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遭遇
しおりを挟む『羽、沈黙、光、安らぎ!』
足元から血の気が引いていく感覚はつい最近も感じたものだった。違うのは、魔法を唱える余裕が若干あったということくらい。
唱えたのは落下速度を和らげる意味の『羽』、隠密力を著しく補ってくれる『沈黙』。
念のため、回復魔法や守護の重ね掛けで『光』、『安らぎ』という意味の古代魔法言語も唱えた。
魔女が使う古代魔法言語は強力ではあるが複数の効果を持ち、効果の指定や制御が難しい。
その為、私は普段から一般に普及している魔法を用いているけど……。
発動速度や威力は古代魔法が随一なのだ。こういう咄嗟の状況ではこちらのほうが安心できる。
特に、高所から飛び降りるなんて大怪我しそうな場合はなおさら。
……私、最近何かと落ち過ぎじゃない?
アザレアや母ほど上手く使いこなせないので、若干意図しない効果が現れるかもしれないが、……今はそれどころじゃなかったので慌てて発動することになった。
本当は広く普及している魔法のほうが使いやすかったが、さすがに古代魔法並みの効果は期待出来ないから怖かったのだ。
どさっ
「――ぃ!」
普段から貴族令嬢として身体を動かすことがなかったせいか、魔法が思ったより上手く効果を発揮出来なかったせいなのか、それとも単純に暗くて着地に失敗しただけなのか――。
地面に足が着いてすぐ、倒れるように手をつく。……足首をやられたのか、暗くて足の具合はよく見えないけど鈍い痛みが足からジクジク……。
「――ん?」
久しく感じなかった痛みに悶絶していると、頭上から声が落ちてきてビクリと身を固めてしまう。
ちゃんと魔法が掛かっていて見つかることがないのは理解していたけれど、思わず両手で口を塞いで、気分は隠れて様子を伺う草食動物となっていた。
「どう致しましたか、ルドベキア様」
「いや、今……」
カトレアが声を掛けると、王子が手摺り側に近付いてくる気配が感じられた。ぐむむっ。
――まずい。ちょっと逃げるのが遅かったかもしれない。
慌てて痛みを我慢して死角となるほうへと足を引きずりながら出来るだけ移動を急ぐ。ここで見つかったら怪我してまで飛び降りたのが無駄になってしまう。
その上、こんなところで女一人で居たら怪しまれるだろうし……。
と不安で固まっていると、上で気配が動いた。
「……ん? プラタナスたちだったか」
「あ、殿下」
……良かった。先にあっちが見つかったみたいで。
「これから戻るところだったのか」
「あ、はい。実はエリカが――」
少しひやひや焦っていたが、先にエリカ様たちが王子たちに見つかってくれたおかげでひとまず安堵。
今の内に去るべきか……。
「お久しぶりですわね、エリカ」
「――カトレア。蜜夜、満潮、祝福喝采!」
「まあ、ふふふ」
開口一番のあんまりなエリカ様のお言葉に、意味を理解してぴくっと思わず口が引きつってしまった。
……もし私が先に見つかっていたら何を言われていたのか。
考えるだけでおそろしい。
今の興奮状態なエリカ様を考慮すると胃に優しくない展開になっていた気がしてならない……。
しかしそんな更に解釈困難になってるエリカ様にお声がけするなんて、カトレア様ったらなんてチャレンジャー。
……これ、もしエリカ様がなんて言ってるのか真にカトレア様が理解してたら笑って流せなかったんだろうなぁ。
――なんて、意図せぬ盗み聞きのままその場を去らなかった私は、すぐに去らずにその場で隠れ聞きをしていた判断を後悔することになった。
カトレア様のチャレンジ精神を讃えていると、今夜のエリカ様は一味違ったのか、更にとんでもない爆弾発言を投下されたのだ。
「――遊戯王子!」
「――~~!」
ちょ、ちょぉ……!?
――エリカ様アウトっ!
色んな意味でアウトっ……!
