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45.隣に立つ資格
しおりを挟む談話室で、フィンは第一騎士団の全員に事件の概要を簡潔に説明した。
デレクの反応にショックを受けていたアイラは、フィンの話が右から左へ流れていく。
説明が終わると、皆の視線がアイラに向いているのが分かった。
―――ただ一人、デレクを除いて。
「………アイラ?」
フィンが眉をひそめて名前を呼ぶ。
アイラ自身は気付いていなかったが、真っ青な顔で震えていた。
「どうしたの?大丈夫?」
「……あ…、わ、私…」
上手く声が出せず、アイラは笑ってごまかそうとしたが、笑えるはずもなかった。
「……副団長、アイラは改めて自分の置かれている状況を理解して、混乱しているんだと思います」
アイラを庇うように立ち上がったのは、リアムだった。
「先輩方も、その同情のような視線は、アイラに余計な負担をかけるのでやめてください」
「リアムくん、言い方、言い方。でもそうだね。さっきまで気丈に振る舞ってたけど、アイラちゃんだって怖いはずだよねぇ」
ギルバルトがリアムと他の騎士の間に立って、亀裂が生まれないようにしてくれている。
今、アイラは命を狙われていることが怖くて震えているわけではないが、リアムの背中を見て少し安心した。
何度か深呼吸を繰り返し、愛想笑いを浮かべる。
「……フィン副団長、すみません。自室で少し…一人になってもいいですか?」
「うん。負担をかけてごめん、アイラ。今日はもう休んで…また明日」
「ありがとうございます。……皆さんすみません、明日からはいつも通り頑張ります」
先輩騎士たちは、やはり心配そうにアイラを見ていた。なんて言葉を掛けたらいいか、悩んでいるようだった。
リアムに礼を言うと、アイラは部屋に戻ろうと足早に談話室を出た。
デレクの方に、視線は向けられなかった。
とぼとぼと歩きながら、アイラは部屋に辿り着く。
そのまま閉めた扉を背に、ずるずると座り込んだ。
「―――…」
涙がポロポロと零れ落ちる。アイラは泣くな、と自分に言い聞かせた。
―――きっと、デレクは何度も皆に迷惑を掛ける私に、愛想をつかしたんだわ…。
どうして、デレクは当たり前に心配してくれると思っていたの?
アイラは友人を一人失ったかもしれないと思い、しばらくその場で涙を流し続けた。
「―――アイラ!大丈夫なの!?」
焦ったようにカレンが部屋に入って来た。
部屋の隅で膝を抱えていたアイラを見て、大きな瞳を丸くする。
「アイラ……!」
カレンは眉を下げ、アイラに近付くと優しく抱きしめた。
おそらくカレンも、アイラが命を狙われることに対して泣いていたと思ったのだろう。
泣き腫らした顔で、アイラはスンと鼻をすすった。
「……カレン、大丈夫よ…」
「どこが大丈夫なのよ!あたしに強がらなくていいんだからね!?」
カレンは本気で心配し、怒ってくれていた。アイラは力なく微笑む。
「……うん。ありがとう」
「~もう、ちゃんと味方がいるって分かってるわよね?」
「………うん…」
デレクの姿が思い浮かび、また悲しみが募る。
カレンがスッと立ち上がると、突然自身の机の引き出しを開けた。そこから大量の手紙が姿を現す。
「アイラ、これ、何か分かる?」
「………?手紙、よね?」
「そう。ぜーんぶ、エドマンドからよ」
エドマンドは、カレンの弟だ。
アイラは武術大会で初めて会った。カレンにとても似ている。
武術大会では、赤毛の騎士に変装していたエルヴィスと戦い、救護室に運ばれている間に事件が起きてしまい、アイラはそのあとエドマンドと会えていない。
「……すごい量ね。エドくんは元気?」
「元気よ。この手紙はね、内容がほとんどアイラの話なの」
「えっ?」
カレンは手紙を一通手に取り、アイラに渡した。アイラはそれを開くと、手紙一面にぎっしりと書かれた文字に目を通す。
“姉さん、アイラさんは大丈夫?”
