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73.世間の認識

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 ―――女神。
 聞き間違いだろうかと、アイラは思った。


「ええと…フィン副団長。話がよく……女神って言いました?」

「言った言った。このまま話し出したいところなんだけどね、俺たちもアイラからの話を聞きたいし、場所を移動したいんだけど…」


 ちらり、とフィンがアイラを見る。体調を心配してくれているのがすぐに分かり、アイラはベッドから下りた。
 リアムがぎょっと目を見開く。


「待ってよアイラ、動いて平気なわけ?」

「うん、大丈夫よ。副団長の話も気になるし…私のせいでこれ以上、残っている問題を先延ばしにはできないわ」


 残っている問題というのは、ネイトとサイラスのことだ。それに…とアイラはフィンへ視線を向ける。


「……クローネは、どうしていますか?まさか牢に入っているなんてこと、ありませんよね…?」


 アイラは、クローネがどのような経緯でサイラスに手を貸したのか、まだ知らない。
 捕らえられてもおかしくないことをしてしまったのは確かだが、アイラとしては厳しい罰を与えて欲しくなかった。

 クローネの名前を聞いて、フィンが困ったように額に手を当てた。


「あー…クローネ嬢は少し困ったことになってるね」

「えっ!?」

「でもそれより至急の案件があるんだ。大丈夫、彼女は元気だから」


 それを聞いただけでは、とても安心できるものではないが、アイラは渋々頷いた。


「……分かりました。この通り動けますので、移動は構いません。あの、入団試験は終わったのですか?」

「ああ、終わったよ。ちょうど前回と同じ混戦をやってるときにクライドくんから連絡が来て、抜け出そうとする団長を留めるのに苦労したよ…」


 フィンはどこか遠い目をして窓の外を見た。
 エルヴィスが試験を放り出そうとしてまで駆けつけようとしてくれたことに、アイラは心の中で少し喜んでしまう。


「……で、最後の組が終わったから、俺が一足先に転移してきたってわけ。あとで団長も合流するけど、先に広い部屋に移動しておきたいんだ」


 フィンはそう言うと「じゃ、こっち」と部屋を出る。
 廊下にはバージルが言っていた通り、オドネル伯爵家のレナード、ドルフ、フェンリーが立っていた。

 アイラは慌てて立ち止まり、深々と頭を下げる。


「皆さま、たくさんの魔術具をありがとうございました」

「礼はいい。それより至急なんだろう?魔術具を手紙と一緒に飛ばしてきて、“転移して城へ来い”と言うからには」


 レナードの視線がフィンへ飛ぶ。フィンはへらりと笑った。


「お忙しいところ、本当にすみません。いろいろと口裏を合わせるためには、話を聞いてもらった方がいいと思いまして」

「口裏って…怪しすぎるんだけど」


 フェンリーがそう言ってじろじろとフィンを見ており、ドルフはというと何故かもじもじしている。


「フェンリー兄さん、失礼な態度はやめて。ドルフ兄さん、気持ち悪い」

「きも!?」

「……やっぱ面白いな、リアムと兄ちゃんたち」


 デレクにぼそっと耳打ちされ、アイラは笑った。
 リアムと兄弟たちの掛け合いも、それを見て飄々としているバージルも、いつも通りの日常が戻ってきたのだと思わせてくれる。


 フィンを先頭に、ぞろぞろと連れ立って歩く一行は、すれ違う人たちから視線を奪う。
 好奇の視線から護るように、アイラの周りを皆が囲ってくれていた。


「あの…フィン副団長。会場の魔物を倒したあとの話を、聞かせてもらえませんか?」

「うん?そうだね…部屋に着くまでに簡潔に話しておこうか」


 そこから、フィンがアイラに魔術具で呼び出されるまでの出来事を話し出す。

 クローネが家族を人質に取られていたことや、エルヴィスがアイラを助けるために手を打っていたこと。
 協力者がアイラを連れ去った馬車から魔術具の特殊なインクを垂らして痕跡を残し、そのあとを皆で追っていたこと。

