打ちがいいとこだぜ。それを一気に、しかも一方的に大量に殺すとなりゃあ常人にはもはや不可能の域だ。……だからこそ、その不可能を成し遂げちまった魔神は、……――」

 ミル様はそこで一度言葉を区切ると、続けようとしたその先を言うのではなく、話の結論を急ぐように私へと問いを投げかけた。

「――そんなとんでもねェやつ、一体どこの誰が生めると思う? そこらの下っ端魔女にゃあ到底無理だぜ」
「まさか……!」

 そんなはずは……ッ! なら彼女のアレは一体――!
 私の彼女に対する認識と、ミル様の話す彼女との齟齬に驚いて言葉に詰まる。
 私が何に驚いているのか、おそらく勘違いしたままミル様は続けた。

「――そのまさかだぜ。そして同時に陛下によって魔女に刻まれていた禁戒って呪いの効果で反撃もままならなかった」
「禁戒……?」

 呪い、と言うからには良くないものなのだろうか。
 魔法はあっても呪いは迷信紛いのものしか聞いたことの無かった私は、その良くない効果があまりハッキリと想像出来なくて首を傾げた。

「言っちゃいけねェ、やっちゃいけねェ、こうしろああしろって一々好き勝手に指図され続ける――簡潔に言っちまえば、魔女にとっては忌まわしい呪いであり弱点、いわば躾の為に首を絞め続ける飼育の鎖ってやつだ」
「そんな……」

 似ている……。最近何故かめっきりと聞こえなくなったあの声と。

「従わなければ存在ごと掻き消される。従っても魔神に殺された。……だから未だに魔女たちは陛下の本体が衰弱して眠りについてるってェ理解しても、それでも健在なままの禁戒がいつ魔女たちに牙を剥くか恐れ慄き、いつまでも陛下の機嫌をびくびく健気に窺ってクソくだらねェ命令を守り続けてんだよ」
「それは、ミル様も……?」
「――あァ? オレ様はちげぇよ」

 魔女たち、と言うからにはミル様もそうなのだろうと聞いたが、反応は思っていたものとは違った。
 むしろ嘲笑うような表情で、歪んだ笑みを見せた。お世辞にも可愛らしい笑みとは言い難いそれに、私の背筋が凍った心地に追いやられた。

「陛下の禁戒には縛られてねェ。じゃなきゃ陛下を封印するどころか、とっくの昔に消されてるかとっとと服従してただろうぜ」
「えっ、でも……」

 同じ魔女なのに……?
 まさかミル様自身が言っていた偉大な大魔女様だから……?

「オレ様は特別だからな。……代償ひとつで自由の身だ」

 代償……。
 眼帯で覆い隠した片目に触れる姿で何を代償にしたのかは一目瞭然だった。

「魔女の瞳は特別だが、――オレ様の瞳はどんな特別な魔女たちの中でも一際特別なものだった」
「…………」
「その一際特別な瞳のおかげで、野良の孤児から陛下の最側近まで駆け足で爽快な大出世だったぜ――皮肉なことに、結局はその瞳を犠牲にしてやっと陛下から自由になれたわけだが」
「自由……」

 ならばどうしてミル様は縛られていないのに彼女を陛下と呼ぶのか、結局その理由は話を逸らされ、はぐらかされてしまったみたいだった。
 ……私もミル様みたいに何かを代償にして犠牲にしていたら、あの得体の知れなかった声から逃れられたのだろうか。

 ミル様の教えてくれた禁戒は、確かに私の経験したことと似ていた。殆ど同じと言って良い。
 ――けれどやっぱり、あれはと話を聞いて理解した。

「――つーわけで、開戦直前だ。少しでも陛下の力を削がなきゃならねェ」

 空気を切り替えるように、話を完全に逸らされた。
 私はそれに気付かなかったフリをして会話を続けた。

「だから私を弟子にして魔女の力の使い方を……?」
「察しが良いじゃねェか。その通りだぜ。少しでも陛下の力を削いどきゃ、いざって時に陛下が禁戒に割ける力が減って俄然使える味方の魔女が増えるからな」

 ――そのいざって時に、きっと私は存在していない。それは最初に聞かされて分かっていたことだった。

 あの時、私への課題として『いつ、どこで、どんな風になって死んでもいい覚悟』というものを決めろ、とミル様が仰った。
 その言葉の真意は――私にはもう、決められた死に方の道筋があるからだった。

 私の中に封じられた彼女――ディアスキアは、彼女の本体が衰弱しているからか、ミル様の教え語ってくれた神々の戦争の表舞台には長らく参戦出来ないでいた。
 だからこそ彼女が眠ることで戦いが一旦均衡状態で維持されている裏で、新たに自身に適合する器を探していたそうだ。