“ああ、あんなに豪語したのに負けたんだ。もうアイラさんに顔を合わせられない”
“騒ぎが起きたとき、どうして俺はベッドの上にいたんだろう”
このような内容が、つらつらと繰り返し綴られていた。
読みながら、アイラはエドマンドの笑顔を思い出す。
「エドくん…」
「何通も届くから、本人に送りなさい!って言ったんだけどね。負けた姿を晒したから恥ずかしいんですって」
「……恥ずかしくなんてないのに…」
「エドが自分でアイラに送れるようになるまで、見守ってようかと思ったんだけどね」
カレンはため息を吐くと、微笑みながらアイラを見た。
「……ね、アイラ。離れたところにも、アイラの味方は必ずいるのよ。お願いだから、自分は独りだなんて間違っても思い込まないでね」
「カレン…ありがとう」
アイラはカレンの言葉が素直に嬉しかった。自然と笑顔が浮かび、カレンはそれを見てホッとしている。
そのとき、扉がノックされた。
アイラとカレンは顔を見合わせ、扉に近かったカレンが出てくれる。
「はーい、どなた?」
「……リアムです」
ガチャ、と開いた扉の奥に、リアムが立っていた。
「リアム?どうしたの?」
「………それは、こっちのセリフ。顔がだいぶひどいけど」
「こらリアムくん!女の子にそんなこと言っちゃダメよ!」
アイラの顔を見た瞬間、口元を引きつらせたリアムをカレンがたしなめる。
「カレン先輩、少しアイラを借りたいんですけど」
「えっ?それは、アイラ次第だけど…」
カレンはちらりとアイラを見たあと、リアムにこっそりと耳打ちした。
「……変なことはしないわよね?」
「しません」
キッパリと否定したリアムに、カレンは「良かった~」と笑った。
リアムはアイラを手招きで呼ぶ。アイラはゆっくりと立ち上がった。
「カレン、本当にありがとう。行ってくるわね」
「ええ。あまり遅くならないでね?」
アイラは頷くと、リアムと一緒に部屋を出る。
廊下を歩きながら、隣のリアムを見上げた。
「ところで、どこへ向かっているの?」
「僕の部屋だけど」
「リアムの?」
リアムの部屋は、そう遠くない位置にあった。廊下で他の騎士とすれ違うことはなく、リアムが言うひどい顔を見られずに済んだアイラは、ホッと胸を撫で下ろす。
「ちなみに、僕は一人部屋だから」
「そうなの?すごいわね」
「推薦入団者はそうらしいよ。まあいわゆるコネだよね。……今は、もう一人いるけど」
「うん?」
リアムが扉を開け中に入ると、その“もう一人”が誰なのかすぐに分かった。
「……アイラ?」
「デレク…」
目を見開いたデレクが、リアムの部屋にいた。
***
アイラの姿を見た瞬間、デレクはリアムをじろりと睨む。
リアムは涼しい顔で扉を閉めると、扉に寄りかかって口を開いた。
「ほら。場所は提供したんだから、さっさと仲直りしてくれない?」
デレクがリアムの部屋を訪れたのは、談話室からアイラが出て行き、フィンが団員たちに今後の動きを話し終え、少し鍛錬して解散となったあとだった。
モヤモヤとした感情を抱えながら、デレクの足は自然とリアムの部屋へ向かっていた。
いつの間にか、リアムはデレクにとって重要な存在となっていたらしい。
最初の印象が最悪だっただけに、デレクは扉を叩きながら不思議な気分になった。
リアムはデレクが来るのが分かっていたかのように、驚きもせず部屋に招き入れてくれた。
ただ、デレクは何を話せばいいか分からず、しばらく押し黙っていた。
すると、リアムは「ちょっと待ってて」と言って部屋を出て行き、戻って来たかと思えばアイラが一緒にいたのだ。
デレクのモヤモヤの原因である、アイラが。
「………」
「………」
デレクとアイラはお互い無言になり、嫌な沈黙が続く。