 寄せ集めのような集団と戦い、すぐに勝ったこと。邸宅前でエルヴィスとクライドと合流できたこと。


 アイラが話を聞く限り、フィンの言う協力者…ロイの存在は、やはり認識はされていないようだった。
 話の途中で、デレクが「そういえば協力者って誰だったんだ?あの場にいたか?」とリアムに訊ねている。


「……こんな感じかな。アイラの話は、団長も来てから話してくれる?あ、クライドくんも呼び戻してるからそのうち来てくれるよ」

「そうなんですね!あ…」


 アイラはそっと口元に手を当てた。フィンが首を傾げる。


「何かあった?」

「……話が終わってからでいいのですが…トリシアに、会いたいのです」

「トリシア?……ああ、団長の妹さんね」

「はい。トリシアがくれた魔術具のおかげで、私は皆を呼び寄せることができたので」


 トリシアの魔術具には、もう何度も助けられている。
 そうきっと―――あの、火事の日でも。


 フィンにトリシアと会えることを約束してもらい、話をするという部屋に辿り着いた。
 扉を開けた瞬間フィンが立ち止まり、アイラはその背中にぶつかってしまう。


「……フィ、フィン副団長?」


 鼻を押さえてフィンを見れば、機械人形のようにぎこちない動きで振り返った。


「あー…、一人見慣れない方がいるけど、国王陛下の側近だから。あんまり気にしないでね」


 その言葉に、アイラを始めとした全員がピタリと固まる。
 国王の側近ということは、これからの言動は全て国王へ筒抜けと言うことだ。

 リアムが真っ先にドルフを振り返った。


「お願いだからドルフ兄さん、一言も話さないで。なんならその口縫い付けてもらって」

「はあ!?」

「あとデレクも」

「なあ!?」


 ドルフとデレクがショックを受けた顔をしている。二人には申し訳ないが、アイラもそうした方がいい気がしてしまった。

 緊張しながらも、フィンに促され部屋の中へ順に入っていく。


 広い部屋の中央に、大きなテーブルが一つだけ置かれている。
 そのテーブルを取り囲むように椅子が並んでおり、一番端の椅子に国王の側近だという人物が座っていた。

 四十代くらいの男性で、とても厳格な雰囲気を纏っている。
 ところが、アイラたちが部屋に入ると、その男性はニコリと笑みを浮かべた。そのギャップにアイラは目を瞬く。


「急に変なおじさんがいて申し訳ないね。君たちの話は、陛下へ報告しなければならないから。鬱陶しいだろうけどここに座らせてくれ」

「……ということなので。取り敢えず騎士団員はこっち、バージルとコリー、オドネル伯爵家の方は向かい合う席でお願いします」


 そしてアイラは何故か、側近の隣へ座るよう促された。また愛嬌の良い笑顔を向けられる。


「君が、アイラさんだね」

「は、はい!アイラ・タルコットです。よろしくお願い致します」

「そんな畏まらなくていいよ。大体のあらすじはエルヴィスから聞いているけど…よく頑張ったね」


 よく頑張った。その言葉に、アイラの涙腺が緩みそうになる。


「……っ、ありがとうございます…。けれど、私一人の力では決して解決できない事件でした。皆の力があってこそです」

「うんうん、謙虚な良いお嬢さんだ」


 そのまま他愛ない会話をしているうちに、扉からまた数人が入ってくる。
 エルヴィス、オーティス、ギルバルト、カレン…副団長のジスランとセルジュ、そしてクライドだ。

 エルヴィスも部屋に入るなり、国王の側近を見つけて、驚いたような呆れたような顔をしていた。
 それぞれ促されて席に着き、エルヴィスは一番前の席に腰掛ける。

 その紅蓮の瞳がアイラに向けられ、フッと微笑んだ。


「……急な収集となって、すまない。アイラが目覚めたということで、早急に片付けなければいけない案件がある」


 部屋に集まった人たちをぐるりと見渡しながら、エルヴィスが続ける。


「まず、度重なる事件の首謀者である、サイラス・ラトリッジ。その兄のネイト・ラトリッジ。そして使用人のマーヴィン・コルベル。この者たちの発言が嘘偽りないかを照らし合わせたい…アイラ、話せるか?」

