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8.逃がさない、逃げられない
しおりを挟む「………前世?」
ポカンと口を開けながらそう声を発したのは、セインだった。
その顔には「冗談だよな?」と大きく書いてあるように見える。
すると、ガタン!と音を立てて誰かが立ち上がった。
最年長の側近であるルーベンが、エマを睨むように見ている。
「……娘!お前がレオナール殿下を洗脳したんだろう!」
(……ああ、予想してた言葉を言われてしまった…)
でも、そう思われるのも仕方がないとエマは分かっている。
前世の記憶があるだなんて、誰かに信じてもらう方が難しいのだ。
「……ルーベン。その口利けなくしてやろうか?」
レオナールも立ちあがり、ものすごく黒い笑顔でルーベンの顔をがしっと掴んだ。
「あの、信じてもらえなくても結構です」
痛そうだな、と思いながらもエマはそう口にする。
ルーベンの顔を掴んだ手を離すことなく、レオナールが落ち込んだように眉を下げる。
そんな表情をただの村娘にするなんて、周りから見たらおかしいに決まっているのだ。
「私は…前世の記憶があって、前世はエマリスという名の王女でした。そしてレオナール殿下は、レオという名の護衛騎士でした。これは私にとって大切な記憶で、事実です。でも…」
すうっと大きく息を吸う。
エマを真っ直ぐ見据える碧い瞳を見ながら、次の言葉を口にした。
「……今の私は、このモルド村に住む平民のエマです。そしてあなたは、第二王子のレオナール殿下……これもまた、事実なんです」
「………エマリスさま」
レオナールが、ルーベンからパッと手を離す。
「確かにその通りですが、でも、俺は…」
「レオナール殿下」
エマが呼んだ今世の名前に、レオナールは苦しそうに顔を歪める。その顔を見て、エマは胸が痛んだ。
(……私だって、レオと呼びたい。呼びたいけど、呼んじゃダメだって分かる。呼んでしまったらもう……後戻りできなくなるから)
「……助けてくださって、ありがとうございました。今世でも会えて、とても…嬉しかったです」
この先に言わなければいけない言葉が、エマはなかなか出てこない。それでも無理やり口を開く。
「…………っ、どうか…、お元気、で」
エマはなんとか声を振り絞り、無理やり笑った。
傷付いた顔をするレオナールと、これ以上同じ空間にいられなくなったエマは、勢い良く立ち上がる。
「エマ!?」
ミリアの焦ったような声を聞きながら、エマは逃げ出すように部屋を出た。
逃げ出すなんて卑怯だと分かっている。エマに前世の記憶があると知った家族たちは、きっと困っているだろう。
レオナールに説明を押し付けたようなものだ。
それでも―――無理なものは、無理だった。
エマは自分の部屋に入り、勢い良く扉を閉めた。
そのままずるずるとしゃがみ込むと、涙が零れ落ちて床を濡らす。
(……どうして、私はただの村娘なんだろう。どうして、レオはこの国の王子なんだろう。せっかくまた逢えたのに、どうして―――…)
どうしようもできない“どうして”に押し潰されそうになりながら、エマは声を押し殺して泣き続けた。
……やがて、立て付けの悪い玄関が、開いては閉じる音が小さく耳に届いた。
***
「おはよう、エマ!」
「……………おはよう」
泣き腫らした目をしたエマに向かって、爽やかな笑顔で挨拶をしてきたのはミリアだ。
ミリアはエマと同じ部屋だが、昨夜は部屋に戻って来なかった。
気遣ってくれているのかもしれないが、そんなに良い笑顔を向けられるのも心が痛む。
「姉さん、私…」
「いいのよエマ、私は信じることにしたから」
「えっ?」
思わず驚いた声を出したエマに、ミリアは笑う。
「だって、納得したんだもの。エマが昔、ごきげんようって挨拶したり、やたらと貴族のマナーに詳しかったり…不思議だったいろんなことが、王女だったんだって思うと腑に落ちたの」
「……そっ、か…」
「そうよ。セイン兄さんだって、父さんと母さんだって最後にはちゃんと受け止めてたわ」
どうやら、小さい頃に前世を引きずった言動を多くしていたおかげで、エマが前世で王女だったという話の信憑性が増していたらしい。
信じてもらえたことは、正直嬉しかった。けれど、それで何かが変わるわけではない。
朝食を食べようと、ミリアと並んで居間の扉を開けた瞬間、エマは幻覚が見えたのかと思った。
「―――おはよう、エマ」
プラチナブロンドの髪。碧い瞳。
眩しいくらいの笑顔を浮かべているのは間違いなく、昨日この村を出て行ったはずの第二王子だ。
バタン!と思いきり扉を閉めたエマは、頭の中が疑問符でいっぱいになる。
(……どうしてレオナール殿下が、まだ私の家に?)