ちら、と視線を上げると、扉付近に立ったままのアイラの瑠璃色の瞳とぶつかった。
アイラはビクッと肩を震わせ、視線を逸らす。談話室でのデレクの態度を考えれば、アイラその反応は当然だった。
けれど、デレクはショックを受け、ますます声が出なくなる。
二人の様子を見ていたリアムが、苛立った声を上げた。
「ねえ、何なの?デレク、君の態度が全く理解できないんだけど」
「………っ」
「もちろん、言葉にしないとアイラにも正確に伝わらないの、分かってるよね?」
「……わ、分かってる」
「なら、早く言って。今のままだと君、アイラに“自分は嫌われた”って思わせた最低な男になるけど」
リアムにそう言われたデレクは、俯いていた顔をバッと勢い良く上げた。
「ち、違う…!!」
デレクは思わず声を張り上げる。まさか“嫌われた”だなんて思わせていたなんて、と気持ちが焦っていた。
「俺がアイラを、嫌うわけない。その逆だから、苦しいんだ!」
言葉にしてから、デレクはハッと息を飲む。
いつの間にか、アイラはデレクをじっと見ていた。
「……本当に?」
潤んだその瞳に、デレクは一気に顔が熱くなった。
けれどもう、ごまかせない。誤解されていたならば、まずはそれを正したいと腹を括る。
「……本当だ。悔しくて、苦しいんだ。俺はいつも、アイラが危険なときにそばにいない」
「………」
「アイラの隣に立つのにふさわしい男になるって言いながら、いつも近くにさえいないんだ。笑っちゃうよな?」
ははっ、と乾いた笑いを零す。改めて口に出すと我ながら情けないな、とデレクは思った。
アイラが小さく首を横に振る。
「……それは、別々の任務を受けているから…」
「頭では分かってるよ。それでもやっぱり、アイラの傷ついた姿を見るたびに、俺は何をやってるんだって気持ちになるんだ」
忘れもしない、武術大会で起こった事件。
最後にアイラが巨大な炎の玉に襲われたとき、デレクはただその場で手を伸ばすことしかできなかった。
遠く離れた位置にあったその手では、アイラを護れるはずもなかったのに。
―――好きだから、大事だから、隣で護りたい。
デレクの父親は、誰かを護ろうとすれば強くなれると言ってくれた。
けれど、強くなるどころか、護りたい人から遠ざかっていく気がしたのだ。
「……自分が、情けなくて、悔しくて…アイラを見ると、そんな自分を許せなくて苦しくなって。だから、目を背けたんだ」
「………デレク」
「俺にはそもそも、アイラの隣に立つ資格なんてなかったんだ…!」
「デレク!」
ぺちん、とデレクは両頬を挟まれるように叩かれた。
いつの間に近付いていたのか、アイラが目の前でしゃがみこんでいる。
「……私は今、怒っているわ」
すうっと目を細めたアイラに、デレクは固まった。アイラは言葉を続ける。
「デレクに嫌われたんだと思って、とても悲しかった。部屋に戻ってから散々泣いて、リアムにはひどい顔とまで言われたわ」
「………っ」
アイラの目は腫れている。それは見た瞬間に分かっていたが、デレクはまさか自分のことで泣いていたとは思わなかった。
「私は確かに今までケガばかりしているし、どこの誰かも分からない人物に命を狙われている。とても怖いし、命を失うのは二度とごめんだと思っているわ」
「………」
「でも、立ち向かうと、戦うと決めたの。それは、私にはたくさん仲間がいるって分かっているからよ。皆が助けてくれると、信じているからなの」
アイラは一呼吸置くと、デレクの両頬をぐいっと引っ張った。
「隣に立つ資格なんていらない!デレクがどこにいたって、私にとっては大切な仲間で、最高の友達なんだから!」
アイラの真剣な眼差しに、言葉に、デレクの心が震える。
