引きこもり令嬢はやり直しの人生で騎士を目指す

天瀬 澪

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76.言葉に乗せて

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「アイラ。俺は―――君が、好きだ」


 とても嬉しそうに、エルヴィスがそう言って笑う。
 アイラはその言葉を、想いを、涙でぐしゃぐしゃになっていた顔で受け止める。

 悪意ある言動に傷つき、部屋に引きこもり、消えていく命の灯火を受け入れるしかなかったアイラを、救いに駆けつけてくれた人。

 それがエルヴィス・ヴァロアという騎士団長であり、アイラが騎士を目指すきっかけとなった大切な人だ。
 そして、アイラに恋を教えてくれた。


 けれど、それだけではない。
 真実を聞いて、アイラがエルヴィスに抱いた感情は、とても言葉で言い表せるものではないのだ。


「………エルヴィス団長が…」


 震える唇を動かし、アイラはそれでも言葉を選ぶ。
 目の前にいる大切な人に、きちんと向き合いたいと、そう思いながら。


「……あなたが、ずっと私を護っていてくれたのですね…」


 十三歳の誕生日パーティーで、初めて会ったときから、ずっと。
 アイラの知らないところでも、エルヴィスは護り続けていてくれたのだ。

 言葉と共に、目に溜まっていた涙がポロリと零れ落ちた。
 エルヴィスはその涙を親指で拭いながら、困ったように微笑む。


「護りきれていないのが、悔しいところだけどな」

「……っ、そんなこと…」

「あるさ。……だから今度こそ、俺自身の手でアイラの全てを護りたい」


 そう言いながら、エルヴィスの手が優しくアイラの髪に触れた。


「……ずいぶんと、髪をバッサリと切ったんだな?」

「あ…はい。騎士となると決めて、家族を説得させるために…」

「それは…クライドの驚いた顔が目に浮かぶ」


 楽しそうに笑うエルヴィスに、アイラの胸はきゅうっと締め付けられる。
 気付けばそっと手を伸ばし、エルヴィスの目元に触れていた。


「……アイラ?」


 真っ赤に燃えるような、紅蓮の瞳。
 この瞳が死神のようだと例えられていたようだが、アイラにとっては真逆で、命を救ってくれた色だ。

 あの日、薄れゆく意識の中、ぼんやりとしか見えなかった視界でも、やけに鮮明に映った赤。
 今あらためてじっと見つめてみても、アイラが思い浮かぶ感想は一つだけだ。


「………綺麗、です」


 アイラはようやく、ふわりと優しく微笑むことができた。
 切なげに揺れるエルヴィスの瞳は、あの日のことを思い出しているのだろうか。その眼差しごと全て、抱きしめたいとアイラは思ってしまう。


 ―――“愛おしい”って…こういう気持ちのことをいうのかしら…。


 アイラの胸の中に、じわりと温かい感情が湧く。
 今この場には、アイラとエルヴィスの二人だけ。ならば、この感情に素直に従ってもいいかと、アイラはそう思った。


「…………!」


 エルヴィスの胸の中に飛び込むと、広い背中に手を回す。
 途端に居心地の良さに包まれ、アイラはくすりと笑った。
 エルヴィスの体が強張っているのが分かり、さらにぎゅうっと抱きしめる。


