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61.クローネの供述
しおりを挟む一体の魔物が地面に倒れると、他の二体がピクリと反応した。
仲間意識でもあるのだろうか。それまで扉を護るように動かなかったが、翼を羽ばたかせてエルヴィスへと向かって来る。
その羽ばたきで起きた風が、テーブルの上の料理やグラスを吹き飛ばす。
会場内が一瞬でめちゃくちゃになった。
「……団長~!指示ください!」
ギルバルトの声が耳に届く。エルヴィスは首を横に振った。
―――俺一人で、じゅうぶんだ。
エルヴィスは魔物の背から大きく跳躍した。
一体の魔物が口を大きく開くが、そこから炎が吐き出される前に素早く剣を振るう。
口を斬られた魔物が奇声を上げ終わる前に、続けざまに首元を狙って斬りつけた。
そのまま魔物が床へ落下すると、近くにいた貴族が悲鳴を上げる。
最後の一体が、怒りを表すように大きく咆哮した。
落下中のエルヴィスに向かって、鉤爪のある腕を振り下ろす。
「………悪いが」
ポツリと呟きながら、エルヴィスは向かってくる腕を簡単に斬り落とす。
そして落下し始めるその腕に足を掛け跳躍すると、魔物の背に降り立った。
「俺は今、機嫌が悪い」
剣を頭上に突き刺すと、魔物は呻き声を上げながら落下した。ドシン、と鈍い音を立てて床に横たわる。
エルヴィスは魔物の頭から静かに剣を抜いた。
一瞬の沈黙ののち、会場内が歓喜の悲鳴に包まれる。
「助かった…!助かったぞ…!」
「あれは騎士団長か?」
「良くやった!さすが“戦場の死神”と呼ばれる男だ!」
「なんて格好良いのかしら…!」
床にストンと着地しながらも、エルヴィスはずっと眉を寄せていた。
周囲の賛辞も、ろくに耳に入ってこない。
その頭の中を占めるのは、愛しい一人の女性の存在だけだった。
―――アイラ…。
アイラの姿を思い出し、エルヴィスはぐっと拳を握った。
ギルバルトとリアムが駆け寄って来る。
「さっすが団長ですねぇ!あっという間に三体も!」
「……エルヴィス団長、危ないところをありがとうございます。それで、アイラですが…」
どこか能天気なギルバルトとは対象的に、リアムは切羽詰まった顔をしていた。
その先の言葉を聞かなくても、エルヴィスは答えることができる。
「アイラは、連れ去られた」
言葉にすれば、その現実が重く乗りかかってくる。
眉間に力を入れたままのエルヴィスを、リアムが呆然と見ていた。
「……連れ…去られた…?」
「説明は全員に一度で済ませたい。フィンはどこだ?」
エルヴィスの問いに、リアムは答えられないようだった。真っ青な顔で床を見つめている。
何か声を掛けようかと口を開きかけたとき、正面の出入り口の扉が大きな音を立てて崩れ落ちた。
「―――アイラ!!」
そこからなだれ込んで来たのは、フィンを先頭にクライド、デレク、オーティス、カレン、バージル、その護衛のコリー…そして騎士団の面々だ。
彼らは会場内の状況を見て、驚愕の表情を浮かべる。
「……ま、魔物…!?」
「さっきの騒音はこのせいか…!」
「それよりも怪我人は…」
「―――エルヴィス団長!」
フィンがエルヴィスを見つけ駆け寄って来た。
「どうして団長がここに…いや、それよりもアイラが…」
「分かっている。この先は時間を争うから、早く情報のすり合わせをしたい」
時間を争う。その言葉で、フィンはアイラが窮地に立たされていると悟ったのだろう。
苦しげに眉を寄せてから、バージルの名を呼んだ。
「……この場は一旦、バージルに任せてもいいかな?」
「ああ、緊急事態だろう。取り敢えず狙われたのは俺だということにしておく。…この場にいる者は、すぐに帰さない方がいいか?」
バージルの鋭い瞳が、エルヴィスへ向けられた。
さすが、侯爵家の当主となる器だ。状況判断が早くて助かるとエルヴィスは思う。
「一旦は帰しても構わない。話の最中やそのあとで、怪しい者がいた場合は報告してくれ。騎士を何人か貸そう」
「分かった。部屋は適当に使ってくれ。俺たちもここから移動する」
そう言ってバージルは、会場の中央に集まり、一体何事だとざわついている貴族たちの元へ向かった。