モヤモヤと心に渦巻いていた黒い感情が、一気に晴れていった。
デレクは、頬を引っ張るアイラの震える手を、そっと優しく掴んで下ろす。ただ、その手を離そうとは思わなかった。
「………アイラ」
「ちゃんと伝わった?伝わっていなかったら、また怒るわよ」
「伝わったよ。隣に立つ資格が、いらないって言うなら…」
目の前にいるアイラを、デレクは熱の籠もった瞳で見つめた。
「……心配なんだ。ずっと隣にいてほしい」
任務のとき以外でも、ずっと隣に。
そう意味を込めてデレクが伝えた言葉に、アイラはふわりと微笑んだ。
「デレク、それは無理よ」
「…………へっ」
「毎回同じ任務にはならないでしょう?訓練も常に一緒にはいられないし。…あ、食事とか、城下街の買い物のときはいつも通り隣にいるわ!」
「………っ、あははは!」
それまで気配を消して会話を聞いていたリアムが、耐えきれないとばかりに噴き出した。
突然笑い始めたリアムに、アイラがきょとんとしている。
「……リアム?どうして笑うの?」
「だって、もうおかしっ…くくっ、あはは!」
「リアム、お前なぁ…」
デレクはがっくりと肩を落とした。知らずに緊張で強張っていた体から、力が抜けていく。
「そうだよな、アイラだもんなぁ…」
しみじみとそう呟いて、デレクはアイラの手をぎゅっと握った。
好意が伝わらないのは、自分がその対象として見られていないからだと、デレクは分かっている。
「アイラ、俺がアイラを嫌うことは絶対にないから。……勘違いさせて、傷つけてごめん」
「……ううん。私も心配かけてばかりでごめんなさい。私も、デレクを嫌いになることはないからね」
華奢な手が、デレクの手をきゅっと握り返してくれた。その手のひらの熱が、じわりと胸に広がっていく。
「ありがとう、アイラ。……リアムも」
「こちらこそ、いつもありがとうデレク。……リアムも」
「ちょっと、何でついでみたいに付け足すの?」
リアムが鋭く指摘したことが可笑しくて、デレクはアイラと顔を見合わせて笑った。
「いや、本当に感謝してるからな?お前がいなかったら、アイラと上手く話せなかったと思うし」
「うん。リアムはいつも、些細な変化に気付いて気を遣ってくれるわよね。さすがだわ」
「……僕が動く前に、自分で動いてくれると助かるんだけどね」
ここで小さな嫌味を言うのがリアムだ。けれどデレクもアイラも、それがリアムの照れ隠しの言葉だと知っている。
二人で笑みを浮かべていると、それに気付いたリアムに睨まれた。
「君たちは良くも悪くもすぐ顔に出るから、気をつけてよね。それとアイラ、君は命を狙われてるんだから、もっと気を引き締めないと」
「そうよね、ごめんなさい。二人といると、どうしても気が緩んでしまって…」
「それでもいいじゃん。常に気を張ってると疲れるんだし。俺たちといるときは、ゆっくり息を吐けばいいんだよ」
デレクは二カッと笑ってみせてから、ふと先ほど気になった言葉を思い出す。
「そういえばアイラ、命を失うのは二度とごめん、って言ってたけど…どういう意味だ?」
まるで一度死んでしまったことがあるかのような口振りだったが、まさかそんはずはないだろう。
深く考えずにデレクが口にした言葉に、アイラを纏う空気が変わった。
アイラは真剣な顔付きで、デレクとリアムを交互に見ると、深く息を吐き出す。
「……二人とも、このまま私の過去の話を聞いてもらってもいいかしら?」
デレクとリアムは顔を見合わせ、こくりと頷いた。
「―――私、一度命を落としているの」
形の良い艷やかな唇が、衝撃の言葉を告げた。
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