「……これは、何かの拷問か?」

「拷問?……あっ、嫌でしたか?すみませ…」

「違う。どうしてそうなる」


 慌てて離れようとしたアイラを、エルヴィスが一層力強く抱きしめた。
 もう離さない、といわんばかりの力強さに、アイラは負けじとぎゅうぎゅうと力を入れる。

 やがて、どちらともなく笑い声を上げた。


「……ははっ、これは一体なんの力比べだ?」

「……ふふっ、本当ですね。想いの強さですかね?」


 笑みとともに零れ落ちたアイラの言葉に、エルヴィスがピタリと動きを止める。
 アイラは少し離れてその顔を見る。すると、なんとも言えない表情を浮かべていた。


「想い、とは…尊敬とか、そういう類いの意味か?」

「いいえ。もちろん、尊敬もしていますけれど」

「じゃあ、一体…」


 眉を下げるエルヴィスを、アイラはじっと見つめた。
 真実を聞き、受け止めたアイラは、ようやく抱えていた想いを打ち明けることができる。


「―――私も、好きです。エルヴィス団長」


 言葉にすることで、想いは増すのだとアイラは実感した。

 ずっとずっと、アイラを護っていてくれた優しい人。
 好きだとか愛しいとか、そういった幸せな感情がぶわっとアイラの中で溢れ出す。

 心からの笑顔で、アイラはまたエルヴィスに抱きついた。


「好きです。大好きです。……伝えるのが遅くなって、ごめんなさい」

「…………これは、夢か?」


 頭上から、困惑したような声が降ってくる。それが可笑しくて、アイラは笑った。


「もう人生をやり直すのは、私は嫌ですよ?今が一番、幸せなのですから」

「……夢じゃないなら…俺も、もうやり直したくはないな」


 もう一度、エルヴィスが力いっぱいアイラを抱きしめてくれる。
 そして、そっと頭を撫でられた。


「俺の…婚約者に、なってくれるのか?」

「はい、もちろんです。……でも、本当に私でいいのですか?」


 少しだけ体を離し、ちらっとエルヴィスを見上げたアイラは、言葉を続ける。


「自慢じゃありませんが、私の評判はあまり良くありませんし…」

「それを正すための、女神作戦だろう。それに、俺だって貴族からの評判は悪いぞ」

「エルヴィス団長を悪く言う人は、私の敵です」

「奇遇だな。俺にとってもアイラを悪く言うヤツは、俺の敵だ。それに…周りにどう思われようと、君がいればそれでいい。それ以上は何も望まない」


 エルヴィスの温かい手のひらが、するりとアイラの頬を撫でた。
 アイラがここにいることを、確かめているような触り方だった。


「……私も、です。エルヴィス団長がそばにいてくれるだけで、私は何でもできる気がします」

「……俺も、同じだ」


 エルヴィスがフッと笑い、アイラの唇にそっとキスを落とした。
 とても優しく、想いの伝わるキスだった。

 唇が離れ、アイラとエルヴィスは見つめ合う。
 言葉にしなくても、想いが伝わってくる。そんな相手に出逢えたことが、アイラは奇跡だと思った。

 再びエルヴィスの顔が近付いて来たそのとき、アイラは「あっ」と短く声を上げた。
 エルヴィスの動きがピタリと止まる。


「………どうした?」

「そういえば私、デレクとリアムには、人生をやり直していることを話しているんです。……問題ないですか?」

「ああ…大切な友人だろう。別に構わない。俺もロイにだけ話しているしな」

「ロイさま…もう一度お会いできますかね?」


 アイラの問いに、エルヴィスは一瞬考えるような素振りを見せてから、渋々と頷いた。


「……そのうち、時間を作ろう」

「ありがとうございます!改めてお礼を言いたかったのです…あと、クローネはどうしていますか?ネイトさまとサイラスさま、マーヴィンさまも……んっ」


 アイラの唇を、エルヴィスが塞ぐ。
 あくまで優しいキスだったが、そこに不満の感情が乗っているのが分かった。

「……怒っていますか?」

「そうだな。せっかくの二人の時間に、他の男の話をしたくはない」


 ムスッとしているエルヴィスを見て、アイラは笑った。可愛いな、と思ってしまったのだ。
 ところが、笑ってしまったのがいけなかったらしく、エルヴィスの瞳が鋭く光る。


「……余裕だな?アイラ」

「えっ?」


 次の瞬間には、再度唇を塞がれる。
 先ほどとは打って変わって、まるで貪るかのようなキスに、アイラの頭は一気に沸騰した。


「ん、んむぅ~!」


 なんとも色気のない声を上げながら、アイラはエルヴィスの胸元をドンドンと叩く。
 それでも解放してはもらえず、後頭部を支えられながら、アイラは床へと倒れていく。


「………はぁっ…」


 ようやく解放されたアイラは、ぎゅっと瞑っていた瞼を持ち上げ、大きく息を吸い込んだ。
 綺麗に澄み渡る空と、嬉しそうに微笑むエルヴィスが目に入る。


「……俺はまだまだ足りないんだが、どうする?」

「…………む…むりです……」


 アイラはなんとか声を絞り出してそう言った。恥ずかしすぎて、顔から火が出そうだった。


「そうか。残念」


 くすりと笑いながら、エルヴィスはアイラの額に短くキスをする。
 その悪戯で妖艶な表情に、アイラは目眩がした。


 ―――し、心臓がもたないわ…!


