らぶさばいばー

たみえ

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「これから一緒にデートしない?」

 女子トイレの入り口でなんてこと言い出すんだ、コイツは。デリカシーの欠片も無い。本能に生きる野生動物でもあるまいに頭湧いてんじゃないの? さっさと去勢されてしまえばいいのに……。
 頭の中でかなり酷い暴言を吐きまくっているのには理由がある。他の人は知らないけど、私は騙されない。
 ……確かに壁ドンされながら美形に声を掛けられるというシチュエーションは乙女ポイント高い。高いが、それが許されるのはあくまでお互いしか見えてないバカップルか、純朴で幼気な美少女が相手の場合においてのみである。
 私が現在目の前でアホなこと抜かす相手を頭の中で罵るのは当然である。なにせここは女子トイレといっても外側の通路ではなく、足を踏み入らねば用も無いはずの中側通路に私は居るのだから。
 前世でもそうだけど普通にありえないでしょ、正当な理由も無く――あっても基本女性に頼むのが紳士だろうけど――女子トイレという聖域にわざわざ踏み込んでナンパとか……。特に貞淑あれと育てられる貴族もいる学園の女子トイレで、だ。普通にコイツの正気を疑う。
 ――あ、そっか。よく考えたら最初から正気じゃなかったわ、攻略対象その三。ジギタリス・サギ=グロヴェリア。
 視界一杯に覆いかぶさって顔と顔の距離、もといパーソナルスペースが近い。動けない状況だけど、とりあえずこれだけは言わせていただきたい。伝えるべき言葉を纏めた私はニコリと、世間について何も知らなそうな純朴なご令嬢を装って照れたような淡い笑顔を浮かべた。
 相手はというと私の渾身の照れ笑顔を見て完全に口説き落としたと油断しきりだ。その自信を引き裂いて砕いて微塵切りにして焼却炉へ放り投げてやろう、そうしよう。誰もがお前に靡くと思うなよ――!

「――失礼、ここは乙女の園ですわ。お花摘みなら向かい側へどうぞ。なんとも本日はお日柄もよろしいでしょうから、咲き誇る花々が見頃ですわよ」

 意訳『何堂々と女子トイレに踏み込んでるんだこの非常識野郎。万が一にも迷ってるなら反対側に男子トイレがあるんだよ消えろ。まさかこれが本気なら頭軽すぎだろ湧いてんのか、ナンパなら別の場所と相手を探してやりやがれクソ野郎!』

 である。顔だけは未だに照れて恥ずかしがりやの純朴乙女を装いながら、今にも挙げてしまいそうな拳を強く握ってやんわり遠回しに脈無しキエロとオブラートに言うことで必死に抑え込んでいるのが実情だ。
 淑女としてハッキリキッパリ直接伝えられないのが残念である。前世なら確実にもっとひどい暴言を口にするだけでなく手が出ているところだ。いざとなったら海外のホラー映画ばりに叫ぶのもやぶさかではない。
 ニコニコと緩く手をついて覆いかぶさっていたジギタリスが、ご自慢の顔の、生涯一度でもいいから見つめられたいと、ご令嬢たちの間でご評判あそばされている翡翠の目をヒクつかせた。――伝わったな、これ。裏の意味が伝わったのは確かだ。よく見たら口元もヒクつかせているもの。
 こんなこと仕出かしてはいるものの、さすがにそこまで頭は空っぽではないらしい。意図が伝わって何よりだ。だからさっさとどいておくれ、犯罪者予備軍。
 私がニコリと華麗に返答を決めてから少しの間があり壁ドン状態から解放される。やっぱり伝わってたな、良かった。危うくうずうずし出した右膝が急所へ狙いを定め始めるところだった。
 少しだけだけどパーソナルスペースが開き、このまま退散してくれないかなあ~と待つこと暫し。ジギタリスは気を持ち直したのか、なぜか笑顔を深めて圧を深めてきた。

「――そう? 僕は目の前の妖精が気になるんだけどなあ」

 通報したい、その笑顔。おまわりさーん。コイツでーす。

「……まあ、妖精だなんて恐れ多いですわ。それに彼らは光を好みますわよ? いくらここが乙女の集う花園であっても彼らにとっては退屈な場所でしょう」

 意訳『……何言ってんのオマエ? 頭フェアリー? さっきのうちに諦めて廊下に出とけよ、しつけーなあ。ほんと、お世辞とかどうでもいいからせめて女子トイレからは退散しとけよ、マジでバカじゃねえの?』

