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30.武術大会⑤
しおりを挟む闘技場へ足を踏み入れながら、アイラは昔の記憶を思い出す。
人生をやり直す前の、魔術師を目指していた頃の記憶を。
◇◇◇
アイラが十三になったその日に、タルコット男爵家でガーデンパーティーが開かれた。
主役であるアイラは、深紅のドレスに身を包み、長い蜂蜜色の髪を可愛く編み込んでもらっている最中だった。
「ねぇベラ、今日は大勢の方が来るのよね?」
アイラが鏡越しにそう訊ねると、侍女のベラが嬉しそうに笑う。
「そうですよ、お嬢さま。お嬢さまのお誕生日を、皆様お祝いに来てくださるのです」
「……何だか緊張してきたわ…」
「ええっ?」
「だって、こんなに大掛かりなパーティーは初めてじゃない?」
アイラは胃の辺りを押さえた。今までの誕生日は、家族と使用人たちだけでお祝いしてもらっていたのに。
「それは、来年魔術学校の試験が控えているからですよ。魔術師の方も招待しているみたいですし、旦那さまと奥さまがお嬢さまのために開いてくださったのです」
「クライドお兄さまも、もうすぐ試験だものね。勉強は余裕だから、今日は魔術師の方にお話を聞くって張り切っていたわ」
「ふふ、さすがクライドさまですね」
アイラは自慢の兄の姿を思い浮かべる。クライドの魔力はアイラよりも高く、魔術の扱いが上手い。
特に魔術具を効果的に使用することを得意としており、自身の魔術の質を高めている。
父のラザールも、クライドは優秀な魔術師になれると絶賛していた。
アイラも魔術師を目指しているので、クライドに称賛の眼差しを送る一方で、嫉妬と焦りも感じていた。
「さて、とても可愛いアイラお嬢さまの完成ですよ!」
「いつもありがとう、ベラ」
アイラは笑顔でお礼を言うと、ゆっくりと椅子から降りる。タイミング良く扉がノックされ、クライドが部屋に入ってきた。
「おや、入る部屋を間違えたかな?お姫さまがいるようだ」
「もう、お兄さまったら。……もう時間かしら?」
「ははっ、父さまと母さまが呼んでるよ。お姫さま、お手を」
クライドがにやりと笑って片手を差し出してくれたので、アイラはその手を取ると同じように笑った。
「ありがとうございます、王子さま」
そんなアイラとクライドを、ベラが微笑ましそうに見ていた。
庭に出ると、既に大勢の招待客で賑わっていた。
アイラがクライド共に現れると、両親が気付いて近寄ってくる。
「アイラ。改めてお誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
ふわりと微笑んだアイラに、周囲の人々が感嘆のため息を漏らした。
「アイラさま、可愛らしいわねぇ」
「将来はぜひ、うちの息子の奥さんに欲しいですな」
「いやいや、ぜひうちの息子の。立派な魔術師になられるでしょうなぁ」
貴族の親たちが、打算的な笑みを浮かべながらアイラの両親を取り囲んで話している。
引き合いに出された息子たちは、頬を染めながらアイラをちらちらと見ていた。
その視線が、アイラはとても嫌だった。
クライドの手を握る自身の手に力が込もってしまい、優秀な兄はその震えを感じ取る。
アイラを横目で見てから、クライドは大人たちに向かって口を開いた。
「アイラはパーティーの主役ですので、俺がついて他の方たちにご挨拶をしに回ってもよろしいですか?」
「ええ、そうね。ありがとうクライド」
母のセシリアが優しく微笑み、クライドの頭を撫でる。そして、アイラを見て言った。
「アイラ、素敵なお友達ができるといいわね」
「……はい、お母さま」
アイラはそう笑顔で返したが、内心はとても困っていた。友人の作り方というものが、十三になっても良く分からないのだ。
今までずっとクライドの背中を追いかけ、ラザールの指導で魔術の勉強に勤しんでいた。
