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忠実なる僕
しおりを挟む「――そろそろ機嫌を直してほしいな」
「機嫌を直すも何も……貴方の事を何も知らないというのに、何の機嫌があるというのですか」
「……これは、手厳しいね」
つーん、と顔を逸らして貴族の令嬢らしく不満を露わにする。相手が少なくとも庶民の出でないのはその仕草や立ち居振る舞い、言葉遣いや態度、何よりスマートに踊れる様子で確信していた。
遠回しなやり方だが相手にはちゃんと伝わっているようで、成長してさらに磨きがかかった整った容貌が困り顔になった。
……最初に遭遇した時、成長したら凄くなりそうだとは思ってたけど、こうして実際に目の前で見ると想像以上にとんでもない美形になっていた。
兄たち美形に囲まれ、比較的それなりに慣れているといっても、気を抜けば息が止まるほどの容貌なのは間違いない。……心臓に悪い。
「……そう思うのならば驚かすのではなく、事前にご連絡を頂きたかったのですけれど」
「やっぱり機嫌が悪いんじゃないか」
そうやって表面上は普通に会話しながらもくる、くる、と私の腰に手を添えたまましっかりとリードされて華麗なターンでその場を回った。
……実に器用なことで。
悔しいことに、踊ってる途中で何度も衝動的に足を踏んでやろうと挑戦したのだが、彼のほうが上手過ぎて尽くが失敗に終わっていた。
人目が無ければもっと大胆に行動出来るが、それが許される位置にはいない。周囲が貴族だらけの状況で大胆なことは出来なかった。
せいぜいが足を踏むくらいだが、それも失敗した。――今まで音沙汰が無かったのに急に現れた事に対する意趣返しの為の万策は尽きたのだ。
今は色々な感情や言葉を呑み込み、大人しくされるがまま、リードされるがまま、くるくる踊っているだけである。
「――分かった。そんなに僕の事が気になるなら後で裏の庭園で会おうか」
「……裏の庭園? ここではダメですの?」
私の態度から折れて譲歩したのか、それともこんな場所でわざわざ接触してくるのだから元々その予定だったのか。
……裏の庭園などと言われると、なんだかよろしくない響きだ。
恋人たちが秘密の逢瀬で使うような暗黙の了解で用意されている場所であるせいだろう。
……ある意味私たちは条件に合致しているが、出来れば他の場所がいい。
「どうかな。大丈夫だとは思うけど……ここにいたら面倒なのは君なら分かってくれるって信じてる」
――信じてる、ねぇ。
これはつまり、周囲に被害を出したくないなら素直にこの提案に頷けってことなのだろう。確かに人も少ないし周囲はお互いに興味しかない恋人だらけ。
ちょっとしたことで神罰が発生してしまう私たちにはうってつけの場所だ。
……先程、慌てて離れようとしていた様子で神罰云々を避けたいのはバレている。良い断りの言葉も思い浮かばなかった為、少し考えて仕方なく頷くことにした。
「……分かりましたわ」
「ありがとう――待ってる」
「ひゃ……!」
ちょうど音楽の終わりかけ、密着するような距離にいたとはいえ対面で話していた彼に、油断していたところを急に近づかれ、耳元で囁かれたことで小さな悲鳴が出てしまった。
全身を痺れのようなものが走り、じわじわと急激に赤面するのが分かった。
こんな子どもみたいなやり取りでみっともなく取り乱すわけにはいかないと、どうにか赤面や動悸を治めようとしたが無理だった。
いくら止めようとしても止まらなかったからだ。理由は分かってる。
なにせ、神の呪いともいえる祝福のせいで環境的に前世よりも男性に対しての免疫力は低くなっているし、いつもは赤面よりも青褪めるのが先だったのというのがあったからだ。
つまり、こういう現場に慣れていない。
……ほんとに。勘弁してほしい。
そうして内心あたふたしているとふと、周囲で踊り終わって解散する貴族の波に紛れ、既に彼の姿が無いことを知る。
――完全にしてやられた!
