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第四章
(二)
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明けて慶長十四年(一六〇九年)一月、尾張入りした家康は義利を伴って新城の候補地を視察し、正式に那古野への遷府を決定した。そしておそらくはこのときに、かの地の呼称を名古屋と改めたと思われる。さらに翌月には普請奉行を定め、縄張りに取り掛からせた。
奉行に任ぜられたのは、滝川彦次郎忠征・佐久間河内守政實・牧助右衛門長勝・山城宮内少輔忠久・村田権右衛門の五人であった。忠征と政實はかつて秀吉の元で伏見城の普請奉行をした功もあり、他の者も経験豊かな実務家であったことは窺い知れる。
その下には普請助役として十九の大名家が就き、石垣積を負担することとなった。殊に本丸天守台の石垣は高い業が必要となるため、熊本城の見事な普請で実績のある加藤肥後守清正が単独で当たり、残る部分を他の十八家が石高に応じて分担することとされた。
ところがその折、駿府の義利の元を急遽訪ってきた者があった。許嫁の春姫の父親である、浅野紀伊守幸長だ。ちょうど尾張より戻ってきていた氏勝も、その対面に同席することとなった。
「これは右兵衛督どの。しばらく会わぬ間に立派になられた……祝言が今から楽しみにございますぞ」
「紀伊守どのもますますご健勝のようで、何よりでござる」
義利もこの未来の義父のことが嫌いではないようで、声も心なしか弾んでいた。ただ、此度の急な来訪の目的がわからず戸惑ってもいる。間もなくはじまろうとしている新城の普請には、この幸長は関わっていないはずなのだ。この前年に終わった丹波亀山城の改築に於いて、幸長は中心的な役割を担っていた。それに続けて普請に加わるのは負担が大きかろうと、さすがに家康も助役から外していたのだ。もちろんそこには浅野家が、間もなく徳川の縁戚になるということも考慮されているのであろう。
ところが当の幸長は、それが逆に不満であったらしい。ゆえに、是非とも此度の新城の普請助役に加えて欲しいと嘆願してきたのだった。
「何しろこの名古屋の城は、我が娘婿である右兵衛督どのの居城。つまりは将来、お春もこの城に住まうことになる。ならばどうして、父であるこの紀州が普請に加われぬのか。まことに口惜しゅうございますぞ」
このところ家康は天下普請と称して、主に豊臣恩顧であった諸将たちを各地の城の普請に駆り出していた。その狙いは明らかに、諸大名の力を削ぎ、幕府の支配体制を強固なものにすることであった。大きな負担を強いられた大名たちの中には、やむなく武具や鉄砲までを処分して金に換えている者たちも多く、早くも不満の声も聞こえはじめている。そんな中でわざわざ名乗り出てくる者は珍しく、氏勝としても対応に困った。そもそも新城の普請を仕切っているのは幕府であって、義利も氏勝も口を挟むようなことはせずにきたのだ。
「どうしたものかな、大和?」幸長が帰って行ったあとで、義利は困り顔で相談してきた。「我より父上に伝えても良いのだが、果たして通るであろうか。石垣積の分担はもう固まっておるのであろう?」
「殿のお手を煩わせるまでもありませぬ。この件は某が」
「うむ……されど我も、紀伊守どのの気持ちは嬉しいのだ。ああ申してくださった以上は、是非とも普請に加わっていただきたい。よろしく頼む、大和」
畏まりました、と氏勝は答える。とはいえ内心では、幸長の願いを叶えることは難しいのではないかと思っていた。
されどお亀の方を通じて家康に諮ると、いとも簡単に石垣の分担は変更となった。どうやら家康も幸長の丹波亀山城での実績を高く評価していたようで、名古屋でもその腕を揮えるというなら是非にと考えていたらしい。そのため石垣の中でも重要な本丸東櫓、さらには二の丸の枡形周辺が任せられることになった。
城の普請に先駆けて、名古屋ではすでに町の整備がはじまっていた。各国からの職人たちが集まってくる前に、その宿となる小屋が必要だったゆえだ。また石垣に用いる巨石は春日井の採石場から切り出されることとなっていたが、その運搬のための道の整備もせねばならなかった。そのため氏勝は一足先に名古屋に仮屋敷を築き、腰を据えて監督にあたっていた。