「もうエマ、失礼でしょ!どうして扉閉めちゃうのよ」
「だだだ、だって…!え、なんで!?」
「側近の皆さんは王都に戻ったけど、レオナール殿下だけ残ったのよ」
「だからなんで!?」
ミリアはエマの問いを無視して、再度扉を開ける。
そこにはやはり、何故か朝食をテーブルに並べているレオナールの姿があった。
「美味しそうな朝食だよ、エマ」
「………」
「あらレオナール殿下、お世辞は結構ですよ?お城の料理とは比べ物にならないでしょう?」
「いや。正直城の料理は見た目重視すぎて、味付けは好みじゃないんだ」
「へぇ~、そうなんですね。母さんの料理は味付けバッチリですからね、ぜひ食べてみてください!」
「もうあなたったら、ハードル上げないでくれる?」
どうして両親は、何事もなかったかのようにレオナールの存在を受け入れてるのだろうか。
ミリアがスタスタと歩いて席に着く様子を、エマは扉付近に立ち尽くして眺めていた。
すると、背後からペシッと頭を叩かれる。
「邪魔だぞ」
「………セイン兄さん」
セインは大きく欠伸をしながら、エマの横をすり抜けて席に着く。レオナールに「おはようございます」としっかりと挨拶をして。
(……なにこれ?なにがあったの?)
呆然と目の前で繰り広げられる光景を見ていると、レオナールが席に着いてからエマに笑いかける。
「エマ、早くしないと冷めるけど?」
「………」
いつの間にかエマ呼びに戻っているし、敬語もなくなった。
つまり、“レオ”ではなくレオナールとして、エマに接しているということだ。
このまま突っ立っていても仕方がない。そう思い切ったエマは、嫌がらせのごとく空いていたレオナールの隣に腰掛ける。
そのまま何事もなく食事が始まり、他愛ない会話をして(もちろんエマはずっと黙っていた)、両親は仕事ですぐに家を出て行った。
祭りが終わり、セインとミリアは準備がなくなったので、このまま村の仕事の手伝いに向かうはずだ。
食器を片付け、そそくさと部屋から出て行こうとする二人に、エマは声を掛ける。
「兄さん、姉さん、今日は私も手伝いを…」
「やだエマ、そんな顔じゃ外に出れないでしょ?」
「そうだぞ。お前は大人しく家にいろ。じゃ、レオナール殿下、留守はよろしくお願いします」
「ああ、任された」
二人はレオナールに手を振り、あっという間に部屋から出て行った。
エマはといえば、散々泣き腫らしたひどい顔だということをすっかり忘れており、慌てて両手で顔を覆う。
「………エマ?」
「………」
エマは心の中で自分を罵っていた。
これでは、昨夜目が腫れるまで泣いていたことがバレてしまう。
「おーい、エマー?……やっぱり慣れないな。エマリスさまの方がしっくりくる」
ボソリと隣でレオナールが呟く。
エマは顔を覆ったまま、二人きりで取り残されたこの状況を、どうしようかと考えていた。
この狭い家に逃げ場はなく、かといって外に出れば村人たちに質問攻めにされるのが目に見えている。
平凡な生活を送る村人にとって、突然現れたレオナールは話題のネタだ。エマだって、無関係な立場だったら絶対にうきうきと話題にしていただろう。
「エマリスさま、今何を考えてます?」
「そんなの、どうやって逃げようかって……あ、」
あまりに自然に問い掛けられ、エマはつい“エマリス”として“レオ”に対する返答をしてしまった。
ハッとして顔を上げれば、悪戯に笑うレオナールがいる。
「もちろん、逃がしませんよ?そのために俺はここに残ったんですから」
思えばエマは、王女の人生のとき、何度か嫌気がさして城から抜け出そうとしたことがあった。
そしてその目論見は、毎回“レオ”に阻止されていたのだ。
鋭い眼差しから視線を逸らすことができずに、エマはごくりと喉を鳴らすのだった。
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