悔しくてハンカチを噛んでキィィ……ッ!! と叫びたい衝動に駆られたが、立ち止まると怪我するので私は黙って流れに従った。
……相手も条件は同じはずなのに、どうしてそんな女性慣れしたような態度がとれるのか不思議でならない。
これは男女の違いなのだろうか……。
「――シオン様」
「――ッアザレア。ど、どどうしたのこんなところで」
先程の余韻か、単なる驚きによるものか、治まらない動悸に集中し過ぎて不注意になっていた。
いきなり目の前に現れた無表情のアザレアにビビって悲鳴を上げなかった私を褒めて欲しいくらいである。
そうして治まりきれずに、若干どもりながらの言葉を発したものの、どうしたのかと聞きたそうだったのはアザレアのほうだったのは表情で分かった。
怖いくらいに真顔だ。
例え嫌ってる兄の前であっても、私がいれば満面の笑みを浮かべるアザレアが。
怖がられないようにと、私の前で意図的に表情を消したことなんて一度も無かったあのアザレアが。
サクラちゃんの能面仮面レベルの真顔で私を無言で見ていた――。
「――先程の冴えない殿方はどちら様でしょうか」
「えっ」
ごくり、と息を呑み、今度は嫌な感じに動悸が治まらなくなった心臓の上を手で押さえ、アザレアの言葉を待っていた私はアザレアの言っている意味が分からなかった。
「さっ、冴えないっ……?」
「ええ、お世辞にも美しいとは言えない殿方です。広間で踊りになられてたのでは?」
「う、ん……そう、ね」
ど、どういうこと……?
アザレアの急な登場やその表情が気になるのもそうだが、アザレアの評価のほうがもっと気になった。
――冴えない? 彼が?
いくら嫌っていても兄の容姿を悪いと評価したことのないアザレアが、兄と同レベルの彼の容姿を冴えない、美しくないなどと表現したのは違和感しかなかった。
……まさか。アザレアの目を誤魔化せるほどの何かをしていたってこと? そんな馬鹿な……。
「アザレアには、どう見えていたの……?」
「? 私ですか。冴えない殿方が不敬にもシオン様と踊っていたとし、か……」
信じられない思いで聞いた私の言葉に返答をしている途中、アザレアも相手が何かしていたと気付いたようで真顔から一転、私と同じく信じられないと言いたげな表情となった。
「まさか……この私が――」
そのままブツブツと何事かを呟き出したアザレアの目は完全にイっていた。女の子のしていい表情じゃない。しかもとびっきりに美人だからか、怖さ倍増である。
……私にそんな顔を見せるなんて、普段のアザレアからは考えられない事態だ。
――相当動揺しているのか、正気じゃないのか。
一応、隠蔽魔法を掛けているためか、いまのところ周囲に気付かれていないのは幸いだが、これも時間の問題だ。
効果が切れたらアザレアの女の子がしちゃいけない顔が晒され、怖がられてしまう。そんなの可哀想だ。
とにかく誘導できるようにと腕を強めに掴んで、壁際の目立たない場所へ連行しようとする。
アザレアが正気でなくとも私に抵抗なく従ってくれたおかげで、問題なく移動することが出来、助かった。
だが、ひとまず目立たない場所に移動できてホッと胸を撫で下ろしたのはいいが、ずっとこのままではよろしくない。
ちょっと目が怖いが、そろそろアザレアを正気に戻そうと勇気を出して声を掛ける。
「アザレア。……アザレア? ――アザレア!」
「――ッ。も、申し訳ありません、シオン様。このアザレア、不覚にも賊の正体を看破すること敵わず……みすみすシオン様を危険に晒してしまい、申し訳も立ちません――」
「ぞ、賊って……」
そ、そこまで言うか。
「……確かにこのような催しで仮面ではなく別の方法で己を偽るのはよろしくないけれど、さすがにそこまで言われる方では無い……と……思うわ」
見開いた目で無言のまま私の言葉を聞いていたアザレアのせいで、言葉尻がごにょごにょとしてしまうが、自分でも戸惑ってる。
――どうして、庇ってしまってるんだろう。
ずっと失踪していたのに、急にひょっこり顔を出すような無責任な男とはいえ、一応それでも私の夫だからだろう、か……。
自分で自分の感情が分からない。アザレアとのやり取りで最初の動悸は治まったけれど、実は予期せぬ再会のせいで今も混乱してるのだろうか。
分からない――。
「……どうやら、特にシオン様に何かされた形跡はないようです。あまりに動揺されているようでしたので乱れの原因は外的要因かと思い勝手ながらに千里眼にて御身を確認致しましたが……。違うとなれば、一体どのようなことを言われ御心を乱されていらっしゃるのでしょうか」
そ、そんなことしてたの!?