完全に他人事として息を潜めてやり過ごそうとしていたのに、私のツボをエリカ様が的確に刺激したせいで、お腹の変な部分に力が入って鼻から空気が漏れてしまった。
……というか、これ狙ってないだろうに的確に当たってるって凄いよエリカ様……。
今の王子はともかく、ゲームでの王子は愉快犯で殺人鬼だったのだから潜在的には間違ってないかもだけど……知らないって怖い。
しかも本人目の前にして堂々と言ってるし。
一応、話の流れ的には違う意味だろうけど、その意味にしても伝わらない確率が高いとはいえ不敬が過ぎる……。
はっちゃけエリカ様、なんて怖い物知らず。
この場で私だけ意味を理解出来たまま会話を聞いているせいで、微妙に噛みあってたり無かったりで余計にツボを刺激しまくっていた。
……さすがに笑い声を出してしまったら、せっかく掛かってる魔法が維持できなくて解けてしまう。
なんとか腹筋と口に力を入れているが、引きつる引きつる。
ここにきてなんて試練を課すんだ、エリカ様――!!
「遊戯王子……私のことかい?」
だめ! 反応しないで!
王子がその言葉を口にしたら思わず笑っちゃうでしょうが!
ひぃぃ、と笑わないように腹筋に力を入れていた私に追加ダメージを与えた王子が、更に言葉を続けようとする気配がした。
――まずい。
「エリカ嬢、今の――」
「あれ。殿下たち、こんなところで珍しい。お揃いで何をしてるんです?」
「――ジギタリス? お前こそ……いや。お前がここにいない理由のほうが少ない、か」
「そうですね。僕の使命を思えばこそ、ここはうってつけですから」
「浮気のか?」
「ははは。御冗談を。僕ほど一途でひたむきな男はいませんよ」
さっむ。一気に冷えたわ。
私がそう思ったのと同じくして、上の気配も物理的に寒々しいものに代わっていた。
会話をしているのが王子だからとはいえ、先程まで和気あいあいと会話していた三人はだんまりとなった。
プラタナスが口を閉ざしたのは、エリカ様とカトレア様が急にだんまりしたせいなのか、それとも偶然か。
……様子は全く見えないが、おそらく寒さを感じた主な原因はそこだろう。
「……そうか。ほどほどにな」
周囲の空気に押されたとはいえ、王子が最終的にそう口にしたのがどう思っているか何よりの証左であった。
いずれ側妃を迎える立場にある王子としてはカトレアの前でなんとも返せない話だろう。
王子に対して可哀想ではなく、ざまあみろと思ってしまうのは初対面の時のアレコレが尾を引いているからなのか。
カトレア様の立場を思えば素直に大変だとは思えるのだが。
「あ、僕は庭園に用があるので失礼します」
「そうか。私たちは中に戻ろうとしていたところだ」
「そうなんですか? それではお気をつけて」
「? ん、ああ。先に戻ってるよ」
なんて、暢気に盗み聞きしてる場合じゃなかったんだった!
ジギタリスの言葉と、王子たちと別れてすぐに降りてくる気配で一気に現状を思い出した。
会話の隙を見つけて逃走を計るつもりが、ずるずるとこの場に留まってしまった。
隙が見つからなかったというのもそうだが、痛みを増す足首のせいで迂闊に動けそうにないというのもあった。
ジギタリスの言葉を思えば、せっかく一度は隠れて難を逃れたのに結局下で遭遇することになってしまう。
今更前方の庭園のほうへ向かおうにも、上からだと暗いとはいえ丸見えな状態で見つかる危険性が高い。
かといって横はバルコニーの階段裏で道が閉ざされており移動できない。
出来ることといえばバルコニーを支える奥の柱の裏に隠れて息を潜めて通り過ぎるのを待つしか――。
「――ん? こっちかい? いいよ」
なんて。出来るだけ暗闇に身を隠していた私の耳に近付く気配と声が聞こえていた。
――嘘! なんでこっち来るの!?
