引きこもり令嬢はやり直しの人生で騎士を目指す

天瀬 澪

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52.誤解は嫌だから

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 クライドは、魔術学校の廊下を険しい顔をして歩いていた。

 原因は、今朝寮へ届いた手紙の内容である。
 差出人は大切な妹―――アイラからであった。


 最初、クライドは手紙が届いたとき嬉しかった。
 いつも厄介事に巻き込まれ、つい先日は命を狙われていると分かったアイラが心配で、毎日のように手紙を送っていたが、返事はあまり返って来ない上に、毎回“私は元気です”の一言なのだ。

 今朝の手紙は、厚みのある封筒に入っていた。数枚の手紙が届くのは始めてで、クライドはわくわくしながら読み始めたのだが。


 “二か月後に開かれる、ウェルバー侯爵邸での夜会に参加します”
 “タルコット男爵家の令嬢として参加するので、何かしら接触があるかもしれません”
 “護衛としてフィン副団長が恋人役でそばにいてくれることになりました”
 “バージルさまも事情はご存知ですので、心配いりません”


 なんとも頭を抱えたくなる内容が並んでおり、最後はいつもの一言で締められていた。


 “私は元気です”


 丁寧な字で綴られた一文を思い出し、クライドはよろめいて窓に手をついた。
 遠巻きにクライドを見ていた女子生徒たちが、ざわりとする。


「見て、クライドさまがよろめいたわ」
「どこか具合でも悪いのかな?」
「あ、今度はため息を吐いているわよ」


 アイラの突拍子もない行動には、幼い頃から慣れていたはずだった。

 覚えたての魔術を組み合わせようとして失敗したり、空を飛べるのではないかと、補助魔術で体を強化して二階から飛び降りたり。
 良く言えば好奇心旺盛、悪く言えば無鉄砲だ。


 クライドが一番驚いたのは、騎士を目指すと言い出したときだ。髪をバッサリと切ったのもそれに並ぶ。
 魔術が嫌いになったのかとも思ったが、アイラはそれを否定していた。
 補助魔術を使い、騎士として活躍しているという。

 そして仲間に恵まれ、命を狙われるという恐怖に、立ち向かおうとしているのだ。


「………」


 クライドは窓に手をついたまま、額をゴツンと当てる。また周囲がざわついたが、本人は気付いていなかった。

 どうすれば妹を護れるのかと考え、父親のラザール、母親のセシリアと共に怪しい貴族がいないか探ってはいるが、情報は何も得られていない。
 アイラを託した騎士団長の姿を思い出し、クライドはまたため息を吐き出した。


 ―――アイラは、あの騎士団長とどういう関係なのだろうか。団長の方は明らかにアイラを気に入っているようだったし。


「……あの…」


 ―――でも、手紙で副団長に恋人役をやってもらうとか書かれていたな。副団長って、あの夜会のときにいた人だよな?あんな感じの綺麗な男がアイラの好みなのか?


「……あのっ!」


 そこでクライドは、誰かに声を掛けられていることに気付いた。
 窓から額を離して振り返れば、一人の女子生徒が立っていた。

 灰色の長い髪に、金色に輝く大きな瞳。
 目を惹く容姿を持つ女子生徒に、クライドは短く息を飲んだ。

 女子生徒はクライドの様子を伺うように、じっと見つめている。


「……大丈夫ですか?周りが体調が悪そうだって心配していますけど」

「え?……あ、いや、大丈夫だ。なんともない」


 クライドは女子生徒の言葉に驚いて周囲を見た。
 心配そうにこちらを見ていた何人もの女子生徒が、目が合うと頬を染めてパッと視線を逸らす。

 アイラのことを考えすぎて、全く周囲に気を配れていなかった自分を、クライドは猛省した。


「……迷惑をかけたかな。すまない、声を掛けてくれてありがとう」

「迷惑なんてかけられていませんよ?なんともないなら良かったです」


 にこりと笑った女子生徒は、その金色の瞳にクライドを映す。
 そして口元に人差し指を添え、何かを考えるように首を傾げた。


「あの、クライド先輩ですよね?」

「……ん?確かに俺はクライドだが…」

「もしかして、騎士団に妹さんがいたりします?」

「うん?いるが、それがどうし…」

「やっぱり!アイラのお兄さんですね!?」


 嬉しそうに顔を輝かせた女子生徒の口から、アイラの名前が出たことに、クライドは目を丸くした。


「妹を知っているのか?ええと、君は…」

「あっ、申し遅れました。私はトリシア・マクレイです。アイラとは、魔術具開発局で友だちになりました」

「……トリシア?魔術具開発局?」


 クライドは、どこかで聞いたその名前に思考を巡らせ、ハッと気付いた。


「君が、アイラを救ってくれたのか…!」

「……救っただなんて、アイラがそう言ったんですか?」


 恥ずかしそうにトリシアが笑う。
 クライドは、城でアイラと会ったあとの別れ際に、トリシアの名前を初めて聞いていた。
 アイラを救ってくれたというから、近い内に挨拶に行こうと思っていたのだが、授業とアイラを狙う犯人探しが忙しく、つい後回しになってしまっていたのだ。