その仮屋敷を、あるとき百にも及ぶ騎馬武者を従えた将が訪ねてきた。何事かと思って応対に出ると、現れたのは思わぬ人物であった。親豊臣方で浅野家と並び最大の勢力を誇る、肥後熊本城城主・加藤肥後守清正である。
むろん音に聞こえた猛将として、顔はよく見知っている。これまでも駿府で幾度か同席したこともあった。されど言葉を交わしたことは一度もなく、いったい何がための訪問かと、思わず氏勝も身構えてしまう。
「山下大和守と申したな」と、清正は重々しい声で切り出した。「まずは此度の浅野紀州への心配り、わしからも感謝を伝えようと思う」
氏勝は「……そのようなことは」と首を振る。徳川にしてみればむしろ、普請から外したことが気遣いのつもりだったのであろう。それが却って幸長に失礼になってしまったようで、心苦しく思ってもいた。
「わざわざ、それを伝えにいらしてくださったのでしょうか?」
「いや、そればかりではないのだが……知っているかもしれぬが、紀州はわしにとって身内のようなものでな。弾正(幸長の父・長政)どのからも、あやつをよろしく頼むと言われておるのだ」
「もちろん存じております。朝鮮での武勇は、知らぬ者もおりませぬゆえ」
清正と幸長は、かの朝鮮征伐の折はともに海を渡って前線で戦っていた。中でも知られているのは、やはり蔚山城での籠城戦であろう。戦役末期の慶長二年(一五九七年)、幸長らが普請中の蔚山城を五万余の明・朝鮮連合軍に急襲され、わずか一万で籠城することとなった戦いである。窮地を聞いた清正は五百騎を従えて救援に駆け付け、ほとんど兵糧もない中で十日間にわたって奮闘し、城を守り切ったという。さような死線をともに潜った者同士の絆というのは、余人には想像もつかぬほど強いものであろう。
「その紀州がひどく気に入っているおぬしという男がいかような者かと思い、もののついでに立ち寄ったというのが正直なところよ。気を害したなら許されたい」
「そのようなことは何も。されどそれはむしろ、我が主のほうではないかと」
「むろん、右兵衛どのにもすっかり惚れ込んでおるようだ。されどそれ以上に、山下大和守という者に友誼を感じているらしい。それこそわしも、何度おぬしの話を聞かされたか」
そうして清正は現れてからはじめて、わずかに口を歪めるように笑った。されど友誼と言われても、氏勝と幸長では身分が違う。こちらは二千石の一陪臣、片や三十七万石の大大名である。
「それにわざわざ見物に来られずとも、肥後守さまとは幾度かお目見えさせていただいております」
「されどこうして膝を突き合わせ、言葉を交わすのははじめてであろう?」
そうして清正はまた、険しい表情に戻った。かといって、氏勝の反応に失望したわけでもなさそうだった。
「某などつまらぬ者にございます。肥後守さまのご興味を惹くようなものは、何も……」
そう言いかけたところへ、清正が遮るように「わしは……」と言葉を挟んできた。
「わしはおぬしを見ていて、ずっとある男に似ていると思っていた。そう、おぬしとよく似た男を知っている……いや、知っていた」
「某と似たお方……で、ございますか?」
「うむ。その者の名は、石田治部少といった」
これはまた、大層な名前が出てきたものだ。氏勝は少々鼻白みながらも、それは顔に出さずに首を振った。
「光栄ではありますが、とんだ買い被りでござる。某など、かの御仁の足元にも及びますまい」
そう答えると、何が意外だったのか清正は驚いたように片目を見開いた。そうしてこちらを覗き込むように、わずかに身を乗り出してくる。
「おぬしは徳川の者であろう。ならばかの者は、主君に弓を引いた大罪人ではないのか?」
「……さて」と、氏勝は首を振る。「某はかの御仁をよくは知りませぬゆえ、憎むのは難しゅうございます。むしろ豊臣の世を縁の下から支え、そして天下の半分を背負って大戦に挑まれたこと、ただ感嘆するばかり」
清正はまるで得心でもしたかのように、「……なるほどの」とつぶやいて頷いた。「やはりおぬしは似ておるよ」
