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6.夢のような現実

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 「―――女、喜べ。私のものにしてやろう」

 その言葉に両手を挙げて喜ぶ女性が、一体どこにいるのだろうか。
 エマはそんな感想を抱きながら、口に出す言葉に迷っていた。

 喜んで、と言えるはずもなく、かといって嫌です、など言おうものならエマの身が危うい。
 相手が貴族だというだけで、一気に対応が面倒くさくなってしまう。


「……ありがとうございます。けれど、そのお言葉はどのような意味でしょう…?」


 悩んだ末にそう問い掛けたエマに、男はニヤニヤと笑っていた。


「ほうほう、なかなか初心な女のようだ。なに、お前は私を楽しませてくれればそれで良い。踊りでも…夜の時間でも」


 ガタン!と何かが倒れる音が響いた。
 セインが暴れ出そうとしているようで、ミリアと両親が必死に抑えている様子が目に入る。

 男はその様子を一瞥だけして、またすぐにエマに視線を戻した。


「……あれは、お前の家族か?そうだな、今お前がすぐに私のものになると頷けば、あの野蛮そうな家族の行動は目を瞑ってやろう」


 その厭らしい笑みで言っているのは、脅し文句だ。
 エマが首を縦に振らなければ、権力を使って家族を潰すぞという、最低な。


(……あーあ。もう少し、この村で平穏に過ごしたかったのに。私の人生は、何度生まれ変わってもうまくいかない運命なのかも)


 エマは家族へ視線を向ける。
 セインはずっと暴れており、ミリアたちはそれを必死に抑えながら、エマに向かって首を横に振っている。

 “エマ”として生きる人生での、大切な家族だ。


「……分かりました」


 ポツリと呟いたエマの言葉に、男の顔が分かりやすく緩んだ。


「そうかそうか!お前は賢い女だな!今日からさっそく私の側で…」

「一つだけ、条件があります」

「……ん?なんだと?」


 エマは男に近付き、一瞬の隙をついて腰に下がっていた短剣を抜いた。
 ヒッ!?と情けない悲鳴を上げた男の手に、その短剣を握らせる。


「―――あなたさまの短剣の切っ先が、私に触れることができるならば……私は、あなたさまのものとなりましょう」


 微笑みながらそう告げたエマを、男は目を見開いて見ていた。
 やがて、その顔がみるみるうちに怒りに染まっていく。


「……この私に、条件を突きつけるとはいい度胸だ…!何がなんでも屈服させ、私のものにしてやろう…!」


 男が短剣を握り構えると、周囲から悲鳴が上がった。
 逃げるように舞台からいなくなる人もいれば、どうすればいいのか分からずに立ったままの人もいる。

 エマは、好きで剣を向けられているわけではなかった。
 ただ、何もせずにこの男のものになりたくなかっただけだ。


 ならば、利用しようとエマ思った。
 あの日の夜の恐怖を…斬られて命を落とした前世の恐怖を、克服するために。

 ―――大好きだった人のことを、思い出として胸にしまうために。


「はあっ!」


 男が突然短剣を振り上げ、エマに襲いかかってくる。


 ―――『いいですか?エマリスさま。相手の予備動作が大きければ、いえーいラッキー!と思ってください。隙だらけですので』


 エマは短剣の切っ先をじっと見ながら、振り下ろされるタイミングを予測して避けた。
 男は避けられると思っていなかったのか、目を丸くしてよろけている。


 ―――『最初の攻撃を避けられたら、あとはもうこっちのもんです。がら空きの胴体を狙って……』


(……思いきり、蹴り飛ばすっ!!)