同年代の子どもと遊んだ記憶が、悲しいことにアイラには無かった。
それでも、友人が欲しいとは特に思っていなかったが、さすがに令嬢としての役割を果たさなくてはいけない。
アイラは眉を下げ、手を引いてくれるクライドを見上げた。
「……お兄さま…お友達には、どのようにすればなれるのですか?」
「うーん、どのようにすればというか…話していく内に、気付けば自然と友達になってる感じかな」
「そうですか…」
しょんぼりと肩を落とすアイラに、クライドが苦笑する。
「そんなに気負わなくても、友達になりたいって思える相手にはそのうち出会えるよ」
「……だと良いのですけど…」
それから、アイラとクライドは他の招待客へ挨拶回りをした。
ほとんどの令息は、アイラを見ると顔を赤くして挨拶をしてきた。
令嬢は友好的に話し掛けてくれる人もいれば、周囲の令息がアイラに夢中なのが気に食わず、冷ややかな笑顔を向けてくる人もいた。
そして令嬢たちはアイラに挨拶をしながらも、クライドの方に気を取られていたのだ。
アイラは次第に疲れ、両親には悪いがこの場から離れたくなってしまった。
「……お兄さま、先ほど、お兄さまと仲の良いご令息がいらっしゃいましたよね?」
「ん?……ああ、そうだな。彼はとても気が合う。父親は魔術師だしな」
「ではぜひ、お話をしに行ってください。私は少し疲れたので、庭園で休んでまいります」
アイラの提案に、クライドは迷う素振りを見せた。
友人と話したいが、主役のアイラを放っておけない。そんな葛藤が見て取れる。
「……大丈夫ですよ、お兄さま。衛兵の方がいらっしゃいますし、少し休んだらすぐ戻りますから」
「そうか…?何かあったら、すぐ俺を呼ぶんだぞ」
「はい」
アイラはクライドの背中に笑顔で手を振り、通りすがる招待客に軽く会釈をしながら、中庭へと向かった。
中庭にたどり着くと、いつもの定位置である、噴水の前のベンチに座ろうかと思っていたアイラは、ピタリと足を止める。
そこにぐったりと座り込む、一人の男性の姿があったからだ。
「………!大丈夫ですか!?」
アイラは慌てて駆け寄り、男性の肩を揺する。綺麗な赤毛がさらりと揺れ、茶色の瞳がそっとアイラに向けられた。
「……ん…、ああ…大丈夫だ」
「どうされましたか?気分が悪いのですか?」
「いや、少し………、」
そこで男性は、突然意識がハッキリしたかのように目を見開いた。男性の瞳に、きょとんとした顔のアイラが映っている。
「あの…?」
「……何でもない、大丈夫だ。ありがとう」
立ち上がった男性の服は、騎士の服のようだった。
タルコット家が雇っている衛兵ではなさそうなので、両親が雇った今日の護衛騎士だろうかとアイラは考える。
だとしても、こんなところで一人ぐったりしていたのは心配だった。
「騎士さま、ですよね?本当にお体は大丈夫ですか…?」
「……ああ。少し目眩がしただけだ。……では、俺は警備に戻る」
「そうですか…、お気を付けてくださいね」
アイラの言葉に、騎士の男性はフッと微笑んだ。去って行くその後ろ姿を見送ると、アイラは騎士がいたベンチに座りひと息吐く。
ぼんやりと、目の前の噴水を眺めていると、誰かが近付いてくる気配がした。
クライドかとアイラは思ったが、どこかの令息だった。挨拶をしたとき、やたらとアイラをじろじろと見てきた青年だ。
「……ごきげんよう」
視線が絡んでしまった以上、アイラはスッと立ち上がり挨拶をする。令息は笑みを浮かべながら近付いて来た。
「こんにちは、アイラさま。ぜひお近付きになりたいと思っていましたが、こんな所におられるとは」
「……少し、疲れてしまいまして」
アイラはにこりと笑顔を返す。これで立ち去ってくれれば良かったのだが、疲れているという言葉は相手に届かなかったらしい。
「親睦を深めましょう。アイラさまはどんな男性がお好きですか?」