氏勝はどう返答したものかわからず、できれば早々にかような話題は切り上げたく思っていた。されど興味もまた湧き上がってきて、つい問いを返していた。
「石田さまとは、いったいどのような御仁であったのでございますか?」
「そうよの……」と、清正は思案するようにしばし言葉を切った。そしてややあって、答えた。「まあ、融通の利かぬ男ではあった」
「……はあ」
「ある意味では、誰よりも公正であったと言えよう。ふた言目には豊臣がため、太閤殿下のため。殿下薨じたのちは、御曹司さまのため……そう、およそ私というものがない男であった。我欲というものがない男であった。それゆえわしは、あの男を信ずること能わなかった」
「我欲なきゆえに……信じられなかったと?」
「さよう。私なきゆえ、我欲なきゆえ、わしには最後まで治部少という男がわからなかった。そうであろう……私心とは、我欲とは、その者の根よ。その者がその者たる所以よ。その私が見えぬ者を、信ずるは難しい」
清正はそう言い切って、深いため息をついた。この清正はそれゆえあのとき治部少輔三成と対立し、徳川へ付くことを選んだのか。されど今の言葉の端々からは、その選択が果たして正しかったのかという迷いすら感じ取れた。まさかその三成と似ているらしい男と話して、おのが迷いを振り切りたいとでも考えているのか。
だとしたら、お門違いにも程がある。
「やはり買い被りでございますよ、肥後守さま。某はさように立派な者ではありませぬ。この身の裡は、私心で……我欲でいっぱいにございます。その罪深さに、いっそ慄くことさえあるほどに。どこまでも膨れ上がってゆく私が、怖ろしくて堪らぬほどに」
氏勝のその言葉に、清正は「……ほう」と声を漏らした。「では訊こうか、大和守。おぬしの私とは、いかなるものぞ」
「ただ主がため」と、即座に答えた。「我が主の安寧を。栄光を。徳川右兵衛督家の血筋に、千年の弥栄を」
「それのどこが私心、どこが我欲だと言うのだ?」
「私心でござろう。誰に命じられたのでもなく、見返りに欲しいものもなく、ただおのれの中から湧き出てくるものですゆえ。某にはまこと、それしかないのです。これが私心でなければ何だと言うのか」
理解して欲しいという気など露ほどもないにも関わらず、言葉はおのずと口からこぼれ落ちてゆく。されどそこに偽りはひとつもなかった。どれもこれも、おのが本心に他ならない。
「おのが裡にあるのは、ただ忠義のみということか」
「はて、これを忠義と呼んでよきものやら。さように美しいものではない気がいたします」
氏勝のその答えに、清正は訝しげに眉を顰めた。「主に尽くすことが、美しくないとでも申すか?」
「さにはありませぬ……が、某はまことにつまらぬ者なのでございますよ、肥後守さま。身の裡には何もなく、ただがらんどうなのです。そうして常に、乾いた風が吹いておりまする。されど我が殿のことを思うときだけは、がらんどうではなくなるのです。それどころか何かが、あとからあとから溢れ出てくる……某は、それがただ嬉しいのです。これは我欲でござろう」
清正は腕を組み、何かを思案するように黙り込んだ。それでも目だけは、じっとこちらへ向けられている。その言葉の真意を、あるいは裏を覗き込みでもするかのように。
そうしてしばしののち、つぶやくように言った。「……あの男も、そうであったと申すか」
「それはわかりませぬ。あくまでも、某の話にございますゆえ」
ふむ、と清正はまた低く唸った。そうしてまたわずかな沈黙ののち、諦めたように小さくため息をついた。
「やはり、よくはわからぬ。おぬしもまた、わしには理解の及ばぬ男のようだ」
「申し訳ありませぬ」
「構わぬ……こちらこそ、つまらぬことで邪魔をしたな」
清正はそう言って立ち上がった。そうして部屋を出てゆこうとするが、いったん足を止めて振り返る。
「あの男のことも、いまだよくわからぬままよ。されど……おぬしがあの男を讃えたこと、どういうわけか嬉しく思っておる」
最後にまたにやりと口元を緩めると、清正はまるでそれを恥じるようにくるりと背を向け、今度こそ大股に歩き去って行った。
「城の普請のことは任せよ。必ずや、天下一の石垣を積んでみせようぞ!」
