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真実と現実
しおりを挟むころころ、ころころ。
金色の丸いナニかがころころと。
その光景の現実味の無さと、理解し難さが胸に詰まって息苦しい。
は、は、は、と心臓の鼓動に追従するように過剰な呼吸が止まらない。
そうして目を見開き、目を凝らし、――それはついに足下で停止した。
こちらを見上げる二つの赤が虚ろに――。
『――あ、あぁぁ、』
「おかしいですね。彼が要に見えましたが……見誤りましたか」
何かの疑問に首を傾げながらも、何の感慨も感情も無く淡々と話している私。
涙と悲鳴と混乱と恐怖、ついには腰を抜かし震えながら錯乱している私。
彼女の独り言に、私は何も答えられない。
「ところで、――」
造り物のように生気が感じられない彼女の目と目が、合う。
「――そろそろ正気になって頂けますか」
『――ぁ』
――彼女が何を言っているのか、とっさに理解出来なかった。
私は正気だ。正気のはずだ――。
正気じゃないのは彼女の凶行であって、私が底知れない恐怖や混乱と悲哀、諸々の複雑な感情によって腰を抜かし、泣いて震えている状態は正常だ。
他の誰であっても私と似たような状況になれば、似た感情に支配されるはずだから。
――これが正気でないというのなら、間違いなく彼女のせいだ。
こんな唐突に、あっさり人が一人目の前で死んだという事実、受け入れられるわけがない。
しかもそれが何故、兄が、よりにもよってあの兄が呆気なく――。
『ぃひっ……』
彼女が無言で、兄だったモノを軽く持ち上げて近付けてきた。
「見て下さい。これは――」
『――ぃ、やあああああああアアアッッ!!』
――次元が、違い過ぎる。
私は今も昔も変わらず平凡だ。前世の記憶が少し残っているだけの平凡な女の子だった。
多少のゲームの知識や血筋、周囲という環境に恵まれていただけの平凡な女の子だっただけで。
私自身は前世も今世も何も変わらない。
前世では歴史に名を遺すような偉大な業績を残したわけでもなく、今世では家族や魔女の一族全体を見ればいくら努力しても平々凡々、むしろ下から数えたほうが早いような実力止まり。
外の世界に出たところで全世界で比べてしまえば上の下が良いところ。
それなのに周囲が実力も無いのに何故か次期当主として認めていたり、家族や魔女たちが私を世界で一番と甘やかすかのように構うからすっかり勘違いしていたのだ。
――私は最初から特別な存在でもなんでもない。ただただ、新たな生命として記憶を持って生まれ変わっただけの平凡な女だったということを。
多少のゲーム知識をいいことに、ここはゲームの世界だからと揶揄しつつ非現実の傍観者気分で、平凡の域を出ない努力以外何もしてこなかった私に一体今、何が出来るというのか。
世界が終わるのは困るだなんて言っておきながら、攻略ミスで見殺しにするのは可哀想だなんだと矛盾した言い訳ばかりで何も積極的に手を打ってこず、結局流されるまま、されるがままに生きている。
――唯一やったのは、勝手に背負っていた前世の自身のゲームプレイの罪悪感で主人公を支援したことだけ。それも、ただの自己満足で。
何も、変わらない。変わってない。私には変えられない。
そんな私が、――結局最後は母や兄、アザレアたちに頼りっきりだった私が兄の仇として彼女を討つ?
あのジャンル違いな無敵チートの人とも言って良い兄が呆気なく敗北した相手に?
――無理に決まってる。
仇討ちより先に、逃走へと思考の天秤はとっくに傾いていた。
ここに逃げるまでに所々破けていたドレスが更にビリビリに破けていくのも構わず、尻餅をついたまま後退るように這って逃げようとする。
兄がすぐ目の前で死んだ悲しみよりも、死がすぐ目の前に迫る恐怖のほうが強く感情を揺さぶる。ここまで自分が薄情だとは思っていなかった。
でも、怖い、恐い、コワい、こわ――。
「逃げないでください。二度手間になります」
『ぉあッ――』
地を這う手が、透明で固い何かにぶつかった。結界だった。
――閉じ込められた。
『ひぃぃっっ……! やぁ、た、たすけ……』
兄の頭を片手に、もう片手を私へと伸ばす手に全身から血の気が引いて、息が上手く吸えない。
みっともなく泣き喚いても、いつも助けてくれた兄はボールのように片手で持たれていて反応があるはずもない。
私の状態を見て、伸ばしていた手を一度引っ込めてから鬱陶しそうに彼女が髪をかき上げて言った。
「面倒ですね。――≪正常なる情≫」
『――あ、れ……ぇ?』
乱れに乱れてぐちゃぐちゃで、形容しがたい嗚咽と恐怖と混乱が闇鍋のようにごちゃ混ぜになった感情は、彼女の紡いだ、聞いたことが無いほど綺麗な響きの発音で構成された古代魔法の一言で跡形も無く消え去った。
まるで唐突に全ての感情をどこかへ失ってしまったように、先程まで感じていた激しい動悸や息切れは一瞬で異常なほど平常に治まっていた。
この突然の状態変化に戸惑う感情さえ芽生えない。
それなのに思考だけは自身に何が起きたのかをハッキリと認識していたから気持ちが悪い。
思考としては気持ちが悪いと感じているはずなのに、身体にその感情が反映されない。
それによって更に混乱している筈なのに、感情の起伏は至って平穏だった。
「やっと落ち着きましたか」
『何を……したんですの』
「沈静魔法です。あなたたちのソレらとは少し扱いは異なりますが」
彼女が言っているのは、魔女の扱う古代魔法のことだろう。
彼女の紡いだ古代魔法は私たちの発音の響きとは系統が違ったが、内容は聞き取れたし理解出来た。