 エマの蹴りを見事に食らった男は、声にならない呻き声を上げ、その場に倒れた。


 そして、エマは気付く。
 脳内に響いた大好きだった声に従って行動をしたはいいものの…蹴り飛ばした相手は、貴族だということに。

 そしてエマは今―――ただの村娘だと、いうことに。


「き、貴様っ…!ふざけるな…!」


 怒りで震え、鬼のような形相をした男が、脇腹を押さえながら立ち上がる。
 その手に持ったままの短剣を振り回しながら、エマに向かって来た。

 その短剣の刃に、血が付着していることに気付く。


(ああ…この短剣でレオナール殿下を刺したのね。……あの、優しい人を)


 悲しいことに、エマはその場から動けなかった。
 血の付いた刃が、完全に昔の思い出したくない記憶を呼び起こしてしまっていた。


「私に逆らうとどうなるか、思い知らせてやろう!!」

「―――エマッ!!」


 家族がエマの名前を呼んでくれる。動きたいのに、動けない。
 最期に見るのが、口髭をたくわえた貴族の男だなんて―――…そうエマが思ったところで、目の前にバサリと外套がはためいた。


 キィン、と金属同士がぶつかり合う音が響き、男の短剣が弾き飛ばされる。

 プラチナブロンドの髪が揺れ、エマはすぐに誰に助けられたのか気付いた。


「……レオ、ナール…殿下……?」


 レオナールは、驚きで目を丸くしている男に、長剣の先を向ける。
 男が少しでも動けば、その切っ先が目に刺さってしまいそうだった。


「……よくも、俺を刺してくれたな?ラッカム伯爵」

「ひ、ひいぃっ…!お、お許しを…!」

「お前がしてきた数々の悪事を暴く証拠は出揃った。せいぜい、牢で己のしたことを悔いるがいい」


 驚くほど低いレオナールの声に、男はガタガタと震えている。レオナールが長剣を下げると、どこからか騎士が一斉に現れた。

 騎士たちは素早く男の身柄を拘束すると、レオナールに一礼して舞台から降りていく。
 呆然とその様子を見ていたエマの元へ、家族が駆け寄って来た。


「エマ、エマッ…!ああ、良かった…!」
「もう、無茶をするんだから…!」
「くそっ!あの野郎一発殴らせろ!」
「落ち着くんだセイン!本当に、エマを助けてくださって、ありがとうございます殿下…!」


 マークの涙ぐんだ声を聞き、エマはハッとした。


(そうだ、助けてもらったのに私ったらボケっと突っ立ったままで…!)


 慌てて身を屈めようとしたエマは、ピタリと動きを止めた。
 なぜなら、振り返ったレオナールが、先にエマの前に跪いたからだ。


 ざわり、と空気が揺れたのが分かる。
 エマも困惑した。ただの村娘が、王子のレオナールに跪かれている、今の状況に。

 熱のこもった碧い瞳を、真っ直ぐに向けられるこの状況に―――…。


「……俺は、夢でも見ているのでしょうか」


 そう言いながら、レオナールがエマの片手を取る。

 夢。そうかこれは夢なんだと、エマが現実逃避をしかけたところで、レオナールの綻んだ口から信じられない言葉が飛び出した。


「エマリスさま」

「………え?」

「……エマリスさま、なのでしょう?」


 ―――エマリス。それはエマが前世で王女だったときの名前だ。


(どうして、レオナール殿下がその名前を…?)


 エマは頭が正常に働かず、跪いたままのレオナールの整った顔を、じっと見つめることしかできない。
 そんなエマを見て、レオナールは悪戯に笑った。


「……相手の予備動作が大きければ、いえーいラッキー!と思ってください。……俺の言葉、覚えてくれていましたか?素晴らしい動きでしたよ」

「………うそ…」


 思わず、そんな言葉がエマの口から零れ落ちた。

 信じられない。とても信じられないことなのに、レオナールの悪戯な笑顔が、エマ記憶の中の笑顔と重なる。

 髪の色も、瞳の色も違う。それでも、エマの中の“エマリス”であったときの記憶が、あの人なのだと肯定する。


「―――レオ、なの…?」


 王女だった“エマリス”の、護衛騎士“レオ”。
 最期までエマリスの味方でいてくれた人。エマリスを庇って命を落とした、大好きだった人。


「はい。エマリスさま」


 レオナールは嬉しそうに笑うと、エマの手の甲にそっと口付けた。

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