侍女と騎士の恋物語

天瀬 澪

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◇試験二日目

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「―――分かった分かった、分かったからもういい!」


 エレフィス様が、突然声を荒げてそう言った。


「え、何がです?」

「だから、お前の惚気だ。もういい、もう十分だから口を閉じてくれ」

「嫌ですねエレフィス様、惚気じゃありませんよ。俺が話しているのは、いかにリーチェが素晴らしい女性の上、美しさと可愛さを秘めているかで……」

「だーかーら、それをつらつらと語るのを惚気と言うんだ!」


 おや、エレフィス様がうんざりしている。
 負のオーラを感じ、俺は仕方なく口を閉じた。


「……全く、朝から止めてくれ。俺は他人の惚気話を聞いている余裕はないんだぞ」


 寝癖の付いた金髪を、エレフィス様は手櫛でサッと撫でつける。途端にサラサラになるのは、癖毛の俺からしたらとても羨ましい。


 今日は、ついにエレフィス様の婚約者が決定する運命の日だ。


 昨日の試験結果は、夜のうちに試験官であったエイベル様とミエラ様から直接報告された。
 やはりと言うべきか、一番得点が高かったのはシェリル王女だった。

 報告書には、得点の他に二人の目から見てどこが良かったか等の補足が書かれているが、シェリル王女のものはかなりの長文だ。
 口頭でも二人はかなり褒めていて、それを聞いていたエレフィス様は、ニヤけそうになるのを必死に抑えつけていたのか、口元がピクピク動いていた。


 そして最下位は、これもやはり、ルイーゼ嬢だった。
 彼女に関しては、宰相の孫娘という立場がある為、エイベル様とミエラ様は言葉を濁したり、遠回しな言い方をしていたが…要はとてもじゃないが将来の王妃に座には据えられない、というものだった。


「今日は一度全員を集めることはせず、昨日送った文書通りの時間に、それぞれの婚約者候補様たちと話す時間を設ける、でよろしいですよね?」

「ああ。話す場は事前に指定してあるし、俺がそこから動くことは無い。いつも通り護衛を頼む」

「かしこまりました」


 緊張した面持ちのエレフィス様に、何と言葉を掛けようか迷う。

 婚約者として選ばれなかった候補者たちは、翌日帰国してもらうことになっている。
 だが、ここでいかに他国との繋がりを維持していけるかが重要となるのだ。

 選ばれなかったから、と関係が悪化するようではいけない。
 そしてまず現段階で、選ばれないのでは、と不安にさせることも避けたい。
 アルテシア国に対しての、好印象を残せるかどうかは、エレフィス様の腕にもかかっているのだ。

 ……まぁ、エレフィス様の容姿と性格に、好印象を抱かない女性の方が珍しいとは思うが。
 それが国への印象に繋がるかといえば、また別の話である。


 颯爽と廊下を歩くエレフィス様の背は、ずいぶんと大きくなった。

 まだ護衛になっていなかった時、ちょこちょこと自分の後を追いかけて来ては、「けんのたたかいをおしえろー!」と言っていた小さな姿を思い出し、少し寂しくなった。


「……エレフィス様」

「ん?」

「俺……いえ私は、貴方の剣となり盾となり、生涯お仕えいたしますので。だから、ありのままの貴方でいて下さい」


 ……それは、いずれ国を背負う立場になるエレフィス様には、難しいことかもしれない。
 けれど、そう願わずにはいられない。エレフィス様が自分らしくいられる、そんな未来を。


 エレフィス様は何も答えず、代わりに目が眩むほどの笑顔を俺に向けてくれた。





 ◇◇◇


 指定場所は、中庭だった。
 以前、シェリル王女とお茶をした場所だ。

 そこで婚約者候補たちとの会話は順調に進み、残すはシェリル王女とルイーゼ嬢となった。


「エレフィス王太子殿下、お待たせ致しました」


 ふわりと花開くように微笑んだシェリル王女は、今日も可憐だった。
 輝く銀髪は風でふわふわと揺れていて、瞳と同じ薄紅の蝶の髪飾りが目を引いた。
 ドレスは淡い緑色で、エレフィス様の瞳を意識して選ばれたものだろう。

 すぐ側に立つ侍女のリーチェが、「どうですか、シェリル様は完璧でしょう」とでも言いたげに目を輝かせている。
 俺がそんな彼女をじっと見つめていると、気付いたリーチェが顔を赤くして目をきょろきょろとさせた。

