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最終話.アイラ・タルコットの物語
しおりを挟む―――“女神作戦”の実行から、三年後―――…
騎士団の入団式が終わり、晴れて騎士となった少女たちは、部屋の片隅に身を寄せ合っていた。
「ああ~、緊張したぁ…!」
「エルヴィス団長の威圧感すごいよね、さすがだわ…」
「とても格好いいけど近寄りがたいわよね。私は断然フィン副団長派!」
「第一騎士団の人たちって格好良い人多いわよね~…あたしはリアム先輩派」
「あんた王子様っぽい人好きだものね。でも私は、やっぱり騎士なら筋骨隆々な人がいいわー」
「ジスラン副団長みたいな?硬派なところがまたいいわよね」
「……でもみんな、分かってるわよね?一番格好良いのは…」
少女たちは一斉に顔を見合わせ、嬉しそうに笑う。
「―――アイラ副団長!!」
両手に抱えていた書類の束が、バサリと音を立てて床に落ちた。
「あっ…」
アイラはしゃがみ込むと、風に飛ばされないようにと慌てて拾う。すると、すぐ近くから声が掛かった。
「……なにやってんの?」
「おわ、すっげぇ量だな」
慣れ親しんだ声に、アイラはパッと顔を上げると微笑んだ。
「リアム、デレク!久しぶりね」
二人はすぐにアイラのそばまで来ると、何も言わずに書類を拾うのを手伝ってくれる。
通りすがりの騎士たちからも、「大丈夫かー?」と声が掛かった。
「それで、仕事には慣れたの?副団長さん」
リアムが拾った書類を丁寧に揃え、アイラに渡しながらそう訊ねてきた。
「ええと、そうね…気付いたことがあるの」
「なに?」
「私…書類仕事が苦手だわ」
アイラとしては、ここ最近の真剣な悩みなのだが、リアムとデレクは顔を見合わせてプハッと笑う。
「何を今さら。新人のときから君の報告書はひどかったでしょ」
「え…」
「俺も報告書とか苦手だけど、アイラのは何ていうか…要点がズレて斜め上の発想な上に、箇条書きだもんな」
「そうそう。着眼点そこ?その部分掘り下げる?ってね」
少なからず、アイラは二人の言葉に衝撃を受けていた。変だと思っていたなら、早く指摘してほしかったとさえ思う。
そのとき、背後から腕が伸びてきて、アイラの手元の書類を一枚取った。
「まあ俺は、アイラの報告書は読んでて面白かったけどねー」
「……フィン副団長!」
「おっと、アイラ副団長だった。ごめんごめん」
ニヤリと笑ったフィンは、相変わらず綺麗な顔立ちをしている。一度バサリと切った銀髪は、もう伸ばす気はないようだった。
逆に、アイラの髪はだいぶ伸びてきていた。任務中は頭の後ろで一つに結いている。
「……もう、私のことは呼び捨てで構いません。フィン副団長がそう呼んだら、デレクもリアムも私を呼び捨てにできないじゃないですか」
「敬語も必要ですか?アイラ副団長」
「良い響きですね?アイラ副団長」
デレクとリアムがからかうようにそう言い、アイラは唇を尖らせた。
副団長に就任してからもうすぐ一年が経つが、未だにそう呼ばれることに慣れないのだ。
「あっ、アイラ副団長よ!」
「お疲れ様ですっ…!」
向かい側から、先ほど入団式を終えた新人騎士たちが歩いてきた。
これから宿舎へ向かうのだろう。女性の騎士志願者の数は年々増えており、宿舎も女性専用のものを建てるか検討中である。
「お疲れ様。あとで今後の話をしに向かうわね。それまで、談話室でゆっくりしていて」
「はい…!ありがとうございます!」
「楽しみにしています!これからよろしくお願いします!」
アイラが笑顔を返すと、新人騎士たちはきゃあきゃあ言いながら宿舎の方へ向かった。
フィン、デレク、リアムの視線が突き刺さる。
「いやぁ~…すごい人気だね。俺なんか見向きもされなかったよね?」
「女神作戦が上手くいったのは嬉しいけど、なんかアイラが遠い存在に感じる…」
「大丈夫?頑張りすぎてるんじゃないの?」