「礼を言うのが遅くなってすまない。アイラを救ってくれて、本当にありがとう」


 申し訳無さそうにそう言ってクライドが微笑むと、周囲の女子生徒から悲鳴が上がる。
 トリシアも顔を赤くしたが、笑顔を返してくれた。


「私の魔術具で、アイラを助けられて良かったです。そのおかげで、あんなに可愛い子と友だちになれました」

「アイラは可愛い上に、優しいんだ。それに、剣の腕も立つ」

「とても魅力的ですよね!私が男だったら、迷わずアイラの虜になります」


 とても楽しそうにトリシアが笑い、その笑顔にクライドは目を奪われた。
 君も魅力的だ、なんて言葉が口から零れ落ちそうになり、慌てて呑み込む。


「……そ、それが心配なところでもあるんだよな。騎士団には男が多いし…」

「あ、それなら心配いりませんよ!私の兄が目を光らせてくれるはずですので!」

「兄?騎士団にいるのか?」

「はい、そうです。兄は……」


 そのとき、タイミングよく鐘が鳴る。始業時間が近付いていることを知らせる鐘だった。
 とたんに、生徒たちがバタバタと教室へ移動を始める。
 トリシアも自身の教室の方向へ視線を向けた。


「話の途中ですみません、教室へ戻りますね。アイラのお兄さんに、会えて良かったです」

「ああ、俺も……。君は、魔術具専攻なのか?」

「あ、はい。そうです。魔術具開発局にも通って勉強しています」

「そうか。俺は魔術を魔術具と共に使うことが多いから…良ければまた今度、会って話を聞かせてくれないか?」


 クライドは何故か、その言葉を口にすることに緊張していた。
 断られたらどうしようか、と思っていたが、トリシアは嬉しそうに頷く。


「はい!もちろんです!」

「……じゃあ、また今度会いに来る」


 トリシアの返事にホッとしたクライドは、自身でも気付かないうちに満面の笑みを浮かべていた。
 そのまま颯爽と、魔術師見習いたちが集まる教室へと戻って行く。


 一方でトリシアは、固まったようにその場から動けなかった。


「………す、すごい破壊力だわ…」


 真っ赤な顔で、ポツリとそう呟いた。





***


 夕方、その日第一騎士団が使用していた訓練場にアイラはいた。
 冷たい風が吹く中、剣を振るっている。


「アイラさま、夜会に参加されると聞きましたけど、本当ですか?」


 そう問い掛けながら同じく剣を振るうのは、第三騎士団所属のクローネだ。

 アイラに弟子入りし、三日おきにこうして夕方に剣を合わせている。
 最初のうちは、毎日のように現れては指導を受けたがっていたクローネだが、副団長三人に説得され、なんとか三日に一度の指導で落ち着いた。


「ええ、本当よ」

「そうですか。実は、私の元にも招待状が届いているのです」

「クローネも?……そっか、伯爵家の令嬢だものね」

「はい。あまり乗り気ではなかったのですが、アイラさまが参加するなら私も出ようかと…」


 普通に会話をしながら、アイラとクローネは剣を交えている。

 弟子と言いながら、クローネの実力はかなりある。長身を生かした戦い方で、細腕なのに力があった。
 けれど、剣を握ったのは試験を受ける一年前が初めてだと言うから驚きだった。
 ちなみに、クローネはアイラの一つ年上である。


 長い腕がアイラに向かって振るわれ、それをしゃがんで躱す。
 身を低くしたまま回転するように移動し、クローネの木剣を横から弾き飛ばした。

 地面に転がる木剣を見て、クローネがため息を漏らす。


「……ああ…やはり私は隙が多いですね。まだまだです」

「そんなことないわ。私は補助魔術を使っているし…でもそうね、剣を振るときの動きが大きいときがあるから、もう少し抑えて力を凝縮させたら、より速く強くなると思うわ」

「はい!頑張ります!」


 自分よりも年下の新人騎士で、さらに実践経験も少ないアイラからの指摘に、クローネはとても嬉しそうに頷く。


「少し休憩しましょう」


 アイラとクローネが訓練場のベンチへ移動すると、そこに座って二人を見ていたデレクが口を開いた。


「なぁ、どうしてアイラにはそんなに態度が違うわけ?」

「は?逆にどうして私が、アイラさまと他の男を同列に扱わないといけないの?」


 デレクとクローネの間にバチバチと火花が飛んで見える。また始まってしまった、とアイラは思った。


「そもそも、どうして当たり前のように貴方がここにいるの?さっさと帰って寝たら?」

「俺たちにはアイラを護る使命があるからな!な、リアム!」


 デレクがそう言って隣を見る。片足を組んで座っていたリアムは、返事の代わりに肩を竦めた。
 そんなリアムを視界に入れたクローネは、たちまち身を縮ませてアイラの後ろへ隠れた。


