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◇それぞれの恋の行方
しおりを挟むふわり、と僅かに甘い香りが鼻をくすぐる。
少し乱れた栗色の髪に、思わず鼻を擦り寄せると、腕の中の華奢な身体がピクリと動いた。
「……ゼ、ゼレン様」
「………」
「ゼレン様っ、」
名前を呼ばれ、遠慮がちに胸を押される。離れろと言われているようだが、構わず腕に力を込めた。
「痛っ……」
「リーチェ!?」
うめき声が聞こえ、慌てて体を離すと、痛みに顔を歪めているリーチェがいた。
「どこが痛みますか?」
「ええと……縛られていた部分と、扉に体当たりした肩辺りです」
肩と聞いて眉をひそめると、リーチェがすかさず「前に痣になった所とは反対の肩でぶつかりました」と説明を入れた。
そうだけど、そうじゃない。
「……もう二度と、体当たりで扉を破ろうなんて考えないで下さい」
「そうですね。足が縛られていなければ、蹴破る方法にしたのですけど…」
「リーチェ」
きょとんとした顔の彼女は、自分の身体が心配されているとは、思っていないのだろうか。
それが少し悲しくて、悔しい。
乱れた髪を整えるように、頭を撫でる。途端にリーチェは顔を赤くして俯いた。
もう一度抱きしめたくなる衝動を抑え、背中を支えながらゆっくりと立ち上がらせる。
「とりあえず、医務室へ。治療をしてもらってから、詳しく話しましょう」
「……はい」
まだ俯いたままのリーチェは、こくこくと頷いた。
医務室には、医務官が一人いるだけだった。
すぐにリーチェを診てもらうと、念の為ベッドに寝かせ、医務官には席を外してもらう。
俺はベッド脇の丸椅子に腰掛けると、こちらをじっと見ているリーチェに気が付いた。
「……どうしました?」
「ゼレン様。こちらを」
リーチェが差し出してきたのは、小瓶だ。
以前、俺が渡した飴が入っている小瓶で―――今回、俺達を繋いでくれたもの。
俺がそれを受け取ると、リーチェが嬉しそうに微笑んだ。
「気付いて下さって、ありがとうございました」
あの時……シェリル王女が部屋にいないという知らせを受け、走り出した俺は、まず部屋で護衛の話を聞いた。
それから向かっていった方向を闇雲に探していたところ、エレフィス様が衛兵を引き連れてやって来たのだ。
それぞれが城内に散らばり、ほんの僅かな異変を見逃さないように捜索していると、報告が入った。
―――小さな飴が、落ちていると。
俺はそれを見つけてくれた衛兵を褒めちぎると、その場所へ向かった。
落ちていた飴は、間違いなく俺がリーチェへ渡したものだったのだ。
「よく、咄嗟に飴を落とせましたね」
「薬品を嗅がされて意識を失うまで、少し時間があったので良かったです。ゼレン様なら気付いてくれると……信じていました」
もっと前に怪しいと気付けていたら、こんなことにならずに済んだのに…と悔しそうに言ったリーチェは、ぎゅっと拳を握った。
「シェリル様と私を連れ出した騎士と、私に背後から襲ってきた騎士も顔を覚えています。…予想はついていると思いますが、ルイーゼ様の…」
「ああ、ルイーゼ嬢とその側近たちは既に拘束済みです」
「えっ?」
リーチェはポカンと口を開けながら、体を起こした。俺としては寝ていて欲しいが、それでは話が聞きづらいのだろう。
「もう、ですか?いつの間に?」
「あまり詳しくはまだ知りませんが…まず、彼女が怪しいと思ったのは、シェリル王女殿下が部屋にいないと報告が入った時、タイミングよくエレフィス様と謁見の間の前に現れたからです」
それからの事を、かいつまんでリーチェへ話す。
俺はその時のルイーゼ嬢の言葉と表情から、彼女が関わっていると思った。すぐに駆け出し、シェリル王女の護衛と話し、捜索を始めたこと。
途中でエレフィス様が衛兵を引き連れてやってきて驚いたこと。そして理由を訊けば、ルイーゼ嬢を拘束したとサラリと言われたこと。