「それよりも、会話が出来るようになったのなら質問に答えて下さい」
『……それに答えたら、殺すのですか』
感情の起伏が不自然に平穏であるとはいえ、思考は別だ。
常にこの後のことを考え続けている。
皮肉なことに、感情のせいでぐちゃぐちゃになっていた思考回路は、平常心でいられる今だからこそより客観的で具体的な思考を巡らすことが出来ていた。
敵に感謝するのもおかしいが、結果的に乱れていた判断力や思考力が通常以上に目まぐるしく働いてくれているのだから感謝するしかない。
「まさか。ここであなたを殺して何の意味がありますか」
『それが本当かどうか、私は判断出来る材料を持ち合わせておりませんわ』
「そうですね」
水掛け論だ。
ここで相手を刺激するような発言は、最初から全て疑って掛かっていたとしても控えたほうがいいのは理解していたが、言葉は何故か止まらない。
本来なら自然と掛かっただろう無意識の歯止めまでもが激しい感情とともに消え失せてしまったのか。
それとも彼女の魔法の副作用か何かなのか。
「まあどのように思われようと関係ありませんが、聞きたいことがあるので提案です」
『提案……?』
「そうです。魔女の真名に誓いましょう」
『やはり魔女でしたのね……』
薄々、感じていたことではあったが彼女は同族だった。
今までデルカンダシア領では見た事が無いから、他所に隠れ潜む同胞の生き残りか、もしくはどこかで変異誕生した生粋の魔女か。
ただ、どちらにせよその存在は異様ではあったが。
「では、早速。『我、――。シアの真名において、シオン・ノヴァ=デルカンダシアに今後一切の危害を加えない事を世の理に誓う』。……どうでしょうか」
『――!?』
――私は今、信じられない名前を聞いた。
平常な筈の感情が僅かに揺らいだような気がして、思わず胸元を抑えて彼女を見つめて目を見開いた。
有り得ない、筈なのに。皮肉にも魔女の勘が本物だと告げる。
「たしか、あなたたちの発音はこうだったはずです」
――びっくり仰天。有り得ない。
感情の動いていない今、それ以外にこの状況を説明出来る言葉が全くもって思いつかない。
相手が何のてらいもなく真名を隠さず明かしたことにもだが、その前に語られた名前が、魔女ならば誰もが聞いたことのある禁忌の名だった事。
名乗っていないのに知られていた名前よりも、そちらに気を取られた。
『あ、なたは。あなた様は――』
「では、質問です」
こちらの疑問などお構いなく、条件が整ったからと彼女が質問をするために持っていた兄をこちらへ放り投げた。
思わず受け取って、一拍後に咄嗟に落としてしまった。
「この偽象はあなたが製作しましたか」
『せ、えっ?』
「なるほど。今の反応で理解しました」
ふむふむと、私の顔なのに私ではない理知的な顔で何かを納得するような仕草を行う相手を見て、偽象と言われた兄の頭を今一度よく見てみた。
よく見ると、首から先がちょんぱされているのに全く血が出ていなかった。
そこでやっと気付いた。
前世で見た映画の浅はかな知識でしかないが、普通は首が切れれば血が大量に噴き出すのではないだろうか。
冷静な今だからこそ大胆に確認出来るのか、落としてしまった兄の頭を今一度拾い上げて詳しく確認してみると、とても精巧な人形だった。
外側の肌ざわりはリアルだったが、中身は得体の知れないクッション素材のようなものが使われていた。
――どういうことだろう。
「では、次の質問です」
殺された兄が偽物だと分かって、違う疑問が浮かび上がって来た私を無視して彼女が質問タイムを続ける。
「――ユストには会いましたか?」
『ユスト? それはどのような方でしょうか』
「白髪に金の瞳を持ち、禁忌を完成させた男です」
『……それは、アイオーン帝国暦にて最も偉大なる皇帝と今もなお讃えられていて、『始まりの英雄』と謳われたイベリス・アイヴィ・ユスト=アイオーンのことで合っておりますか』
「ええ。そういえば彼はそう呼ばれていたかもしれないですね」
ちょっと意味が分からない。
神話もかくやといわんやな古い歴史書に名前が書かれている人物と、下手したら数十世紀は先を生きている私がこの時代で会うことなど不可能だ。
彼女のジョークか何かだろうか。有り得る。
『お会いしたことはないですわ。そもそも生きている時代が違い過ぎて不可能ですもの……』
「……時代? ――あ。ああ! なるほど。そうでしたそうでした。すっかり失念してました」
失念? さすがに数十世紀以上ものジェネレーションギャップを失念するのは冗談にしても笑えない。
そもそもなんで、私と昔の皇帝が会うという発想になるというのか。
『どうして私が昔の皇帝と――』
「そういえば、あなたは代償に全ての記憶を失くしたんでしたね」
『――えっ?』
な、にを――。
ズキッ
『ヴ……』
「……ああ、すみません。配慮が足りませんでしたね」
突然襲い掛かる、まるで脳天を揺さぶられたような眩暈と頭痛。
「まあ、後か先かで違いはあまりありませんが……」
私の姿をした魔女が慌てたように言い繕っているのが歪む視界の先でぼやけて見えていた。
先程の彼女の言葉に疑問の声を出そうにも、急激に身体が重怠くなって緩慢に沈んでいく為に言葉が上手く発せない。
「安心して、少しだけお眠りなさい。私が見守っていますから」
強制的に落とされるような感覚のまま最後に見えたのは、艶やかで黒い髪を靡かせ、綺麗な紫碧の瞳を穏やかに眇めてこちらを見守る女性だった。
「――あなたが目覚めた時、話の続きをしましょうか」
応援ありがとうございます!
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