 ――そして適合如何に関わらず、彼女の存在に耐え兼ねた器は必ず最後には抜け殻となり廃棄される。
 抜け殻になる、というのは。彼女が器から抜ける際に器の中身――その魂を一滴残らず自らと共に持って行ってしまうからだという。

 ……つまり、いずれ時が来れば必ず――確実に私は死ぬ、ということだった。

 故にいつ、どこで、何をしているか等は関係なく、私は彼女が私という器から抜けようとした時点でただの抜け殻となり死ぬのだ。
 自殺も意味がない。何故なら結果は変わらないからだ。少し違う手順で彼女が器から抜ける、という結果に変わるだけで。

 今は私の中に封じているものの、私が万が一どこかで死ねば彼女は再び別の器へと移れる。
 そしてまた同じことを繰り返し、――その先で、本来の力を取り戻す。

 だからミル様が私をしているのだという。力を学ばせ使わせ、彼女を少しでも消耗させようとするのは物のついでに過ぎない。
 ……私の死の結末を、知らぬところで定められてしまっていた死の結末の理由の一端を、こうして時々語って聞かせてくれるのは私が死ぬことに何かしらの納得を見つけられるように、という乱暴な言動と違って存外優しいミル様の気遣いであり罪悪感からのことなのかもしれなかった。

 ……けれど何も知らないままでいるよりも、たとえ罪悪感や贖罪による気遣いであったとしても、私には教えてもらえる理由が何であれミル様の話はとても有難かった。
 知れば知るほど、――。私の最も知りたかった彼女の真意から遠ざかっている気がしたが、……きっとまだ私が知らない何かがあるのだと思う。

 それなのに彼女がいつ、どこで、自身が解放されるためだけに何をどう利用して私を殺しにくるか分かったものではない。
 近付けば殺される。近付かなければ真実はいつまで経っても暴けない。

 ……私はいずれ、選ばなければならない。自らの死に場所を。
 そもそも選ぶ前に彼女に気付かなければならない。

 既に何度か私を殺そうとやってきたのを退けたのだと、少しだけ複雑そうにミル様が笑っていた。
 ……退けなければ私は殺されていた、と言っているのと同義だから軽い話題にして流そうとしたのだろう。
 ミル様は言動とは裏腹に、とても心優しく繊細な魔女だ。

 私に彼女を封じることが出来たこの機会のおかげで、ミル様たちは更に彼女の力を削げられるのをもっと喜びたいはずであったのに、私に遠慮しているのか気遣っているせいなのか小さな隔たりを感じていた。
 ……私にはまだ、私をいずれ遠くないうちに殺すだろう彼女についてもっと知りたいことが山ほどのようにあった。

 そして私の知りたい彼女についてはミル様が一番知っていて、さらに聞かずとも教えてくれるのだから、その小さなはずの隔たりは私の遺された少しの時間では大きすぎて邪魔だった。
 だから隔たりを失くす為に私に出来ることは、彼女の撃退を共に喜んでみせて自らの寿命が延びたことに安堵し、またしても真実に辿り着けなかった自身の臆病に落胆することであった。

 ――私は結局、どう足掻いても彼女に殺されて死ぬしかない運命にあるのだから。
 彼女が私という器から抜け出して抜け殻になって死ぬのか、彼女によって間接的に殺されて死ぬかの違いでしかない。

 だから私は、私を殺すだろう彼女のことが、――私をいずれ殺す為に選んだ彼女の真意をどうしても知りたくなった。
 ……学園に通おうと決心したのは、自分が恵まれていると知っていたからだった。孤児として一生を悲惨に生きるよりも、道が拓けると信じていたからだった。

 ……それがどうして、こんなことになってしまったのだろう。

 生まれつきだと思っていた魔力の正体は、彼女の漏れた力の一旦を利用しているに過ぎなかった。
 自身は恵まれているのだと思っていたのに、実際にはいつ死んでもおかしくない程か弱いだけの存在に過ぎなかった。

 ……もしも彼女が私を選んだことに意味なんて無かったのだとしたら、私の今までは何の為にあったというのだろう。
 始めて心から慕ったシオン様との時間は、――ことで、私にとっては全て偽りの心、時間だったのだろうか――。

「……そういえば、どうして開戦直前だと分かるんですか?」

 もやもやと湧き出る今は確認しようのない、どうしようもない考えを振り払って、少しだけ途切れた会話を再会した。
 頭が痛い、とでも言いたそうな顔でミル様が答えた。

「……今まで何度か罠を張っても微動だにしなかったくせに、今回だけは妙~に分かりやすく魔女の厥陰けついんがどうのって帝国の奴らが騒ぎ始めた。今の時期に急に、だ。それでこれはいよいよきな臭ェぜっつーのが一番の理由だ」
「えっ? やっぱり帝国なんですか!?」
「あいつらはただの有象無象の、何も知らずに踊らされてるウゼェ駒ってだけで、実質的にはオレ様たちの戦争には全く関係ねェ雑魚どもだ」
「え? えっ?」