 新たな命の危機を感じながらも、アイラの心は今までで一番満たされていくのだった。





◇◇◇


 階段を下りながら、アイラは顔を真っ赤にしていた。


「あの…エルヴィス団長…」

「ん?」

「……その、手を……」


 もごもごと口を動かしながら、アイラは繋がれた手を見る。

 想いを伝え合い、キスを交わし、婚約の約束もした。
 これほど幸せなことはないし、繋がれた手から伝わる熱も心地良い。……けれど。


「団長、見せつけるのやめてもらえません?」

「そうですね。見てるこっちが恥ずかしいです」

「……………んぐぅ」


 けれど、今は二人きりではない。
 フィンがじとりと睨みつけてくるし、リアムは呆れ顔を向けてくるし、デレクは不思議な声を発している。

 対してエルヴィスは、それはそれは嬉しそうな顔をしていた。


「無理だな、離せない。気になるなら見なければいいだろ?」

「視界に入るんですよ!団長のニヤけきった顔と一緒に!」


 フィンは声を荒げながら、「全くもう!」とため息をつく。


「とにかく、この先はアイラと離れてくださいね?遊びに行くんじゃないんですから」

「………」

「無視ですか!?……アイラ、こんな団長どう思う!?」


 話を振られ、アイラは顔を赤くしたまま苦笑した。危うく「可愛いと思います」なんて言ってしまいそうだった。

 今向かっているのは地下牢で、フィンの言う通り、気を緩めていい場所ではない。
 エルヴィスもちゃんと分かっているはずだ。


 アイラたちはこれから、地下牢にいるネイトとサイラス、マーヴィン…そして、クローネに会いに行く。

 地下牢の入口にいた衛兵が、エルヴィスの姿を見るとピシッと姿勢を正した。
 ……が、アイラと繋いだ手が目に入ったのか、目を見開いて口がポカンと開く。


「……お、お疲れさまです…?」


 挨拶も疑問形になってしまっている。フィンが「あーあ、団長の威厳が今失われましたよ」とボソッと呟いた。
 その言葉を聞いて、アイラは慌てて手を離す。エルヴィスが傷付いた顔をした。


「……嫌だったか?」

「い、嫌じゃありませんっ!……でも、エルヴィス団長の威厳が失われるのは嫌ですっ…」


 自分のせいで、エルヴィスが今まで築き上げてきた、騎士団長という地位が揺らぐのだけは嫌だった。
 アイラの必死の訴えに、エルヴィスは一瞬考える素振りを見せたあと、フッと笑う。


「そうか…。なら、二人のときは覚悟しておいてくれ」

「…………えっ」

「さあ、早く行くぞ」


 思わず固まったアイラを置いて、エルヴィスがスタスタと歩き出す。
 フィンとリアムが同情の視線を向けてきた。デレクはずっと唇を結んでいる。


「団長とアイラが二人きりのときは、誰も近づかないようにしておかないとかな」

「そうですね。うっかり近づこうものなら、斬り捨てられるかもしれませんね」

「………………んぐぅ」


 一体、エルヴィスの言う覚悟とは。アイラは思考を一旦放棄して、静かに足を進め始めた。


 地下牢の入口の扉をくぐると、何やら騒がしい声が聞こえてくる。一番奥の牢からだ。
 牢の前に立つ衛兵は、とてもうんざりした顔で眉を寄せていた。


「……ああ~、毎日毎日よく飽きないなぁ」


 フィンがため息と共にそう言い、ちらりとアイラを見た。


「アイラ。君がクローネを心配してたとき、俺が何て言ったか覚えてる?」

「……はい。困ったことになっていると…」


 そう答えながらも、アイラたちは奥へと進んで行く。
 クローネは自ら牢に入ると言って聞かなかったらしいが、困ったこととは何なのだろう。

 牢に近付くに連れ、フィンの言う“困ったこと”とは何なのかが、すぐに分かった。


「……はあ?もう一度言ってみなさいよ、このくたばり損ない!」

「……くたばり損ないぃ~??だから、こんな口の悪い令嬢なんて貰い手がないって言ったんだよ!」

「「……………」」


 一番奥の広い牢の中で、クローネとサイラスが互いに罵り合っている。
 そして、そんな二人を牢の隅で黙って見ているネイトとマーヴィンがいた。心なしか、その顔はげっそりとやつれたように見える。