去り際に、大声で吠えるような声が聞こえた。氏勝は頭を下げたまま、小声で「……お頼み申し上げまする」とのみ答える。
奉行に任ぜられたのは、滝川彦次郎忠征・佐久間河内守政實・牧助右衛門長勝・山城宮内少輔忠久・村田権右衛門の五人であった。忠征と政實はかつて秀吉の元で伏見城の普請奉行をした功もあり、他の者も経験豊かな実務家であったことは窺い知れる。
その下には普請助役として十九の大名家が就き、石垣積を負担することとなった。殊に本丸天守台の石垣は高い業が必要となるため、熊本城の見事な普請で実績のある加藤肥後守清正が単独で当たり、残る部分を他の十八家が石高に応じて分担することとされた。
ところがその折、駿府の義利の元を急遽訪ってきた者があった。許嫁の春姫の父親である、浅野紀伊守幸長だ。ちょうど尾張より戻ってきていた氏勝も、その対面に同席することとなった。
「これは右兵衛督どの。しばらく会わぬ間に立派になられた……祝言が今から楽しみにございますぞ」
「紀伊守どのもますますご健勝のようで、何よりでござる」
義利もこの未来の義父のことが嫌いではないようで、声も心なしか弾んでいた。ただ、此度の急な来訪の目的がわからず戸惑ってもいる。間もなくはじまろうとしている新城の普請には、この幸長は関わっていないはずなのだ。この前年に終わった丹波亀山城の改築に於いて、幸長は中心的な役割を担っていた。それに続けて普請に加わるのは負担が大きかろうと、さすがに家康も助役から外していたのだ。もちろんそこには浅野家が、間もなく徳川の縁戚になるということも考慮されているのであろう。
ところが当の幸長は、それが逆に不満であったらしい。ゆえに、是非とも此度の新城の普請助役に加えて欲しいと嘆願してきたのだった。
「何しろこの名古屋の城は、我が娘婿である右兵衛督どのの居城。つまりは将来、お春もこの城に住まうことになる。ならばどうして、父であるこの紀州が普請に加われぬのか。まことに口惜しゅうございますぞ」
このところ家康は天下普請と称して、主に豊臣恩顧であった諸将たちを各地の城の普請に駆り出していた。その狙いは明らかに、諸大名の力を削ぎ、幕府の支配体制を強固なものにすることであった。大きな負担を強いられた大名たちの中には、やむなく武具や鉄砲までを処分して金に換えている者たちも多く、早くも不満の声も聞こえはじめている。そんな中でわざわざ名乗り出てくる者は珍しく、氏勝としても対応に困った。そもそも新城の普請を仕切っているのは幕府であって、義利も氏勝も口を挟むようなことはせずにきたのだ。
「どうしたものかな、大和?」幸長が帰って行ったあとで、義利は困り顔で相談してきた。「我より父上に伝えても良いのだが、果たして通るであろうか。石垣積の分担はもう固まっておるのであろう?」
「殿のお手を煩わせるまでもありませぬ。この件は某が」
「うむ……されど我も、紀伊守どのの気持ちは嬉しいのだ。ああ申してくださった以上は、是非とも普請に加わっていただきたい。よろしく頼む、大和」
畏まりました、と氏勝は答える。とはいえ内心では、幸長の願いを叶えることは難しいのではないかと思っていた。
されどお亀の方を通じて家康に諮ると、いとも簡単に石垣の分担は変更となった。どうやら家康も幸長の丹波亀山城での実績を高く評価していたようで、名古屋でもその腕を揮えるというなら是非にと考えていたらしい。そのため石垣の中でも重要な本丸東櫓、さらには二の丸の枡形周辺が任せられることになった。
城の普請に先駆けて、名古屋ではすでに町の整備がはじまっていた。各国からの職人たちが集まってくる前に、その宿となる小屋が必要だったゆえだ。また石垣に用いる巨石は春日井の採石場から切り出されることとなっていたが、その運搬のための道の整備もせねばならなかった。そのため氏勝は一足先に名古屋に仮屋敷を築き、腰を据えて監督にあたっていた。
その仮屋敷を、あるとき百にも及ぶ騎馬武者を従えた将が訪ねてきた。何事かと思って応対に出ると、現れたのは思わぬ人物であった。親豊臣方で浅野家と並び最大の勢力を誇る、肥後熊本城城主・加藤肥後守清正である。