「エレフィス殿下が?」
「はい。俺の反応と今までの言動から、エレフィス様もルイーゼ嬢を疑ったようです」
一緒に謁見の間へ現れたのは、エレフィス様が執務室を出た時、見計らったようにルイーゼ嬢が近くにいて、「何だか謁見の間の辺りが騒がしいみたいです」と言ってきたからのようだ。
「その場で問い質したと言っていました。少し威圧したら、アッサリと白状したみたいです。……ただ、居場所は知らない、護衛騎士に任せたと一点張りだったそうで」
「ああ…、なるべく罪を他人に擦り付けたかったのですね」
リーチェの白けた表情で、前に自分に怪我を負わせたのが、ルイーゼ嬢の護衛になっていたことを思い出しているのだと分かった。
「エレフィス様はすぐにルイーゼ嬢を拘束し、次いで彼女の部屋にいた侍女と護衛を拘束したそうです。そして護衛二人はお互いに責任を擦り付け合い、なかなかシェリル王女殿下の居場所を吐かず、他の衛兵に尋問を任せて俺と合流したそうです」
きっとルイーゼ嬢に、何か弱みを握られ脅されていたのだろう。
今更責任を押し付けあった所で、もう意味はないというのに。
「そして虱潰しに探していたら、この飴を衛兵が発見しまして。近くを重点的に調べていると、地下室があることを俺が思い出しました。騎士見習いの時に、よく雑用で使われていた場所でした」
ルイーゼ嬢の護衛をしていた騎士も、元はこの城の騎士見習いだった。見習い以外が近付かない部屋は、きっと好都合だと思ったに違いない。
「そこで階段を降りている最中に、物凄い音が聞こえ、シェリル王女殿下とお転婆娘が倒れ込んできたというわけです」
「……もう娘という歳ではないと思います」
「突っ込みどころは、そこではありません」
真顔でリーチェがそう言うから、俺は笑ってしまった。お転婆の部分は否定しなくていいのだろうか。
「……本当に、心配しました」
「………っ、」
握られていた拳に、そっと手を重ねると、リーチェの瞳が揺れる。
誰かに助けを求めるかのように、視線が扉へ向いた。だが、残念。
―――もう、逃がしはしない。
「リーチェ」
「は、はいっ」
「俺は、貴女のことが好きです」
ずっと胸に抱えていた言葉は、驚くほどスルリと口から出た。
リーチェは目を見開いて固まっている。そんな姿も愛おしい。
重ねていた手を離し、赤らんだ頬にかかっていた髪を耳にかける。そのまま頬へ手を滑らせると、リーチェがピクッと肩を震わせた。
「ゼレン、さ、ま…」
「本当に可愛いですね。芯の強い潤んだ瞳も、小さな鼻も……震える艶のある唇も」
親指で唇を撫でると、リーチェは再び固まる。泣き出しそうな顔で俺を見ているが、手を緩める気は無かった。
「リーチェは、俺のことをどう思っていますか?」
「………っ」
リーチェの頬がカッと熱くなるのが分かった。そんな態度から、勝手に期待が膨らんでいく。
何度か口を開けたり閉じたりを繰り返し、キュッと唇を結んだリーチェは、俺をしっかりと見据えた。そして。
「私も、ゼレン様が好きです」
瞬間、全身にぶわりと熱が巡る。
目の前で顔を真っ赤にしている愛しい存在を、抱きしめたくなる衝動に駆られた。
「……我慢だ、俺」
「えっ?」
「いえ、こちらの話です。あ、でもこれなら大丈夫か…」
ほとんど独り言のように呟いて、ふむ、と頷く。
そんな俺を不思議そうに見ていたリーチェの頬に手を当てたまま、吸い込まれるように口付けた。
唇が触れたのは、ほんの数秒。
名残惜しくも離れた俺は、リーチェの顔を見て笑ってしまった。
「あはは、人の顔ってここまで赤くなれるんですね」
「……っ、わ、笑い事じゃありません!な、と、突然何をっ…!」
「リーチェが可愛すぎるせいです」
「なっ……、もう、もう!!」
罵倒の言葉が出てこないのか、リーチェが「もう!」と繰り返す。
俺は久しぶりに、ずっと声を出して笑っていた。
ああ、これが恋か―――悪くないな、と思いながら。
◇◇◇
ざわざわと、楽しそうな声がホールに響く。