「…………あの…」
「僕はどうでしょう?顔には自信がありますよ」
確かに、その令息は整った顔をしていた。けれどアイラはクライドの方が格好いいと思ったし、そもそも名乗りもしない相手を好意的には思えなかった。
全身を舐めるような視線に、アイラはぞわりと鳥肌が立つ。
「……お兄さまが心配しますので、私は戻りま…」
足早に立ち去ろうとするアイラの腕を、令息ががっちりと掴んだ。
「どうしてです?親睦を深めよう、と僕は言ったじゃないですか」
「あの、放してくださいっ…」
ぎりぎりと力を込められ、アイラかいくら振りほどこうとしても無駄だった。令息は顔を近付けて来る。
「……アイラさまより、僕のほうが力は強いですよ?このまま、どうとでもできます」
「………っ」
「でも僕は優しいから、ただお話するだけにしようと―――、」
そこで突然、令息が意識を失ったように崩れ落ちた。
腕を掴まれていたアイラは、一緒に倒れそうになる。が、ふわりと体が浮いた。
「―――大丈夫か?」
アイラの両脇を手で支え、持ち上げてくれたその人は、先ほどベンチで会った騎士だった。
そっとアイラを降ろすと、地面に転がる令息に視線を向ける。
「……思ったより効果が出たな…」
「ど、どうして突然倒れたのですか?」
「ああ、これを使わせてもらった」
騎士がスッと取り出したのは、魔術具のようだ。アイラは何度か魔術具に触れたことはあるが、見たことのないものだ。
「それは、魔術具ですか?どのような効果が?」
「この青年を見たままの通り、気絶させる効果だ」
「気絶……」
何だか物騒な魔術具だが、騎士には役立ちそうだ。
アイラは令息を一度見てから、騎士に視線を戻す。
「……助けてくださって、ありがとうございました」
「いや。俺もさっき助けられたしな。それに、この場の警備が仕事だから」
随分と優しく笑う人だ、とアイラは思った。そして、その手に持つ魔術具をじっと見る。
「魔術具が使えるということは、騎士さまには魔力があるのですか?」
「ああ。……使いこなせはしないがな」
「簡単な魔術なら、少し練習すれば使えますよ。騎士さまの役に立つかもしれません」
「……考えておく。君は、先ほど名前が聞こえたが…この家の令嬢なのか?」
その問いに、アイラは慌てて礼をする。
「申し遅れました。アイラ・タルコットと申します」
「そうか、俺は……名乗るほどのものじゃない。ただの騎士だ」
少しだけ悲しそうにそう言った理由は、アイラには分からなかった。けれど、ふるふると首を横に振る。
「……ただの騎士さまではありませんよ。私に救いの手を差し伸べてくれた、とても優しい騎士さまです」
「それは……随分と俺に都合がいいな?」
「いいのです。私は助かりましたから」
アイラが笑うと、騎士もフッと小さく笑う。
「……君は、魔術師を目指すのか?」
「はい、もちろんです。父のような魔術師を目指しています」
「そうか…いずれ、一緒に任務に就くことがあるかもしれないな。頑張れ」
ポン、と優しく頭を叩かれる。近付いた距離にアイラはドキリとした。
先ほど令息に近付かれたときはあんなに嫌だったので、アイラは不思議な気持ちになる。
「……はい。立派な魔術師になってみせますね」
「俺も、騎士の道をしっかりと歩もう」
顔を見合わせ笑い合うと、遠くからクライドがアイラを呼ぶ声が聞こえてきた。
クライドが駆け足で向かって来る。
「お兄さまです。ぜひ紹介を……」
アイラが騎士がいた方へ視線を向けると、既にそこに騎士の姿は無かった。
えっ、と声を漏らし、アイラは周囲をきょろきょろと見渡す。
「……アイラ!なかなか戻らないから心配して…って、何だこの状況!?」
「あ…この方に無理やり腕を掴まれて、騎士さまが助けてくださったのですけど…」
「何!?……その騎士はどこへ?」
「……どこかへ行ってしまいました」