いつの間に降りて来ていたのか、そのまま庭園へ向かわずに明らかにバルコニーの内側、袋小路で支柱だけの出口も無いこちら側へと急接近していた。
素直に庭園に向かうと考えたのが間違いだったのか。
思考が一時停止した。そして、――
――そっか! 浮気にいい場所なのは庭園よりこっち!
すぐにそう思い至った。
至ったのはいいが、状況はどうしようもなかった。
今更庭園へ飛び出しても至近距離で派手に動けばいくらなんでも確実に見つかるはず。
覚悟を決めて飛び出すか、機会を待って息を潜めるか――。
「ねぇ。いるよね?」
「――――」
え――。
「ここで合ってる?」
「――――」
一瞬、見つかったかと思い身構えた。が、違った。
明らかに私ではない誰かへの語りかけであったからだ。
何故違うと分かったのか。
それはジギタリスの声に反応してか、わずかながらも垣間見えるように凄まじい気配がしたからだった。
今まで何も感じなかったのに。
逢引とか浮気とか、そんな次元の話ではない。
もっと、おぞましいナニかだった。
……どうしてこの異質な存在に気付かなかったのか。
先に遭遇した王子たちはどうなった? 上に気配は感じられない。
私の感覚が正しいのであれば、王子たちは何事もなく去ったはずだ。
ジギタリスが王子たちと別れて降りてくる気配に慌て隠れたのだから。
「……へぇ。そうなの?」
「――――」
一体ナニと会話しているのか。
逃げないと――。
そう直感したのは本能だったのか、気付けば私は覚悟を決めていた。
「――――」
「え? 逃がすな?」
「!?」
悟られた!? 嘘!
柱の陰に隠れていた為、あちらで何が起こっているのか、ナニがいるのか、確認は出来なかったが逃げなければならない、と更に強く感じた。
今を逃せば確実に囚われる。
何故だかそう、直感した。
――魔女の得る直感は確信だ。
例え中身が異世界の平凡なおばさんの魂という世界の異物であったとしても、だ。この身はれっきとした魔女の系譜。
母やアザレアたちほどではないとはいえ、これでも魔女の端くれ。
危機感や直感は優れているはずだ。
その直感に従い、飛び出した先に私が見たものは――。
「――デイジー・ロア=マクガベズ!? なぜ……!」
「え? 君は……」
思わず驚きで足を止め、上げてしまった私の声に反応したジギタリスが暢気にもきょとんとアホ面を晒していたが、私の目はそちらに向かなかった。
私の視線が向いていたのは、デイジーだったもの。
――デイジー・ロア=マクガベズ。
あの『らぶさばいばー』に登場する悪役令嬢の一人にしてジギタリスの婚約者だ。
散々毒殺されたからハッキリとその容姿は覚えているし、攻略の為に設定を何度も確認したから間違いなく詳細を覚えている。
月夜に映える淡い金髪は我が母ダリアを思い起こさせるほどそっくりな色合いだが、その瞳は魔女の証であるアメジストではなく翡翠色。
そしてジギタリスの従兄妹であったはず、だが――。
――彼女は、幼少の事故により下半身不随で病弱という設定だった。
それが立ってこちらを見ていた。
容姿の設定はそのままだったが故に、明らかな差異に思わず驚きと確認の為に足を止めてしまった。
何より、おぞましい気配は彼女から滴るように漏れ出ていた。
知識とズレた光景を前に、思わず呆気に取られたその一瞬。
「――ミツケタ」
『――逃げて!』
デイジーの皮を被ったナニかがにんまり歪んだ笑みで片言の言葉を発すると同時に、頭の中に直接響くように前世で聞き慣れたデイジーの声が木霊した。
「――ッ」
それに私が何か反応を返す前に、私の身体はまるで石のように固まる。
金縛りのような痺れはないものの、全身を覆うように何かで固められたように身動きが取れなくなっていた。
次の瞬間。
背後から大きく膨らんだように見えた暗闇に呑まれるように、私の視界と感覚は全て閉ざされた――。
「――ニゲタ」
「みたいだね」
後に残るはデイジーの容姿をしたおぞましいナニかとジギタリスの呟きだけであった。
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