 うん、今日も俺に対して挙動不審になるところが可愛らしい。


「シェリル王女殿下。今日はよろしくお願いします……早速ですが、こちらへ」

「ありがとうございます」


 エレフィス様が頬を緩め、シェリル王女が座る椅子を引く。それから向かいに座ると、当たり障りのない天気の話から始めた。
 ……一応、この流れはどの婚約者候補も同じだ。


「……では、テノルツェ国では雨が続く時季は、わざと濡れて騒ぐ祭があるのですか?」

「ええ。自然の恵みに感謝をしながら踊ったりするのですが、高確率で風邪を引いてしまうので、私は屋根がある場所で見学しか出来ないのです」

「それは残念ですね。私なら我慢出来ずに飛び出してしまうかもしれません」

「ふふ、私も初めてそのお祭りに参加した時は、飛び出そうとしたのですよ。けれど冷静な侍女に止められてしまって……」


 そこでシェリル王女の視線がちらりとリーチェへ向くが、彼女は素知らぬ顔でどことは言えない方向を見ていた。
 シェリル王女はどこかつまらなそうにしてから、エレフィス様と祭の話へ戻ると再び笑顔を浮かべる。

 テノルツェ国の祭の話はしばらく続いた。
 もともと楽しいことが好きなエレフィス様は、顔を輝かせながらシェリル王女の話を聞いては、しきりに参加したがっていた。

 主のはしゃぐ様子を見て、俺は自然と口角が上がる。

 ……エレフィス様をこんなに楽しそうに笑わせてくれる女性は、シェリル王女しかいないだろう。
 出来ることなら、シェリル王女に婚約者になって貰いたい。
 そうなれば、もしかしたら……リーチェがこの国へ来てくれるかもと、そんな邪な想いを抱く。


 ふとリーチェへ視線を向けると、慈しむようにシェリル王女を見ていた。
 そしてその眼差しが俺へと移り、目が合うと思っていなかったのか、慌てたように逸らされた。

 思わず口元がニヤけてしまう。リーチェも、俺と同じことを思ってくれているといい。


 穏やかな気持ちで、エレフィス様とシェリル王女の弾む会話を聞いていることができたのは、それから僅かな時間だけだった。


「―――まあ、まだお話しているの?」


 突然響いた甲高い声に、幸せに満ちた空間が切り裂かれた。

 これでもかと盛られた髪飾りに、ギラギラと輝く宝石を至るところに身に着け、胸元が開いた新緑のドレスに身を包み、ルイーゼ嬢が涼しい顔で向かって来た。

 毎度思うが、後ろから慌てて付いてくる侍女は、ルイーゼ嬢のこの派手すぎる装いをどうにか出来ないのだろうか?……いや、無理か。


「……ルイーゼ嬢。すまない、もう君が来る時間だったか」


 椅子から素早く立ち上がったエレフィス様は、シェリル王女を庇うように先に謝罪した。
 それが気に食わなかったのか、ルイーゼ嬢の鋭い視線がシェリル王女へ飛ぶ。


「いいえ、エレフィス様に謝っていただくことではございませんわ。ねえ、シェリル様?」

「……その通りですわね。申し訳ございません、ルイーゼ様」


 流石シェリル王女。本来なら、格下の相手が突然会話に乱入してくるなど、怒ってもいいものなのに。
 この場を丸く収める為か、すぐに立ち上がり非を詫びた。
 ……近くでリーチェが物凄く顔を歪ませているが。

 それに―――と、俺は胸ポケットの懐中時計で時刻を確認する。
 やはり、ルイーゼ嬢の時間までまだ十分以上ある。指定された時間より早く来て、まだ終わっていないのかと文句を言っているのだ。