豪華な照明に照らされ、テーブルに並べられた料理が美味しそうに輝いている。
立ったまま会話をしている人々は、片手にグラスを持っていて、それが空になる度に給仕が忙しなく動き回っていた。
「ゼレン様」
愛しい声で名前を呼ばれ振り返ると、リーチェが立っていた。
緩く纏められた髪に、いつもより華やかに施された化粧。紺のドレスは体に沿うようなデザインで、彼女のスタイルの良さが際立っている。
「リーチェ、綺麗です。ドレスがとても良く似合っています」
「あ、ありがとうございます」
ドレスは、俺が昨日急いで店に足を運んで選び、リーチェに贈ったものだった。
今日の、婚約者発表と共に行われる事となった、王家主催のパーティーの為に。
昨日の騒動のあと、シェリル王女は無事に両陛下と面談が出来たらしい。
それは、お姫様抱っこをしたまま謁見の間へ向かったエレフィス様から聞いた。
何でも、両陛下はとても驚いていたとか。
それはそうだろう。自分たちの息子が、他国の王女を抱き上げながらやって来たのだから。
そこでエレフィス様はシェリル王女の身に起こった事を説明し、両陛下の承諾を得た上で、その後シェリル王女のみ面談を行ったという。
扉の外でじっと待っていたエレフィス様には、永遠の時間ように感じられたそうだ。
そうして、ルイーゼ嬢以外の婚約者候補との全ての面談を終え、当初の予定なら夕刻には婚約者発表となっていたが、ルイーゼ嬢の処遇を決める為に延期となった。
この説明を他国の王女たちにする役を、エレフィス様は買って出た。
丁寧に頭を下げながら話すエレフィス様を咎める王女は、誰もいなかった。
皆、ルイーゼ嬢は何かやらかすのではと思っていたらしい。
ルイーゼ嬢と側近たちの処罰は、その日の内に決まった。
ルイーゼ嬢はアルテシア国の辺境の地へ送られ、そこで平民として働くことを命じられた。本人の努力と改心が認められれば、いずれ自身の家へ帰ることが出来る。
だが今後一切、城内への立ち入りと、王家への接触は禁止となった。
この決定に、本人は何やら喚き散らしていたらしいが、最後には宰相のブレント様より喝が入ったと言う。
ブレント様はようやく現実に気付けたようで、辞職を願い出た。孫娘の成長を願い、一緒についていくらしい。
そして彼女の側近たちは解雇された。経歴に傷が付いたので、今後勤め先を探すのは難しくなるだろう。
いくらルイーゼ嬢に命令されたからと言っても、してはいけない事をしたのだ。
いずれも、他国の王女を監禁した罪としては、優しすぎる処罰だった。
シェリル王女が、両陛下に直々に処罰の軽減を願い出たからだ。
そのことを知ったリーチェは、「そこがシェリル様の欠点であり、美点です」と嬉しそうに笑っていた。
「……間もなく、ですかね」
ホールの前方の舞台に並べられた椅子を眺め、リーチェが呟いた。
時間になると、中央に両陛下とエレフィス様、周囲の椅子に婚約者候補たちが座る。
そして、国王陛下直々に婚約者が発表となる運びだ。
婚約者候補たちは現在、舞台袖で待機してもらっている。
側近たちはホールで好きに過ごしており、おかげでリーチェが俺の元へ来てくれた。
「そろそろだと思いますよ。緊張しますか?」
「ええ、とても。……ゼレン様は?」
「そうですね…俺も緊張しているので、手を握っていてくれませんか?」
「ぬななな何故ですか!」
サッと顔を赤くしたリーチェが、動揺を隠すようにグラスの中身をごくごくと一気に飲み干した。
そんな彼女を可愛いなと思って見ていると、チラチラと周囲の視線が向いているのが分かった。
昨日起きた事件の当事者だという好奇の視線か、それとも着飾ったリーチェの美しさに見惚れる視線か…。
どちらにせよ、気持ちの良いものでは無いので、そっと腰に手を当てて引き寄せておく。
「……ゼ、ゼレン様。この手は…というか近いのですが。ものすごく」
「そうですか?気にしなくて良いですよ」
