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刀匠
しおりを挟むコツコツと近づいてきた足音を、暗闇にひそむ猫のような慎重さでやりすごしたあと、杉右衛門がわたしの問いかけにこたえた。
「鍛刀するには玉鋼が硬すぎるのが問題でしょう」
初夏の瑞々しい日差しが、部屋の隅に濃い影をおとしている。
杉右衛門は弟子というより、年下の友人といったほうがしっくりとくる色白の男だった。四年前に突然あらわれ、いつの間にか向こう鎚をとるようになった。
いまではこの男なしでは鍛刀するどころか日々の生活もかなわない。
わたしはこの男を愛しているのだろう。
差し出された玉鋼を指で潰すと、まだ白っぽくまだらでボソボソとしている。
なるほど、杉右衛門のいうとおり鍛刀するには硬すぎるようだ。
まだ若い鋼なのだろう、とおもった。
同時に、鍛錬次第だ、ともおもった。
「巡回は」
「行ったばかりです」
杉右衛門の口元が悪童のような笑みに歪んだ。
まずは玉鋼を机のうえで、塗り薬のように透けるまで引き延ばした。鍛錬の最初の工程だ。
わずかに残った玉鋼の破片は、この工程でほとんどが砕かれて混ざり合った。
次に玉鋼を棒状に延々と伸ばしていき、最終的には人差し指と中指に巻きつけることができるくらいまで均一に細くする。
根気のいる工程だが、これは玉鋼に鍛刀できるほどの素直さと強靭さが両立しているか確かめるためのものだ。
細く伸ばされた玉鋼は指に巻きつけてしばらくするとヒビが入った。
「まだ硬すぎるようです」
「なら黒鉛を使おう」
そういうと、杉右衛門の鋭く形の良い眉がわずかに影をおびた。
実のところ、玉鋼と黒鉛の合成による鍛刀はすでに三度、失敗をしている。
玉鋼の備蓄はそれでもう底をついていた。
これ以上鍛刀するには、近隣に頭を下げて砂鉄を集めてまわらねばならないのだが、昨日の今日で砂鉄集めは容易では無い。
お上に咎められたばかりなのだ。
杉右衛門の眉はその心配してくれているのだ。だから不快ではない、むしろ彼の心根が嬉しかった。
「工夫するさ。実は試したい方法があるんだ」
黒鉛は鉛筆の削りかすの中に多く含まれていたが、それを抽出したままの状態で玉鋼に添加すると、黒鉛がうまく混ざらず折損の原因になる。
ようは黒鉛が大きすぎるのが問題で、前回は抽出後、砂粒よりも細く粉砕してから添加したのだが、それでもダマになってしまった。
もっと微細な、蛾の鱗粉よりも細くする必要があった。
わたしはまず杉右衛門に紙を用意させた。それに鉛筆の芯をこすりつけた。
紙はたちまち黒光りし、指で触れると花粉のような黒鉛が指に付着した。
杉右衛門が息を飲むのがわかった。玉鋼は黒くなった指でこねられると黒くまだらになり、やがて硬い弾力はしっとりとした丸みに変わっていった。
頼りなかった玉鋼は、まるで龍神の瞳孔のように、深く暗い見事な地金へと成長した。
「鍛刀の準備を」
杉右衛門は驚きと興奮で目を見開いたままうなずいた。
押しつぶし鍛刀術は、杉右衛門と四年がかりでたどり着いた我流の鍛刀法だった。
まず、地金を均一に常寸まで引き延ばす。少しの傷も歪みもあってはならない。これも折損の原因になるのだ。
次に片方の先端を杭のように尖らせる。
しかるのち、全体を板状に押しつぶし、尖らせた先端を右に寄せて刀の切っ先を形成する。
地金が硬いと、このときにヒビが生まれ失敗となる。
最後に左側を薄くなるまで指で叩いて刃をつくり、刀身全体に反りを生じさせる。最後に唾をつけてなすって焼き入れとした。
「銘は」
黒く艶のある刀を前にして、杉右衛門の声が震えた。
「……だめだ」
予想どおり刀は抜刀の負荷を加えると、すぐに亀裂を生じさせ、杉右衛門を落胆させた。
しかし破断面は黒く均一だった。これは良い傾向といえる。
「もう一度だ」
杉右衛門を励まし、鍛刀は二度三度くりかえされた。
すべて無銘だ。
だがそれでいい。
『虎徹』という刀がある。
長曾根興里が鍛刀した類稀なる名刀である。
その虎徹、本来は『古鉄』と書く。大量の古い鉄を使ったからだといわれている。
精錬技術が未発達の当時は、銅混じりの柔らかい鉄しか作れなかったのだが、溶かされ叩かれ幾度も再利用されるうちに、過剰な銅は排出されていった。
そうして長年使われてきた鉄は、硬度と粘りの両立した、刃物として極上の材になることを興里は知っていたのだ。
つまりこの無銘の鍛刀は『虎徹』にいたる精錬の歴史をたどっているのだ。
けっして遊んでいるわけではない。
けっして!
「佐々木くんと杉田くん、四年生にもなって、また消しゴムで鼻クソつくって遊んでる。ほら、杉田くん前向いて! 授業中だよ」
隣の醜女が、嫌そうにいった。
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