エルヴィスは深い息を一つ吐き出す。
「オーティス、ギルバルト。お前たちはウェルバー侯爵の補佐を。フィン、デレク、リアム、それと…カレン、オドネル伯爵家ご令息…タルコット男爵家ご令息、俺と共に来てほしい。残りの者は引き続き警備に当たれ。この会場は封鎖して、誰も入れるな」
「はっ!」
幾重にも返事の声が重なる。
エルヴィスは少し離れた場所にいたクライドの視線を受けながらも、身を翻して歩き出した。
エルヴィスが話の場に選んだのは、アイラがさらわれた化粧室だった。
床には血痕が残っており、エルヴィスの次に足を踏み入れたフィンがぎょっとする。
「……何ですか、この血は……、クローネ嬢?」
クローネが、放心状態でソファに腰掛けている。髪は乱れ、泣き腫らしたため化粧は崩れ落ちていた。
ずっと俯いていたリアムが、ふとクローネへ視線を向けると、小さく口を開く。
「……先輩…良かったです、無事で。あのとき、僕がついていけば…」
リアムの言葉に、クローネはピクッと反応した。揺れる瞳でリアムを見ると、一気に涙が溢れ出す。
「……リアムさま…!そのような優しい言葉を、掛けないでください…!」
「………え…」
「……私がっ…、私がアイラさまを連れ出す計画に、加担していたのです…!」
両手で顔を覆い泣き始めたクローネを、それぞれが信じられないというような目で見ていた。
騎士団の中から裏切り者が出たなど、信じたくはないのだろう。それはエルヴィスも同じだった。
「……クローネ。詳しく話せるな?君の情報が頼りだ」
クローネは鼻を啜り、こくりと頷く。
顔を覆う手を静かに離すと、その涙に濡れた瞳には何の迷いもないように思えた。
***
クローネが騎士団に入団したのは、その性格に難があり、婚約者を探すことになってしまったからだ。
まだ幼い頃、執拗に使用人の男につけまわされ、誘拐されかけたことがあった。
そのときの心の傷は深く、男という生き物に拒絶反応を示すようになってしまった。
それでも、ファーガス伯爵家の一人娘であるクローネは、婿養子を迎え入れなければならなかった。
伯爵夫妻は、いずれクローネの心の傷を癒やしてくれる男が現れると信じていた。
けれど、クローネの心は頑なに男を拒絶していた。
それならば、と伯爵夫妻は強硬手段に出る。
「クローネ、よく聞きなさい」
「はい。お父さま」
「次の入団試験に合格し、騎士となりなさい」
「嫌です」
「いいか、これは命令だぞ。そこで婚約者を探して…」
「嫌です」
「………命令だからなっ!」
こめかみをピクピクとさせながら父親に言われた言葉に、クローネはそっぽを向いていた。
絶対に騎士になんてなるものか。わざわざ男の巣窟に身を投げるなんてバカげている。……そう思っていた。
その考えが変わったのは、聞く気のない命令を下されてから開かれた、舞踏会の時だった。
半ば無理やり参加させられ、とにかく令息との接点を作ってこいと言われたが、クローネにその気は全く無い。
楽しそうにダンスをする令嬢たちを横目に、クローネはさっさとバルコニーへと逃げ出した。
バルコニーには誰もおらず、手摺に腕を乗せ頬杖をついて外を眺める。
月明かりに照らされた庭園の片隅で、誰かが動いているのが目に入った。
「…………」
最初、クローネは衛兵が不審者とやり合っているのかと思った。それくらい激しい動きだったのだ。
けれど、よく目を凝らして見れば、一人の人物が何やら棒のようなものを振り回している。
それこそ不審者かと思ったが、近くにいる衛兵はじっとその人物を見ているだけだった。
クローネもしばらく目を逸らさずに見ていると、その動きは剣の鍛錬のようだということが分かった。
やがて、動きを止めた人物が、スタスタと衛兵の元へと歩いていく。
衛兵は何故か拍手を送っていた。
「いやあ、素晴らしい動きですね、リアムさま!」
「……ありがとう。でもまだまだだよ。木剣は返すね」
輝くような金髪が、月明かりの下へ晒される。照れたように笑ったのは、クローネより年下と思える少年だった。
―――あの服装は、貴族?貴族が舞踏会を放り出して、庭園で剣の真似事?