「はい。もちろんです」


 アイラはエルヴィスを真っ直ぐに見つめ返し、自身が連れ去られたあと、ネイトの邸宅で何があったかを話し出した。

 先ほどデレクとリアムに話して聞かせた内容を、より詳細に伝えていく。
 皆の視線が突き刺さる中、アイラは最後まで話し終えることができた。


「……ここから先は、皆さんが経験した通りです」

「なるほど。……概ね主張は間違っていないな」


 エルヴィスが顎に手を添えそう言い、アイラはふと疑問に思った。


「あの…サイラスさまは、自供したのですか?」

「ああ、話してくれたよ。今は兄と同じ牢に入っている。証拠は全て消したと言っていたが、本人が自供したから問題ない」

「そうですか…」


 アイラはホッと息を吐く。あのときの自分の言葉がちゃんと届いたのかもしれないと、少し嬉しくなった。


「それで…ここからが本題だ。彼らの処遇と、この事件をどう世間に公表するかについてだ。フィン、いいか」

「はい。まず、事件が大きく三つに分かれています。武術大会の事件、魔術具開発局の事件、そして今回の夜会の事件。まずはそれぞれの事件の、世間の認識をお伝えします」


 エルヴィスから話を受け継いだフィンが、手元に書類を持って立ち上がった。


「まず、武術大会の事件です。これは、比較的多くの国民の目に留まってしまっています。操られた者たちが捕らえられ、国民は彼らが騒ぎを起こした犯人だと思っていますし、それを制圧したアイラと、赤毛の騎士が救世主として認識されていますね」

「きゅ、救世主ですか?」


 思わず声を上げたアイラに、フィンが苦笑する。


「そうだね。あと君の“戦場の天使”という二つ名も広まっているみたいだよ」

「そ、そんな…」


 誰がつけたかも分からない二つ名が、国民にまで広がっている。アイラはくらりと目眩がした。


「続けるよ。次の魔術具開発局の事件ですが、スタンリー前局長が魔術具の中に捕らえられ姿を消したことから、前局長が起こした事件となっています。これは間違いではないですね。どうですか、レナード局長」


 名前を呼ばれたレナードは、ここで話を振るのか、といいたげな目をしていた。
 新たな局長はレナードになったようだ。


「……事件直後は局員の混乱も大きかったが、今はもう落ち着いている。世間ではスタンリーが単独で起こした事件だと思われているが、敢えて訂正はしていない。……局員の間で“戦場の天使”の活躍はまだ語り継がれているぞ」


 急にそう言われ、アイラは愛想笑いを返すしかなかった。
 噂が勝手に歩き出し、なんだか凄い人物像になっているような気がしてしまう。


「なるほど、ありがとうございます。そして、五日前の夜会の事件ですが…その場にいたのが貴族たちということもあり、さらに魔物まで登場してしまい、下手な誤魔化しはできなくなりまして。結果、ウェルバー侯爵が作った物語がこちらです。どうぞ」


 フィンがスッと手のひらをバージルに向ける。
 口元のニヤつきが隠しきれておらず、バージルはチッと舌打ちをしてから口を開いた。


「……あー、最初に思いついた言い訳で、俺が命を狙われて起きた事件だと説明したんだ。以前の夜会でも命を狙われたし、そのことが知らない間に貴族界に広まっていてな。やけに納得されたんだ」


 バージルは以前の夜会で、前ウェルバー侯爵…父親に恨みを持つ者たちから命を狙われた。
 そのとき周囲には誰もいなかったはずだが、捕らえた者たちの引き渡しなどを見られていたのだろう。
 貴族界では、噂はあっという間に広まってしまう。