「無理です、周囲の視線がもう無理です!」
調子に乗って戯れていると、ホールに流れていた音楽が止まった。
人々は会話を止め、いよいよかと舞台の方へ注目する。
リーチェも俺を押し退けようとするのを諦め、背筋を正して舞台へ視線を向けた。
間もなくして、両陛下とエレフィス様が舞台上へ現れ、装飾の施された椅子へ静かに座る。
ホールにいた人は皆一斉に頭を下げ、国王陛下の「よい」の一言でその場に直った。
次いで、婚約者候補たちが舞台袖から順に現れて座った。シェリル王女の姿が見えると、リーチェがうっとりと瞳を蕩けさせていた。
少し、いやかなり妬ける。
国王陛下がゆっくりと立ち上がり、ぐるりと視線だけで周囲を見渡した。
「本日を迎えられたこと、この場の全ての者に感謝しよう。また、我が国の者が迷惑をかけたことを―――」
ここで、国王陛下はリーチェを見たように思えた。
「―――国を代表し、謝罪する。誠に申し訳無かった」
国王陛下の謝罪に、ざわりと衝撃が走る。
昨日の事件は、城内のほとんどの者が知ることとなっていたが、まさか全員の前で謝罪するとは思っていなかったようだ。
リーチェとシェリル王女は、真摯にその謝罪を受け止めている表情を浮かべていた。
「エレフィス、前へ」
「はい」
国王陛下の呼びかけに、エレフィス様が立ち上がって前へ出る。緊張で身体が強張っているのが分かり、俺は心の中で応援した。
婚約者が誰に決まったのか知っているのは、両陛下とエレフィス様だけだ。
俺は知らずの内に、リーチェの腰に回したままの手に力を込めていたらしく、彼女はちらりと俺を見て微笑んだ。
きっと大丈夫、とでも言うように。
「……私の、婚約者となる方を発表します」
エレフィス様は努めて冷静な表情で、一呼吸置くと。
「―――テノルツェ国王女、シェリル様」
最も婚約者に望んでいた女性の名前を、幸せそうな笑顔で呼んだ。
瞬間、割れんばかりの拍手がホールに響き渡る。両陛下も笑顔を浮かべ、他の婚約者候補たちも同じように拍手を送っていた。
エレフィス様が歩み寄り差し出した手に、シェリル王女は静かに涙を流しながら、自身の震える手を添える。
エレフィス様が何か声を掛けたようで、シェリル王女の表情は笑顔に変わっていた。
二人が寄り添い合うように舞台から降りる。
いつの間にか流れていた優しい雰囲気の音楽に合わせ、ゆっくりと体を揺らした。
国王陛下の合図で、婚約者候補たちが一礼して舞台から降りていく。
それぞれが側近たちの元へ戻り、食事や交流を楽しみ始めた。
「………」
見つめ合い、柔らかい笑顔で踊るエレフィス様とシェリル王女を、俺はぼんやりと見つめる。
こうなって心から嬉しい。……嬉しいはずなのに、エレフィス様がどこか遠くへ行ってしまったように感じるのは何故だろう。
ふと隣を見ると、リーチェは静かにシェリル王女を見つめていた。
その瞳から、静かに涙が溢れ、頬を伝う。
綺麗だ、と思ったと同時に、リーチェも同じ気持ちなのだと、じわりと安心感に包まれた。
お互いが長年仕えてきた、大事な大事な兄弟のような存在が、一つ大人になった瞬間に立ち会った。それは嬉しくもあり、寂しくもある。
その感情を分かち合える存在がいると思うだけで、こんなにも温かい気持ちになれるのか。
「リーチェ」
名前を呼び、見上げてきたリーチェの瞼に、そっと口づけを落とす。
驚きで見開かれた紫の瞳から、またポロリと涙が溢れた。
エレフィス様の恋を応援しようと動いた先で、リーチェという愛しい存在に出逢えた。
恋がよく分からない、と思っていた俺は、恋がどういうものなのか知った。
「これからも、よろしくお願いしますね」
「~~~、もう!」
俺を叩こうと伸びてきた腕を掴み、そのままリーチェを抱き寄せた。
エレフィス様とシェリル王女を祝福する音楽が、心地良く耳に届いていた。
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