妙にかっぴらいた目で無言で見下ろすものだから、彼を庇うようなことを言って怒ってるのかと思ってしまった。
「その……実は夫――について知っていると言われて」
「――なるほど、そのような戯言を聞かされて動揺されてしまったのですね」
実は夫でした、と言おうとしたが、アザレアの顔が般若の如く怒りの形相になったために急遽偽った。そうしたほうがいいと、私の第六感が告げていたのだ。
――危険。まさにその一言だ。
もし、万が一アザレアに嘘がバレれば彼の命が無い気がする。
さすがにそうなってしまったら寝覚めが悪いし、何故か嫌だ。
……もしや美形に絆されてるのだろうか。
くっ、これだから美形は!
「相手は私に悟らせぬほどの手練れ。何かの意図や目的があってシオン様に接触したのは間違いないでしょう」
「そ、そうね。うん。たぶん、そうよ」
……思い返せば、ただ私に会うのが目的だった気もするが、まさかそんなことを言えるわけもない。
この後会う約束を思えば、黙ってるとアザレアが暴走しそうだ。
「差し支えなければどのようなお話があったかお伺いしてもよろしいでしょうか」
よろしいでしょうか、と言いつつアザレアに引く気配は全くなかった。断ったら私にとっての危険が去ったとアザレアが判断するまで軽く軟禁でもしそうなほど危うい空気を醸し出しながら。
……仕方ない。ここでアザレアに捕まるより、いざという時の為に同行させたほうがマシだ。
どうにか撒いたとしてアザレアのことだ、こっそり後をつけ、現場に駆けつけて騒ぎになるのは目に見えていた。
「……実は、そのことで詳しいお話をしたいと裏の庭園へ誘われておりますの」
「――なんですって!」
それほど大きな声ではなかったが、アザレアの怖い雰囲気も相まって身体がビクついた。
すぐに私の様子に気付いたアザレアだったが、それでも感情が暴走しているのか、おどろおどろしい空気を発しながら言った。
「――このアザレア、シオン様に不埒な真似をなさる殿方を見逃すことは出来ません。もちろん、ご同行をお許しいただけますね」
「え、ええ。そのつもりよ。万一、逃げられたら困るもの……」
「お任せください。地の果てまでも追いかけて捕えましょう」
粘度をもった重い空気に耐えられず、許可を出す。
――せめて殺し合いのような殺伐としたことにならないように念を押しながら。
「こ、殺してはだめよ?」
「勿論でございます。この世の全ての苦しみをその身に与えるまで、間違っても楽な方法はとりませんのでご安心を」
「……そう」
これ以上、上手く返す言葉の無かった私を責めないでほしい。
殺すと言われるよりも安心出来ない気がしないでもないが、誰だって今のアザレアを前にしたらイエスマンになるしかないと思うの。
……とりあえず、どうにか穏便に済ませられるように遠くで待機させておこうかな。
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