最後のリアムの言葉に、アイラは曖昧に笑った。
アイラは副団長の役職を賜り、新たに発足した第四騎士団…女騎士だけの騎士団の指揮権を得た。
書類仕事は苦手だが、カレンとクローネがサポートをしてくれているので、負担は多くない。
アイラに憧れて騎士を目指してくれた少女たちとの訓練は楽しく、誰かに教える喜びも毎日味わうことができている。
騎士として幸せな日々を送っていることは、間違いない。
それでも、ふとしたときにアイラは思ってしまうのだ。
果たして、世間が期待している“戦場の女神”には、なれているのだろうか?:―――と。
アイラの笑顔を不審に思ったのか、リアムがため息を吐く。
「……分かった、当ててあげる。“女神作戦”の効果が出すぎて、君は気後れしてる。違う?」
「……………その通りです…」
ズバリと言い当てられ、さすがリアムだとアイラは苦笑した。すると、フィンが申し訳無さそうに眉を下げる。
「あの作戦で起こした事件が国全体に広まるのは、想定より早かったしね…心の準備の期間も短かったかな。宝石商の店主がアイラの女神像を大げさに語ったから、アイラのイメージがやたらと完璧過ぎる女騎士になっちゃったしなぁ」
約三年前に実行した“女神作戦”は、結果として大成功となっていた。
国民を護るために戦った一人の少女の存在は、瞬く間に国中に広がっていったのだ。
以前サイラスが言っていた通り、宝石商の店主はアイラを女神として讃え、瑠璃色の宝石を全面的に売りに出した。
それが大人気となり、アイラに憧れる女性たちはその宝石を加工して身につけている。
アイラにも、店主から助けてくれたお礼にと、たくさんの宝石が届けられた。
この流れの勢いに乗るため、騎士団の全面協力のもと、武術大会がまた年に一度開催されることとなった。
“戦場の女神”の噂が駆け巡った最初の武術大会では、アイラの参加を大々的に告知していたため、国中からアイラの勇姿を一目見ようと観客が殺到した。
かなり緊張したアイラだったが、無事に実力で優勝を勝ち取ることができ、大会は大いに盛り上がりを見せたのだ。
現在は副団長となったため、今後武術大会への参加はできなくなってしまったが、“戦場の女神”の名を売るにはじゅうぶんだった。
今や国民に、アイラ・タルコットの名前を知らない者はいないだろう。
そう思えるくらいに、アイラは有名になっていた。
強い魔力を持ち、魔術師の家系に生まれながら、騎士の道を選んだ変わり者で残念な男爵令嬢。
そんな風にアイラを見る貴族たちは、いつの間にかいなくなっていた。
「……私を…国中が騎士と認めてくれて、慕ってくれる人も現れて、とても嬉しいです。けれど、一つ何かが狂えば、あっという間に人は堕ちていってしまいます」
それは、かつて魔術師を夢見て魔術学校へ通っていたアイラの、実際の体験談だ。
アイラがそこで蔑まれ、悪意を投げつけられる日々を送っていたことを知っているデレクとリアムが、心配そうな目を向けてくる。
―――騎士として歩んでいる今の道が、私には幸せすぎて、夢みたいで…。
一歩踏み間違えたらと思うと、とても怖い。
アイラは腕に抱えていた書類をぎゅっと抱きしめ、暗い気持ちを吹き飛ばすように笑顔を浮かべた。
「……なんて、弱気はダメですね!安心してくださいフィン副団長、全部一人で抱え込もうとはもうしませんから!」
「アイラ…」
「デレクとリアムも!もう暫くは忙しいけど、落ち着いたらまた城下街に遊びに行きましょう!」
「もちろんだけど…無理するなよ、アイラ」
「……何かあったら、すぐに言ってよね」
まだ心配そうな顔を浮かべるフィン、デレク、リアムに手を振り、アイラは団長室へと向かった。
長い廊下を歩きながら、窓の外へ視線を向ける。
今こうして、騎士団の副団長として生きている自分を、昔の自分が見たらどう思うのだろう―――想像しながら、アイラはふふっと笑みを零す。
―――自分は魔術師になるのだと、信じて疑わなかった幼い私。