「エレフィス様、お時間のようですので、私は失礼致します。とても楽しい時間を、ありがとうございました」

「……こちらこそありがとうございました、シェリル様」


 二人の間には、離れがたい空気が漂っていた。思わずリーチェと顔を見合わせる。
 少し悲しげに微笑んだシェリル王女が、会釈をしてその場を離れた。

 次に二人が会えるのは、午後の両陛下との面談後―――つまり、婚約者の発表の場だ。


 エレフィス様が、ぎゅっと両手を握りしめたのが分かった。もしかしたらシェリル王女の腕を掴み、引き止めたい衝動を抑えているのかもしれない。

 そんなエレフィス様の様子に気付かず、ルイーゼ嬢は去って行くシェリル王女を一瞥したあと、にこりと笑みを浮かべた。


「うふふ、ようやくエレフィス様と二人きりになれましたわ!」


 決して二人きりではないのだが、彼女にとっては侍女も護衛も景色の一部らしい。
 エレフィス様はサッと表情を変え、ルイーゼ嬢をエスコートして椅子に座らせた。

 離れている俺のところまで、甘ったるい香水の匂いが届く。


「ルイーゼ嬢、今日は良い天気ですね」

「そうですわね!まるで私たちを祝福してくれているようですわ」


 片手を頬に添え、ルイーゼ嬢はうっとりとエレフィス様を見た。
 何だか婚約者は自分で決まりだとも言いたげな台詞だが、エレフィス様は聞かなかったことにしたらしい。


「午後の両陛下との面談ですが、先日お伝えした時刻に変更はありませんので、よろしくお願いします」

「ええ。お話するのがとても楽しみですわ。これから長い付き合いになりますもの」


 ……駄目だコレは。妄想癖でもあるのだろうか。
 ルイーゼ嬢の側で控えている侍女や護衛騎士も、居たたまれないようで身じろぎしている。

 エレフィス様は聞こえないフリを貫くことを決めたようで、無難な話題を振り続けていた。
 ルイーゼ嬢の態度はずっと変わらなかったが。


 永遠にも感じられる苦痛の時間が、昼を告げる鐘の音のおかげで終了した。


「……では、ルイーゼ嬢。午後もよろしくお願いします」

「あらエレフィス様。お昼はご一緒していただけないのかしら?」

「すみませんが、執務が滞っていますので、私はこれで失礼します」


 申し訳無さそうにエレフィス様がそう言うと、ルイーゼ嬢は不満げに頬を膨らませたが、諦めたようだ。
 ……ちなみに、滞っている執務は無い。


 急ぎ足で部屋へ戻ったエレフィス様は、扉が閉まると同時にため息を吐き出した。


「はあ、話しているだけでこんなに疲れる女性は初めてだ」

「全く同感です」


 部屋の外に護衛を二名配置し、室内にいるのは俺とエレフィス様だけだ。
 よって、自然と砕けた口調になる。


「何なんですかね、あの自信は。自分が両陛下に気に入られると信じて疑っていないのでしょうか」

「それは俺にも不思議だな。また良からぬ事を考えていないといいが……」


 エレフィス様の不安が、すぐに当たることになるとは、この時の俺は思ってもいなかった。





 ◇◇◇


 嫌な予感がしたのは、午後の両陛下との面談が順調に進み、次はシェリル王女の番となる頃だった。

 迎えに行ったはずの衛兵が、一人で大慌てで戻ってきたからだ。


「ご、ご報告致します!シェリル王女殿下がお部屋にいらっしゃいません!」

 その報告に、俺は眉を寄せる。両陛下との面談は、迎えの衛兵を部屋まで遣わせると事前に伝えてある。


「部屋の前に護衛は?」

「おりました。それが、大分前に時間変更の知らせと共に騎士が迎えに来ており、侍女と共に部屋を出たと……」

「何?」


 時間変更など無いし、騎士を遣わせたという報告も無い。あと数分で、シェリル王女の面談の時間がやって来る。

 予想外の事態にどうしたものか対応に迷っていると、俺が立つ謁見の間の扉に近付いてくる人物がいた。


「ゼレン、何かあったのか?」


 俺の様子に何かを感じ取ったのか、足早に向かってくるエレフィス様と―――その後ろで、笑みを浮かべルイーゼ嬢だ。


「エレ、フィス様……、シェリル王女殿下が見当たらないようです」

「それはどういう……」

「あら、どこかへ逃げてしまったのではありませんか?」


 何が可笑しいのか、くすくすとルイーゼ嬢が笑う。


「きっと、エレフィス様の隣に相応しいのは誰なのか……ようやく気付いたのですわね」


 赤く塗られた唇が、不気味に弧を描いたのを見た俺は、弾けるように駆け出していた。
 背後から、エレフィス様が俺の名前を呼ぶ声が響く。

 確信は無い。無いが、どうにも嫌な予感が拭えなかった。


 シェリル王女を迎えに行った騎士が誰なのか、どこへ向かったのか、それすらも分からない。
 けれど、ここへ来ていないということは…どこかで何かがおかしいと気付けたはずだ―――リーチェが、一緒にいたならば。

 それなら、近くの衛兵に訊ねて確認するなり出来たはず。
 けれど今の今まで、何も連絡が届いていないということは。

 ……身動き出来ない状況下に、いるのではないか。


「………っ」


 城内で、そんな状況に陥っているなど、考えたくもない。
 だから、この目で無事が確認できればそれでいいのだ。この考えが、杞憂に終われば良い。


 まずはシェリル王女の護衛に話を聞こうと、俺はひたすら走ったのだった。

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