「……リ、リアムさまは別です。いつまでもいていただいても…」

「何だこの違い、俺が平民だからか!?なぁリアム!?」

「僕に同意を求めないで。あとうるさい」


 喚くデレクを、リアムが面倒くさそうにたしなめた。

 デレクとリアムは、クローネを指導する間、ずっと残って見守ってくれている。
 そこまで迷惑をかけられない、と言ったアイラに、二人は揃って「絶対に残る」と首を横に振ったのだ。


 クローネは、デレクにだけ態度が悪かった。
 それはデレクが平民だからという理由ではなく、単に男性が嫌いだからだろう。

 けれど、同じ男性であるリアムに対する態度はまた違った。端から見れば、それは恋する乙女のような反応であった。
 リアムに聞いてみれば、クローネとは会話すらしたことがないと言っていたのだが。


「……ねえクローネ、私も気になっていたの。どうして私のことを、そんなに慕ってくれているの?」

「えっ?」


 振り返ってクローネを見れば、リアムを見たからか頬を染めている。


「初めて会ったとき、尊敬していると言ってくれたわよね」

「はい、そうです!」

「同じ令嬢であり騎士で、境遇が似ているのもあるのかしら?」

「……それは、アイラさまの存在を知ったきっかけにすぎません」


 クローネはそう言うと、少しだけ悲しそうな顔をした。


「アイラさまは、ご自身で騎士の道を選ばれたのでしょう?……私は、違います」

「そうなの?」

「はい。私は両親に騎士になれと言われ、その言葉に従ったまでです」

「……どうして、騎士になれと言われたの?」


 暗い表情のクローネに、アイラはできるだけ優しい声で訊ねた。
 俯いたまま、クローネがポツリと呟く。


「…………です」

「え?」

「……男嫌いを治して、婚約者候補を見つけて来いと言われたのです…!」


 そう言うが否や、クローネが両手で顔を覆った。とても悲壮感が漂っているが、アイラはどう声を掛ければいいか悩む。
 助けを求めてデレクとリアムを見れば、二人とも微妙な顔をしていた。


「……ごめん、だいぶ重い話かと思ったら、拍子抜けしたんだけど」

「デ、デレク…!」


 あまりに正直に感想を述べたデレクを、涙目のクローネがキッと睨んだ。


「それよ!どうして男ってデリカシーがないの!?」

「デ、デリカシー?」

「ズカズカと土足で踏み込んできて、鋭い言葉を投げつけて!人の体をいやらしい目で見てくるし!気持ち悪い!」

「お、俺はいやらしい目でなんか見てないぞ!?もごっ」

「はい、あっち行くよ」


 リアムがデレクの口を押さえ、ずるずると引きずって行く。ちらりと目配せされ、アイラは頷いた。


「……クローネ、何かあったのね?」

「アイラさま、私…」

「いいのよ、無理に話さなくて。私も、少しは気持ちが分かるから」


 アイラも、男性の舐めるような視線を感じることは多くあった。それが気持ち悪いと思うのも分かる。


「……でも、男性が皆、同じというわけではないわ。クローネにとって、リアムがそうなのでしょう?」

「………それは……、はい…」

「ね?デレクも、少し喧嘩っ早いところがあるけど、良い人よ。私の大切な友だちなの」

「………はい」


 しょんぼりと俯いたクローネに、アイラは笑いかけた。


「大丈夫よ。私も手伝うから、少しずつ男性を克服しましょう。それと、リアムとの恋も応援するわ」


 最後の方はこっそりと耳元で言うと、クローネの顔が真っ赤に染まる。その反応を見れば、“氷の女騎士”だなんて呼ばれているのが嘘のようだ。


「そ、そういうアイラさまは、フィン副団長と恋仲なのですよね?」

「えっ?あ、それはフリなのよ。これはそのうち説明があると思うけど、内密にしてね」

「そうなのですか…?では、アイラさまには今、意中の方はいらっしゃらないのですね」

「あら、どうしてそう思うの?」


 首を傾げたアイラに、クローネも同じように首を傾げる。


「いくら恋人のフリとはいえ、意中の人がいたら誤解されそうで嫌ではないですか?」

「……誤解…」


 アイラはポツリと呟いた。
 それと同時に、訓練場から少し離れた二階の窓から向けられる視線に気付く。
 綺麗な紅蓮の瞳が、じっとアイラを見ていた。

 目が合った瞬間、アイラは思わず駆け出していた。


「アイラさま?」

「アイラ?どこ行くの?」

「もがが!」


 背後から呼び止める声に、アイラは振り返って答える。


「ごめんね、私、その……誤解は、嫌だから!」


 デレクとリアムは不思議そうに眉を寄せ、クローネは意味が伝わったのか、真剣な顔でぐっと拳を握っている。


 アイラは何も考えず、ただひたすらその姿を…エルヴィスの姿を目指し、走り続けた。

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