 と。しかしまたしても私に軽く躱されたのが気に食わないのか、もはや隠すことも無く美麗な顔の眉間にシワが寄り始めた。ハッハッハッ、ざまあみろ小僧。私を口説き落とそうとするなんざ半世紀早いわ。
 ……なにせ周りから喪女と言われながらも貫いてしまった独身貴族時代のメンタルのタフさがあるからね。その年期の積み重ねを見誤ったな、小僧。……いやまぁ逆に見破られたらそれはそれで恐怖なんだけどさ。
 ちなみに光を好むという発言、おそらく相手には『不潔、不道徳、不実、不謹慎、不快、不健全、不審』といった悪いイメージで伝わっていることだろう。つまり、『こんなところまで入り込んでナンパするとか、いくら顔が周りにちやほやされる美形でも正気を疑うわ~、不信感しかないわ~』と言ったも同然である。
 果たして裏の意味はしっかりと伝わったのか、ジギタリスはその場で顔を手で覆う。そしてそのまま掻き上げるような仕草で桜色の髪を持ちあげ諦めたような浅いため息を吐いた。観念したか。

「……それもそうだね」

 やっと伝わったか。良かった。なら早く帰れ。

「――またね」

 一昨日来やがれ。どっちにしろおめえに二度目はねえよ。けっ。

「……ハァ、行ったか」

 無言で見送り時間をおくことしばらく、やっと立ち去った足音が聞こえなくなったのでやれやれと小声で文句を呟く。それにしてもしつこかった。お皿にこびりついた油汚れを思い出させるくらいには。

「あ~! すすすすみませんっ、待たせましたっ!」

 お待たせしましたって言いたかったのかな。どっちでもいいけど。見計らったかのようなタイミングだったな。慌てたように出てきたし演技が出来るようなタイプには見えないので残念ながら偶然なんだろうけど。

「……間に合いましたか?」
「はい! おかげさまで!」
「それは良かったですわ」

 用は足せたか念のため確認すると、清々しいまでにスッキリとした表情で元気よく答えてくれた。相手が相手なら「まあこれだから下賤の者は……」とかイジメられるに違いない。個人的には私みたいに拗らせすぎて一生独り身で終わった根暗な性格よりか、最初から素直な性格のほうが人間性としては美徳だと思うけどね。
 軽く言動には気を付けるようにとだけ説明付きで教えてあげていると、熱心に聞いてくれた。元々目標があってこんな面倒くさい社会に飛び込んできたくらいだから勉強熱心なのは元々知ってるけどね。寮へ帰る道すがら、大まかに気を付けるべき言動を教えてあげていると聞き上手な上に面白いほど理解吸収してくれたので妙に私も気合が入ってしまった。途中の分かれ道に差し掛かったため足を止め、話に区切りをつけた。

「――サクラさん、こちらの道を真っすぐお進みになれば寮に辿り着きますわ」
「あ、あああのぅ……」

 神経を張り詰めるような会話ではなく、壁はまだあるものの比較的気楽なガールズトークを満喫した。そして名残惜しくもいつまでも引き留めるわけにはいかないので道を教えてあげたのだけど、まだ何かあっただろうかと、上気した頬で瞳をうるうるさせ見つめてくるサクラちゃんは女の私でもコロッといきそうな犯罪級の可愛さであった。さすが主人公。魔性である。

「……いかがなさいましたか?」

 このままでは私の精神がゲシュタルト崩壊を起こし血迷いかねないので、サクラちゃんの言葉を促すことにした。軽く危険物扱いで申し訳ないけど割と本気だ。――恐るべし、主人公の魅了。

「ありがとうございましたっ」

 私の促しに決心がついたのか、さくらちゃんが勢いよく頭を下げてお礼をしてくれた。注意すべきなんだろうけど、「シオン様には特別です!」と私が何か言う前に理解していると示した上でされては何も言えない。

「いえ、お気になさらず。明日からともに励みましょう」
「――はいっ!」

 その後、晴れやかな笑顔を浮かべたサクラちゃんと微笑み合い、心配なので途中までその背を見送ってあげた。時々振り返っては笑顔で手を振りながら去っていくサクラちゃんの行動には正直、外でなければ叫んで悶えて萌えの衝動を思う存分噛み締めていたに違いないと思うほどの衝撃であった。
 萌えが振り切れそうになるたびにスカートが皺にならない程度に強く握りしめ、これでもかなり我慢したほうだとは思う。わたし、がんばった。かなり、がんばった。……もし、前世で結婚して娘がいたらこんな感じなんだろうか。主婦になった友人は娘の文句しか言ってなかったけど、顔は幸せそのものだったしな。想像しかできないのがつらい。――お母さん、元気かな? あぁ、申し訳ないなぁ……。