むろん音に聞こえた猛将として、顔はよく見知っている。これまでも駿府で幾度か同席したこともあった。されど言葉を交わしたことは一度もなく、いったい何がための訪問かと、思わず氏勝も身構えてしまう。
「山下大和守と申したな」と、清正は重々しい声で切り出した。「まずは此度の浅野紀州への心配り、わしからも感謝を伝えようと思う」
氏勝は「……そのようなことは」と首を振る。徳川にしてみればむしろ、普請から外したことが気遣いのつもりだったのであろう。それが却って幸長に失礼になってしまったようで、心苦しく思ってもいた。
「わざわざ、それを伝えにいらしてくださったのでしょうか?」
「いや、そればかりではないのだが……知っているかもしれぬが、紀州はわしにとって身内のようなものでな。弾正(幸長の父・長政)どのからも、あやつをよろしく頼むと言われておるのだ」
「もちろん存じております。朝鮮での武勇は、知らぬ者もおりませぬゆえ」
清正と幸長は、かの朝鮮征伐の折はともに海を渡って前線で戦っていた。中でも知られているのは、やはり蔚山城での籠城戦であろう。戦役末期の慶長二年(一五九七年)、幸長らが普請中の蔚山城を五万余の明・朝鮮連合軍に急襲され、わずか一万で籠城することとなった戦いである。窮地を聞いた清正は五百騎を従えて救援に駆け付け、ほとんど兵糧もない中で十日間にわたって奮闘し、城を守り切ったという。さような死線をともに潜った者同士の絆というのは、余人には想像もつかぬほど強いものであろう。
「その紀州がひどく気に入っているおぬしという男がいかような者かと思い、もののついでに立ち寄ったというのが正直なところよ。気を害したなら許されたい」
「そのようなことは何も。されどそれはむしろ、我が主のほうではないかと」
「むろん、右兵衛どのにもすっかり惚れ込んでおるようだ。されどそれ以上に、山下大和守という者に友誼を感じているらしい。それこそわしも、何度おぬしの話を聞かされたか」
そうして清正は現れてからはじめて、わずかに口を歪めるように笑った。されど友誼と言われても、氏勝と幸長では身分が違う。こちらは二千石の一陪臣、片や三十七万石の大大名である。
「それにわざわざ見物に来られずとも、肥後守さまとは幾度かお目見えさせていただいております」
「されどこうして膝を突き合わせ、言葉を交わすのははじめてであろう?」
そうして清正はまた、険しい表情に戻った。かといって、氏勝の反応に失望したわけでもなさそうだった。
「某などつまらぬ者にございます。肥後守さまのご興味を惹くようなものは、何も……」
そう言いかけたところへ、清正が遮るように「わしは……」と言葉を挟んできた。
「わしはおぬしを見ていて、ずっとある男に似ていると思っていた。そう、おぬしとよく似た男を知っている……いや、知っていた」
「某と似たお方……で、ございますか?」
「うむ。その者の名は、石田治部少といった」
これはまた、大層な名前が出てきたものだ。氏勝は少々鼻白みながらも、それは顔に出さずに首を振った。
「光栄ではありますが、とんだ買い被りでござる。某など、かの御仁の足元にも及びますまい」
そう答えると、何が意外だったのか清正は驚いたように片目を見開いた。そうしてこちらを覗き込むように、わずかに身を乗り出してくる。
「おぬしは徳川の者であろう。ならばかの者は、主君に弓を引いた大罪人ではないのか?」
「……さて」と、氏勝は首を振る。「某はかの御仁をよくは知りませぬゆえ、憎むのは難しゅうございます。むしろ豊臣の世を縁の下から支え、そして天下の半分を背負って大戦に挑まれたこと、ただ感嘆するばかり」
清正はまるで得心でもしたかのように、「……なるほどの」とつぶやいて頷いた。「やはりおぬしは似ておるよ」
氏勝はどう返答したものかわからず、できれば早々にかような話題は切り上げたく思っていた。されど興味もまた湧き上がってきて、つい問いを返していた。
「石田さまとは、いったいどのような御仁であったのでございますか?」
「そうよの……」と、清正は思案するようにしばし言葉を切った。そしてややあって、答えた。「まあ、融通の利かぬ男ではあった」
「……はあ」