「命を狙われる可能性から、騎士団を多く雇っていたと言った。それから、魔物に関しては俺を狙っていた人物が引き入れたようだが、肝心の俺が会場にいなかったため、魔物は混乱していた。そこを騎士団が救ってくれたと言った」


 どうやら、バージルは騎士団を英雄にしてくれたらしい。
 命を狙われる侯爵家当主だなんて、この先嫁ぎたいという令嬢が現れるのだろうか…とアイラは余計な心配をしてしまう。


「大方の貴族はそれで納得していた。翌日には夜会を台無しにした詫びの品を送ったし、あまり世間に知られたくないとも言っておいた。まあ、プライドの高い貴族どもは、好んで事件を平民に言いふらしたりはしないだろう」


 なんとも棘のある言い方だが、バージルらしかった。夜会を台無しにしたのはアイラのせいなのに、本当に頭が上がらない。


「それで、話している最中に全然俺と視線を合わせようとしないやつらがいてな。調査をしたら、そいつらは貴族でもなんでもなかった。おそらくラトリッジ公爵家の男が手引していたんだろう」

「……ちなみに、その身分を偽っていた人物三名は捕らえています。魔物を呼ぶ道具を扉に取り付けるよう依頼されたってすぐに白状しました」


 フィンはそう言ってから、手元の書類をバサリとテーブルの上に置く。


「以上が世間の認識です。……アイラ、俺たちはそのことを考慮して、ラトリッジ兄弟の悪事は世間に公表しない方がいいと考えたんだ。余計な混乱を招くことになるからね」

「……そんなっ!」

「あんまりです!」

「アイラの気持ちはどうなるんですか!?」


 デレク、リアム、カレンが一斉に立ち上がった。今にもフィンへ食って掛かりそうな顔をしている。
 アイラも静かに席を立った。


「デレク、リアム、カレン…ありがとう。でも私は、副団長の言う通り公表する必要はないと思うわ」

「どうしてっ…!」


 カレンが今にも泣きそうな目でアイラを見る。自分のことを考えてくれているのが、とても嬉しかった。


「それぞれの事件が、バラバラに起きていると思われているなら、それで世間が纏まっているなら…わざわざ全てが繋がっていて、一人の小娘を狙って起こした事件だなんて、公表しなくてもいいの」


 アイラはカレンに微笑みながら、「それに…」と続けてその場の全員を見渡した。


「公表したことによって、騎士団や協力してくれた皆さまに迷惑がかかる方が、私は嫌です。私が今ここに生きて立っているのは、間違いなく…皆さまの、おかげだから」


 そう言った瞬間、アイラの瞳から涙が零れ落ちた。
 生きている。そのことを改めて今、実感してしまったからだ。


「……ごめ、なさ…っ」

「いいんだよ、思う存分泣きなさい」


 国王の側近が、アイラの背にそっと手を添える。とても温かい手のひらだった。
 ポロリ、とまた涙が零れ落ちる。こんな大勢の前で泣くなんて、せっかく集まってくれた相手に失礼だと思ったが、もう自分では止められなかった。


 アイラが唇を噛みしめて涙を流している間、誰も言葉を発しない。皆が温かい目で見守ってくれていた。
 隣からフッと小さな笑い声が響いた。


「……本当に、君のような素晴らしい子が騎士団に入ってくれて良かった。これで女神作戦も上手くいけば、国は安泰だね。国王である私も安心だよ」

「……………」


 何だかとんでもない言葉が聞こえた気がした。
 アイラは目を丸くして、側近だと言っていた人物を見れば、「おや?」と口元に手を添える。


「しまった。うっかり口が滑ってしまったかな」

「こ…国王陛下??」


 すっかり涙の引っ込んでしまったアイラの上擦った声が、静かに部屋に響き渡った。

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