魔術学校の途中で心が折れて、部屋で引きこもったまま命を失いかけた直前で、人生をやり直して騎士を選ぶなんて…考えられるはずがないわよね。
騎士の道を選んだあとも、命を狙われ続けるだなんて、アイラは思ってもいなかった。
けれど、その歪んだ運命も終結し、ようやく歯車が正常に動き出した。
“戦場の女神”と呼ばれ、国民に祭り上げられることは、少し“正常”とは言い難いのだが。
ようやく見えてきた団長室の扉へ視線を戻せば、ちょうど部屋から出て来た人物がいた。
アイラは驚いて目を見張る。
「………クライドお兄さま?」
「アイラ!」
アイラの姿を見るなり、クライドが嬉しそうに微笑んだ。
近くで窓を拭いていた女性の使用人が、その笑顔を見て倒れそうになり、近くの衛兵が慌てて支えていた。
魔術師となったクライドは、仕事関係でよく城へ出入りしている。
アイラが“戦場の女神”として有名になり、自然と兄であるクライドへも注目が集まるようになった。
持ち前の魔術の才能と魔術具を駆使して仕事をこなし、今や国では上位の魔術師である。
爵位のある貴族から毎日のように縁談が持ち込まれているが、クライドは全く相手にしていない。
「エルヴィス団長に用ですか?……トリシアの件で」
緩む頬を抑えきれずにアイラがそう訊けば、クライドはアイラの頬をぐにっと摘んだ。
「お前も人をからかう顔をするようになったな~?アイラ副団長?」
「ご、ごめんなひゃいぃ」
パッと手を離すと、クライドが「その通りなんだけどな」と笑った。
この三年で、変わったのはアイラだけではない。騎士の人生で出会った大切な人たちもまた、それぞれの道を歩み続けている。
ウェルバー侯爵家当主となったバージルは、変わらずにその才能を発揮し、続々と他の貴族たちからの信頼を得ていた。
異母兄弟であるフィンに手伝ってもらい、新たな事業を始めるらしい。
婚約者はまだいないが、どうやら良い出逢いがあったようだと、フィンが嬉しそうに話していた。
オドネル伯爵家のリアムの兄弟、レナード・ドルフ・フェンリーは、魔術具開発局で様々な魔術具を開発し、人々の生活を豊かにしていた。
リアムは時々邸宅に帰り、魔術具の設計図の製作を手伝っているらしい。
仲違いしていたことが嘘のように、今では兄弟四人で食事をすることもあると、リアムは笑っていた。
そしてラトリッジ公爵家は、“女神作戦“の数日後に公爵が息を引き取り、正式にサイラスが後継ぎとなった。ネイトは弟に爵位を譲り、その補佐だ。
サイラスは自分の罪を公爵に打ち明け、ネイトは最後に公爵と和解することができたと聞いた。
ラトリッジ公爵家は他の貴族から“訳ありの公爵家”と噂されたが、“女神作戦”の効果もあり、平民からの支持は厚い。
今ではさらに城下街の商業に力を入れ、経済を回している。
牢を出る際にアイラと交わした約束通り、ネイトとサイラスは禁術である闇の力を一切使用せず、隠し通していた。
このまま兄弟で協力しあい、新たな道を歩んでほしいと、アイラは思っている。
そして、アイラの大切な友人であるトリシアは、つい先日、クライドとの婚約が決まったのだ。
「婚約発表の相談ですか?」
「まぁ、いろいろとな。……義理の兄妹とはいえ、団長とアイラ、トリシアと俺が婚約って不思議な縁だな」
「ふふ、そうですね。とても…幸せな、縁です」
クライドはアイラのいつもと違う様子を感じとったのか、優しく頭を撫でてくれる。
「……俺は仕事に戻る。またトリシアも一緒に食事に行こう」
「はい、ぜひ」
「じゃあアイラ、愛しの団長に存分に甘えて来いよ」
「………っ!?」
クライドがニヤリと笑い、手を振って去って行った。
アイラは「もうっ」と小さく文句を呟き、深呼吸をしてから団長室の扉を叩く。
「入ってくれ」
「……アイラです。失礼しま……ロイさま?」
団長室へ入ると、執務机に寄りかかって腕を組むエルヴィスと、ソファに腰掛けているロイがいた。