クローネは目を瞬いた。同時に、リアムという名に引っ掛かりを覚える。
オドネル伯爵家の四男だが、魔力が全く無いため、魔術具の開発ができず剣ばかり握っている…と噂されていた人物か確か、リアムという名だった。
「いずれ、騎士団へ入るのですか?」
「騎士団?……そうだね、いずれは考えるかな。僕の道はもう、剣と共にあるから」
静かな月夜に、リアムの声はよく通った。
クローネの瞳に、“可哀想に”と噂されている少年の顔は、とても誇らしげに映っていた。
―――オドネル伯爵家の、リアムさま…。
普段なら、少年でさえも男であると認識して嫌悪感に包まれるクローネが、リアムには全く嫌な感情を持たなかった。
同時に、騎士に対する考えも変わる。
騎士になる人物が、それぞれ立派な志を胸に掲げているのだとしたら。
女性にうつつを抜かす男たちばかりではないのだとしたら…クローネも、もしかしたら男嫌いを改善できるのではないか。
その日、舞踏会から帰ったクローネは、誰とも踊らなかったことを両親から咎められながらも、騎士を目指してみると告げたのだった。
そして、クローネはあっという間に剣術を習得した。
物覚えは良く、女性としては長身のため、有利に立ち回ることもできた。
入団試験も合格し、入団式を終える。だが、そのときのクローネが思ったことは、「男はやっぱり無理」だった。
もともと、女騎士の存在は稀だった。騎士団には一人だけいると聞いていた。
だからか、入団試験のときも、入団式のときも、好奇の視線にさらされた。それがとても気持ち悪かった。
さらに、入団式を終え、第三騎士団への配属が決まると、先輩騎士が馴れ馴れしく肩を触ってきた。
クローネは咄嗟にその腕を掴み、先輩騎士を背負い投げた。そして、ありったけの嫌悪感を表した顔で、吐き捨てるように言ったのだ。
「……触らないで、汚らわしい」
そのとき周囲にいた騎士たちは、クローネのあまりに凍てつくような眼差しを見て、“氷の女騎士”とこっそりと呼ぶようになる。
それから月日が流れ、ついにオドネル伯爵家のリアムが入団するという話を聞いた。
そして同時に、タルコット男爵家の令嬢も入団するという噂が流れた。
自分と同じ貴族の令嬢という部分に、少しだけ興味を惹かれる。
「お父さま、お母さま、タルコット男爵家のご令嬢はどのような方かご存知ですか?」
食事の席でそう問い掛ければ、両親は互いに顔を見合わせていた。
「……あそこの令嬢は、全く社交の場に参加しないからな…アイラ嬢といったか。可愛らしいと聞くが」
「そうねぇ。でも魔術師の家系なのに、騎士になるなんて勿体ないと考える人は多いわ。縁談も減ってしまうのではないかしら…」
「縁談と言えばクローネ、騎士団でいい人は見つからないのか?」
「…………」
「こら、急に黙々と食べ始めるな!」
クローネは料理を頬張りながら、その令嬢もきっとリアムと同じだ、と思った。
生まれながらに用意された道ではなく、違う道を自ら選んで歩んでいるのだと。
会ってみたいと思った。けれど同時に、自分には会う資格がないとも思った。
クローネが騎士を選んだことに、崇高な動機など何も無かったのだから。
それから、入団したリアムとアイラとは、顔を合わせることなく日々が過ぎて行った。
その中で、アイラの功績が騎士団の中で広まっていく。
入団早々に模擬戦で先輩騎士に勝ったらしい。素晴らしい補助魔術の使い手らしい。
魔犬と戦ったらしい。盗賊を捕らえたらしい。村を火の手から救ったらしい。
ウェルバー侯爵の令息を護ったらしい。武術大会での暴動を、身を挺して止めたらしい。
その活躍を耳にするたびに、クローネの中でアイラという女騎士への尊敬の念が強まっていく。
一度でいいから、話してみたい。そんな気持ちが芽生え始めたときだった。
いつものように任務を終え、邸宅へ帰ったクローネは、何か異様な雰囲気を感じとった。
すると、使用人が真っ青な顔で駆け寄ってくる。
「クローネお嬢さま!旦那さまと奥さまがっ…、ゔぅっ…」
「何!?何があったの!?」
使用人はその場で血を吐き、膝から崩れ落ちた。慌てて駆け寄ったクローネの耳に、カツン、と靴音が届く。