クライドも周囲を見渡すが、姿の見えない騎士よりも、目の前の令息の対応を優先した。
「とりあえず、彼の親を探して引き取ってもらおう」
「はい。……あの、お兄さま。どうか内密に対処していただけませんか?」
「……アイラ…」
クライドが呆れたようにアイラを見る。
「きっと、無理やり迫られでもしたんだろう?それに、手首が赤くなってるぞ」
「……これは、その…」
「それでも、お前はこの令息を許すのか?」
クライドの翡翠の瞳が光った。アイラはその瞳を、真っ直ぐに見据えたまま頷く。
「はい。この方は、私が魔術師を目指す道の妨げにはなりません」
アイラの答えに、クライドは意外そうに目を丸くした。そして、すぐに嬉しそうに笑う。
「……まさか、お前からそんな答えが返ってくるとはな。兄さんは嬉しい」
「ふふ。私は、立派な魔術師を目指すのですから」
アイラはそう言いながら、姿を消してしまった赤毛の騎士を探すように振り返る。
そこには、美しい庭園が広がるだけだった。
◇◇◇
アイラは剣を両手で握り構えると、大きく深呼吸をした。
立派な魔術師にはなれないが、今は立派な騎士になるという夢がある。
それを、あの人に知って欲しかった。
そして記憶を思い出すうちに、疑問が浮かぶ。
アイラはあのとき、警備をしている騎士だと思っていたのだが、赤毛の騎士は間違いなく今の騎士団にはいない。
あれほどの実力があるなら目立つだろうし、何より騎士団の団員たちが知らないはずはないのだ。
―――もしかして、他国の騎士?……いえ、それならあの日にうちの警備に来るはずがないし…。
結局、お父さまに訊ねても誰だか分からなかったのよね…。
謎の多い騎士は、この闘技場でも謎の男として有名なようだった。
ひとまず、アイラは思考を切り替える。目の前の相手に集中しなくては、と。
今回の対戦相手は、騎士団の団員だ。
第一騎士団ではないので、第二か第三の先輩だろう。
剣の構え方と立ち方が洗練されており、一般人とは比べ物にならない。気を引き締めなくては、一瞬でやられてしまう。
「―――第三試合、開始!」
アイラはすぐに飛び出さず、様子を見ることにした。相手も慎重に距離を測っているのが分かる。
先に動いたのは、相手の騎士だった。
素早く地面を蹴ったのが見え、次の瞬間には刃が振り下ろされていた。
アイラはそれを剣で受け止め、流すように弾き返す。体重と力の差から、真正面で受け止めると弾き返せないので、アイラはなるべく相手の正面を避けることにした。
身を翻し、背後を取ろうと地面を蹴る。けれど読まれていたのか、剣の振りで行く手を阻まれた。
「………っ」
とてもやりにくい相手だった。さすが騎士団の先輩というべきか。
それでも、アイラはここで退くわけにはいかない。補助魔術が使えなくとも、戦える騎士であるために。
相手に隙がないので、自分の隙を作ることにしたアイラは、わざと大きく剣を振りかぶった。
すると、胴体を狙って薙ぐように相手の剣が振るわれる。
それを見計らってアイラは体を捻り、相手の剣を上から自身の剣で叩きつけた。
「!?」
相手の重心が前にずれた所で、アイラはすかさず背後に回り込む。
体当たりで相手の体を倒し、その上に片膝を乗せると、背中を狙ってピタリと剣を一直線に構えた。
そのアイラの動きに、周囲がどよめいた。
「……ま、参りました…」
先輩騎士はうつ伏せのまま両手を挙げ、アイラの勝ちが決まる。
つうっと額から汗が流れ、それを片腕で拭い、アイラは息を吐いた。
―――あ、危なかったわ…。
どっと疲れが押し寄せ、アイラはふらふらと席へ戻ろうと視線を向ける。
拳を突き上げて、嬉しそうに何かを叫んでいるデレクの後方で、赤毛の騎士がじっとアイラを見ていた。
アイラは唇をきゅっと結び、デレクの元へ戻った。
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