アイラにひらひらと手を振っている。
「やっほ~お姫さま。元気してた?」
「お久しぶりです。どうされたのですか?」
アイラの記憶が正しければ、最後に会ったのは副団長の就任が決まってすぐのときだ。
エルヴィスが直接雇用している密偵のロイは、常に城のどこかに潜んで暗躍している。
その姿や存在を知っているのは、今のところアイラとクライドだけだ。
「いやぁ、できる男の俺がちょいとヘタレ堅物二人にアドバイスをね~」
「…………ロイ?」
エルヴィスが怒気を纏った笑顔でロイの名前を呼ぶ。ロイはペロリと舌を出し、アイラは首を傾げた。
「ヘタレ堅物二人…?」
「気にするな、アイラ。このおっさんはすぐに追い出す」
「なあぁ!?……あーハイハイ。確かに邪魔者ですねーさっさと退散しますよーっと」
流れるような動作でロイは窓枠に足を掛け、ちらりとアイラを振り返った。
「……お姫さま…いや、アイラさま?ちゃん?」
「……は、はいっ」
「エルヴィスを、よろしく頼んだ」
「…………!はいっ!」
アイラが元気よく返事をすれば、ロイが嬉しそうに笑う。そのまま手を振って、ひらりと窓から消えた。
エルヴィスがなんとも言えない顔で、額に手を当てている。
「……全く、アイツは…」
「ふふ、よろしく頼まれてしまいました」
「……おいで、アイラ」
優しく伸ばされた腕に吸い寄せられるようにして、アイラは足を動かす。
抱えていた書類はエルヴィスに抜き取られ、すっぽりとその腕の中に収まると、安心する香りに包まれた。
胸元に顔を擦り寄せると、頭をそっと撫でられる。
「アイラ。……悪いけど俺は、もう君を手放せないからな」
「……お兄さまから、聞きましたか?」
「ああ。貴族から山ほど縁談が届いているとな」
エルヴィスと婚約をしているアイラだったが、困ったことに寄せられる縁談の数が減っていない。
騎士団長と婚約中、という事実は広まっているはずなのに、エルヴィスが孤児院出身だという事実から、上手くいけばアイラとの婚約を破棄することができるのでは、と考える貴族が多いのだった。
アイラはエルヴィスを力いっぱい抱きしめる。
「……私だって、エルヴィス団長を手放すことなどできません」
貴族だろうが平民だろうが、アイラにとっては関係ない。
エルヴィス・ヴァロアという一人の人間が、アイラにとって大切で、かけがえのない存在なのだ。
―――あ…。
アイラは思わず体を離し、エルヴィスをじっと見つめる。いつだって自分を護ってくれていた、その紅蓮の瞳を。
―――そうだわ…関係ないのよ。周囲の評判だとか、期待とか…大切なのは、自分がどうしたいかだわ。
だって私は、やり直しの人生で騎士を目指すと、自分で決めたじゃない。そしてその道で、たくさんの宝物を見つけることができた。
「……エルヴィス団長。私、ようやく覚悟を決めました」
「ん?」
「副団長として、私が自分らしくいられる道を、全力で歩みます。だから…もし私が道を間違えてしまったら、団長がまた…救ってくれますか…?」
顔色を伺うようにアイラがそう訊ねれば、エルヴィスは嬉しそうに笑う。
「もちろんだ。何度だって、俺は君を助けに駆けつける」
エルヴィスはアイラの片手を取り、その甲にそっと口付ける。
アイラはその嬉しい言葉を聞いて、柔らかく微笑んだ。
「エルヴィス団長が危険なときは、私が背中を護りますからね」
「相変わらず、頼もしい令嬢だな?」
「ふふっ。だって私は―――…」
魔術師を目指していた、かつての自分。
あの日々も決して無駄にはしない。
やり直す前も、やり直したあとも、全てがアイラ・タルコットの人生であり、物語だ。
「―――騎士ですから」
アイラとエルヴィスは笑い合うと、キスを交わした。
お互いの瞳の色の宝石が光る婚約指輪が、二人を祝福するように、きらきらと輝いていた。
《完》
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