その音に誘われるように顔を上げれば、中央の階段をゆっくりと下りてくる男と目が合った。
見たことのない男だった。灰色の髪は後頭部で三つ編みにされ、腰の辺りで揺れている。
整った顔立ちをしているが、頬には焼けただれた痕があった。髪と同じ色の瞳がクローネをじっと見つめている。
「お帰り、クローネ嬢」
「………誰ですか?…父と母は、どこです?」
クローネはぐったりとした使用人を抱きかかえながら、睨むように男を見返した。
男の口元がゆっくりと弧を描く。
「さっきまで客間で話してたよ。…と言っても、もうその口が開くことはないけれど」
「………っ!」
階段を一気に駆け上がると、扉が開いたままの客間が目に入る。
躊躇いなく中へと足を踏み入れたクローネは、その光景を見て息を呑んだ。
両親と衛兵、使用人が倒れていた。口元には血がついている。
よろりと後ずさったクローネの背中が、トンと何かに当たる。
「さあ、取引をしようか。クローネ嬢」
頭上から降ってきた声に、クローネは全身が固まったように動けなくなった。
男と体が密着していることよりも、その男の恐ろしいほどに冷たい声によって、まるで喉元にナイフを突きつけられている感覚に陥ったのだ。
声が出せないクローネを気にすることもなく、男が背後で話し続ける。
「君の両親や他の者たちは、血を吐いて意識を失っているだけで、まだ命はある。ただ、永遠に目覚めない―――僕だけが持つ薬を使わなければ、ね」
「………」
「謂わば、君の家族の命は僕の手のひらの中ということだ。……そして、その命を救えるかどうかは君次第。意味は分かるね?」
クローネは震えながらも、何とか声を振り絞る。
「………私は、何をすれば…?」
「聞き分けが良くて助かるよ。僕の願いは簡単だ。まずは、アイラ・タルコットの懐に入って欲しい」
男の口からアイラの名前が出たことに、クローネは驚いた。
「何でもいいから近寄って、君に信頼を寄せるようにしておいて。そのあとはまた連絡を入れるから、指示に従ってくれれば良い。簡単だろう?」
「…………」
「ああ、ちなみに拒否権は無いよ。それと、僕のことを誰かに話そうものなら、君の命も無いと思っておいてくれ」
クローネは瞼を閉じる。自分と家族の命が、悪魔のような男に握られてしまったということだけは分かった。
「……分かり、ました。貴方の言う通りに行動します」
「良し。じゃあ、また連絡する」
背後の気配がすぐに消えた。振り返ると、そこには誰もいない。
クローネはペタンと床に座り込むと、その場で暫く涙を流していた。
その翌日、魔術具開発局で事件が起きた。
そこでも活躍を見せたアイラが、誰かに命を狙われていると騎士団全体に情報が渡った。
クローネはすぐに、その命を狙う人物があの男なのだと悟った。
つまり、自分がアイラの懐に入るよう命じられたのは、アイラの命を狙いやすくするためではないか。
その考えに至ったクローネは、とても恐ろしくなった。けれどもう、後戻りは出来ない。
アイラに接触する機会は、すぐに訪れた。
療養を終えたアイラを見かけたクローネは、第三騎士団の訓練中、副団長のセルジュに足を掛け転ばせると、その騒ぎに乗じてそっと抜け出した。
そしてアイラを待ち構えていると、使用人たちが口々に嫌味を言い出したのが耳に入る。
クローネには、どうしてもそれが許せなかった。
「―――バカバカしいですね」
思わず、そう口に出していた。責めるような言葉を投げつけると、使用人たちはバツの悪そうな顔をして逃げて行く。
クローネはゆっくりとアイラに近付いた。
遠くから見るだけだった、尊敬している憧れの存在が目の前にいる。
このときクローネは、心からアイラに会えて嬉しいと思った。
「私はクローネ・ファーガス。初めましてアイラさま。…ずっと、お会いしたかった」
それは、クローネの本音の言葉だった。
この先にアイラを待ち受けているものを知りながら、クローネはその小さな手をぎゅっと握ったのだ。
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