 アイラたちに最初に気付いたのは、ネイトだった。


「……………っ、」


 慌ててその場に立ち上がったネイトが、アイラに向かって深々と頭を下げた。
 その様子を見て、クローネ、サイラス、マーヴィンもアイラたちに気付く。

 真っ先に鉄格子まで駆け寄ってきたのは、瞳を潤ませたクローネだった。


「アイラさま……!!よ、良かっ…、ううぅ~…」


 クローネがボロボロと涙を流し、鉄格子を掴んだまま、ずるずると崩れ落ちた。
 アイラはクローネに近付き、その手にそっと触れる。


「……クローネ、ひとりでよく耐えたわね。……ご家族は、もう平気なの?」

「……っ、は、はい…!みんな、回復に向かっています…!」


 クローネの両親や邸宅の使用人たちは、サイラスに命を握られていた。
 サイラスを捕らえ、意識が回復したあと、無事に薬を回収することができたと聞いていたが、どうやらもう命の心配はないようだ。


「そう…良かったわ」

「ハッ、吐き気がするほど偽善的だね君は。なんなの?女神にでもなったつもり?」


 ホッと息を吐いたアイラに向かって、毒づいてきたのはサイラスだった。

 アイラの周りの温度が一気に下がる。みんなが睨むようにサイラスを見ていた。
 特にクローネの変わりようがすごい。“氷の女騎士”と呼ばれているのが、アイラにはようやく分かった。

 口元に手を添えながら、アイラは「ええと、」と考えながら口を開く。


「……そうね。女神にはこれからなる予定よ」


 その言葉に、皆が毒気を抜かれたように目を丸くした。
 すぐにフィンが笑いだし、つられたようにデレクとリアムも笑みを零す。エルヴィスも優しく微笑んでアイラを見た。

 アイラはこの先に実行される予定の“女神作戦”のことを思い出し、そう答えたのだが、その作戦自体を知らない牢の中の人物たちはポカンとしている。
 サイラスの口元が引きつった。


「……こ、これから女神に…?頭おかしくなったんじゃない?この子…あたっ」

「おい、さっきから失礼だろう」


 ネイトがサイラスの頭を叩き、ちらっと遠慮がちにアイラへ視線を向けてきた。


「すまない。その…俺もサイラスも、謝るだけでは許されないことをしたとは分かっている。それでも、何度でも謝らせてほしい。それから…ありがとう」

「……ネイトさま…」


 弱々しく微笑んだネイトは、まだ本調子ではないのだろう。サイラスも威勢はいいようだが、顔色は悪い。


 ネイト、サイラス、マーヴィンは、許されないことをした。
 罪のない人たちを巻き込んで騒ぎを起こし、傷付けた。さらにネイトとサイラスは、禁術に手を出してしまった。

 クローネはネイトに成りすましていたサイラスに脅されていたため、誘拐に加担した罪は軽くなるかもしれない。
 けれど、彼らの罪を軽くすることは、アイラにはきっとできない。

 世間に公表はしないということで落ち着いたが、人知れず裁かれることになるのだろう。


 ―――ラトリッジ公爵の名を、二人が継ぐことはないわ。公爵は先が長くないようだし、没落してしまうことになる。
 大きな騒ぎになりそうだけれど、どういう経緯を世間に発表するのかしら…。


 そこまで考えたアイラは、ふとある作戦を思いついて「あっ」と声を上げた。
 周囲の視線を一斉に浴びつつ、アイラはネイトとサイラスを交互に見ると、にこりと笑みを浮かべる。


「ネイトさま、サイラスさま」

「……何だ?」

「……待って兄さん、嫌な笑顔だよこれは…」


 何かを感じ取ったのか、サイラスが眉を寄せた。アイラはふふっと笑う。


「―――お二人とも、悪役になってくれませんか?」


 女神になるためには、引き立ててくれる悪役が必要だ。
 アイラはそこで、初めて周囲が悪女だと思うような妖艶な笑顔を見せたのだった。

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