 どういうことだろうか? ますます分からなくなってしまった。

「……『エラクラシミデリウム』。そこが戦地だ」
「えりゃきゅりゃしゅみっ……すみません。聞いたことがないです」

 不思議な響きの言葉で、何故だか聞き取りづらい上に発音が難しい。
 魔獣の襲撃までしか学園に居られず、まだ初歩的な授業までしか受けられていないからか地名はあやふやだった。

「――これは古代の言葉だからなァ。最近まで魔女の存在すら知らなかった嬢ちゃんが聞いたことなくて当たり前だぜ。つーか魔女と一部の人間しか知らねェしな。簡単に言っちまえば魔女が扱う古代魔法の言葉、……って言えば分かるか?」
「な、なるほど……もしかして私も覚えたほうが良いんでしょうか」

 ただでさえ初歩的な魔法で苦労していたのに、その更に上位であろう魔女の古代魔法とやらを先に学んでしまっていいのだろうかと疑問が首をもたげる。
 ……少しだけ、学園生活で間違えそうになる度に助言してくれて、その度に落ち込む私を立ち直らせるために言葉に悩みながらも叱咤激励してくれたシオン様に教えて貰えるのならば頑張れるかも、と思ってしまったのはミル様に失礼なのかもしれない。

「そりゃ、使いこなせりゃどれも便利だから覚えたほうがいいに決まってるが……そもそも古代の言葉や魔法は生まれながらの魔女であっても全員が一朝一夕に身に付けられるもんでもねェ。だから気にすんな。……特に神に近しい言葉ってやつは魔法にするだけで暴発の危険を伴うからな。しかもそういう危険な古代魔法に限って限定的な場でしか使えねェし。――特別なオレ様には全く関係ねェがな!」
「神に近しい?」

 私の零れた小さな疑問に「あァ、そうだぜ?」とミル様が答えてから両手の平を合わせ、指を絡めた。
 そしてそのまま指をお互いに絡ませたまま手の平だけを私へと見せるように動かした。
 ……これに何の意味が?

「――これが古代魔法の簡単な仕組みだ」
「えっと……」

 ……これに、何の、意味が……?

「――ま、分かんねーよな。気にすんな。魔女でも理解出来るやつは少ねェし。……それにこれの真の意味を理解出来なくても、古代魔法自体は決められたいくつかの簡単な言葉さえ組み合わせて唱えちまえば、最低限魔女並みの魔力さえあれば誰でも簡単に使えちまうからな。……本来の自由自在な使いこなしは全く出来ねェだろうが」
「えぇ……」

 私への問いの答え、だったのだろうか?
 その手と指の動作に何の意味があるのか、さっぱり分からなかった。

「陛下の力を効率的に削ぐためにも、古代魔法に関しちゃ後で簡単なものを教えてくが、……使いこなすとかは全く気にすんなってことだ」
「はい……」

 魔女の扱う古代の魔法を学ぶのだからと、無理に気負っていたのを見抜かれたのかもしれない。
 ミル様からしてみれば、私がそれでは教えるのにやりにくいのだろう。
 戦地の名前も本当は覚えたほうが……?

「……あれ? その、……その古代の言葉の戦地は結局どこに……?」

 そういえば名前だけで場所がまだ分からない、というのを思い出して恐る恐る聞いてみる。
 ……ミル様との会話の線引きはとても難しい。

「悪ィ悪ィ、オレ様にとっちゃ聞き馴染みがあるのはこっちだったからなァ。おまけにあそこを知らない奴となんて、もう随分と会話してなかったからなァ。……いや、そもそもオレ様ここのところあの馬鹿な小童と苛つく陛下以外とは会話してねェな。失念してたぜ」

 そんなに有名な場所なのだろうか?
 それと……実質的には彼としか会話していない、ということ?

 ミル様が孤児院に居座ってから結構な時間が経った今更ではあるけれど、ミル様は一体どんな生活を送っていたんだろう。話を聞くに、人とは会わないような生活?
 でも生活に必要な日用品はどうしても買わなければならないはずだから、一切人と関わらないのは……。
 ……そういえばミル様、ここに居座ってからずっと同じ姿で――。

「でもよ、言葉は違ェが嬢ちゃんも一度は聞いたことがあると思うぜ?」

 自信満々、という顔で続けたミル様の言葉にハッ! と我に返った。
 ……後で必ず、姿が何日も変わらず同じ理由を聞こう。必ず。

「それほどに有名な場所なんですか……?」
「あァ、魔女のお伽噺を知ってんなら知ってるはずだぜ?」
「お伽噺……? え! まさか!」

 魔女と同じお伽噺に出てくるような、誰もが知っている有名な地名はひとつしか存在しない!
 まさかそんな場所も実在しているなんて……!

「『エラクラシミデリウム』――又は人間どもが魔界と呼ぶ場所だ」
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