「確かこっちに和風の隠れた東屋があったはず……」

 前世の親不孝を思い出して落ち込んだ気分を変えるため、近くに安らげる東屋が無いか探す。隅々まで相当やり込んだ『らぶさばいばー』のマップは、現地に来てより鮮明に過去の記憶と結びつき、もはや完全に網羅しているので大体の場所は言われずとも分かってしまう。
 ……これ、いざ敵国の人間として転生してたら色んな意味で危なかったかもしれない。この国は個人が強いので自身の力を過信しがちなのだ。悪いこととは言えないけど良いこととも思えない。悪用する気はないけど、何百年も修繕なしの歴史と伝統ある学園の建物を見ていると、趣きよりも実用性を重視して欲しいと思うのは私だけだろうか。せめて絢爛豪華な備品がなければ目にも優しく精神的にも優しいのにな。誰か改善してくれないだろうか。……さすがに無責任かな。
 まあ、考えても仕方のない事柄はさておき。確かこの近くにはかなりストーリーが進まないと判明しない隠れスポット的東屋があったはず。端っこで見えにくい場所にあるため、とあるイベントをこなさないと道は開けない場所なのだ。私は裏ルートを知ってるので普通に行けちゃうんだけどね。探し回ってしばらく、人が立ち入らないので手入れもされていない蔦の入り口を見つけて中へ入り込むことに成功した。
 手入れされていないから全体的に荒れ放題ではあるけど、その雰囲気は不思議の国に迷い込んだかのように味のあるものだ。ゲームでは慣れたもので、サクサクと自分の庭であるがの如く東屋の中でもお気に入りだったスポットへ迷いなく近づき屈みこむ。手入れされていない池はその分人工物も少ないので自然そのものの美しさを魅せてくれた。
 屈みこみ、まだ日が高いこともあって透き通るように淡く光る池の、静かに水面に映る自分の顔をぼんやり眺める。雲一つなく晴れ晴れとして天気がいいので、池の青にも反映されて綺麗に透き通って色を移す。ただぼんやり眺めているだけでも風情や風流があってとても癒される。ああ、いいなぁ。
 しかししばらくそのまま自然に癒されていると、ふと違和感を覚えた。――誰かが近付いてる。まさかこんなところで人に出くわすとは。慌てて立ち上がり振り返ると、そこには想定外の人物が静かにたたずんでいた。向こうも私に気付くと驚きにその目を見開く。
 驚きで固まる私と違って向こうは立ち直りが早かった。にっこりと薄っすらとした軽薄な微笑を浮かべると、例の如くパーソナルスペースを詰めてきた。……マジか。こんなことってあるのか。誰もまだ知らない秘密の場所だと思って完全に油断してた。最悪だ。今からでも無かったことにできないかな。
 少しづつ距離を詰められてジリジリと池の外周を沿って逃げるしかない。私の逃げ腰の反応を見てあまりお近付きになりたくない空気を感じ取ったのか、人によっては、というより相手にとって一歩あれば詰め寄れる位置で足を止められた。どうかそのままUターンしてくれないものか。私の嫌そうな雰囲気が伝わってるに違いないのに、結局願い届かずさらに笑顔を深めてキラキラしく話しかけられてしまった。無念。

「――へぇ。また会ったね。やっぱり運命なのかな?」

 ――違います。

 混乱する思考で思わず失言しかけた口を噤み、私が眉を顰めたのに気付いているだろうにキラキラしい笑顔で見つめてくるのは変わらない。七面倒なやつに出くわしてしまったものだ。どちらでもいいので誰かこの場からワープさせてくれないだろうか……。

 ――攻略対象その三。ジギタリス・サギ=グロヴェリア。

 何故、あなたがここにいるの……?

 ここは攻略対象たちですら初期は知り得ないはずの特別な場所。いったいどうして、ありえない、おかしい、という疑問符一杯の頭で混乱しながら、高位貴族に話しかけられては無視が出来ないので気を持ち直して貴族令嬢らしく気丈に相手を見据えることにした――。
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