「ある意味では、誰よりも公正であったと言えよう。ふた言目には豊臣がため、太閤殿下のため。殿下薨じたのちは、御曹司さまのため……そう、およそ私というものがない男であった。我欲というものがない男であった。それゆえわしは、あの男を信ずること能わなかった」
「我欲なきゆえに……信じられなかったと?」
「さよう。私なきゆえ、我欲なきゆえ、わしには最後まで治部少という男がわからなかった。そうであろう……私心とは、我欲とは、その者の根よ。その者がその者たる所以よ。その私が見えぬ者を、信ずるは難しい」
清正はそう言い切って、深いため息をついた。この清正はそれゆえあのとき治部少輔三成と対立し、徳川へ付くことを選んだのか。されど今の言葉の端々からは、その選択が果たして正しかったのかという迷いすら感じ取れた。まさかその三成と似ているらしい男と話して、おのが迷いを振り切りたいとでも考えているのか。
だとしたら、お門違いにも程がある。
「やはり買い被りでございますよ、肥後守さま。某はさように立派な者ではありませぬ。この身の裡は、私心で……我欲でいっぱいにございます。その罪深さに、いっそ慄くことさえあるほどに。どこまでも膨れ上がってゆく私が、怖ろしくて堪らぬほどに」
氏勝のその言葉に、清正は「……ほう」と声を漏らした。「では訊こうか、大和守。おぬしの私とは、いかなるものぞ」
「ただ主がため」と、即座に答えた。「我が主の安寧を。栄光を。徳川右兵衛督家の血筋に、千年の弥栄を」
「それのどこが私心、どこが我欲だと言うのだ?」
「私心でござろう。誰に命じられたのでもなく、見返りに欲しいものもなく、ただおのれの中から湧き出てくるものですゆえ。某にはまこと、それしかないのです。これが私心でなければ何だと言うのか」
理解して欲しいという気など露ほどもないにも関わらず、言葉はおのずと口からこぼれ落ちてゆく。されどそこに偽りはひとつもなかった。どれもこれも、おのが本心に他ならない。
「おのが裡にあるのは、ただ忠義のみということか」
「はて、これを忠義と呼んでよきものやら。さように美しいものではない気がいたします」
氏勝のその答えに、清正は訝しげに眉を顰めた。「主に尽くすことが、美しくないとでも申すか?」
「さにはありませぬ……が、某はまことにつまらぬ者なのでございますよ、肥後守さま。身の裡には何もなく、ただがらんどうなのです。そうして常に、乾いた風が吹いておりまする。されど我が殿のことを思うときだけは、がらんどうではなくなるのです。それどころか何かが、あとからあとから溢れ出てくる……某は、それがただ嬉しいのです。これは我欲でござろう」
清正は腕を組み、何かを思案するように黙り込んだ。それでも目だけは、じっとこちらへ向けられている。その言葉の真意を、あるいは裏を覗き込みでもするかのように。
そうしてしばしののち、つぶやくように言った。「……あの男も、そうであったと申すか」
「それはわかりませぬ。あくまでも、某の話にございますゆえ」
ふむ、と清正はまた低く唸った。そうしてまたわずかな沈黙ののち、諦めたように小さくため息をついた。
「やはり、よくはわからぬ。おぬしもまた、わしには理解の及ばぬ男のようだ」
「申し訳ありませぬ」
「構わぬ……こちらこそ、つまらぬことで邪魔をしたな」
清正はそう言って立ち上がった。そうして部屋を出てゆこうとするが、いったん足を止めて振り返る。
「あの男のことも、いまだよくわからぬままよ。されど……おぬしがあの男を讃えたこと、どういうわけか嬉しく思っておる」
最後にまたにやりと口元を緩めると、清正はまるでそれを恥じるようにくるりと背を向け、今度こそ大股に歩き去って行った。
「城の普請のことは任せよ。必ずや、天下一の石垣を積んでみせようぞ!」
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「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
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